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恋を描けない伯爵令嬢 ーその絵は嘘をつかない  作者: 夏つばき


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36 足を折られる前に

本作には一部、暴力的な描写が含まれております。

苦手な方はご無理なさらず、該当箇所は読み飛ばしていただけますと幸いです。


コツ、コツと硬い足音が廊下に響いた。


(・・・・・・来る)

息を詰め、慌てて机の前に滑り込む。


先ほどまで、地窓を覗き込んでいたのだ。

鉄格子の固定の仕方、錆び具合、太さ、そして枠との隙間。


格子の一部は古く、腐食していた。

しかも、格子と壁の間にわずかな隙間があった。

揺さぶれば、外せるかもしれない。


期待が顔に出ないよう、頬を軽く叩く。

その直後、扉がゆっくりと開いた。


朝食らしきものを乗せた皿を手に、ロドリックとマイクが入ってくる。


「描けたか?」


うつむいたまま、かすかに首を振った。

動きは小さく、遅く。

ーー怯えているように見える速度で。


「全然、描けていないじゃないか」


ロドリックの不機嫌そうな声が、頭上から落ちてくる。

当然だ。

机の前には座っていたが、紙の上にはまだ一本の線もない。


「・・・お願いです。家に帰してください」


目を伏せ、声を震わせる。

もちろん、時間を稼ぐための芝居だ。


偽札を描かなければ、すぐに殺されることもないはずだ。

その間に、義父たちがきっと私を見つけてくれる。

いや、その前にここから逃げてみせる。


「そう、怯えなくていい」


作ったような、穏やかな声。

多分、本人もわかってやっているのだろう。


「俺たちは別に、お嬢さんに悪さしようってわけじゃないんだ」


皿が机の上に置かれる。

ちらりと目を遣ると、黒パンだった。

子どもの頃、家が苦しかった時に食べて以来だ。


最低限の食事ということは、長く飼うつもりはないということか。

それとも、従順さの度合いを見るためか。


「お嬢さんが、大人しく絵を描いてくれれば、家に帰してやるよ」


(・・・絶対に嘘!)

そんなこと、あるはずがない。

黙ったまま視線を落としていると、ロドリックは身をかがめた。

耳元に、息がかかる。


「俺たちも、君に痛い思いはさせたくなんだよ」


甘く、粘つくような声に、ぞっとする。


「・・・・・・痛い思い?」

「例えば、足を折るとかさ。わかるだろう?」


子どもに言い聞かせるような口調だった。

だが、内容はあまりにも残酷だ。


昔、左手を骨折したことがある。

あの時の、息もできないほどの痛みがよみがえる。


「ほら、マイクは力自慢だからね。お嬢さんの細い足くらい、簡単に折れるよ」


声音だけは穏やかだが、言っていることは冷酷そのものだ。


「ロドリック!そんなことは・・・!」


マイクが、慌てて口を挟む。

やはり、この男の方がまだ理性はある。


「黙れ。お前の詰めが甘いから、一日無駄にしているんだ。さっさと描かせろと、上から言われている」


ロドリックは目を細め、マイクを鋭く睨みつけた。


(・・・・・・・・・・・「上」)

ロドリックの上の人間は誰なのか。


昨夜、扉の外で誰かと話す声が聞こえていた。

ベッドを抜け出し、扉に耳をあてたが、ぼそぼそとした会話で内容まではわからなかった。


だが、少なくともロドリックが命令される立場であることは間違いない。


「絵は、目と右手さえあれば、描けるだろう?」


ロドリックが机に手をつき、私を見下ろす。

浮き出た筋。無駄のない腕。


(・・・かなり鍛えてるわね)

一対一なら、と一瞬だけ考えた。

だが小柄とはいえ、この男に勝てるとは思えない。


「足を折れば逃げられない。こっちとしても一石二鳥だ」


これからの出方を考える。

本気かもしれないが、まだやらないだろう。

もし折るつもりなら、こんなに長々と脅さない。


それでもペンを取らない私に、ロドリックは苛立ったように舌打ちをした。


「マイク、今からこのお嬢さんの右足を、折れ」

「えっ、そんな。それは流石にかわいそうだ」


焦るように言うマイクに、ロドリックは顎で私を示した。


「死にはない。少し痛いだけだ」


顔を顰めながらも、マイクが一歩こちらに近づく。

大きな手のひらと、太い腕。

私の足など、ひとたまりもないだろう。


背筋が、ひやりと冷えた。


「や、やめて・・・」


声がかすれる。

演技じゃない。半分は本音だ。


「そうだよな。痛いのは嫌だろう?」


ロドリックは机に腰を預け、ゆっくりと顔を覗き込んできた。

目を細めるのは見極めようとしているのか、それとも脅しのつもりなのか。


「でも早く描けば、その分早く家に帰れる。お嬢さんにとっても、悪い話じゃないだろう?」


逃げ道を与える言い方だが、選ばせているつもりで、選択肢は一つしかない。


「痛い思いをしたくなければ、さっさと描くんだ」


(・・・・・この男は、本気だわ)

口の端は上げているが、目の奥はまったく笑っていない。

きっと笑いながら、人の足を何本も折ってきたのだろう。

いや、人を殺したこともあるに違いない。


「何だったら、両足でもいいぜ」

「か、描くわ・・・。だから、やめてください」


顔を覆い、震えるふりをした。

足を折られたら、逃げることができなくなる。

それだけは、絶対にまずい。


「いい子だ。じゃあ、さっさと仕事をすることだな」


「・・・わかったわ」

「行くぞ、マイク」

「あ、ああ」


マイクは、ちらりと私の方を見た。

どこか気遣うような視線だったが、結局ロドリックの後を追うように部屋を出ていく。


扉が閉まり、鍵がかかる音がやけに大きく響いた。


(・・・・・・見抜かれたかしら?)

ロドリックは最後まで、こちらを観察していた。

あの男なら、言葉通り平気で私の足を折らせるだろう。


マイクは少し違う。

ーーだが、ロドリックの命令には逆らえない。


(・・・・・・とりあえず、足を折られないように、描かないといけないわね)

本物そっくりに。

だけど、詳しい人間が見たら必ずわかるように。


ロドリックには気づかれず、そのさらに上の人間には「偽札だ」とわかるように描く。

そうすれば、その分時間が稼げる。

私を殺すかどうか決めるのは、きっと黒幕だ。


その人間が「もう用済みだ」と判断するまでは。私は生きていられる。


(・・・まずは体力をつけないと)

食欲などなかったが、机の上の皿に手を伸ばす。


いざという時、動けなければ意味がない。

逃げるためにも、食べておくべきだ。


そう思って口に運ぶが、乾いていたパンが舌をざらつかせ、喉が軋む。

紅茶で流し込もうとするが、すっかり冷めていて、苦味ばかりが残った。


(・・・鉄格子にかけて、錆にでもした方がマシだわ)

紅茶のカップを手に、先ほど確認した鉄格子に視線を向ける。


細工するより、腐食を進めた方が現実的だろうか。

塩か酢があれば、多少は進行を早められるはずだ。

マイクを言いくるめて、持ちこませる手もある。


だが、確実性は低い。

そう思うと、知らずに小さなため息が漏れた。


家に帰りたい。

今朝、何度目かのため息だった。


義兄は、夕食は私の好物のラムの煮込みだと言っていた。

本当なら昨夜は、絵が好評だったことを報告して、皆で笑いながら食卓を囲んでいたはずなのに。


今ごろ義兄たちは、必死になって探していることだろう。

義兄は、もしかしたらルーク様のもとにも行っているかもしれない。


また、ため息がこぼれる。


生きて帰りたい。

義父にも義母にも、まだ何一つ返せていない。

義兄にも憎まれ口ばかり叩いて、礼も言えていない。


ーーそれに、ルーク様に謝りたい。


どうしてあんな言葉をぶつけてしまったのだろう。

あんな顔をさせるつもりじゃなかった。


(ここから出て、みんなに会いたい・・・)

そのためには、描くしかない。

見る人が見ればわかる偽札を描き、隙を見て逃げるのだ。


机の上の紙を見つめる。

アポロンの顔が、こちらを見返していた。


泣いている暇はない。

滲みかけた涙を押し戻し、私はペンを取った。



お読みいただき、ありがとうございます。

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