23 椿姫
「スカーレット様のお屋敷はこちらの方にあるのですか?」
「ああ、そうだよ。何か気になることでもあった?」
「いえ。意外だと思いまして。街の中心ではないのですね」
豪華なドレスを身に纏っていたスカーレット様だから、家も大通りに面した立派なものだとばかり思っていた。
けれど、ルーク様が進んで行く先にあるのは、小ぢんまりとした家が並ぶ静かな通りだった。
思わず周囲を見渡してしまう。
本当に、この先にスカーレット様の屋敷があるのだろうか。
「まあ、全てを豪華にするわけにはいかないからね」
「・・・・・・確かにそうですね」
スカーレット様は、夜会でも男性からひっきりなしに熱い視線を浴びていた。
あれほどのドレス、アクセサリー、そして完璧な化粧。
美を保つために費やされる金額を思えば、屋敷までは豪華にする余裕はないのかもしれない。
それに、もしかしたら別の使い道もあるのだろう。
「もしかして、アリスちゃんはスカーレットの職業を気づいているの?」
「・・・・・・『椿姫』ですよね?」
「正解」
ルーク様は、わずかに目を見開いた。
「絵にしか興味がないから、世間に疎いと思っていたよ」
「・・・・・・そこまで世間知らずじゃないですよ」
(・・・・・・・・・失礼ね)
昔、義母の本棚にあった『椿姫』を手に取ったことがある。
高給娼婦と若い貴族の悲恋を描いた物語だ。
子どもの私は内容がよくわからず「高級娼婦と低級娼婦の違いって何?」と義兄に聞いて、こっぴどく怒られたのを覚えている。
「でも、嫌がりはしないんだ?」
「どうして嫌がるのですか?」
思わず聞き返してしまう。
「自分の力で立派に生計を立てている人に、失礼ではありませんか」
「・・・いや、女性はスカーレットのような人を嫌がるかなと思って」
「それこそ偏見ですよ」
きっぱり言うと、ルーク様は苦笑いした。
人の考えなど千差万別だ。
誰かの価値観を、勝手に「一般的」と決めつけるものではない。
「だから彼女を『ユディト』って、言ったんだね」
「ええ。スカーレット様は、自分で道を切り開いていく方に見えたので」
ルーク様に媚びを売るように見せかけて、男性の視線を集めていた。
選ばせているように見せかけて、実際には自分で選んでいる。
客を選ぶのは自分であり、そうするだけの力があるのだと、彼女の誇りが垣間見えていた。
「それに、私だって『椿姫』になっていたかもしれませんし」
「え?」
「まあ、見た目で無理でしょうけど」
自分の凹凸の少ない体に目を落とす。
あの女性らしい曲線美も彼女の魅力の一つだ。
そして色気のある仕草や、洗練された会話術があるからこそ、彼女は高級娼婦として上流階級の社交界に出入りできるのだろう。
「あ、いや。そうじゃなくて・・・」
「義父に引き取られなければ、そういう道もあったかもしれない、ということです」
「・・・・・・そう」
女性が一人で生きていく道は厳しい。
汚らわしいと眉を顰めるのは簡単だ。
だが、自分にスカーレット様のように身を立てることができるのかと問われれば、きっとできない。
社会的評価は低くとも、上流階級と接点を持ち、自らの力で生きる道を切り開いた彼女を、蔑む資格などないのだ。
「・・・・・・ああ、あそこだ」
どうやら、家並みの突き当りがスカーレット様の家らしい。
ルーク様の指さす先には、小さいながらも、よく手入れの行き届いた庭のある家があった。
よく見れば、玄関ポーチにも植木鉢が並べられていて、どこか女性らしい細やかさを感じさせる。
華やかな赤の薔薇は、スカーレット様を思わせた。
「あれ、先約かな?」
玄関ポーチに立っていたのは、フィリップさんだった。
「フィリップさん、こんなところでどうしたのですか?」
「ああ、アリス。それと・・・、ウィンダム公爵ですよね」
フィリップさんは、姿勢を正し、丁寧に頭を下げた。
「この間ご挨拶させていただいた、フィリップです。お久しぶりでございます」
(・・・・・・いつものフィリップさんだわ)
やはりこの前は、酔っていただけなのだろう。
ルーク様に礼儀正しく挨拶する姿を見て、私はほっと胸を撫で下ろした。
「やあ、久しぶりだね。でも、どうして君がスカーレットの家の前にいるんだい?」
「実は・・・絵を描き直させてもらおうと思いまして」
「え?」
思わず声が漏れる。
自分の描いた絵を描き直すなんて、私には考えられないことだった。
「どうしてですか?」
「この間、ガレット様が殺されただろう?状況も、僕の絵とそっくりだったと聞いたんだ」
「それは・・・そうですけど」
ガレット様のことを思い出したのか、フィリップさんの表情が曇る。
それから、ちらりとルーク様の方を見て、静かに視線を落とした。
「もしかしたら、僕が彼の最期を描いたからかもしれない、って思って」
「それは考えすぎですよ」
「そうかな・・・。だって、モーティマー子爵だけじゃなく、ガレット様もだよ」
フィリップさんは、大きくため息をついた。
「他の招待客はどうでもいいんだけどさ。スカーレット様は、あの場で唯一、僕の才能を認めて絵を買ってくれたんだ」
そう言って、彼は玄関の方へ目を遣る。
「だから、生きている姿の絵に描き直させてもらおうと思って。絵を回収しに来たんだ」
(・・・・・・やっぱり気になるわよね)
最初の事件のとき、彼は自分の絵が売れると喜んでいた。
だが、二件目ともなると、さすがに怖くなったのだろう。
フィリップさんの顔は青ざめ、その表情はどこか硬かった。
「彼らの死は、君の絵とは関係ないと思うけど」
「言霊ってあるじゃないですか。口にしたことが現実になるっていう・・・。僕の絵も、そうなんじゃないかと思うんです」
「考えすぎだよ」
フィリップさんは、沈んだ顔で首を振った。
「でも・・・祖母は占い師でした。僕、その血を引いているんです。子どもの頃、感じたことを絵に描いたら、本当に起きたことがあったんです」
「フィリップさん、それは偶然だったのでは?」
「いいや。それが何回もあるんだ」
あり得ない、と切り捨てたいのに、フィリップさんの目は、冗談の色をまるで含んでいなかった。
あの夜会で「未来が見える」と言ったのは、演出ではなく、本当に見えていたのだろうか。
「これでスカーレット様まで亡くなったら、寝覚めが悪いです。彼女は、数少ない僕の才能を認めてくれた人ですから」
「・・・フィリップさんは、才能がありますよ」
「どうかな。あの場にいたほとんどの人が、僕を貶したよ」
フィリップさんは唇をきつく噛み締めた。
あのときのことが、よほど心の傷になっているのだろう。
「そう落ち込まなくていいと思うよ。世間の評判なんて、すぐ風向きが変わるものだ。あまり気にしない方がいい」
「・・・ええ、ありがとうございます」
(・・・・・・本当に、その通りよね)
夜会では貶されたフィリップさんだが、今では人々の注目を浴びている。
もっとも、画家としての実力ではなく「予言の絵」という妙な枠組みの中ではあるが。
「ところで、今からスカーレットに会うんだけど、君も一緒に来る?」
「あ、いえ。呼び鈴を鳴らしたのですが、出てこられないんです」
「そんなわけないと思うけどね。俺はこの時間で約束したから、家にいるはずだ」
ルーク様は、そう言って呼び鈴を鳴らした。
だが、応答はない。
(・・・でも、家にいるわよね)
出窓のカーテンがわずかに揺れ、その奥には花瓶に挿された赤い薔薇が見えた。
「おかしいな。約束の時間なんだけど」
「ですから、お留守ですよ」
「いや、彼女は必ず約束を守る人だからね」
首を傾げながらルーク様がドアノブを回すと、玄関扉は音もなく開いた。
人の気配はない。
だが、どこか妙な空気が漂っている。
ーー心臓が、早鐘を打ち始めた。
あのときも、こんな感覚だった。
確かに人はいるはずなのに、気配だけが消えている。
なんとなく三人で顔を見合わせる。
短い沈黙のあと、私たちはそのまま家の中へ足を踏み入れた。
フィリップさんも、恐る恐るついてくる。
「スカーレット、失礼するよ」
「・・・・・・・・・失礼します」
何度か来たことがあるのだろう。
ルーク様は迷う様子もなく廊下を進み、一つの扉の前で立ち止まってノックした。
「・・・・・・・・・返答はないですね」
「そうだね」
ルーク様は、一度ドアノブに手をかける。
その手がわずかに震えて見えたのは、気のせいだろうか。
「でも、開けさせてもらおうか」
ルーク様が扉を開けると、そこには真紅のドレスを纏ったスカーレット様が横たわっていた。
白い陶器のような肌に、鮮やかな赤い口紅。
その姿は、相変わらず妖艶で美しかった。
だが、胸には短剣が深々と突き立てられていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
また、誤字のご指摘をしていただき、ありがとうございました。
以前、後書きで18世紀をイメージしていると書きましたが「椿姫」は19世紀の作品です。
本作では物語上の表現として用いておりますので、どうかご容赦ください。




