28 ルーク様との理不尽な契約
昔の夢を見ていた。
ロビンが、空に向かって一生懸命手足を振り回していた。
『ロビン、何をしているの?』
『悪い奴をやっつける練習!アリスも一緒にしようよ!』
街灯もないような田舎には、泥棒や強盗は珍しくなかった。
自分の身は自分で守るーー田舎の平民は、それは当然のことだった。
『思い切りやるのがコツだよ!』
『わかった!頑張る!』
外で二人、夢中になって手足を振り回していると、やがてロビンのお兄さんが出てきて、相手を倒すやり方を教えてくれた。
私は運動神経が悪いのか、ロビンのように上手くできなかった。
『ロビンはすごいね』
そう言うと、ロビンは照れたように笑った。
今日の私を見たら、ロビンはどんな顔をするだろうか。
あの大きな瞳を丸くして、驚くだろうか。
そんな顔を想像して、思わず笑みがこぼれる。
『ふふふっ、ふ、ふふっ』
自分の笑い声に、はっとして目を覚ました。
ぼんやりした視界の中に、琥珀色の髪が映る。
「・・・・・・・・ロビン!?」
「違うよ」
少し呆れた声が返ってきた。
焦点が合った先で、ルーク様が私の顔を覗き込んでいる。
「・・・・・・・・・・・・ルーク様」
以前にも、こんなことがあったような気がする。
けれど、不思議と落胆はなかった。
ゆっくりと、記憶が現実へと戻ってくる。
「助けていただいて、ありがとうございました」
そう言ってから、静かに体を起こす。
馬車で送ってもらう途中、眠気に抗えず、公爵邸で寝かせてもらっていたのだ。
ーー随分と、長く眠っていた気がする。
「体は、もう大丈夫?」
「ええ、大丈夫です」
首に痛みは残っているが、頭はすっきりしていて、思っていたよりも気分は悪くない。
きっと、ロビンと過ごした楽しい夢を見ていたからだ。
「ルーク様は・・・大丈夫ですか?」
「ああ、俺は平気」
そう言って笑って見せるが、その左頬はわずかに腫れていた。
「怪我をさせてしまって、申し訳ありません」
「アリスちゃんが無事だったから、いいよ」
その優しい言葉に、胸の奥が少しだけ熱くなる。
そのとき、柱時計が低く時を打った。
ボーン、ボーン、ボーン・・・・・・。
「今、何時ですか!?」
「えっ?あ、ああ、18時だよ」
「すみません、お世話になりました!また改めて、お礼に伺います」
慌ててベッドから飛び起き、扉を向かおうとした途端、腕を強く引かれた。
骨ばった指が絡むように食い込み、その感触にどきりとする。
線の細さばかりが目についていたが、触れて初めて、その内側にある確かな硬さを知った。
(・・・・・・今度は、ちゃんと触らせてもらおう)
見るだけだと、わからなかった。
今後の絵に活かすためには、触らなければならなかったのだと反省する。
「アリスちゃん、ちょっと待ってよ」
その声に、思わずはっとする。
そんなことを考えている場合ではなかった。
とにかく帰らなければ、義父たちが大騒ぎになってしまう。
「まだ何かありますか?私、帰りたいんですけど」
「他に言うことはないの?それだけって・・・」
見ればルーク様は、納得がいかないといった顔でこちらを見ている。
「なんで俺があの場にいたのか、とか聞かないの?」
「気にはなりますけど・・・」
私の中で、優先順位ははっきりしている。
義父たちに、心配をかけないこと。
それが最優先である。
「帰りが遅くなれば、義父たちが心配するんです」
「いや、それはわかるけど・・・」
「終わったことを聞くより、待っている人のところへ帰る方が大事です」
当然のことを述べただけのはずなのに、なぜかルーク様の表情が目に見えて沈んだ。
「・・・・・・えっとさ」
「はい」
「俺、命がけで助けた側なんだけど」
それは知っている。
だからこそ、何が言いたいのか分からなかった。
「ええ、ありがとうございました」
「もうちょっとこう・・・質問とか、感動とか・・・」
「感謝は、先ほど申し上げました」
ルーク様はがくりと肩を落とし、これでもかというほど大きなため息をついた。
「・・・・・・・・・俺の扱い、軽くない?」
「そんなことありません」
「いや、あるよね!?今の完全に『用事が済んだ人』の扱いだったよね!?」
「気のせいでは?」
「気のせいで済ませるには、ダメージでかいんだけど!?」
(いや、だから感謝してるって言ったわよね!?)
門限は18時なのだ。
義父たちが門の前をうろつく姿が、ありありと目に浮かぶ。
今すぐ帰りたいのに、これ以上引き止められては困る。
思わず声が強くなった。
「ルーク様の被害妄想です!感謝しています!ありがとうございます!でも、今は帰らないといけないんです!」
するとルーク様も、負けじと声を張る。
「大丈夫だから!」
「え?」
「ブラックウッド家には、エレノアと話が弾んでいるから帰りは遅くなるって、もう連絡してあるから」
「・・・・・・・・・へ?」
予想外の言葉に、思わず間の抜けた声が漏れた。
「だから、心配されることはないって言ってるんだよ」
そこまで言われて、ようやく理解が追いつく。
「・・・ああ、そうなんですね。それは助かります。ありがとうございました」
すとん、と肩の力が抜けた。
これでようやく、落ち着ける。
どうやら、うちの心配性の家族のことをよくわかっているらしい。
私が殺されかけたなどと知れたら、卒倒しかねない。
ふう、と息をついたところで、視線の端にルーク様の様子が映った。
左手で額を押さえ、深く俯いている。
「・・・・・・・・・・・・アリスちゃんさぁ」
(・・・低く、押し殺した声?)
いつもより、わずかに温度が低い。
もしかして、怒っているのだろうか。
「殺されかけたんだよ。もう少し、違う感想はないの?」
「いえ、特には」
間を置かずに答えると、ルーク様の眉がわずかに寄った。
「しかも、自分の身に危険が及ぶことも予測していたよね」
「ええ、そうですね」
もしかしたら、口封じのために殺されることもあるかもしれないとは思っていた。
だけど、フィリップさんはそんなことはしないと、心のどこかで信じていた。
「どうして一人でフィリップの家に行ったのさ。俺を連れて行けば、あんな思いをしなくて済んだはずだ」
その言葉はもっともだった。
分かっている。分かってはいたのだ。
「・・・・・・自首を勧めようかと思ったんです」
「はぁ?」
「ルーク様にお伝えすれば、立場上、すぐに捕らえなければならないでしょう?」
「当然だ。二人も殺しているんだ。自首したところで、罪が大きく変わるわけじゃない」
静かな断言だった。
ルーク様は正しい。
正しいけれど、人の気持ちは正しさでは測れない。
「それでも、フィリップさんの気持ちが知りたかったんです」
ルーク様が、わずかに目を細める。
「・・・・・・ほんの少しだけ、犯人ではないことを期待していました」
言葉にしてしまえば、あまりにも甘い願いだ。
そんなこと、あるわけないのに。
「たとえ犯人だったとしても、何か納得できるだけの理由があるのだと・・・そう思いたかったんです」
ルーク様はすぐに答えなかった。
ただ、こちらを見つめる視線だけが、静かに重くなる。
「もし何かあったら、どうするつもりだったの?」
「一応、逃げられるように、ローダナムをワインに垂らしていたんですけど・・・効かなかったみたいです」
「常用していれば、効き目は薄くなるからね」
淡々と返され、言葉に詰まる。
確かに、部屋には酒瓶が転がっていた。
罪の意識を紛らわせるために、ローダナムも口にしていたのかもしれない。
もしルーク様が助けに来なければ、私はあのまま殺されていたのだろう。
「どうしてルーク様は、あのとき助けに来られたのですか?」
問いかけると、ルーク様はわずかに眉をひそめた。
「君がうちの執事に言ったんじゃないか。『フィリップさんのところへ行く』と伝えてくれって」
その言葉に、小さく息を呑む。
万が一のための、言付けだった。
理由のわからぬまま行方不明になれば、義父が嘆くと思ったから。
「それにしても、来るのが早すぎませんか?」
「様子がおかしいと思った執事が、すぐに俺に早馬を出したんだ」
「なるほど」
公爵家の使用人は、やはり優秀だ。
何も言わなくても、私好みのお茶を出してくれるだけのことはある。
「・・・なに感心しているんだよ」
低い声が落ちた。
顔を上げると、ルーク様がこちらを睨んでいる。
「俺が、どれだけ心配したと思ってるんだ」
「・・・・・・・・・すみません」
珍しく、本気で怒っているようだった。
そう感じて、もう一度深く頭を下げるが、ルーク様は眉を顰めたままだ。
「連絡を受けてすぐロッジングハウスに向かって、住人の呼び鈴を片っ端から鳴らしたんだ」
「え?」
「出てきた奴の部屋から、屋根裏に上がった。でも、もし誰もいなかったらどうするつもりだったんだよ」
「・・・・・・屋根裏?」
「ああいう建物は、上がつながってることが多いんだよ」
(・・・そんなことする必要あるの?)
淡々とした説明に、私は思わず首を傾げた。
「それなら、普通に玄関から入ればよかったのでは?」
「呼び鈴を鳴らして、出てくると思う?」
「・・・・・・まあ、そうですね」
「鍵を閉められていたら、終わりだからね」
深いため息が落ちる。
私の無知さに、呆れているのだろうか。
「アリスちゃん、死んでいたかもしれないんだよ。フィリップに殺されかけたのに、よくそんなに平然としていられるね」
(・・・・・・平然としているかしら?)
確かに怖かった。
けれど、結局は助かったのだから、それでいいと思う。
「とりあえず、生きていますし」
「ああ、そう。でも、今後はやめてよね。俺、頭脳派だから。肉体労働、苦手なんだよ」
そう言いながら、ルーク様は苛立たしげに琥珀色の髪をがりがりとかいた。
その様子を見ているうちに、胸の奥に、じわりと何かが滲む。
あのとき、この人の綺麗な髪も、整った服も、埃で灰色になっていた。
普段はあれほど身ぎれいにしているのに、そんなことも気にせず、屋根裏を這ってきたのだ。
私は改めて、深く頭を下げた。
「助けていただいて、ありがとうございました」
心からの、感謝の言葉だった。
それなのに、ルーク様の眉は寄ったままだ。
「・・・・・・・・・貸し一つね」
「え?」
「当たり前だろ。この俺を走らせて、屋根裏を這わせたんだからね」
ルーク様は手を腰に当て、これ見よがしに大きくため息をついた。
嫌な予感しかしなくて、思わず身構える。
「大変だったんだよ。ちゃっかり者のヴァイオリン弾きに、屋根裏に上がらせる代わりに交換条件まで出されてさ」
「すみません」
「しかも屋根裏はすごい有り様で。埃はすごいし、クモの巣はあるし、虫の死骸は転がっているし。目はかゆいし、鼻水は出るし・・・」
「ごめんなさい」
「おまけにフィリップが暴れて、顔まで殴られたし」
「大変申し訳ありませんでした」
ぴたり、とルーク様の口が止まる。
「・・・なんか今、謝罪で押し切ろうとしてない?」
「そんなことはありません」
図星だったが、即答する。
これ以上言われてはたまらない。
「初めは許してくれたのに、今になって恨みがましくありませんか?」
「恨みがましいっていうか、事実の共有なんだけど」
むすっとしたまま文句を言い続けるルーク様を見ながら、私は小さく首を傾げた。
どうして、こんなに機嫌が悪いのだろう。
そもそも、助けてほしいと頼んだ覚えはない。
そう思った瞬間、ルーク様がじろりとこちらを睨む。
「今『頼んでないし』とか思ったでしょ」
「思っていません」
「絶対思ったよね?」
「思っていません」
「顔に書いてあるんだけど!?」
納得いかない。
言葉にしていないのに、どうしてそこまで分かるのだろう。
「・・・なんで分かるんですか?」
思わずそう聞くと、ルーク様はふいっと顔を逸らした。
「分かるんだよ。なんとなく」
どこか子どもみたいな言い方に、余計に腑に落ちない。
やはり、客観的な証拠を提示してほしいものだ。
「貸し三つで、なんでも言うこと聞いてもらうから」
「なんでも!?」
嫌な予感しかしない。
義兄からは、連帯保証人になることと、内容のはっきりしない契約には絶対に頷くな、と言われている。
「それが嫌なら、今後は無茶しないこと。俺、本気で怒ってるからね」
低い声で言われて、ようやく事の重大さが胸に落ちた。
曲がりなりにも法律に精通しているルーク様だ。
形だけでなく、契約書まできっちり用意してくるに決まっている。
ーー多分この人、ちょっと粘着質だ。
「・・・・・・わかりました」
そう答えた、ちょうどそのとき。
コンコン、と軽いノックが扉に響いた。
「・・・・・・タイミングが良すぎない?」
「助かりました」
思わず口が滑る。
ぴくり、とルーク様の垂れ気味の眦が、きりりと吊り上がった。
「アリスちゃん、本当に反省してる!?」
「・・・・・・・・・してます」
「ふふっ、お兄様。声が部屋の外まで聞こえていますよ」
エレノア様が、ひょいと顔を覗かせた。
手には紅茶とクッキーを載せた盆があり、その甘い香りに、途端に空腹を思い出す。
「もうその辺で、アリス様を許してあげてください」
「そうは言ってもさ」
ルーク様は腕を組んだまま、こちらをじろりと睨んだ。
「アリスちゃん、殺人犯のところに一人で乗り込んだんだぞ?」
「・・・・・・まだ怒っていらっしゃるのですか?」
まだ機嫌は直っていないらしい。
けれど、エレノア様のおかげで、これ以上責められずに済みそうだ。
「ありがとうございます、エレノア様」
軽く頭を下げると、エレノア様は安心させるように、にっこりと微笑んだ。
やはり、持つべきものは優しい友人である。
「ちなみに、私にも貸し一つですよ」
「・・・えっ?」
「私の名前を使って、フィリップさんの家へ行く口実にされましたよね?」
嫌な予感が、じわじわと背中を這い上がる。
まさかこの兄妹、中身まで似ているのだろうか。
「ブラックウッド家には『うちでお茶をしている』とお伝えしておきましたけれど」
穏やかな声音。
変わらぬ微笑み。
なのに、その目だけが、まったく笑っていないことに気づいた瞬間、ぞくりとした。
「ご、ごめんなさい」
「せめて、私にも一言くらいあってもよかったのではないですか?」
「ええ。すみません」
エレノア様の迫力に思わず縮こまると、彼女は何事もなかったように柔らかく微笑んだ。
どうやら怒っている「ふり」だったらしい。
「反省しているなら、それでいいです。でも、次に無茶をする時は、必ず私に相談してくださいね」
「・・・それが、貸しの回収ですか?」
「ええ。一人で抱え込むのは、感心しませんから」
「わかりました」
(・・・・・・・・・でも、面倒だわ)
表向き素直に頷いたが、あれこれ言われるのは苦手だ。
今度何かあるときは、誰にも言わずに一人で行動しようと、心の中でそっと決意する。
ふと顔を上げると、信じられないような目で見るエレノア様と目が合った。
「・・・今『また一人でやろう』って、顔しましたよね?」
「していません」
「しましたよね?」
「していません」
そんなにわかりやすく気持ちが顔に出ていただろうか。
ルーク様に続き、エレノア様まで見抜いてくるとは思わなかった。
「お兄様、アリス様はまったく反省していません!」
「そんなことくらい、わかってるよ」
なぜか即座に同意が返ってくる。
それからしばらく、エレノア様にきっちりと叱られた。
ルーク様は、庇ってはくれなかった。
その間、ただ無言で立っているだけだった。
けれどその視線には、かすかな気遣いが滲んでいた。
お読みいただきありがとうございます。
作中に登場したローダナム(アヘンチンキ)は、アヘンをアルコールに溶かした薬で、現代のように厳しく管理される以前は、比較的身近に用いられていたものだそうです。
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物語はまだ続いていきますので、これからもお付き合いいただけましたら幸いです。




