表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
恋を描けない伯爵令嬢 ーその絵は嘘をつかない  作者: 夏つばき


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

28/51

28 ルーク様との理不尽な契約


昔の夢を見ていた。

ロビンが、空に向かって一生懸命手足を振り回していた。


『ロビン、何をしているの?』

『悪い奴をやっつける練習!アリスも一緒にしようよ!』


街灯もないような田舎には、泥棒や強盗は珍しくなかった。

自分の身は自分で守るーー田舎の平民は、それは当然のことだった。


『思い切りやるのがコツだよ!』

『わかった!頑張る!』


外で二人、夢中になって手足を振り回していると、やがてロビンのお兄さんが出てきて、相手を倒すやり方を教えてくれた。

私は運動神経が悪いのか、ロビンのように上手くできなかった。


『ロビンはすごいね』


そう言うと、ロビンは照れたように笑った。


今日の私を見たら、ロビンはどんな顔をするだろうか。

あの大きな瞳を丸くして、驚くだろうか。

そんな顔を想像して、思わず笑みがこぼれる。


『ふふふっ、ふ、ふふっ』


自分の笑い声に、はっとして目を覚ました。

ぼんやりした視界の中に、琥珀色の髪が映る。


「・・・・・・・・ロビン!?」

「違うよ」


少し呆れた声が返ってきた。

焦点が合った先で、ルーク様が私の顔を覗き込んでいる。


「・・・・・・・・・・・・ルーク様」


以前にも、こんなことがあったような気がする。

けれど、不思議と落胆はなかった。


ゆっくりと、記憶が現実へと戻ってくる。


「助けていただいて、ありがとうございました」


そう言ってから、静かに体を起こす。

馬車で送ってもらう途中、眠気に抗えず、公爵邸で寝かせてもらっていたのだ。

ーー随分と、長く眠っていた気がする。


「体は、もう大丈夫?」

「ええ、大丈夫です」


首に痛みは残っているが、頭はすっきりしていて、思っていたよりも気分は悪くない。

きっと、ロビンと過ごした楽しい夢を見ていたからだ。


「ルーク様は・・・大丈夫ですか?」

「ああ、俺は平気」


そう言って笑って見せるが、その左頬はわずかに腫れていた。


「怪我をさせてしまって、申し訳ありません」

「アリスちゃんが無事だったから、いいよ」


その優しい言葉に、胸の奥が少しだけ熱くなる。

そのとき、柱時計が低く時を打った。


ボーン、ボーン、ボーン・・・・・・。


「今、何時ですか!?」

「えっ?あ、ああ、18時だよ」

「すみません、お世話になりました!また改めて、お礼に伺います」


慌ててベッドから飛び起き、扉を向かおうとした途端、腕を強く引かれた。

骨ばった指が絡むように食い込み、その感触にどきりとする。

線の細さばかりが目についていたが、触れて初めて、その内側にある確かな硬さを知った。


(・・・・・・今度は、ちゃんと触らせてもらおう)

見るだけだと、わからなかった。

今後の絵に活かすためには、触らなければならなかったのだと反省する。


「アリスちゃん、ちょっと待ってよ」


その声に、思わずはっとする。

そんなことを考えている場合ではなかった。

とにかく帰らなければ、義父たちが大騒ぎになってしまう。


「まだ何かありますか?私、帰りたいんですけど」

「他に言うことはないの?それだけって・・・」


見ればルーク様は、納得がいかないといった顔でこちらを見ている。


「なんで俺があの場にいたのか、とか聞かないの?」

「気にはなりますけど・・・」


私の中で、優先順位ははっきりしている。

義父たちに、心配をかけないこと。

それが最優先である。


「帰りが遅くなれば、義父たちが心配するんです」

「いや、それはわかるけど・・・」

「終わったことを聞くより、待っている人のところへ帰る方が大事です」


当然のことを述べただけのはずなのに、なぜかルーク様の表情が目に見えて沈んだ。


「・・・・・・えっとさ」

「はい」

「俺、命がけで助けた側なんだけど」


それは知っている。

だからこそ、何が言いたいのか分からなかった。


「ええ、ありがとうございました」

「もうちょっとこう・・・質問とか、感動とか・・・」

「感謝は、先ほど申し上げました」


ルーク様はがくりと肩を落とし、これでもかというほど大きなため息をついた。


「・・・・・・・・・俺の扱い、軽くない?」

「そんなことありません」


「いや、あるよね!?今の完全に『用事が済んだ人』の扱いだったよね!?」

「気のせいでは?」

「気のせいで済ませるには、ダメージでかいんだけど!?」


(いや、だから感謝してるって言ったわよね!?)

門限は18時なのだ。

義父たちが門の前をうろつく姿が、ありありと目に浮かぶ。

今すぐ帰りたいのに、これ以上引き止められては困る。


思わず声が強くなった。


「ルーク様の被害妄想です!感謝しています!ありがとうございます!でも、今は帰らないといけないんです!」


するとルーク様も、負けじと声を張る。


「大丈夫だから!」


「え?」

「ブラックウッド家には、エレノアと話が弾んでいるから帰りは遅くなるって、もう連絡してあるから」

「・・・・・・・・・へ?」


予想外の言葉に、思わず間の抜けた声が漏れた。


「だから、心配されることはないって言ってるんだよ」


そこまで言われて、ようやく理解が追いつく。


「・・・ああ、そうなんですね。それは助かります。ありがとうございました」


すとん、と肩の力が抜けた。

これでようやく、落ち着ける。


どうやら、うちの心配性の家族のことをよくわかっているらしい。

私が殺されかけたなどと知れたら、卒倒しかねない。


ふう、と息をついたところで、視線の端にルーク様の様子が映った。

左手で額を押さえ、深く俯いている。


「・・・・・・・・・・・・アリスちゃんさぁ」


(・・・低く、押し殺した声?)

いつもより、わずかに温度が低い。

もしかして、怒っているのだろうか。


「殺されかけたんだよ。もう少し、違う感想はないの?」

「いえ、特には」


間を置かずに答えると、ルーク様の眉がわずかに寄った。


「しかも、自分の身に危険が及ぶことも予測していたよね」

「ええ、そうですね」


もしかしたら、口封じのために殺されることもあるかもしれないとは思っていた。

だけど、フィリップさんはそんなことはしないと、心のどこかで信じていた。


「どうして一人でフィリップの家に行ったのさ。俺を連れて行けば、あんな思いをしなくて済んだはずだ」


その言葉はもっともだった。

分かっている。分かってはいたのだ。


「・・・・・・自首を勧めようかと思ったんです」

「はぁ?」

「ルーク様にお伝えすれば、立場上、すぐに捕らえなければならないでしょう?」

「当然だ。二人も殺しているんだ。自首したところで、罪が大きく変わるわけじゃない」


静かな断言だった。

ルーク様は正しい。

正しいけれど、人の気持ちは正しさでは測れない。


「それでも、フィリップさんの気持ちが知りたかったんです」


ルーク様が、わずかに目を細める。


「・・・・・・ほんの少しだけ、犯人ではないことを期待していました」


言葉にしてしまえば、あまりにも甘い願いだ。

そんなこと、あるわけないのに。


「たとえ犯人だったとしても、何か納得できるだけの理由があるのだと・・・そう思いたかったんです」


ルーク様はすぐに答えなかった。

ただ、こちらを見つめる視線だけが、静かに重くなる。


「もし何かあったら、どうするつもりだったの?」

「一応、逃げられるように、ローダナムをワインに垂らしていたんですけど・・・効かなかったみたいです」

「常用していれば、効き目は薄くなるからね」


淡々と返され、言葉に詰まる。


確かに、部屋には酒瓶が転がっていた。

罪の意識を紛らわせるために、ローダナムも口にしていたのかもしれない。

もしルーク様が助けに来なければ、私はあのまま殺されていたのだろう。


「どうしてルーク様は、あのとき助けに来られたのですか?」


問いかけると、ルーク様はわずかに眉をひそめた。


「君がうちの執事に言ったんじゃないか。『フィリップさんのところへ行く』と伝えてくれって」


その言葉に、小さく息を呑む。

万が一のための、言付けだった。

理由のわからぬまま行方不明になれば、義父が嘆くと思ったから。


「それにしても、来るのが早すぎませんか?」

「様子がおかしいと思った執事が、すぐに俺に早馬を出したんだ」

「なるほど」


公爵家の使用人は、やはり優秀だ。

何も言わなくても、私好みのお茶を出してくれるだけのことはある。


「・・・なに感心しているんだよ」


低い声が落ちた。

顔を上げると、ルーク様がこちらを睨んでいる。


「俺が、どれだけ心配したと思ってるんだ」

「・・・・・・・・・すみません」


珍しく、本気で怒っているようだった。

そう感じて、もう一度深く頭を下げるが、ルーク様は眉を顰めたままだ。


「連絡を受けてすぐロッジングハウスに向かって、住人の呼び鈴を片っ端から鳴らしたんだ」

「え?」

「出てきた奴の部屋から、屋根裏に上がった。でも、もし誰もいなかったらどうするつもりだったんだよ」


「・・・・・・屋根裏?」

「ああいう建物は、上がつながってることが多いんだよ」


(・・・そんなことする必要あるの?)

淡々とした説明に、私は思わず首を傾げた。


「それなら、普通に玄関から入ればよかったのでは?」

「呼び鈴を鳴らして、出てくると思う?」


「・・・・・・まあ、そうですね」

「鍵を閉められていたら、終わりだからね」


深いため息が落ちる。

私の無知さに、呆れているのだろうか。


「アリスちゃん、死んでいたかもしれないんだよ。フィリップに殺されかけたのに、よくそんなに平然としていられるね」


(・・・・・・平然としているかしら?)

確かに怖かった。

けれど、結局は助かったのだから、それでいいと思う。


「とりあえず、生きていますし」

「ああ、そう。でも、今後はやめてよね。俺、頭脳派だから。肉体労働、苦手なんだよ」


そう言いながら、ルーク様は苛立たしげに琥珀色の髪をがりがりとかいた。

その様子を見ているうちに、胸の奥に、じわりと何かが滲む。


あのとき、この人の綺麗な髪も、整った服も、埃で灰色になっていた。

普段はあれほど身ぎれいにしているのに、そんなことも気にせず、屋根裏を這ってきたのだ。


私は改めて、深く頭を下げた。


「助けていただいて、ありがとうございました」


心からの、感謝の言葉だった。

それなのに、ルーク様の眉は寄ったままだ。


「・・・・・・・・・貸し一つね」

「え?」

「当たり前だろ。この俺を走らせて、屋根裏を這わせたんだからね」


ルーク様は手を腰に当て、これ見よがしに大きくため息をついた。

嫌な予感しかしなくて、思わず身構える。


「大変だったんだよ。ちゃっかり者のヴァイオリン弾きに、屋根裏に上がらせる代わりに交換条件まで出されてさ」

「すみません」

「しかも屋根裏はすごい有り様で。埃はすごいし、クモの巣はあるし、虫の死骸は転がっているし。目はかゆいし、鼻水は出るし・・・」

「ごめんなさい」


「おまけにフィリップが暴れて、顔まで殴られたし」

「大変申し訳ありませんでした」


ぴたり、とルーク様の口が止まる。


「・・・なんか今、謝罪で押し切ろうとしてない?」

「そんなことはありません」


図星だったが、即答する。

これ以上言われてはたまらない。


「初めは許してくれたのに、今になって恨みがましくありませんか?」

「恨みがましいっていうか、事実の共有なんだけど」


むすっとしたまま文句を言い続けるルーク様を見ながら、私は小さく首を傾げた。

どうして、こんなに機嫌が悪いのだろう。


そもそも、助けてほしいと頼んだ覚えはない。

そう思った瞬間、ルーク様がじろりとこちらを睨む。


「今『頼んでないし』とか思ったでしょ」

「思っていません」


「絶対思ったよね?」

「思っていません」


「顔に書いてあるんだけど!?」


納得いかない。

言葉にしていないのに、どうしてそこまで分かるのだろう。


「・・・なんで分かるんですか?」


思わずそう聞くと、ルーク様はふいっと顔を逸らした。


「分かるんだよ。なんとなく」


どこか子どもみたいな言い方に、余計に腑に落ちない。

やはり、客観的な証拠を提示してほしいものだ。


「貸し三つで、なんでも言うこと聞いてもらうから」

「なんでも!?」


嫌な予感しかしない。

義兄からは、連帯保証人になることと、内容のはっきりしない契約には絶対に頷くな、と言われている。


「それが嫌なら、今後は無茶しないこと。俺、本気で怒ってるからね」


低い声で言われて、ようやく事の重大さが胸に落ちた。

曲がりなりにも法律に精通しているルーク様だ。

形だけでなく、契約書まできっちり用意してくるに決まっている。

ーー多分この人、ちょっと粘着質だ。


「・・・・・・わかりました」


そう答えた、ちょうどそのとき。


コンコン、と軽いノックが扉に響いた。


「・・・・・・タイミングが良すぎない?」

「助かりました」


思わず口が滑る。

ぴくり、とルーク様の垂れ気味の眦が、きりりと吊り上がった。


「アリスちゃん、本当に反省してる!?」

「・・・・・・・・・してます」


「ふふっ、お兄様。声が部屋の外まで聞こえていますよ」


エレノア様が、ひょいと顔を覗かせた。

手には紅茶とクッキーを載せた盆があり、その甘い香りに、途端に空腹を思い出す。


「もうその辺で、アリス様を許してあげてください」

「そうは言ってもさ」


ルーク様は腕を組んだまま、こちらをじろりと睨んだ。


「アリスちゃん、殺人犯のところに一人で乗り込んだんだぞ?」

「・・・・・・まだ怒っていらっしゃるのですか?」


まだ機嫌は直っていないらしい。

けれど、エレノア様のおかげで、これ以上責められずに済みそうだ。


「ありがとうございます、エレノア様」


軽く頭を下げると、エレノア様は安心させるように、にっこりと微笑んだ。

やはり、持つべきものは優しい友人である。


「ちなみに、私にも貸し一つですよ」


「・・・えっ?」

「私の名前を使って、フィリップさんの家へ行く口実にされましたよね?」


嫌な予感が、じわじわと背中を這い上がる。

まさかこの兄妹、中身まで似ているのだろうか。


「ブラックウッド家には『うちでお茶をしている』とお伝えしておきましたけれど」


穏やかな声音。

変わらぬ微笑み。

なのに、その目だけが、まったく笑っていないことに気づいた瞬間、ぞくりとした。


「ご、ごめんなさい」

「せめて、私にも一言くらいあってもよかったのではないですか?」

「ええ。すみません」


エレノア様の迫力に思わず縮こまると、彼女は何事もなかったように柔らかく微笑んだ。

どうやら怒っている「ふり」だったらしい。


「反省しているなら、それでいいです。でも、次に無茶をする時は、必ず私に相談してくださいね」


「・・・それが、貸しの回収ですか?」

「ええ。一人で抱え込むのは、感心しませんから」

「わかりました」


(・・・・・・・・・でも、面倒だわ)

表向き素直に頷いたが、あれこれ言われるのは苦手だ。

今度何かあるときは、誰にも言わずに一人で行動しようと、心の中でそっと決意する。


ふと顔を上げると、信じられないような目で見るエレノア様と目が合った。


「・・・今『また一人でやろう』って、顔しましたよね?」

「していません」


「しましたよね?」

「していません」


そんなにわかりやすく気持ちが顔に出ていただろうか。

ルーク様に続き、エレノア様まで見抜いてくるとは思わなかった。


「お兄様、アリス様はまったく反省していません!」

「そんなことくらい、わかってるよ」


なぜか即座に同意が返ってくる。

それからしばらく、エレノア様にきっちりと叱られた。


ルーク様は、庇ってはくれなかった。

その間、ただ無言で立っているだけだった。

けれどその視線には、かすかな気遣いが滲んでいた。



お読みいただきありがとうございます。


作中に登場したローダナム(アヘンチンキ)は、アヘンをアルコールに溶かした薬で、現代のように厳しく管理される以前は、比較的身近に用いられていたものだそうです。


本作を少しでも楽しんでいただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけると嬉しく、とても励みになります。

物語はまだ続いていきますので、これからもお付き合いいただけましたら幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ