37 帰るための嘘
「ほらよ、夕食だ」
「わぁ、嬉しい。ちょうどお腹が空いていたの」
マイクが差し出した皿を、微笑みながら受け取る。
(・・・悪いけど、利用させてもらうわ)
マイクは、私に同情的だ。
その気持ちにつけ込むようにもう一度笑顔を向けると、マイクは照れたように笑った。
「言われた通り、塩もつけてやったぜ」
「本当にありがとう。このパン、塩気がないとどうしても食べられないから助かるわ」
「まあ、黒パンだからな」
マイクは、どこか同情するような目で皿を見た。
「ロドリックには、内緒だぞ」
「ええ、もちろんよ」
わかったというように、しっかりと頷く。
ロビンの兄さんが教えてくれた。
ーー人に物を頼むなら、まずは距離を縮めろ。
それが商売の基本だと。
彼はどれだけ王都に商品を持ち込んでも、必ずお金に換えて帰ってきた。
親しくなれば、いずれこちらの利にもつながるだろう。
(まずは、マイクよ)
単純で、情に流されやすい。
彼は頻繁に様子を見に来て、進捗状況を確認してくる。
ならば信頼を得れば、その回数は減るはずだ。
それが当面の目標。
そうでなければ、鉄格子に近づけない。
壊すためには、準備がいる。
とりあえず、錆びた部分を少しずつ動かして緩めることにした。
幸い、絵を描くためのナイフや彫刻刀はある。
それで枠との隙間をわずかに広げることはできそうだ。
もちろん、腐食を進めるために常に湿らせてもいる。
あとで、この塩も使うつもりだ。
「で、進んでいるのか?」
「そんなに早くは描けないわ。まずは観察から始めないと」
「そんなものなのか?」
「ええ、そうよ」
早く描けば描くほど、私の命は縮まる。
ロドリックに足を折られないために描きはするが、その進度や配分は、様子を見ながら調整した方が都合がいい。
マイクには「時間がかかるものだ」と思い込ませておく必要がある。
私がそこまで考えているとは思いもしないのか、マイクは軽く頷いた。
その様子を見て、思わず笑顔を浮かべながらお願いしてみる。
「ねぇ、新聞を持ってきてくれない?」
「新聞?なんでそんなものが必要なんだ?」
首を傾げて私を見るマイクに、疑いの色はない。
ここへ来るたびに話しかけ、従順さを装ってきた。
その積み重ねが、効いているのかもしれない。
「市中で流通している文字組みや特徴を知らないと、描けないのよ」
「そうなのか?」
「ええ。最近の銅板印刷の傾向は、新聞広告を見ればだいたい掴めるわ」
「へぇ~」
もちろん、もっともらしい理由を並べただけだ。
本当の目的は、新聞の捜し人の欄に、私の名が載っているかを確認することだ。
そこに載っていれば、助けを求めたとき保護されやすい。
逆に何もなければ、ロドリックに言いくるめられ、連れ戻される可能性が高い。
過去には、助けを求めたにもかかわらず信じてもらえず、そのまま犯人に引き渡され、命を落とした者もいる。
だから、情報は多いに越したことはない。
「粗悪な出来だと、すぐに偽札だと見破られるわ」
「なるほどな。じゃあ、部屋から持って来るから待ってろ」
マイクは感心したように頷くと、すぐに部屋を出て行った。
(新聞がすぐに手に入る・・・?)
ここは王都なのかもしれない。
地方では、一般庶民が新聞を日常的に読むことは少ない。
それでも即座に用意できるということは、ここは王都、あるいはその近郊なのだろう。
そして、新聞があるということは、少なくともロドリックは文字が読める。
外部との連絡に文字は使えない。
そっとポケットの紙幣を確かめる。
父が小遣いとして渡してくれた5ベル紙幣が三枚。
人に頼らず、いざとなれば、これで馬車に飛び乗った方がいいのだろうか。
マイクは大きな足音を立てながら、すぐに戻って来た。
「ほら、持ってきたぞ」
「ありがとう」
新聞の名前は『ノース・クーリエ』だった。
王都では『オートタイムズ』が主流だ。
どうやらここは、王都近郊と思ったほうがよさそうだ。
さりげなく視線を滑らせ、捜し人欄を探す。
(・・・・・・・・・ないわ)
私の名前は、どこにもなかった。
胸の奥が冷え、思わず唇を噛んだ。
助けを求めても、信じてもらえない可能性がある。
「どうした?」
「あ、いいえ。何でもないわ」
(・・・危ない、危ない)
あくまで「文字の参考」として借りている体でいなければならない。
どの記事を読んでいるか悟られれば、それだけで疑われる。
「何か、面白いことでも書いてあったのか?」
「いいえ、そんなことないわ」
マイクはそれ以上、踏み込んでこない。
腕を組み、不思議そうに見ているだけだ。
(・・・・・・読めないの?)
その様子からして、おそらく文字は読めないのだろう。
そうなると、気をつけるべきはロドリックだけだ。
視線を落とし、再び紙面を追う。
ーーそのとき、ひとつの記事が目に入った。
『港町にて偽紙幣流通の噂
最近、ノースヘイブン港周辺の商店において、出所不明の紙幣が見つかったとの報告がある。旧5ベル紙幣を持つ者は、当局へ届け出ること。当局は現在調査中であり、住民には注意が呼びかけられている』
(・・・・・・・・・・これって、いつの話?)
慌てて発行日を確認する。
ーー今日。
脳裏に、あのときの光景がよみがえった。
ジュリアン様と食事をしたとき、旧5ベル紙幣を使おうとしたのはマイクだった。
あの様子からして、旧札が使えないことを知らなかった。
彼に5ベル紙幣を渡したのは ーーロドリック?
胸の奥がざわつく。
(・・・待って。ひったくり犯って、もしかしてロドリック?)
声に、聞き覚えがあった。
帽子で顔は隠れていたが、体格は、あの男と同じだ。
思考が、一気に繋がる。
あのとき、ジュリアン様は旧紙幣が使えなくなった理由を説明し、親切にも両替までしていた。
それをマイクがロドリックに話したとすればーー
(相手が銀行家だと知って、回収に動いた?)
銀行家なら、偽札を見抜く可能性はある。
ジュリアン様は、あの紙幣をポケットに入れていた。
偽札だと気づいて、通報したのかもしれない。
港町で偽紙幣の噂があれば、警備も強化されているはずだ。
ほんのわずかだが、光が見えた。
「何を考え込んでいるんだ?」
「え?あ、ああ。何でもないわ。ありがとう、参考になったわ」
笑顔でお礼を言うと、マイクは少しだけ嬉しそうに微笑んだ。
(・・・この人は使える)
だけど、ロドリックには気をつけないといけない。
あの男が古い偽札を持っていたなら、今回が初めてとは考えにくい。
経験があるなら、目も肥えているはずだ。
やり方だって熟知しているだろう。
(前にいた画家は・・・?)
思考が、嫌な方向へ滑る。
もしかして、別の場所で描かされているのだろうか。
ふと、地下へ続く階段を思い出した。
この部屋の下で描かされているのかもしれない。
(・・・・・・いいえ、そんなはずはないわ)
危険を冒してまで、わざわざ私を攫ったのだ。
経験も実績もない、小娘の私を。
理由は一つだ。
ーー前に描いた画家は、もういない。
十年前だ。
病気。事故。
それともーー口封じ。
背筋に、冷たい汗が一筋流れた。
ここから出られなければ、私も同じ運命だ。
血の気が引きかけたところで、マイクが親しげな笑みを向けてきた。
「じゃあ、描いておけよ」
「わかったわ。色々ありがとう」
何事もなかったかのようにマイクに手を振り、ゆっくりと息を吐き、机に向き直った。
猶予は、あとどれくらいあるのだろう。
鉄格子の腐食は、一週間もあればなんとかなるだろうか。
そっと席を立ち、鉄格子の根元をなぞる。
赤錆が、わずかに指についた。
(・・・・・・ここだわ)
皿の盛られた塩を、慎重に取り出す。
ほんのひとつまみだ。
無駄にはできない。
紅茶を少しだけ指先に含ませ、塩を湿らせる。
それを、格子と壁の隙間に押し込んだ。
ざらりとした感触。
新聞を細く裂いて同じ場所に当て、さらに紅茶を垂らし、湿り気を保つ。
乾いたままでは意味がない。
水分があってこそ錆は進むのだ。
指でわずかに押してみるが、動かない。
だが、即効性はなくても確実に弱くなるはずだ。
(・・・音を立てるのは、まずいわよね)
見張りの目が緩む夜を待ち、少しずつ動かすしかない。
どれだけの時間がかかるのかと考えると、頭が痛くなってくる。
「・・・・・・落ち込んでいる場合じゃないわ。アポロンを描かないと」
首を振り、自分に言い聞かせるように呟く。
描かなければ、役立たずと判断される。
ーーそれは、死を意味する。
本物そっくりに。
だが、見抜かれるように。
矛盾しているが、それこそが私の生き残る道だ。
指についた錆びを拭い、重たい足取りで席へ戻った。
お読みいただきありがとうございます。
作中ではアリスが嫌がっている黒パンですが、実際は栄養面ではとても優れた食べ物だそうです。
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次話は視点がルークに変わります。




