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恋を描けない伯爵令嬢 ーその絵は嘘をつかない  作者: 夏つばき


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40 天秤の上の選択

本作には一部、暴力的な描写が含まれています。

苦手な方はご無理なさらず、当該箇所は読み飛ばしていただけますと幸いです。


額に冷たい布が当てられた感触で、目を開ける。

ぼんやりとした視界の中に、真っ赤な目をしたマイクがいた。


「・・・・・・ありがとう」


手当てをしてくれたことに礼を言う。

マイクは何も言わず、ふるふると首を横に振った。


「ごめん。・・・俺、アリスがこんな目に遭うなんて、知らなかったんだ」

「・・・うん。でも、危ないのは私だけじゃないわよ」


私はゆっくり息を吐いた。

この機会を逃したら、もう言えないだろう。


「マイクさんもよ」

「俺も?」


「だって、ロドリックは、あなたを使い捨てにするつもりだもの」

「そんなことない!」


即座に強く否定するマイク。

その様子から、どこかでロドリックを信じている気配が感じられた。

この二人の間には、何か時別な絆でもあるのだろうか。


「どうして、そこまで言い切れるの?」

「ロドリックは、王都に出てきて、右も左もわからない俺の世話を焼いてくれたんだ」


「そうなの?」

「ああ。王都に出てくれば金は稼げると思ってた。でもうまくいかなくて、俺は食い詰めていたんだ。・・・誰も助けてはくれなかった。そんな中で、ロドリックだけが手を差し伸べてくれた」


「どうしてロドリックは、あなたを助けたのかしら?」

「俺と同郷なんだよ。だから助けてやるって言ってくれて」


同郷だから、親切に世話を焼いたのか。

それともーー最初から利用するつもりだったのか。


(・・・絶対に後者よね)

田舎から出てきたばかりの人間に、誰も関心なんて払わない。

一人消えたところで、騒ぐ者もいない。


「金も、食い物もくれた。・・・見返りもなしに」


顎で使われるような扱いを受けながらも、それでもロドリックを信じている。

その姿に、思わず同情が込み上げた。


どこか純粋で、人を疑わうことを知らないマイク。

ロドリックにとっては、ただの使い勝手のいい駒に過ぎないのだろう。


「ねぇ、ロドリックがあなたにあげたお金って、すべて5ベル紙幣だったんじゃないの?」

「あ、ああ。そうだよ」


思わずため息が漏れる。

やはりロドリックにマイクを大切にしようとする気など、さらさらない。


「それ、使えないから、あなたにあげたのよ」

「え?」

「旧5ベル紙幣は、偽札が流通したから、今はもう使えないのよ。だから、ジュリアン様があなたのお札と交換してあげたでしょう?私、あの店にいたのよ」


田舎ならまだしも、王都では通用しない5ベル紙幣。

つまりロドリックは、使えない金をマイクに渡したのだ。


(・・・もしかしたら、使えたかもしれないけれど)

たまたまあの店が使えなかっただけで、平民は今でも気にせずに使っていたかもしれない。

大量に使えば怪しまれるが、買い物の時に一枚使うくらいなら疑問に思わないだろう。


「ジュリアン様は、あなたにそう説明したでしょう?」

「あ、ああ。・・・でも、ロドリックだって、知らなかったんだ」

「ロドリックは王都に長年住んでいるんでしょう?知らないなんて、ありえないわ」


マイクは黙り込んだ。

きっと彼だって、おかしいとは思ったはずだ。


「信じる、信じないは、マイクさんの自由だわ。でもね、親切な人でも、自分の命がかかれば、どうかしら」


マイクの肩がぴくりと動いた。

自分の命を懸けられるほどの相手は、そう多くはない。


「偽札作りは、理由に関係なく重罪よ。捕まれば、どんな事情があろうとも死刑。誰か一人でも口を割れば、それだけで全員が危険になるの」


一人が捕まれば、芋づる式に崩れる。

司法取引を持ち掛け、まとめて一網打尽にする。


「殺した方が、安全でしょう?悪いことは言わないわ。マイクさんだけでも逃げて」


利用しようと思って近づいたけど、今は純粋に彼を助けたかった。

彼は、悪い人ではない。

ただ、騙されてついてきただけだ。


「逃げて、警察に駆け込んで」

「だ、だめだ!そんなことしたら、俺が捕まる!」


(・・・・・・怖いわよね)

マイクは震えながら、自分の体を抱きしめている。

自分も犯罪の片棒を担いでいる手前、警察には行きにくいだろう。


「じゃあ、マイクさんは逃げるだけでいいわ」


「で、でも、それじゃあ、アリスは・・・」

「私はいいから」


そう言って、手元の物を差し出した。

私が彼にできることは、もうない。


「逃げるなら、これをブラックウッド家に・・・。ううん、ウィンダム公爵に渡して。あの人なら、あなたを悪いようにはしないわ」


父のルーペ。

それから、ポケットに入っていた5ベル紙幣をマイクに握らせた。


ルーク様なら、気づくだろうか。

本当は手紙を書きたい。


でももし、マイクの逃亡がロドリックに知られたら。

手紙が見つかれば、マイクも私も確実に殺される。


「ルーペ」と「5ベル紙幣」

この組み合わせなら、偽札事件を思い出してくれるかもしれない。


(・・・・・・そう信じるしかない)

ルーク様は優秀だ。

何か手がかりがあれば、きっとここまでたどり着いてくれるはず。


マイクは戸惑いながらも小さく頷き、ルーペと5ベル紙幣をポケットに入れた。



「おい、何やってんだよ」


低い声が落ちた。

はっと顔を上げると、いつの間に戻ってきたのか、扉を背にロドリックが壁に寄りかかっていた。

一体いつからいたのだろう。


「油断ならねぇお嬢さんだな。マイクを上手く言いくるめる気だったろ?」

「そんなことしないわ」


「マイク、信じるなよ」


ロドリックは、子どもに諭すように優しい声で言った。

その口調とは裏腹に、瞳には残酷な色が宿っていた。


「俺たちは捕まったら、間違いなく死刑だ。偽札づくりは重罪だからな」


獲物を追い詰めるように、ゆっくりとこちらに近づいてくる。

その顔には、抑えきれない愉悦が滲んでいた。


胸がきゅっと縮まる。


「なぁ、マイク。お前が今、ポケットに入れた物はなんだ?」

「あ、これは・・・」

「出せ」

「なにも・・・」

「いいから出せ」


ロドリックの脅すような声に気圧されたのか、マイクは慌ててルーペを差し出した。

それを見て、ロドリックは満足げに口元を歪めた。


「め、珍しかったから、ちょっと使わせてもらおうと思って」

「ふぅん」

「大きく見るための道具よ。偽札を描くには必要なの」


「ああ、そうだな」


ロドリックはルーペをひったくり、無造作に机へ放った。

カツン、と硬い音がやけに大きく響いた。


マイクの握りしめた拳が震えているのを見て、ロドリックは鼻を鳴らした。


「馬鹿なことは考えない方がいいぞ。お前だって、金が欲しいだろう?」


「お、俺は金はもう・・・」

「お前、妹の婚礼衣装を整えてやりたいって、王都に出てきたんだよな?どうするつもりだ?お前が金を送らなきゃ、妹は嫁にもいけないぜ」


「それは・・・」

「金があれば、病気の母親に医者にもかからせてやれる。いい薬だって手に入る。親孝行してやりたいだろう?」


マイクの目が落ち着きなく揺れる。

逃げ場を探すように、視線がさまよっていた。


「自分の身が可愛ければ、ここで大人しく見張りをしているのが一番だ」


返事をしないマイクを見て、ロドリックは口の端をゆっくりと吊り上げた。

その笑みを見た瞬間、背筋にぞくりとしたものが走る。


「俺たちは、一蓮托生だからな。もし俺が捕まれば、お前のことを話すぜ」


「・・・え?」

「そうなれば、お前も死刑だ」


ロドリックは、くくっと喉の奥で笑った。


「お前が死刑になるだけで済めばいいけどな。田舎に残した家族はどうなる?家から犯罪者が出たとなれば、妹の縁談にも差し障りが出るんじゃないか?」


ロドリックは、マイクを脅す方向に舵をきったらしい。

マイクの顔は、みるみるうちに青ざめていった。


「そりゃあ母親だって泣くよな。いっそ悲観して後を追うかもしれない」


「・・・・・・っ」

「それでもいいのか?」


母親の嘆く姿を想像したのか、マイクは慌てたように首を振る。


「じゃあ、お前が取るべき道は、もうわかっているな?」


(・・・・・・ああ、だめだわ)

マイクの心が、ロドリックに完全に傾いたのがわかった。

一度傾いた天秤は、もう戻らない。


その事実を楽しむように、ロドリックは静かに笑う。


「ほら、上で飯でも食ってこいよ。お前の好きなポークパイを買ってきたぜ」


その言葉に、マイクはのろのろと顔を上げた。

ポークパイは、南部でよく食べられているものだ。

きっと、彼にとっては故郷の味なのだろう。


「お前のために、わざわざ遠くの評判の店まで行ってきたんだ。ゆっくり味わって食べてこい」


ロドリックが顎をしゃくると、マイクは私の視線を避けるように、足早に部屋を出ていった。

丸めた大きな背中を見送りながらーー何も言えなかった。


扉が閉まると、ロドリックがゆっくりこちらを見る。


「あの・・・」

「余計なことは話すな」


ロドリックが懐から取り出したのは、拳銃だった。

黒い銃口がこちらを向く。


「あんたは、人に取り入るのが上手みたいだからな」


ロドリックが口の端だけ上げ、一歩近づいてきた。

見せびらかすように、拳銃を目の前に上げてみせる。


「何も言わずに、このまま描け」


(・・・あなたが、お父様たちを殺したのよね?)

聞きたいことは山ほどあった。


どうして父が偽札づくりに関わったのか。

父をどうして殺したのか。

どうやって殺したのか。

そして、どうして母まで巻き添えになったのか。


だが目の前の男は、そんな問いを許すつもりはないらしい。

ロドリックは私の胸元に、乱暴に拳銃を押しつけた。


「描け」


(こんな奴のために。こんな奴の命令で、筆を握りたくない・・・!)

たとえ自分がどうなろうと、目の前の紙に線を引きたくなかった。

精一杯の抵抗で、左手で右手を押さえつけながらロドリックを睨みつける。


ロドリックはそんな私を見て、鼻で笑った。


「聞いたぜ」


ゆっくりと私に顔を近づけ、目を覗き込んできた。

酒臭い息が、顔にかかる。


「あんた、ブラックウッド伯爵の養女なんだってな」


思わず心臓が跳ねる。

ロドリックの上にいる人間は、義父たちの近い場所にいるのかもしれない。


「描けよ」


有無を言わせぬ低い声だった。

胸に突きつけた拳銃を、わざと確かめるように押し込んでくる。

逃げ場がないことを、教え込むみたいに。


「描かなければ、あんただけじゃない。あんたの大事な家族がどうなるか、わかんねぇぞ」


その瞬間、心臓が凍りついた。

私を愛してくれる義父、義母。

そして義兄。

私の大事な大事な、かけがえのない家族。


「俺は構わないんだぜ。もう何人も殺している。人数が少し増えたところで、変わらねぇよ」


ぶるぶる震える右手を押さえながら、無言で椅子に座る。

描かないという選択肢は、私にはない。


「できるだけ本物に近く見せろ」


(・・・・・・わかってるわよ)

指先が、慣れ親しんだペンに触れる。

しかし、心は凍りついたままだ。


目の前の紙は、ただの紙。

だが、これは社会を揺るがすものになる。

だけど、描かなければ義父たちの運命は変わる。


国家に対する反逆か。

大事な人の命か。

そんなもの、天秤にかけるまでもない。


だけど、線をなぞるたびに額には汗が滲み出ていた。



お読みいただきありがとうございました。

偽札づくりが「国家への反逆」と言われるのは、お金が「国の信用」そのものだからです。

それが揺らぐと、社会全体まで不安定になってしまいます。

ただの紙なのに、重たいですよね。


誤字のご指摘をいただき、ありがとうございました。

該当箇所を修正しました。助かります(>_<)

次話は、ルーク視点になります。

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