33 絵の評価
(・・・・・・ルーク様に謝まらないといけないわね)
今日は絵を納品する日だというのに、思わずため息がこぼれた。
昨日は、完全に感情に任せた八つ当たりだった。
お節介だとは思うが、ルーク様は事実を口にしただけだ。
それなのに私は過剰に反応して、あんなにも冷たい態度を取ってしまった。
どうして昨日は、あんなにも感情を制御できなかったのだろう。
(・・・さすがに、あの態度はなかったわ)
家まで送ってくれたのに、終始素っ気ない返事しかしなかった。
思い返すほどに恥ずかしさが込み上げ、思わず頭を抱えてしまう。
きちんと謝らないといけないだろう。
けれどその前に、画廊へ行き、約束の絵を納品しなければいけない。
イーゼルに置いたアポロンに目を向ける。
アーサー様とルーク様に協力してもらい、心を込めて描き上げた一枚だ。
絵の出来栄えに自信はあるが、評価される保証はどこにもない。
正直に言えば、この瞬間が一番怖い。
乾いた絵の表面に柔らかな布をかけ、その上からリネンで丁寧に包む。
麻紐で縛り終えると、そっと腕に抱え上げた。
アトリエを出たところで、義父が待ち構えていたように立っていた。
まさかいるとは思っていなかったので、思わず足を止める。
「アリス、もう出かけるのか?」
「ええ。トマスさんのところへ行ってきます」
「絵は重いだろう。私が一緒に行こうか?」
「いいえ、一人で大丈夫ですよ」
義父の申し出に、思わず苦笑いしてしまう。
この程度のキャンバスを一人で運べなくては、画家など務まらない。
「では、馬車を用意しよう」
「近いので、必要ありませんよ」
「そうか・・・」
(・・・・・・本当に過保護なんだから)
視線を泳がせる義父の様子に、言いたいことはきっと別にあるのだろうと察する。
絵の評価を受ける場に向かう私を思って、落ち着かないのかもしれない。
普段は顔に出さないが、義父がそっと応援してくれていることは知っている。
義母の願いもあったのだろうが、わざわざアトリエまで用意し、描く環境まで整えてくれたのは義父だった。
珍しい画材が、いつの間にか机の上に置かれていることもある。
義父はわずかに眉を寄せると、何も言わず、私のポケットにそっとお札を押し込んだ。
そして、気まずそうに視線を逸らす。
「お義父様、これは何ですか?」
「帰りに、好きな物を買ってくるといい」
「・・・え?」
「服でも、ケーキでも。・・・画材でも。何でもいいから」
(・・・もしかして、落ち込んだとき用のお小遣いってこと?)
期待する評価を得られなかったら、このお金で気晴らしをしろということなのだろうか。
あまりの気遣いに、思わず苦笑いがこぼれる。
「お義父様、お気持ちは嬉しいのですが、この絵は高い評価を得られると私は信じているんですよ」
「ああ、そんなことはわかっている」
義父はまた、わざとらしいほど前へ視線を逸らした。
その耳が、ほんのり赤い。
「だから、前祝いだ」
(・・・・・・お義父様ったら)
きっと、これまで絵を持ち込んでは落ち込む私を見てきたからだろう。
励ましたくても、うまく言葉にできない。
それが義父なのだ。
不器用だけれど、、本当に優しい人なのである。
「ありがとうございます」
「ああ、気にするな」
「絵が売れたら、お義父様たちを旅行にお連れしますね」
与えられてばかりの私だけど、いつかきちんと恩返ししたい。
自分で稼いだお金で連れて行ったら、きっと喜んでくれるだろう。
「期待している。上手くいくことを願っているよ」
「ありがとうございます。では、いってきます」
晴れやかな気分でキャンバスを抱え直し、門へと向かった。
わずかに空気は重いが、西の空にはまだ青さが残っている。
その下で、義兄が門扉にもたれかかっていた。
(・・・・・・お義兄様ったら、どうしたのかしら?)
腕を組み、いかにも待たされているという顔をしている。
通行人が不思議そうに見ているのにも、気づいていないに違いない。
「お義兄様、何をしていらっしゃるのですか?」
「通りがかっただけだ」
即答するが、絶対に嘘である。
手持ち無沙汰に門扉に寄りかかっていたのに、それはないだろう。
義兄はわざとらしく咳払いをすると、私の腕の中のキャンバスに目を遣った。
「で、それがアポロンなんだな」
「ええ、今日は納品日なので」
「・・・・・・持つか?」
「いいえ、結構です」
「遠慮するな。落としたら困るだろう」
「普段、何でも一人でできるようになれとおっしゃっていますよね?」
「・・・・・・・・・まあ、そうだな」
気まずそうに目を逸らす義兄に、笑いをかみ殺す。
義父と義兄、不器用なところがよく似ている。
「じゃあ、いってきます」
「あ、アリス!」
慌てたように呼び掛けられ、足を止めて振り返る。
自分で呼び止めたくせに、義兄は困ったように眉を顰めていた。
「何ですか?」
「・・・今夜の夕食は、ラムの煮込みだそうだ」
(・・・・・・呼び止めてまで言うこと?)
確かに好物ではあるが、わざわざ伝えることでもない。
思わず突っ込みそうになるのを、ぐっとこらえる。
「母上が、デザートにシルバークラム店のケーキを用意すると言っていた」
「・・・・・・わぁ、嬉しいです」
多少棒読みになったのは仕方がない。
義兄は自分でもおかしいと思ったのか、気まずそうにもう一度咳払いした。
おそらく励ましたかったのだろうが、上手い言葉が見つからなかったのだろう。
胸の奥がじんわり温かくなるが、素直にお礼を言うのはやはり照れくさい。
義兄もそれを分かっているのだろう。
いつものように注意事項を並べ始めた。
「気をつけていってくるんだぞ」
「もう子どもじゃありませんからね。大丈夫ですよ」
「夕方には雨が降るし、母上たちが心配するから、あまり遅くなるなよ」
そう言われて西の空を見上げたが、まだ雲はない。
だが、頭痛持ちの義兄がそう言うのなら、本当に降るのだろう。
「傘は持ったか?」
「それまでには帰ってきますから」
「ちゃんと道の端を歩けよ。お前は小柄なんだから、馬車に轢かれでもしたら大変だ」
「はいはい、わかりました」
どこまで子ども扱いすれば気が済むのだろう。
さっきの感謝も忘れ、つい返事もおざなりになってしまう。
「約束の時間に遅れるといけないので、もう行きますね」
返事も待たずに背を向ける。
義兄の視線を背中に感じながら、トマス画廊へと歩き出した。
◇◇◇
トマス画廊は、大通りかから一本入った静かな通りにある。
石畳を歩くたび、腕に抱えたキャンバスがわずかに揺れた。
ここへ来るたび、胸の奥が少しだけ落ち着かなくなる。
(・・・売れるといいけど)
そう思いながら、私は画廊の扉の前で一度立ち止まった。
木製の扉の上には、見慣れた看板。
「トマス画廊」と控えめな金文字が刻まれている。
この扉を出るとき、私はどんな顔をしているのだろう。
深く息を吸い、そっと扉を押し開ける。
カラン、と小さな鈴の音が鳴った。
店内には油絵の匂いと、古い木の香りが混ざった空気が漂っていた。
壁にはいくつもの絵が整然と並び、窓から入る柔らかな光がキャンバスを照らしている。
奥のギャラリーでは催しがあるのか、すでに沢山の客で賑わっていた。
思わず時計を見れば、余裕を持って出て来たはずなのに、約束の時間を少し過ぎていた。
多分、出がけに義父たちと話し込んでしまったせいだ。
(・・・トマスさんは、どこにいるかしらね)
店の奥を覗き込もうとしたとき、接客中のトマスさんと目が合った。
彼は私に気づくと、目だけで「少し待ってほしい」と合図を送ってくる。
私は頷き、店内に飾られた絵へと視線を移した。
素直に美しいと感じる気持ちと、負けられないという思いが胸の内で静かにせめぎ合う。
やがてトマスさんが、客に会釈をしながら、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってきた。
穏やかに微笑みながらも、客の様子に目を配っている。
そういうところに、確かな力量を感じる。
「アリス、お待たせ」
「いいえ、こちらこそ遅れてすみませんでした」
「いや、ちょうど良かったよ。奥のギャラリーの展示を見に来たお客様が多くてね」
「そうなんですね」
無料の展示は人を呼ぶが、買い手までは呼び込めないことが多い。
それでも、見られなければ始まらない。
機会があれば、次の展示に自分の作品も加えてもらえないか、お願いしてみよう。
私は腕の中の包みを軽く持ち上げる。
「約束の絵を持ってきました」
「期日通りに仕上げてくれて、助かるよ」
「そんなの当たり前ですよ」
「そうでもないよ。完成したあとに手を入れたくなる画家は多いからね」
(・・・・・・気持ちはわかるけどね)
だが趣味ならともかく、仕事となれば話は別だ。
義母の遠縁に当たるトマスさんは親身に接してくれるが、仕事に関しては一切の甘さがない。
信頼を失えば、それきり仕事は回ってこなくなる。
「どうぞ、応接室へ」
「ええ、ありがとうございます」
胸の奥がわずかに強張るのを感じながら、私は後に続いた。
ソファに腰を下ろし、包んでいた布をそっと外す。
現れた油絵を、トマスさんの前に差し出した。
その瞬間、トマスさんの目がはっと見開かれた。
そして、その瞳がきらりと光る。
その輝きに、もしかしていい評価がもらえるのではないかと期待で胸が高鳴る。
「・・・・・・どうでしょうか」
トマスさんはしばらく何も言わなかった。
ただ、じっと絵を見つめている。
静寂の中、やけに大きく自分の心臓の音だけが響いた。
「・・・・・・アリス。これは素晴らしいよ」
「本当ですか?」
「ああ。構図もいいし、光の扱いが実に見事だ。人物の表情も生き生きしている」
トマスさんはソファから立ち上がると、もう一度絵に近づいた。
まるで確かめるように、細部まで視線を走らせている。
「思っていた以上の出来だ。これなら注文主もきっと喜ぶ」
「そうだといいんですけど・・・」
「私が保証する。万が一、注文主が買わなかったとしても、うちで買い取る」
通常、画商の仕事は絵を販売して、手数料を貰うことだ。
画商が自ら買い取ることなど、滅多にあることではない。
「そんなことをしていただくわけには・・・」
「いや、この絵には、それだけの価値がある」
(・・・本当に!?)
自分では会心の出来だと思っていたが、他人から与えられる評価はまた違う。
つい頬が緩んでしまう。
「そう言っていただけて、すごく嬉しいです」
「アリスには才能がある。これからもどんどん描いてくれ」
「でも、そんなに描いても売れないので・・・」
「そんなことはない」
間髪入れずに返され、思わず目を瞬かせる。
いつもはもっと現実的で、時に厳しいことも言う人なのにどうしたのだろう。
「今日はやけに褒めてくださいますね。何かあったんですか?」
「いやぁ、・・・実はね」
トマスさんは、少し申し訳なさそうに笑った。
目尻が下がると、その表情は義母によく似ていた。
「昨日、預かっていたアリスの絵が売れたんだよ」
「・・・・・・え?」
「報告が遅れてすまなかった。連絡しようと思っていたんだが、閉店間際に売れたものだからね」
「あ、あの、本当に売れたんですか?」
「ああ。それもすべてね」
「・・・・・・・・・すべて」
言葉が、そのまま胸の奥に落ちてこない。
預けていた絵は、いくつあっただろう。
少なくとも、五点はあったはずだ。
「ああ。全部だよ、全部。うちにあるアリスの絵を、すべて買い上げていったんだ」
「そんな、まさか・・・・・・」
「よかったな!アリス!!」
両肩を叩かれるが、どう返していいのかわからない。
嬉しいはずなのに、実感が湧かない。
一枚ならまだしも、預けていた絵すべて売れるとは、どういうことなのだろう。
「あ、あの・・・買ってくださった方のお名前を伺っても?」
トマスさんは、わずかに意味ありげな笑みを浮かべた。
「ウィンダム家のルーク様だ」
「・・・・・・・・・え?」
「ほら、あのウィンダム公爵だよ。社交界でも有名だろう?彼が、アリスの絵をすべて買っていった」
「ルーク様が・・・」
「影響力がある方だからね。これで他の貴族たちも、アリスの絵に注目するはずだ」
「えっと・・・」
「さあ、次の絵もどんどん描いてくれ。・・・いや、今までのも持って来るといい」
トマスさんは興奮気味に続ける。
けれど、その声がうまく頭に入ってこない。
胸の奥に、ぽっかり穴が空いたようだった。
「きっと売れる。いや、売って見せるよ」
あれほど望んでいたはずのことなのに。
あるのは喜びではなく、妙な空虚さだけだった。
「アリス、どうしたんだ?驚きすぎて、口もきけなくなったのか?」
「あ、いえ、えっと・・・」
「まあ、無理もないな。あのウィンダム公爵に認められたんだからな」
その名が出るたびに、頭の中が白く塗りつぶされていく。
ーー昨日のことが、よみがえる。
「嬉しいだろう?自分の絵が売れたんだ。認められたんだよ」
「・・・え、ええ。そうですね」
口ではそう答えながら、気持ちは沈んでいく。
「まさかウィンダム公爵が上得意になるなんてな。もしかしたら、宣伝までしてくれるかもしれないぞ」
(・・・・・・違う)
ルーク様は、私の絵を気に入ったわけじゃない。
彼は絵ではなく、私を買ったのだ。
以前、私は言ったはずだ。
顧客には何も言えない、と。
彼なら、きっと覚えている。
「・・・アリス、どうしたんだ?顔色が悪いけど、大丈夫か」
「え、ええ。大丈夫です」
だが答えた瞬間、トマスさんの顔が、ぐにゃりと揺れたような気がした。
まるで足元の地面が崩れ落ちたかのように。
お読みいただきありがとうございます。
誤字のご指摘をしていただき、ありがとうございました。
気圧が下がると、頭が痛くなりますよね。
困ったことに、私はその日の髪のうねり具合と頭痛で、雨が降りそうだなと分かってしまいます。
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