30 フィリップの思い
コツ、コツと石の廊下に足音が響いた。
だが、顔を上げる気力もない。
「食事どころか、水も取っていないって聞いたけど、大丈夫?」
独特の、軽やかな声が落ちる。
牢の中で膝を抱えていた僕に声をかけてきたのは、ルーク様だった。
身分も金も兼ね備えたこの男に、今さら話すことなどない。
この男には、持たざる者の思いなど、欠片もわからないだろう。
正直、顔を見るのも嫌だった。
「僕のことは、放っておいてください」
「でも、そうもいかないんだよね」
「いいんですよ。どうせ僕は、縛り首でしょう?」
「・・・・・・まあ、二人も殺せばね」
結果が同じなら、餓死でも絞首刑でもどちらでも構わないだろうに。
それとも、公開処刑にして手柄を自慢したいのか。
思わず、舌打ちをしてしまう。
状況証拠しかなかったのだ。
あのまま白を切り通せば、逃げられたかもしれない。
だが、アリスを殺そうとしたことで、もう言い逃れはできなくなってしまった。
しばらく沈黙が続いた。
やがてルーク様が、感情の伴わない瞳で僕に新聞を差し出した。
「・・・・・・・・・・・・新聞、読む?」
「え?」
「君の友人が、センセーショナルに君のことを書いているよ。タイトルは『予言の画家の真実について』だってさ」
「・・・・・・は?」
「君の生い立ち、成育環境、友人やかつての恋人。ずいぶん詳しく書いてある」
「なんだって!?」
ルーク様からひったくるようにして新聞を奪い取り、記事に目を走らせた。
『「予言の画家」だと思ったら、大間違い!?画家自らの犯行だった!
しかし、モーティマー子爵の死は、偶然にも同じ死に方だった。そして、犯人自身の死もまた、絵と同じ結末を迎えるのだろう。予言は真実だったのか、偽物だったのか。真相を見極めるのは読者諸氏である。オート・タイムズ紙では、犯人の生い立ちから犯行動機に至るまで、余すことなくお伝えする』
記事の横には、群衆の前で僕自身が吊るされている絵まで添えられていた。
そして、その下に小さくこう書かれていた。
『予言の画家フィリップの絵、販売いたします』
(・・・・・・どういうことだ!?)
わけがわからない。
ルーク様が差し出した新聞を、僕は呆然と見つめた。
「その記事に署名してある『タリエシン』って、君の友人だろう?」
「え、ええ。そうです」
「オートタイムズ新聞は、タリエシンの記事のおかげで、売れに売れているそうだよ」
タリエシンは、僕を売ったのだろうか。
その記事からは、悪意しか感じられなかった。
「そして、君の絵も高値がついているらしい」
「えっ!?」
「君が死んでも、君の描いた絵は残るかもね。・・・まあ、本当にいいものならね」
ルーク様の最後の呟きは聞き取れなかった。
ただ、僕の絵が残るという言葉だけが、頭の中を駆け巡る。
それは、僕が熱望していたことだ。
「少なくとも、この一瞬だけは大衆の注目を浴びたよ」
腑抜けていた体の奥から、段々と熱いものが込み上げてきた。
僕の絵が、見られている。
僕の絵が、求められている。
歓喜に体が震えだしそうになるのを必死に抑え込み、両手で自分の体を抱きしめた。
処刑されたとしても、僕の絵は残る。
未来永劫、人々の記憶の中に。
ダ・ヴィンチ、レンブラント、ルーベンス・・・かつての巨匠たちと肩を並べるのだ。
「君が震えているのは、自分の絵が注目を浴びて嬉しいから?それとも、友人への怒りのため?」
「・・・・・・・・・怒り?」
「君は、利用されたんじゃないの?」
呆れたように言うルーク様に、眉を顰めてしまう。
意味がわからない。
「何を言っているのですか?」
「だって、その友人は君を利用して、自分の名を広めたんだ。しかも、君の絵も持っている。売れば大儲けだろうね」
「それは・・・」
「それだけじゃない。君のことを題材にした本も出すらしい。題名は『殺人、それとも予言の画家!?フィリップのすべて』だって。随分と仕事が早いよね。もしかして、早くから用意してた?」
どうなのだろう。
最近のタリエシンは、ずっと忙しそうだった。
明け方まで灯りがついている日も度々あった。
もしかして、僕のことを書く準備をしていたのだろうか。
「俺、思うんだけどさ。タリエシンが君を焚きつけたんじゃないの?『ガレットやスカーレットを殺したら、もっと有名になる』って」
「そんなことは・・・」
「ないと断言できる?」
断言は、できない。
ただ、タリエシンは僕のために忠告してくれたのだと信じたかった。
「君はその友人に、唆されたんじゃない?」
ルーク様に問いかけられ、あの日の光景が頭に浮かんだ。
ーーガレット様を斬った日のことだ。
呼び出されて向かった先で斬りかかられ、咄嗟に身を守るために応戦した。
やがて我に返ったとき、彼は倒れて虫の息だった。
僕は慌ててアパートへ駆け戻り、タリエシンを揺り起こした。
『起きてくれ!大変なことになった!医師を呼んでくれ!』
『どうしたんだ?』
『ガレット様を斬っちまった!』
だが、ベッドから起き上がったタリエシンは、動じることなく静かに言った。
『・・・・・・やめておけば?』
『何を言ってるんだよ!早く医師を呼んでくれ!!僕は戻って手当てをするから!!!』
焦りながら薬箱を抱えて立ち上がると、タリエシンはじっとこちらを見ていた。
『なあ、貴族に手を出したんだろう?』
『わざとじゃない!呼び出されて行ったら、向こうから斬りかかってきたんだよ!』
不可抗力だった。
呼び出されて無視するわけにもいかず、出かけたのが間違いだった。
せめてタリエシンに頼んで、一緒に付いてきてもらえば良かったと後悔したが、後の祭りだ。
『助けない方がいいと思うよ。罪をでっち上げられて、君が監獄行きになるだけだ』
『・・・・・・・・・え?』
『だってそうだろう?君を消したがっている相手だよ。都合のいい話をいくらでもでっちあげて、処刑台送りにするに決まってるさ』
タリエシンの言葉が、じわじわと胸に染み込んだ。
処刑台を前にする自分の姿が目に浮かび、恐怖で足が震えた。
『貴族と平民。どちらを信用するかは、火を見るより明らかだ。俺は君を信用してるよ。でも、世間は違うよね』
『そ、そんな、僕は殺すつもりなんてなかった』
『君が悪くないことくらい、俺はわかっているよ。一方的に斬りかかってきた、伯爵の馬鹿息子が悪い』
タリエシンの言葉に、涙が出そうになる。
僕は悪くないのだ。
オーロラ様が、僕を慕っただけ。
勝手にガレットが、僕に嫉妬しただけ。
それなのに、どうして僕がこんな目に遭わなくてはいけないのだ。
『それなのに、なんで君が罪を償わなきゃいけないんだ。おかしいよ』
タリエシンの言葉は、あまりにも筋が通っていた。
僕は、被害者なのだ。
被害者なのに罪を背負わされる。
あまりにも理不尽だ。
『俺にいい考えがあるんだけど、聞いてみない?』
タリエシンが、救世主のように見えた。
この状況を打開できるのなら、何を犠牲にすることになっても構わないと、本気で思った。
『君は今から現場に戻る。そしてガレットの死体を、絵の通りに整えるんだ』
思わず唾を飲み込み、喉がごくりと音を立てた。
『それって・・・・・・』
『連続殺人に見せかける。モーティマー子爵が殺されたとき、君にはアリバイがある。君が疑われることはない』
『う、うん』
『ちょうどガレットの絵は、俺の手元にある。これを遺体の横に置いておけば、絵を模倣した愉快犯だと思うさ』
そこでタリエシンは、軽く笑った。
『もしくは「予言が当たった」って、言われるかもしれない。そうなれば、君の絵はもっと注目される』
注目という言葉に、胸が躍った。
モーティマー子爵が殺されてから、僕の絵は少しずつだが売れてきていた。
『俺は、君がずっと家にいたと証言するよ』
『えっ、いいの?』
『友だちなんだから、当たり前だよ。ただ、曖昧な証言に留めるよ。あまりにアリバイが強固だと、かえって怪しまれるからね』
『う、うん』
『大丈夫、きっと上手くいくさ』
タリエシンの言葉に背中を押され、絵を抱えて再び現場へ向かった。
そこに横たわっていたガレット様は、すでに息絶えていた。
彼の体の向きを変え、腕を持ち上げ、まるで絵と同じ構図になるよう整えた。
あとはタリエシンに言われるままに新聞用の挿絵を描き、そして、罪の意識から逃れようと酒を飲んだ。
その事件は、世間を騒がせた。
「予言の画家」と呼ばれ、僕の絵は一気に注目を浴びた。
罪悪感はあった。
それでも、世に認められたことが嬉しくて仕方がなかった。
だが同時に、罪の意識は日ごと重くなっていった。
僕のせいじゃないけれど、ガレットを殺したことには変わりない。
気持ちが落ち着かず、常に酒にローダナムを垂らすようになった。
そんなある日、タリエシンが静かに言ったのだ。
『このままだと、君の才能は埋もれてしまうね』
『え?なんでだよ。売れたじゃないか』
『たった数枚売れただけだ。そのうち、忘れられてしまうよ』
『そんなこと言っても・・・・・・』
売れないものは、仕方がない。
話題にはなっても、人の財布の紐は、そう簡単に緩みはしない。
タリエシンは、僕のコップにワインを注いだ。
『もう少し、刺激が欲しいよね』
『刺激って?』
『スカーレットを殺せばいい。そうしたら、また注目される』
思わず言葉を失った。
だが、それは僕も考えたことだった。
乞食が目の前で死んでも素通りするのに、金持ちや美人が悲惨な死を遂げれば、大衆は途端に注目する。
『あの人は、君の絵を持っているんだろう?美しい女性が死んだら、大衆はきっと喜ぶ』
『でも、そんなことできないよ』
『あと一つ行動するだけで、君の名は轟くよ』
甘美な誘いに、コップを持つ僕の手がぶるぶると震えた。
頭で考えることと、実行することは別なのだ。
『そうなれば、君の絵を誰もが欲しがるようになるよ』
『でも、スカーレット様はいい人だし・・・』
『所詮、娼婦だろう?娼婦が一人いなくなったところで、誰一人傷つかないよ』
その言葉に、納得する自分がいた。
彼女が生きていても、社会に役立つことはない。
彼女の死を本気で悼む人もいないだろう。
タリエシンの言葉に、自分の心か傾いていく。
『それより、君の才能が埋もれていく方が社会的損失は大きい。俺はそれが残念でならないよ。君はこんなに才能があるのに』
タリエシンの心底惜しむような表情に、胸の奥が熱くなる。
彼が認めるように、ぼくは実力はあるのだ。
ただ、運がなかっただけ。
きっかけさえあれば、僕の名は国中に轟く。
才能ある僕の絵を、埋もれさせるわけにはいかない。
そんな思いで、僕はスカーレット様の家を訪ねた。
『急に訪ねて来るなんて、どうしたの?』
彼女は、僕を疑うことなく迎え入れた。
夜会では妖艶な笑みを浮かべていたが、普段の彼女は明るく気さくだった。
『今後の参考に、絵の再現がしたくて。よろしければ、ご協力いただけませんか?』
『あら、面白そうね。いいわよ』
用意してきた薔薇の花びらを見せれば、彼女は笑いながら部屋を整え始めた。
ーー僕の絵と、同じように。
床に赤い花びらが散らし、やがて彼女はその上に寝転んだ。
『この姿でルーク様を迎えたら、どんなに驚くかしら』
そう言って、楽しそうに笑った。
その瞬間、僕はそのまま彼女の上に覆いかぶさり、そのまま全体重をかけて短剣を突き刺した。
笑顔が、驚きに変わる。
だが、暴れることもなく、彼女はそのまま息絶えた。
そっと瞼を閉じさせ、絵と同じように形を整えた。
もちろん、亡骸の側には絵を立て掛けておいた。
時間をおいて、タリエシンが取材と称してやって来るはずだった。
ルーク様たちが来ることが最初からわかっていれば、殺さなかったのに。
自分の不手際に、思わず唇を噛む。
「・・・・・・・・・・・・どうする?」
ルーク様の声にはっと我に返る。
「君が訴えれば、タリエシンを殺人教唆の罪で捕まえることもできるよ」
彼の重い視線にたじろぐ。
軽やかさを装っているだけで、この男の本質は違うのだと初めて知った。
「偽証罪で引っ張っることもできる」
「え?」
「本当は、彼は君が部屋にいないことを知っていたんじゃないの?」
タリエシンが曖昧な証言にすると言ったのは、僕に疑いをかけられるのを防ぐためではなく、自分が罪を被りたくなかっただけに違いない。
もし僕が証言すれば、彼は罪に問われるだろう。
だが、そうなれば、僕の絵はまた世に埋もれてしまう。
タリエシンが僕のことを書くからこそ、僕の絵は注目されるのだ。
あいつが書かなければ「予言の画家」という呼び名も、ただの作り話になり、すぐに忘れ去られてしまうだろう。
それでは意味がない。
沈黙のまま、僕は窓の外を見た。
風が強いのか、雲がどんどん東へと流れていく。
(・・・・・・僕は、流されたわけじゃない)
僕がこの手を汚したのはタリエシンの囁きがあったからこそだが、決断を下したのは僕だ。
タリエシンは、僕を利用したかもしれない。
だけど、怒りも、恨みも、もう何も湧いてこなかった。
情状酌量され、僕が生きてここから出られたとしても、残りの命はわずかだろう。
だが、絵は違う。
何十年、何百年も残り続け、人々に称賛される。
たとえ僕がタリエシンに利用されたとしても、僕の絵さえ残れば、そうする価値はある。
(・・・・・・・お前の考えなんて、わかるけどね)
フィリップは黙って、ただひたすらに窓の外を見ている。
いくら眺めても、彼が外の光を浴びることはない。
俺が、絶対にそうはさせない。
「答えは、後でもいいよ。とりあえず、食事をとってくれると嬉しいな」
俺は、あえて軽い口調で言った。
「こちらとしても、君を裁判にかけもせず死なせたとなれば、世間から非難されるからね」
そう言いながらも、胸の奥には苛立ちが渦巻いていた。
法が許すものなら、拷問にでもかけてやりたい。
どうせこいつは、自分の絵の評価しか興味がないのだ。
欲望の果てにスカーレットを手にかけながら、その命の重みなど、露ほども思っていないに違いない。
スカーレットも、アリスちゃんも、こんな男に情けをかけるなんて、本当に馬鹿だ。
帰りの馬車の中、フィリップが殺人に至る経緯を語ったアリスちゃんは、こいつを庇った。
『フィリップさんは、タリエシンという友人に、心理的に操られていたと思うんですけど』
彼女は殺されかけてもなお、フィリップを信じたかったのかもしれない。
だが、違う。
こいつも、タリエシンと同じ穴のムジナだ。
自分のことしか考えていない。
スカーレットを殺したことへの悔恨も、アリスちゃんを巻き込んだことへの後悔も、この男からはまったく感じられない。
(・・・スカーレット、君は優しすぎたんだよ)
こんな男に情けをかけて、絵を買ったばかりに殺されて。
お人好しだったから、疑いもせずに家に上げたのだろう。
蔑まれることの多いスカーレットだったが、俺にとっては大事な友人だった。
彼女の両親にとっては、唯一無二の娘だった。
あんな形で死んでいい人間じゃない。
「ルーク様」
不意に、フィリップがこちらを向いた。
その瞳に宿る強い決意を見て、思わず吐き気が込み上げた。
自分の命と芸術を天秤にかけ、殉教者気取りでいるのだろう。
「僕は、僕の判断で二人を殺めました」
「・・・・・・ああ、そう」
タリエシンを罪に問う証拠はない。
奴は言葉を操ることで、自分の手を汚さずに犯罪を成立させた。
あいつにとっては、フィリップが自分を庇うことくらい、想定済みのはずだ。
きっと今ごろ、一人で高笑いしていることだろう。
「食事は、きちんととります。そう看守に伝えてください」
「わかった」
(・・・・・・・・・馬鹿だね)
フィリップは、自分の絵が注目されるために、進んで公開処刑を望むだろう。
見せしめや犯罪抑止を目的とされた公開処刑。
だが近頃では、犯罪者の尊厳を守るべきだという人道的な考えから、徐々に廃止されつつある。
フィリップがどれほど望もうと、俺が監獄内で執行させる。
フィリップとタリエシンの思い通りには、絶対にさせない。
それが俺にできるスカーレットへの、せめてもの花向けだった。
お読みいただき、ありがとうございました。
また、誤字のご指摘をしていただきありがとうございました。
公開処刑は18世紀後半から「見せしめ」としての処刑の批判が高まり、人道的観点から非公開へ移行していったそうです。
同じく拷問についても、18世紀後半になると啓蒙思想の広がりにより、批判が強まりました。
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