27 続 フィリップさんの告白
「・・・・・・・・・・・・ガレット様は、殺してないよ」
「そうなのですか?」
「決闘を申し込まれたんだ」
フィリップさんは、苦い顔をした。
「あの人、オーロラ様が好きだったから。僕のことが憎くて憎くて、たまらなかったんじゃないかな」
「じゃあ、どうして・・・」
「向こうが俺を殺そうとしてきたんだよ」
フィリップさんは、ワインのコップを握りしめた。
「『決闘だ』って言って、早朝の河原に呼び出したんだ。それなのに立会人もいない。もちろん医者だっていなかった」
決闘は、国で禁じられている。
でも、違法ではあるが、双方合意の上での立会人がいるなら、事実上不問にされることも多い。
「つまり、形だけの決闘さ」
フィリップさんは吐き捨てるように言った。
その瞳には、怒りが宿っていた。
「後で誤魔化すためか知らないけど、ご丁寧に白手袋まで用意してさ」
白手袋を投げて決闘を申し込む。
古い習慣だ。
「僕に剣を放り投げてきて、いきなり斬りかかってきたんだ。・・・僕だって、必死だからね。そりゃ抵抗もするさ」
(・・・・・・本当に?)
フィリップさんに、貴族のガレット様に勝てるだけの剣の腕前があったのだろうか。
私の疑いが顔に出ていたのか、彼はふっと自嘲気味に笑った。
「田舎じゃ、警官なんていないからね。自警団に入っていたんだ。僕、こう見えて剣も使えるし、腕っぷしも強いんだよ。ガレット様も、僕が強いなんて誤算だったんじゃないかな」
(・・・最初から、フィリップさんが殺そうとしたわけではないのね)
そのことに、ほっとした。
連続殺人に見せかけるために、彼が誘い出したのかと思っていたのだ。
「どうして、すぐに医師を呼ばなかったのですか?」
「夢中だったし、手加減なんてできなかったからね。気づいたときには、すでに虫の息だったよ。医師を呼んでも無駄だったはずだ」
フィリップさんは、もう一度コップにワインを注いだ。
だが今度は飲まずに、手に持っている。
「それに、間違いなく、僕が殺意を持って殺したと疑われるに決まってる。貴族同士ならまだしも、僕は平民だしね」
フィリップさんはワインを見つめながら、小さく笑った。
「それでね、思いついたんだ。どうせならこの状況を利用しようって」
「・・・・・・・・・」
「タルに渡していた絵の中に、ガレット様の肖像画があったからね。ちょうど設定も似ていたし、同じように死体を動かして、いかにも絵の通りに死んだと演出したんだ」
そう言うと、フィリップさんは堪えるようにワインをあおった。
「・・・・・・事情はわかりました」
私は自分の気持ちを押さえるために、ゆっくり言った。
「無理やり呼び出されて、いきなり襲いかかられたなら、フィリップさんだって抵抗しますよね」
自分の命が危険に晒されているなら、必死で抵抗するのは当然だ。
それは理解できる。
「でも、スカーレット様は違います。・・・スカーレット様だけは、何も関係ない第三者のはずです」
フィリップさんは黙っていた。
その沈黙に、深い意味があってほしいと願ってしまう。
「それなのに、あなたは彼女を殺した。・・・そのことだけは、どうしても許せません」
彼女が何をしたというのだろう。
フィリップさんの絵を認め、励ました。
「スカーレット様を殺す必要なんて、なかったですよね」
フィリップさんはコップを握りしめた。
今にも割れてしまいそうなほど、強く。
けれど、口から出た言葉は、拍子抜けするほど小さな呟きだった。
「・・・・・・不思議と魔が差したんだ」
「え?」
「ガレット様が死んでから、僕の絵が売れ始めた。絵の注文もくるようになってね。そこで満足すればいいのに、どういうわけか、欲が出たんだ」
フィリップは、かすかに笑った。
「欲、ですか?」
「小説や舞台でもそうだ。三人以上死ぬ話のほうが人気が出るって」
冗談のような言葉だった。
けれど、その声は少しも笑っていなかった。
「あと一人死ねば、僕の画家としての地位は、揺るぎないものになる。そんな馬鹿なことを、思ってしまったんだ」
(・・・・・・・・・そんな理由で?)
胸の奥が冷たくなる。
私はてっきり、スカーレット様を殺さなければならない理由があるのだと思っていた。
どうしても避けられない事情が。
けれど、違った。
ただ、フィリップは欲しかったのだ。
名声が。成功が。
そのためにもう一人死ねばいいと。
そう思っただけだった。
「三人目が必要だったんだ。そうすれば、誰も僕の名前を忘れない」
「そんなことで、殺したのですか!?」
思わず、声が震える。
だけどフィリップさんは、わずかに眉を動かしただけだ。
「そうだよ。でも、いいんじゃないかな」
「え?」
「だって芸術は、人の死より長く残るんだから」
フィリップさんが、ゆっくりとこちらを見る。
その目の奥は、強い意志が宿っていた。
「彼女が死んでも何も変わらない。でも、僕の絵が有名になれば、彼女は人の記憶の中で永遠に生きられる。・・・悪くないよね」
「そんな勝手なこと、許されると思っているんですか?」
思わず声が強くなる。
「彼女だって言ったじゃないか」
「え?」
「若く美しいうちに死にたいって」
夜会で笑いながらそう言ったスカーレット様。
その艶やかな姿が目に浮かんでくる。
「確かにそう言っていました。でも、本気ではなかったはずです」
「僕はそう思わないけどね。これから彼女の価値は、下がるばかりだ。惨めな人生を送るくらいなら、今の内に死にたかったんじゃない?」
「そんなことはありません」
スカーレット様を馬鹿にしないでほしい。
彼女は、誇り高い人だった。
きっとどんな困難にも、顔を上げて毅然と歩いていったはずだ。
「そう?年老いた娼婦の末路なんて、大抵は悲惨だよね」
「勝手に決めつけないでください」
「アリスはスカーレット様じゃないのに、どうして彼女の気持ちがわかるの?」
その言葉に、一瞬言葉が詰まる。
人の心なんて、わかるわけがない。
ーーそれがたとえ、血を分けた肉親でも。
「でも、フィリップさんだって、それは同じじゃないですか。あなたに、スカーレット様を殺す権利なんてない」
その瞬間、フィリップさんはふっと目を逸らした。
「・・・・・・タルが言ったんだ。僕には才能があるって。きっかけがあれば、僕の絵はきっと世間に認められるはずだって」
「それが、何の関係があるんですか?」
「注目さえ集めることができれば、僕の絵は売れる」
「そんなことって・・・」
「あるよ。実際売れた。タルはすごい奴なんだ。たくさん本を読んでいるし、世間のことをよく知っている。タルの言う通りにすれば、売れるんだ」
フィリップさんは、遠くに目を遣った。
その夢見るように緩んだその表情が、どこか現実から切り離されたものに見えて、ぞっとした。
「・・・・・・ねぇ、アリスはモーティマー子爵が亡くなったのは偶然だと思う?僕の描いた絵と同じように死んだんだよ。きっと神様の思し召しじゃないかな?」
「そんなこと、あるわけありません」
「そう?でも、ガレット様だって、僕に決闘を申し込んできたよ。そんなことしなければ、死なずに済んだのにね。きっと神様が、僕にチャンスを与えるために、仕向けてくれたんじゃないかなぁ」
(・・・フィリップさんは、何を言ってるの?)
自分が殺したのに、まるで他人事だ。
こんな考え方をする人だったのだろうか。
「殺したのはフィリップさんです」
「あれは、不可抗力だったよ。それでもアリスは、僕が悪いと言うの?」
(・・・・・・・・・話すだけ無駄だったわ)
彼は、ただ自分の名声を高めるためだけに殺しただけだった。
こんなことなら、話を聞かない方がよかった。
「・・・・・・・・・・・・・・・自首してください」
「え?」
「お願いです。自首して、罪を償ってください」
フィリップさんは、小さく息を吐いた。
「そんなことをしても、スカーレット様は帰ってこないよ。それなら、僕がこのまま有名になった方がよくない?」
「何を言って・・・」
「そうすれば、彼女の名も残るしね。年取った醜い元娼婦の名は誰も覚えていないけど、美しい高級娼婦のドラマチックな死だったら、みんなの記憶に残るよ」
「そんな・・・・・・」
「アリスさえ黙っていてくれたら、問題ないんだけどな」
(・・・何を言っているの?)
人の命を奪っておいて、そんな勝手な理屈が通るわけがない。
フィリップさんは期待を込めるように私を見たが、首を振る。
「・・・・・・無理です」
「アリス?」
「ルーク様は、フィリップさんが犯人だともう気づいています」
「え?」
「ガレット様が亡くなった時点で、ルーク様はフィリップさんを疑っていました」
スカーレット様の自宅前で話していたときから、ルーク様の視線はどこか鋭かった。
今思えば、あの頃から彼はフィリップさんを観察していたのだ。
さりげなく、けれど確実に。
フィリップさんは黙っている。
「あの日のルーク様は、フィリップさんの一挙一動を見ていました」
合理的な人だ。
疑いだけで動くような人ではない。
「ルーク様はきっと、逃げられないよう証拠を固めてから動きます。・・・だから、もう、逃げられません」
「そんな・・・」
フィリップさんの顔に、絶望の表情が宿る。
二人を殺したフィリップさんは、おそらく極刑になるだろう。
だが、自首したとなれば陪審員の心証も違うかもしれない。
もしかしたら恩赦を受けられる可能性もある。
スカーレット様のことを思えば、許せない。
だが、フィリップさんを憎みきれない自分もいた。
フィリップさんの境遇、絵に対する思い・・・。
なにより、同じ画家を志す者として、私は友情を感じていたのだ。
「僕は、どうすれば・・・」
「自首すれば、罪は軽くなるはずです」
フィリップさんは、頭を抱えたまま、がっくりと肩を落とした。
逃げきれないと思って絶望したのか、それとも、自分の罪をようやく認めたのか。
多分、前者だろうけど、彼の心の中までは踏み込めない。
「・・・・・・私は、これで失礼します」
そう言っても、返事はない。
フィリップさんは俯いたままだった。
「・・・・・・・・・・・・フィリップさん?」
しばらく待つ。
けれど、ぴくりとも動かなかった。
(・・・・・・・・・薬が効いたのかもしれないわね)
コップに注いだワインに、ローダナムを数滴垂らしていたのだ。
万が一を考え、自分の身の安全を守るためだった。
けれど、フィリップさんの様子を見る限り、そんな用心は必要なかったかもしれない。
フィリップさんのこれからを思うと、胸が重くなる。
だけど、私には何もしてあげられることはなかった。
彼を起こさないよう、そっと席を立つ。
開いたままの扉の向こうに、イーゼルが見えた。
そこには、明るく微笑むオーロラ様を描いたキャンバスが据えられている。
自分の夢に向かって頑張っていただけなのに、どうしてこんなことになってしまったのだろう。
グリムショー子爵が、フィリップさんに死体を描かせなければ。
モーティマー子爵が、強盗に遭わなければ。
タリエシンが、囁かなければ。
いや、フィリップさんが自分の意思で踏みとどまっていれば、こんなことにはならなかった。
選んだのは、フィリップさんだ。
生き方次第で未来は変えられると言っていたのに。
彼は、自分の言葉も、そして自身を描いた絵も思い出しもしなかったのだろうか。
重苦しい気分のまま、玄関の扉に手をかける。
その瞬間だった。
突然、すごい勢いで後ろから引き倒された。
「きゃっ、な、何を・・・!」
何が起きたのか分からない。
声を上げようとしたが、それは途中で途切れた。
首に手がかけられていた。
必死にその手を引き剥がそうとする。
けれど、びくともしない。
指が喉に食い込み、空気が通らない。
声を出そうとしても、掠れた息が漏れるだけだった。
苦し紛れに手を伸ばし、彼の顔を引っ搔こうとする。
だが思うように動かない。
ーーその時、指先が何かに当たった。
柔らかい感触だったから、もしかしたら目だったのかもしれない。
「っ・・・!」
フィリップさんの指、ほんのわずかに緩む。
その隙を逃がすまいと、私は必死にもがいた。
体を横にずらし、彼の下から這い出そうとする。
けれど、すぐに体重をかけられ、押さえつけられる。
動けない。
首を締める指の力が、さらに強くなった。
視界の端が黒く滲みはじめる。
(・・・・・・・・・もう、だめかもしれない)
義父たちの優しい顔が頭に浮かんだ。
このまま私が人知れず死んだら、彼らはどれだけ嘆くだろう。
後悔が胸に渦巻いた瞬間、鈍い衝撃音が部屋に響いた。
「アリスちゃん!」
首にかかっていた力がふっと消える。
聞き慣れた声と共に、空気が一気に肺に流れ込んでくる。
「アリスちゃん、大丈夫!?」
「この野郎!」
固いものがぶつかる音。
叫び声と、呻き声。
私は激しく咳込みながら顔を上げた。
目の前では、うす汚れたルーク様がフィリップさんと格闘していた。
ルーク様が押さえ込もうとするが、フィリップさんも必死に抵抗している。
殴ろうとする腕。蹴り上げようとする足。
鈍い音が部屋に響く。
その光景を見て、不意に神話の一場面が頭に浮かんだ。
(・・・・・・・・・ペルセウスだわ)
怪物への生贄として岩場に縛られたアンドロメダ。
彼女を救ったのは、空飛ぶサンダルで現れたペルセウス。
アンドロメダは、ただ助けを待つしかなかった。
縛られ、動くこともできずに見ているだけしかできなかった彼女は、どれほど悔しかっただろう。
(・・・・・・・・・私は、違う)
まだ動ける。
私にも、できることはある。
気がつけば、近くにあった本を手に取っていた。
そして、勢いよくフィリップさんに向かっていった。
お読みいただきありがとうございました。
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