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恋を描けない伯爵令嬢 ーその絵は嘘をつかない  作者: 夏つばき


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31 海辺の出来事


ジュリアン様と連れ立って、海辺のレストランへと向かう。


「お約束していたのに、お誘いが遅くなってしまい申し訳ありません」

「いいえ、そんな・・・お誘いいただいて、嬉しいです」


前回の別れ際、私はぎこちない態度をとってしまった。


けれどジュリアン様は、以前とまったく変わらない様子だった。

あえて触れないことで、なかったことにしようとしたのかもしれない。

私もその方がよかったので、ちょっとほっとする。


「少しお痩せになったように見えますが、何かございましたか?」


顔色は悪くないものの、以前会ったときより、ほんの少しだけ線が細くなった気がする。


「ええ。実は、風邪をひいてしまいまして。少し体調を崩していたんです」

「まあ・・・大丈夫ですか?」


悪い風邪でもひいたのだろうか。

もともと線の細い方だけに、思わず心配になってしまう。


「ええ。もうすっかり良くなりました。それに、ここの食事をとれば、元気になります。小さな店ですが、とても美味しいんですよ」

「楽しみですわ。大きくて華やかなお店も素敵ですが、そういう隠れた名店の方が、わくわくします」

「そうおっしゃっていただけると安心します」


案内されたのは、海に面したこじんまりとした食堂だった。

店内は綺麗に掃除が行き届いていて、空気まで澄んでいるように感じられる。

窓の向こうには、穏やかな海が一望できた。

波の音だけが静かに響き。自然と心が落ち着いていく。


「ここから海が、とても綺麗に見えるんですね」

「ええ。アリス様に喜んでいただけて、本当に嬉しいです。子どもの頃から通っていた、大切な思い出の店なんですよ」

「そうなんですね」


少し照れたように微笑んだジュリアン様が、ふと続けた。


「実は、女性をお連れしたのは・・・アリス様が初めてなんですよ」


(・・・・・・え、そうなの?)

その言葉に、胸がわずかにざわつく。

特別に扱ってくれるのは嬉しい。


けれど、正直なところ、私はまだジュリアン様をそこまで特別な方だとは思えていない。

どう返していいかわからず、慌てて話題を変える。


「あ、あの・・・この間は絵を見せていただき、ありがとうございました」

「ああ、いいのですよ。アリス様とお話できて、叔母も喜んでいました」


最初は母のこともあり、気まずさを覚えていた。

けれど、お茶を一緒に飲むうちに会話は弾み、気づけばメアリー様ともすっかり打ち解けていた。


「メアリー様に、よろしければこちらをお渡しください。絵を見せていただいたお礼です」


私は小さな包みをジュリアン様に手渡した。

中身は、白いリネンのハンカチだ。

これなら気遣わせずに受け取ってもらえるだろう。


「ありがとうございます。叔母もきっと喜びますよ。実は、アリス様と今日お会いすることを知って、わざわざ焼き菓子を持たせてくれたんです」


「え・・・・・・」


(もしかして、また手作り!?)

私の戸惑いを察したのか、ジュリアン様は吹き出した。


「ご安心ください。焼き菓子は家に置いてきました」

「あ、いえ、そんな・・・」

「この前のクッキーは、口に合わなかったのでしょう?」

「い、いえ。そういうわけでは・・・」


しどろもどろになりながら、言葉を探す。


「叔母は、太ることを気にして、自分では味見をしないのですよ。本当に申し訳ない」

「そんな・・・」


味はともかくとして、メアリー様の心遣いはありがたい。

貴族女性が手作りの菓子を贈ることなど、まずない。

ましてや、一度しか会ったことのない私のために、わざわざ用意してくださったのだ。

その好意は痛いほど伝わってくる。


「でも、悪気はないんです。よろしければ、叔母の気持ちだけでも受け取ってください」

「あ、はい・・・」


(・・・・・・どうしよう)

メアリー様は、勘違いしているのかもしれない。

私は、まだジュリアン様と結婚すると決めたわけではないのだ。

その事実が、ほんの少しだけ気持ちを重くした。


「どうしました?」

「あ、いえ・・・」

「叔母のお菓子の代わりとというわけではありませんが、私のお勧めの店のものをお持ちしました」


ジュリアン様の手には、リボンのかかった小さな箱が握られていた。


「まあ、とても可愛いらしいですね。ありがとうございます」


クリスマスの贈り物のように綺麗に包装された菓子に、思わず頬が緩む。

そういえば、クリスマスイブに、父もこんなリボンをかけた箱を抱えて帰って来た。

あのときは、本当に嬉しかった。


(・・・そういえば、あのお菓子はどうしたのかしら?)

母が「明日の楽しみにしましょうね」と言って棚の上に置いたその箱を、私は何度も見上げていた。

明日になれば食べられるのだと、胸を弾ませていた。


ーーけれど、あのお菓子がどうなったのか、私は知らない。

葬儀に来た人々に振る舞われたのかもしれない。

それとも、そんな余裕もなく、どこかへ紛れ込んでしまったのか。


だが、あれが父からの最後の贈り物だったのだと思うと、胸の奥がじわりと痛んだ。

あの日母に、せめて一つだけでも食べさせてほしいと頼めばよかった。


「・・・アリス様、どうしました?」

「あ、いいえ。何でもありません。嬉しいです」


愛想笑いで誤魔化したそのとき、店の奥から言い争う声が聞こえてきた。


「このお札で支払われても困ります」

「なんでだよ!金だろうが!?」

「申し訳ありませんが、ほかのお札でお支払いください」

「この店は、客が払う金まで選ぶのか!?」


怒鳴っているのは、日に焼けた肌の大柄な男だった。

装飾のないシャツに、くたびれた黒のズボン。

垢抜けない服装からして、田舎から王都へ出てきたばかりの若者だろうか。

言葉の端々にも、わずかな訛りが混じっていた。


「どうしたのかな。ちょっと行ってきますね」

「は、はい」


ジュリアン様は静かに席を立ち、男のもとへと向かう。


(・・・仲裁なんてできるのかしら?)

あの男の太い腕を見ていると、もしも事が荒れれば、ジュリアン様の方が酷い目にあうのではないかと不安になる。


けれどジュリアン様は落ち着いた様子で二人の間に入り、男の差し出した札を手に取った。

しばらくそれを眺め、何事かを低い声で説明している。

男は最初こそ声を荒げていたが、やがて気まずそうに頭をかき、代金を支払った。


「ちっ。最初からそう言ってくれればいいのに」


ぶつぶつ文句を言いながら、男は店を出ていった。

ほどなくして、ジュリアン様が笑顔で席に戻ってくる。

私は、ほっと胸をなで下ろした。


「ずいぶん揉めていましたけど、原因はなんだったのですか?」

「あの男性客の持っていた紙幣が、旧紙幣だったのですよ」


「旧紙幣・・・古いお札のことですか?」

「ええ、そうです。実は、10年ほど前に5ベル紙幣の偽札が出回りましてね。今はもう使えないんですよ」

「ああ、そういえば、そんなこともありましたね」


子どもの頃のことなので、詳しくは覚えていない。

たしか、あまりにも精巧な偽札だったため、本物と見分けがつかず、国がすべて回収したはずだ。


「まだ持っている方もいるのですね」

「ええ。意外と多いのですよ。親の家を片付けていたら出てきたとか、遺品を整理していたら見つかったとか。今さらだけど両替できないかと持ってこられる方もいらっしゃいます」


(・・・それは、よくわかるわ)

片付けをしていると、なくしたと思っていた物が、思いがけないところから出てくることがある。


そういえば以前、義母も「へそくりが見つかった」と嬉しそうに報告してきたことがあった。

「もともと忘れていたお金だから」と言って、義母は私の欲しがっていた絵の具を買ってきたのだ。


「あの男性は、納得されたのですか?」

「ええ。田舎から出てきたばかりで、知らなかったみたいです。まあ、田舎だと情報が遅れますからね。知らせを知らないまま、古い紙幣を使い続けてしまうこともあるんですよ」


田舎ではよくあることだ。

誰も気にしないから、そのまま通ってしまう。


「それで、どうなさったのですか?」

「私の手持ちの5ベル紙幣と交換を申し出ました」

「あら。でもそれでは、ジュリアン様が使えないお札を持つことになりませんか?」


私が首を傾げると、ジュリアン様は小さく笑った。


「私は銀行家ですからね。使えない紙幣を国に返すのも仕事のうちです」

「そうなのですか?」

「ええ。本物の5ベル紙幣なら、国がその分の金額を補償してくれます」

「へぇ、そうなのですね」


「彼の持っていた紙幣は、すべて私のものと交換しました。ただ、もしまだ手元に残っているなら、銀行に持っていくように伝えておきましたよ」


なるほどと私は頷いた。


野暮ったい服装から見ても、あの男性は田舎者から出てきたばかりなのだろう。

事情を知らなかったとしても無理はない。


「一度偽札が出回ると大変なんですね」

「そうですね。お金は信用で成り立っていますから」


ジュリアン様は穏やかに微笑んだ。


「お札自体は、ただの紙切れですからね。信用がなくなれば、人々はリスクを考えて、取引を控えるようになります。そうなれば市場の取引は止まってしまう」

「そうですよね」

「それに、偽札が大量に出れば、市場にお金が増えたように見える。結果として物価が上がる。経済そのものが壊れてしまうんですよ」

「そう考えると、怖いですね」


ジュリアン様は経済の話になると、どこか目が生き生きとしている。

金融という仕事が、心の底から好きなのだろう。


「だからこそ、国は偽札が作られないよう、紙幣の装飾を複雑なものに変えたのですよ」

「ああ、偽札事件のあと、お札のデザインが一新されましたものね」

「ええ。ほら、同じ5ベル紙幣でもこんなにデザインが違うでしょう?」


ジュリアン様は、財布から新旧5ベル紙幣を取り出し、テーブルの上に並べてみせた。

旧紙幣は王の紋章と天秤の意匠のみだけの簡素なものだ。

それに対して新紙幣には、精緻な人物の肖像画が描かれている。


もちろん旧紙幣でも偽造は簡単ではないだろう。

だが、デザインだけを見れば不可能ではない。


それに比べて、新紙幣は細密な肖像画は明らかに偽造が難しい。

偽造防止のために人物画を取り入れたのは、確かに正しい判断だ。


「そうですね。肖像画にしたのはいい考えですね」

「いい考えとは?」


ジュリアン様が、興味深そうに眉を上げた。


「人間の顔って、目で判別できる情報量が多いんです。それに、画家固有の筆跡も出やすいですし」


「・・・アリス様は、そんなことまでわかるのですか?」

「あ、いえ。ちょっと思っただけです」


(・・・しまったわ)

そういえば、絵を描くとは言ったが、本格的に描いているとは言っていなかった。

今ここで言うべきかと迷っていると、ふと、ジュリアン様の視線が止まった。

さきほどまで柔らかかった視線が、わずかに鋭くなる。

何かを測るような視線だった。


その瞬間


「お待たせしました!」


明るい声とともに、皿がテーブルに置かれた。

ジュリアン様ははっとしたように動き、テーブルの上の紙幣を素早くまとめると、ポケットへ滑り込ませた。


「ジュリアン様、お久しぶりですね!」

「ああ!イワンか!店にいないから、どうしたのかと思っていたんだ」

「修行して、厨房で腕を振るえるようになったんですよ!」

「そうなのか。それはおめでとう」

「ありがとうございます!」


イワンさんは私を見ると、にっと歯を見せて笑った。

その様子がロビンのお兄さんを思い出させて、思わず微笑み返す。


「さすがジュリアン様!可愛いお人をお連れですね」

「友人だよ」

「初めまして。アリス・ブラックウッドです」

「おお。こんな美人に挨拶されちまいましたよ!」


懐かしい北部訛りに、思わず笑みがこぼれる。

ロビンたちは、元気にしているだろうか。


「イワン、そんな言い方をするとアリス様が驚くだろう?」

「失礼しました!油断すると、どうしても訛りが出てしまいまして」

「いいえ。私も北部出身なんです。久しぶりに故郷の言葉を聞けて、嬉しかったです」


それは本音だった。

自分では使わないけれど、やはり故郷の言葉はどこか温かい。

聞いているだけで、胸の奥がやわらぐ。


「アリス様は、なんとお優しい!」

「そうなんだよ。彼女はとても優しいんだ」


ジュリアン様にさらりと褒められて、思わず頬が赤くなる。

そんな私を見て、イワンさんはさらに笑みを深めた。


「よかったら、デザートをサービスさせてください」

「まあ、いいのですか?」

「ええ!メニューにはないんですけどね。北部の郷土菓子『パーキン』をご馳走しましょう!」


(・・・・・・パーキン!)

オートミールと糖蜜で作る、しっとりとしたスパイスケーキだ。

スミスさんが時折作ってくれた懐かしいケーキの名を聞き、ごくりと喉が鳴った。

ブラックウッド家に引き取られてからは、一度も口にしていない。


思わず頬が緩み、頷きかけたそのとき。


「イワン」


ジュリアン様の声が、静かに割って入った。

柔らかいけれど、どこか冷たい響きだった。


「彼女は貴族令嬢だ。悪いが、そのようなものは口にしない」

「あ・・・すみません。つい調子に乗ってしまいまして」

「いえ、そんなことは・・・」


思わず否定しかけて、言葉が止まる。

ジュリアン様の気遣うような視線に「食べます」と、言えなかった。


「気にしなくていいんですよ、アリス様は、庶民的なお菓子は苦手でしょう?」


(・・・もしかして、メアリー様のクッキーを口にしなかったことを気にしてる?)

クッキーを食べなかったのは、美味しくなかったからだ。

でも、そう言えばジュリアン様は傷つくだろう。


「では、タルトをお持ちしますね」

「ああ、そうしてくれ」


(・・・・・・食べたかった)

ただ、それだけのことが、どうしても口にできなかった。


胸の奥が、わずかに沈む。

パーキンが食べられないことが残念だった。

けれどそれ以上に、ジュリアン様が「善意で」そう言ったのだと思うと、何も言えなかった。


「はい。では、お二人で楽しい時間をお過ごしください」

「ありがとう」


笑って手を振りながら、イワンさんが去って行く。

私も小さく手を振り返していると、ジュリアン様は静かに首を振った。


「アリス様。相手に合わせる優しさは素晴らしいですが、無理になさる必要はありませんよ」

「いいえ、無理なんてしていません」

「そうですか?それならよいのですが」


(・・・・・・ジュリアン様は、私に気を遣ってくれたのね)

きっと普通の貴族令嬢なら、イワンさんの親しげな態度を快く思わない人もいるだろう。

無礼だと咎める人もいるかもしれない。


ジュリアン様は、生粋の貴族だ。

正しい振る舞いを、疑うことなく身に着けてきた人。

だからこそ、親しく言葉を交わしていても、その内側には踏み込ませない。

そんな距離を、どこか感じてしまう。


その点、私は貴族という枠に綺麗に収まれない。


「さあ、食べましょうか」

「ええ、美味しそうですね」


運ばれたきた料理に視線を落とす。


白身魚の上には、たっぷりとバターのソースがかかっていた。

貝殻に盛られたムール貝の煮込み。

柔らかなパンと、丁寧に添えられたサラダ。


どれも美しく、申し分のない料理だ。


けれど一口食べるたびに、どこか重く感じる。

味は確かに美味しいのに、なぜか胸の奥に小さな違和感が残っていた。



お読みいただきありがとうございます。

作中「スミスさん」は、「24 ローダナム」に登場しています。

よろしければ、お時間あるときにご覧ください。

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