表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
恋を描けない伯爵令嬢 ーその絵は嘘をつかない  作者: 夏つばき


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

30/55

30 フィリップの思い


コツ、コツと石の廊下に足音が響いた。

だが、顔を上げる気力もない。


「食事どころか、水も取っていないって聞いたけど、大丈夫?」


独特の、軽やかな声が落ちる。

牢の中で膝を抱えていた僕に声をかけてきたのは、ルーク様だった。


身分も金も兼ね備えたこの男に、今さら話すことなどない。

この男には、持たざる者の思いなど、欠片もわからないだろう。


正直、顔を見るのも嫌だった。


「僕のことは、放っておいてください」

「でも、そうもいかないんだよね」

「いいんですよ。どうせ僕は、縛り首でしょう?」


「・・・・・・まあ、二人も殺せばね」


結果が同じなら、餓死でも絞首刑でもどちらでも構わないだろうに。

それとも、公開処刑にして手柄を自慢したいのか。


思わず、舌打ちをしてしまう。


状況証拠しかなかったのだ。

あのまま白を切り通せば、逃げられたかもしれない。

だが、アリスを殺そうとしたことで、もう言い逃れはできなくなってしまった。


しばらく沈黙が続いた。

やがてルーク様が、感情の伴わない瞳で僕に新聞を差し出した。


「・・・・・・・・・・・・新聞、読む?」

「え?」


「君の友人が、センセーショナルに君のことを書いているよ。タイトルは『予言の画家の真実について』だってさ」


「・・・・・・は?」

「君の生い立ち、成育環境、友人やかつての恋人。ずいぶん詳しく書いてある」

「なんだって!?」


ルーク様からひったくるようにして新聞を奪い取り、記事に目を走らせた。


『「予言の画家」だと思ったら、大間違い!?画家自らの犯行だった!

しかし、モーティマー子爵の死は、偶然にも同じ死に方だった。そして、犯人自身の死もまた、絵と同じ結末を迎えるのだろう。予言は真実だったのか、偽物だったのか。真相を見極めるのは読者諸氏である。オート・タイムズ紙では、犯人の生い立ちから犯行動機に至るまで、余すことなくお伝えする』


記事の横には、群衆の前で僕自身が吊るされている絵まで添えられていた。

そして、その下に小さくこう書かれていた。


『予言の画家フィリップの絵、販売いたします』


(・・・・・・どういうことだ!?)

わけがわからない。

ルーク様が差し出した新聞を、僕は呆然と見つめた。


「その記事に署名してある『タリエシン』って、君の友人だろう?」

「え、ええ。そうです」

「オートタイムズ新聞は、タリエシンの記事のおかげで、売れに売れているそうだよ」


タリエシンは、僕を売ったのだろうか。

その記事からは、悪意しか感じられなかった。


「そして、君の絵も高値がついているらしい」


「えっ!?」

「君が死んでも、君の描いた絵は残るかもね。・・・まあ、本当にいいものならね」


ルーク様の最後の呟きは聞き取れなかった。

ただ、僕の絵が残るという言葉だけが、頭の中を駆け巡る。

それは、僕が熱望していたことだ。


「少なくとも、この一瞬だけは大衆の注目を浴びたよ」


腑抜けていた体の奥から、段々と熱いものが込み上げてきた。


僕の絵が、見られている。

僕の絵が、求められている。


歓喜に体が震えだしそうになるのを必死に抑え込み、両手で自分の体を抱きしめた。


処刑されたとしても、僕の絵は残る。

未来永劫、人々の記憶の中に。

ダ・ヴィンチ、レンブラント、ルーベンス・・・かつての巨匠たちと肩を並べるのだ。


「君が震えているのは、自分の絵が注目を浴びて嬉しいから?それとも、友人への怒りのため?」


「・・・・・・・・・怒り?」

「君は、利用されたんじゃないの?」


呆れたように言うルーク様に、眉を顰めてしまう。

意味がわからない。


「何を言っているのですか?」

「だって、その友人は君を利用して、自分の名を広めたんだ。しかも、君の絵も持っている。売れば大儲けだろうね」


「それは・・・」

「それだけじゃない。君のことを題材にした本も出すらしい。題名は『殺人、それとも予言の画家!?フィリップのすべて』だって。随分と仕事が早いよね。もしかして、早くから用意してた?」


どうなのだろう。

最近のタリエシンは、ずっと忙しそうだった。

明け方まで灯りがついている日も度々あった。

もしかして、僕のことを書く準備をしていたのだろうか。


「俺、思うんだけどさ。タリエシンが君を焚きつけたんじゃないの?『ガレットやスカーレットを殺したら、もっと有名になる』って」


「そんなことは・・・」

「ないと断言できる?」


断言は、できない。

ただ、タリエシンは僕のために忠告してくれたのだと信じたかった。


「君はその友人に、唆されたんじゃない?」


ルーク様に問いかけられ、あの日の光景が頭に浮かんだ。


ーーガレット様を斬った日のことだ。

呼び出されて向かった先で斬りかかられ、咄嗟に身を守るために応戦した。

やがて我に返ったとき、彼は倒れて虫の息だった。


僕は慌ててアパートへ駆け戻り、タリエシンを揺り起こした。


『起きてくれ!大変なことになった!医師を呼んでくれ!』

『どうしたんだ?』

『ガレット様を斬っちまった!』


だが、ベッドから起き上がったタリエシンは、動じることなく静かに言った。


『・・・・・・やめておけば?』

『何を言ってるんだよ!早く医師を呼んでくれ!!僕は戻って手当てをするから!!!』


焦りながら薬箱を抱えて立ち上がると、タリエシンはじっとこちらを見ていた。


『なあ、貴族に手を出したんだろう?』

『わざとじゃない!呼び出されて行ったら、向こうから斬りかかってきたんだよ!』


不可抗力だった。

呼び出されて無視するわけにもいかず、出かけたのが間違いだった。

せめてタリエシンに頼んで、一緒に付いてきてもらえば良かったと後悔したが、後の祭りだ。


『助けない方がいいと思うよ。罪をでっち上げられて、君が監獄行きになるだけだ』


『・・・・・・・・・え?』

『だってそうだろう?君を消したがっている相手だよ。都合のいい話をいくらでもでっちあげて、処刑台送りにするに決まってるさ』


タリエシンの言葉が、じわじわと胸に染み込んだ。

処刑台を前にする自分の姿が目に浮かび、恐怖で足が震えた。


『貴族と平民。どちらを信用するかは、火を見るより明らかだ。俺は君を信用してるよ。でも、世間は違うよね』


『そ、そんな、僕は殺すつもりなんてなかった』

『君が悪くないことくらい、俺はわかっているよ。一方的に斬りかかってきた、伯爵の馬鹿息子が悪い』


タリエシンの言葉に、涙が出そうになる。

僕は悪くないのだ。


オーロラ様が、僕を慕っただけ。

勝手にガレットが、僕に嫉妬しただけ。

それなのに、どうして僕がこんな目に遭わなくてはいけないのだ。


『それなのに、なんで君が罪を償わなきゃいけないんだ。おかしいよ』


タリエシンの言葉は、あまりにも筋が通っていた。

僕は、被害者なのだ。

被害者なのに罪を背負わされる。

あまりにも理不尽だ。


『俺にいい考えがあるんだけど、聞いてみない?』


タリエシンが、救世主のように見えた。

この状況を打開できるのなら、何を犠牲にすることになっても構わないと、本気で思った。


『君は今から現場に戻る。そしてガレットの死体を、絵の通りに整えるんだ』


思わず唾を飲み込み、喉がごくりと音を立てた。


『それって・・・・・・』

『連続殺人に見せかける。モーティマー子爵が殺されたとき、君にはアリバイがある。君が疑われることはない』


『う、うん』

『ちょうどガレットの絵は、俺の手元にある。これを遺体の横に置いておけば、絵を模倣した愉快犯だと思うさ』


そこでタリエシンは、軽く笑った。


『もしくは「予言が当たった」って、言われるかもしれない。そうなれば、君の絵はもっと注目される』


注目という言葉に、胸が躍った。

モーティマー子爵が殺されてから、僕の絵は少しずつだが売れてきていた。


『俺は、君がずっと家にいたと証言するよ』

『えっ、いいの?』

『友だちなんだから、当たり前だよ。ただ、曖昧な証言に留めるよ。あまりにアリバイが強固だと、かえって怪しまれるからね』

『う、うん』

『大丈夫、きっと上手くいくさ』


タリエシンの言葉に背中を押され、絵を抱えて再び現場へ向かった。

そこに横たわっていたガレット様は、すでに息絶えていた。


彼の体の向きを変え、腕を持ち上げ、まるで絵と同じ構図になるよう整えた。

あとはタリエシンに言われるままに新聞用の挿絵を描き、そして、罪の意識から逃れようと酒を飲んだ。


その事件は、世間を騒がせた。

「予言の画家」と呼ばれ、僕の絵は一気に注目を浴びた。


罪悪感はあった。

それでも、世に認められたことが嬉しくて仕方がなかった。


だが同時に、罪の意識は日ごと重くなっていった。

僕のせいじゃないけれど、ガレットを殺したことには変わりない。

気持ちが落ち着かず、常に酒にローダナムを垂らすようになった。


そんなある日、タリエシンが静かに言ったのだ。


『このままだと、君の才能は埋もれてしまうね』

『え?なんでだよ。売れたじゃないか』

『たった数枚売れただけだ。そのうち、忘れられてしまうよ』

『そんなこと言っても・・・・・・』


売れないものは、仕方がない。

話題にはなっても、人の財布の紐は、そう簡単に緩みはしない。


タリエシンは、僕のコップにワインを注いだ。


『もう少し、刺激が欲しいよね』

『刺激って?』

『スカーレットを殺せばいい。そうしたら、また注目される』


思わず言葉を失った。


だが、それは僕も考えたことだった。

乞食が目の前で死んでも素通りするのに、金持ちや美人が悲惨な死を遂げれば、大衆は途端に注目する。


『あの人は、君の絵を持っているんだろう?美しい女性が死んだら、大衆はきっと喜ぶ』


『でも、そんなことできないよ』

『あと一つ行動するだけで、君の名は轟くよ』


甘美な誘いに、コップを持つ僕の手がぶるぶると震えた。

頭で考えることと、実行することは別なのだ。


『そうなれば、君の絵を誰もが欲しがるようになるよ』


『でも、スカーレット様はいい人だし・・・』

『所詮、娼婦だろう?娼婦が一人いなくなったところで、誰一人傷つかないよ』


その言葉に、納得する自分がいた。

彼女が生きていても、社会に役立つことはない。

彼女の死を本気で悼む人もいないだろう。


タリエシンの言葉に、自分の心か傾いていく。


『それより、君の才能が埋もれていく方が社会的損失は大きい。俺はそれが残念でならないよ。君はこんなに才能があるのに』


タリエシンの心底惜しむような表情に、胸の奥が熱くなる。

彼が認めるように、ぼくは実力はあるのだ。


ただ、運がなかっただけ。

きっかけさえあれば、僕の名は国中に轟く。

才能ある僕の絵を、埋もれさせるわけにはいかない。


そんな思いで、僕はスカーレット様の家を訪ねた。


『急に訪ねて来るなんて、どうしたの?』


彼女は、僕を疑うことなく迎え入れた。

夜会では妖艶な笑みを浮かべていたが、普段の彼女は明るく気さくだった。


『今後の参考に、絵の再現がしたくて。よろしければ、ご協力いただけませんか?』

『あら、面白そうね。いいわよ』


用意してきた薔薇の花びらを見せれば、彼女は笑いながら部屋を整え始めた。

ーー僕の絵と、同じように。


床に赤い花びらが散らし、やがて彼女はその上に寝転んだ。


『この姿でルーク様を迎えたら、どんなに驚くかしら』


そう言って、楽しそうに笑った。

その瞬間、僕はそのまま彼女の上に覆いかぶさり、そのまま全体重をかけて短剣を突き刺した。


笑顔が、驚きに変わる。


だが、暴れることもなく、彼女はそのまま息絶えた。

そっと瞼を閉じさせ、絵と同じように形を整えた。

もちろん、亡骸の側には絵を立て掛けておいた。


時間をおいて、タリエシンが取材と称してやって来るはずだった。

ルーク様たちが来ることが最初からわかっていれば、殺さなかったのに。


自分の不手際に、思わず唇を噛む。



「・・・・・・・・・・・・どうする?」


ルーク様の声にはっと我に返る。


「君が訴えれば、タリエシンを殺人教唆の罪で捕まえることもできるよ」


彼の重い視線にたじろぐ。

軽やかさを装っているだけで、この男の本質は違うのだと初めて知った。


「偽証罪で引っ張っることもできる」

「え?」

「本当は、彼は君が部屋にいないことを知っていたんじゃないの?」


タリエシンが曖昧な証言にすると言ったのは、僕に疑いをかけられるのを防ぐためではなく、自分が罪を被りたくなかっただけに違いない。

もし僕が証言すれば、彼は罪に問われるだろう。


だが、そうなれば、僕の絵はまた世に埋もれてしまう。

タリエシンが僕のことを書くからこそ、僕の絵は注目されるのだ。

あいつが書かなければ「予言の画家」という呼び名も、ただの作り話になり、すぐに忘れ去られてしまうだろう。

それでは意味がない。


沈黙のまま、僕は窓の外を見た。

風が強いのか、雲がどんどん東へと流れていく。


(・・・・・・僕は、流されたわけじゃない)

僕がこの手を汚したのはタリエシンの囁きがあったからこそだが、決断を下したのは僕だ。


タリエシンは、僕を利用したかもしれない。

だけど、怒りも、恨みも、もう何も湧いてこなかった。


情状酌量され、僕が生きてここから出られたとしても、残りの命はわずかだろう。


だが、絵は違う。

何十年、何百年も残り続け、人々に称賛される。

たとえ僕がタリエシンに利用されたとしても、僕の絵さえ残れば、そうする価値はある。




(・・・・・・・お前の考えなんて、わかるけどね)

フィリップは黙って、ただひたすらに窓の外を見ている。

いくら眺めても、彼が外の光を浴びることはない。

俺が、絶対にそうはさせない。


「答えは、後でもいいよ。とりあえず、食事をとってくれると嬉しいな」


俺は、あえて軽い口調で言った。


「こちらとしても、君を裁判にかけもせず死なせたとなれば、世間から非難されるからね」


そう言いながらも、胸の奥には苛立ちが渦巻いていた。

法が許すものなら、拷問にでもかけてやりたい。

どうせこいつは、自分の絵の評価しか興味がないのだ。

欲望の果てにスカーレットを手にかけながら、その命の重みなど、露ほども思っていないに違いない。


スカーレットも、アリスちゃんも、こんな男に情けをかけるなんて、本当に馬鹿だ。


帰りの馬車の中、フィリップが殺人に至る経緯を語ったアリスちゃんは、こいつを庇った。


『フィリップさんは、タリエシンという友人に、心理的に操られていたと思うんですけど』


彼女は殺されかけてもなお、フィリップを信じたかったのかもしれない。


だが、違う。


こいつも、タリエシンと同じ穴のムジナだ。

自分のことしか考えていない。

スカーレットを殺したことへの悔恨も、アリスちゃんを巻き込んだことへの後悔も、この男からはまったく感じられない。


(・・・スカーレット、君は優しすぎたんだよ)

こんな男に情けをかけて、絵を買ったばかりに殺されて。

お人好しだったから、疑いもせずに家に上げたのだろう。


蔑まれることの多いスカーレットだったが、俺にとっては大事な友人だった。

彼女の両親にとっては、唯一無二の娘だった。

あんな形で死んでいい人間じゃない。



「ルーク様」


不意に、フィリップがこちらを向いた。

その瞳に宿る強い決意を見て、思わず吐き気が込み上げた。

自分の命と芸術を天秤にかけ、殉教者気取りでいるのだろう。


「僕は、僕の判断で二人を殺めました」

「・・・・・・ああ、そう」


タリエシンを罪に問う証拠はない。

奴は言葉を操ることで、自分の手を汚さずに犯罪を成立させた。

あいつにとっては、フィリップが自分を庇うことくらい、想定済みのはずだ。

きっと今ごろ、一人で高笑いしていることだろう。


「食事は、きちんととります。そう看守に伝えてください」

「わかった」


(・・・・・・・・・馬鹿だね)

フィリップは、自分の絵が注目されるために、進んで公開処刑を望むだろう。


見せしめや犯罪抑止を目的とされた公開処刑。

だが近頃では、犯罪者の尊厳を守るべきだという人道的な考えから、徐々に廃止されつつある。


フィリップがどれほど望もうと、俺が監獄内で執行させる。

フィリップとタリエシンの思い通りには、絶対にさせない。


それが俺にできるスカーレットへの、せめてもの花向けだった。



お読みいただき、ありがとうございました。

また、誤字のご指摘をしていただきありがとうございました。


公開処刑は18世紀後半から「見せしめ」としての処刑の批判が高まり、人道的観点から非公開へ移行していったそうです。

同じく拷問についても、18世紀後半になると啓蒙思想の広がりにより、批判が強まりました。


よろしければ、ブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ