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恋を描けない伯爵令嬢 ーその絵は嘘をつかない  作者: 夏つばき


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21/51

21 発見


サマセット家の門を出ると、柔らかな風が頬を撫でた。

見送りに出てくれたメアリー様に改めて礼を言い、屋敷を後にする。


しばらく無言で歩いていると、不意にジュリアン様が口を開いた。


「今日は、風が気持ちいいですね」

「ええ、とても」


短い返事のあと、再び静けさが落ちる。

けれど、不思議と気まずさはなかった。


「よろしければ、このまま少し歩きませんか?」

「・・・ええ、ぜひ」


そうして私たちは、並んで大通りへと歩き出した。


(・・・・・・思ったよりも、居心地は悪くないわね)

最初はどこかぎこちなく、正直、あまり話が合わない方かもしれないと思っていた。

それなのに、不思議と沈黙が苦ではない。

むしろ、この静けさが心地よかった。



「アリス、アリス、アリス~!!!」


(・・・えっ、誰?)

突然名前を呼ばれて視線を向けると、大きな銅像の下でフィリップさんが、ぶんぶんと手を振っていた。

その笑顔は、遠目からでもわかるほど明るかった。

私がフィリップさんに気づいた途端、彼は弾かれたように駆け寄ってきた。


「こんにちは、フィリップさん」

「アリス、ここで会えてよかったよ」

「お元気そうですね」

「ああ、元気だよ。なぁ、聞いてくれよ!実はね、絵が売れたんだ!!しかも何枚も!!!」


私のもとへ駆け寄ってきたフィリップさんは、挨拶もそこそこに、隠しきれない喜びを滲ませた。


「そうなんですか!?おめでとうございます!」

「ありがとう!」


この前まで、まったく売れている様子はなかったのに、どうしたことだろう。

だが、今日は素直に喜べる。


「そんなに売れたなんて、すごいじゃないですか!」

「そうだろう!・・・まあ、この前モーティマー子爵が亡くなったおかげなんだけどね」

「え?」

「彼の死が、僕の描いた絵の内容とびっくりするくらい一致していたんだよ」


フィリップさんは、にんまりと笑った。

そういえば、先ほどメアリー様も同じことを言っていた。


「それで僕の絵が『予言の絵』だなんて噂されてさ。見物人が、どっと押しかけてきたんだ」


(・・・・・・それで売れたのね)

嬉しいのは分かる。

だが、それは他人の不幸の上に成り立った売れ行きだ。

内心で喜ぶのは自由だとしても、それをあからさまにするのは慎むべきだろう。


ふと隣を見ると、案の定ジュリアン様は眉を顰め、不快そうな表情を浮かべていた。


「新聞に載ったのも大きかったのかもしれない。アリスは読んだ?」

「いえ・・・。ごめんなさい、読んでいなくて」


ここ最近はアポロンを描き上げるのに夢中で、新聞に目を通す余裕はなかった。

探して読まなければならない。


「挿絵を描いたのは僕なんだよ!それも評判がよかったんだ」

「そ、そうでしたか」

「それがきっかけになったのか、数は多くないけど、何人かが買ってくれたんだよ。あっ、買ってくれたのは風景画だよ。死体の絵じゃないよ」


「・・・よかったですね」


フィリップさんは興奮しているのか、私のわずかな戸惑いには気づいていないようだ。

ジュリアン様の眉間の皺は、どんどん深くなっている。


「でも、こんなことなら、死体の絵を売らなければよかった」

「え?」

「まとめて買っていった人がいるんだよ。だから、モーティマー子爵の絵は、手元には残っていなかったんだ」


(・・・・・・・確かに、安かったものね)

新品のキャンバスを買うより安かった。

おそらく上から描き直すつもりだったのだろう。

そう考えれば、買われていったのも理解はできる。


「いや~、惜しかったなぁ。モーティマー子爵の絵を残していれば、金を取って見せることができたのにね。あの日、アリスが帰ってすぐに売れたんだよ」

「・・・そうなんですか」


フィリップさんは顎に手を当て、しきりに残念がっている。


(・・・こんな人だったかしら?)

フィリップさんは、自分なりの倫理観をきちんと持っていたはずだ。

死体を描くことを強いられ、悩み、罪悪感に苛まれて自分を責めてさえいたのに。


「でも、まだ少しは残っていたからさ。看板代わりに並べておいたら、見物に来る人が増えていったんだ」

「それは・・・」

「見る人が増えれば、その分評価されやすくなるからね!」


作品の評価は絶対ではなく「相性」に左右される。

母数が増えれば増えるほど、評価してくれる人に出会いやすくなる。


「・・・・・・そうですね」

「ようやく、僕の才能が認められる日が来たんだ!」


フィリップさんは両手を挙げ、晴れやかに叫んだ。


(・・・・・・・・・酔っているのね)

この妙に落ち着かず、陽気な態度。

そしてよく見れば頬はわずかに赤く、かすかに酒の匂いもする。

普段と様子が違うのも、納得だ。


「・・・・・・君は、人の死で商売するのか?」


浮き立つように言い募るフィリップさんの態度に、ジュリアン様はさすがに耐えかねたのだろう。

低く、咎めるような声で口を挟んだ。


「・・・・・こちらは?」

「ジュリアン・キャベンディッシュ様です」


フィリップさんは、一瞬だけ視線を向けた。

その名と佇まいから、相手が貴族だと悟ったに違いない。

ゆるやかに頭は下げはしたが、それは礼を尽くしたというより、形ばかりのものだった。


「不快にさせてしまったのなら、謝ります。でも、僕はモーティマー子爵と親しくしていたわけではないので」

「だからといって、人の死を売り物にするのは、人としてどうなのか」


ジュリアン様は、穢れたものでも見るかのように目を細めている。

軽蔑とも警戒ともつかない、冷ややかな視線だ。


「残念ですが、綺麗ごとでは食べていけませんからね。おかげで、僕は久しぶりにパン以外のものを口にすることができましたよ」


だが、その視線を跳ね返すように、フィリップさんはまっすぐ睨み返していた。

きっと彼自身も、自分の行いが手放しで称賛されるものでないとはわかっているのだろう。

それでも、生きていかなければならないとき、他人の尊厳にまで心を砕く余裕はない。


「ジュリアン様。そんなにフィリップさんを責めないでください」


思わず二人の間に割って入ると、ジュリアン様はわずかに視線を寄越した。

その瞳の冷ややかさに、胸の奥がすっと冷える。


「アリス様は、こんな男を庇われるのですか?」

「こんな男で悪かったですね。ですが、自分の生死がかかっているときに、倫理など何の役にも立ちませんよ」

「なんだと?」


ジュリアン様の声が低く沈む。


「働かずとも暮らしていける貴族とは違い、僕は平民なんです。利用できるものは、何でも利用します」


(フィリップさんの気持ちはわかる。わかるけど・・・)

その言葉はあまりに率直で、あまりにも剥き出しだった。

だが、人には建前というものがある。

わざわざジュリアン様の神経を逆なでするような言い方をしなくてもいいのに。


フィリップさんを止めようと口を開きかけたそのときーー彼は、吐き捨てるように言った。


「そうしないと、食べていけませんからね」


(・・・・・・・・・・・・確かに、そうね)

その一言が、胸に重くのしかかる。

義父に生活を支えられている私には、フィリップさんを真正面から責める資格などないのだ。


「それでも、人には守らなければならないものがある」

「理想を語るのは結構ですが、中身が伴っていなければ、空疎に聞こえますね」


フィリップさんは、ポケットからスキットルを取り出して一口あおった。

無造作に口元を拭う仕草に、ジュリアン様の眉が寄せられた。


「僕はあなたのような貴族に、都合よく扱われましたよ。支援を餌にして、僕の芸術への思いを踏みにじり、飽きたらゴミみたいに捨てた」


「それは君が・・・」

「僕が悪いとおっしゃるのでしょう?貴族は自分の基準にそぐわぬ者は、すぐに悪と断じる。だから僕は、もう我慢することは止めたんだ」


低く吐き捨てるように言うと、再びスキットルを口に運ぶ。

口元から、酒がわずかに流れ落ちた。


「自分の尺度を押し付けてくる連中に、どうして僕が合わせなきゃならないのさ。僕は、僕の基準で描く・・・生きるためにね」


酔ってはいたが、その目には確かな決意が宿っていた。

吐き出された言葉とともに、酒の匂いが重く漂う。


「高みの見物をしているだけの人たちに、とやかく言われる筋合いはない」


(・・・・・・それ、私もよね)

胸が、ずきりと痛む。

フィリップさんの言う『高みの見物をしているだけの人たち』の中には、きっと私も含まれている。


「・・・・・・フィリップさん、そんな言い方はやめてください」


私の表情に、何か感じたのだろうか。

フィリップさんは、はっとしたように口を押さえた。


「ごめん、アリス。・・・君は違うよ」

「いえ・・・」


「呼び止めなければよかったね。僕はここで失礼するよ」

「・・・・・・ええ。ではまた」


フィリップさんは、ジュリアン様を一瞥しただけで、足早に去って行った。

ジュリアン様は苦々しさを隠そうともせず、重いため息をつく。


「アリス様は、あのような男と友人なのですか?」


(・・・・・・友人、かしら?)

フィリップさんと会ったのは、まだ数えるほどだ。

それでも、志を同じくする者同士であるなら、友人と呼んでもよいのではないだろうか。

私は彼に、静かな親しみと共感を抱いていた。


「ええ、そうです」


顔を上げてそう言った瞬間、わずかにジュリアン様の眉が寄った。


「もちろん、フィリップさんの人の不幸を喜ぶような態度は、確かに軽率だったと思います。ただ、彼にも事情があるのです、パトロンのもとを追われ、生活に困っていたので・・・」

「それでも、亡くなったモーティマー子爵のおかげで儲かったなんて、言うべきではないですよ。あの男は死を悼むどころか、嬉しそうにしていた」


(・・・フィリップさんにとって、モーティマー子爵は縁もゆかりもない他人だしね)

名前こそ知っているというだけで、通りすがりの誰かと変わらない存在だ。

そのような相手の死を、心から悼めと言われても酷というものだ。


むしろ、その出来事によって自分の作品が売れたのなら、喜びが先に立ってしまったとしても無理はない。

亡くなったモーティマー子爵や遺族の胸中にまで思いを巡らせるほど、彼に心の余裕はない。


「アリス様、付き合う人は選ばないといけませんよ」


苦々しげに、ジュリアン様が静かに言葉を落とした。


「・・・・・・え?」

「軽々しく、あのような倫理観の薄い平民と親しくするのは、貴女のためになりません」

「あの、でも・・・フィリップさんは、普段はきちんとした人なんです」

「所詮は平民です。教養もないし、倫理観など期待できない」


あまりにも当然のような言い方だった。

胸の奥が、ひやりと冷える。


父の背中が、ふと脳裏に浮かんだ。

遅くまでキャンバスに向かい、荒れた手で私の頭を撫でてくれた人。

私たちの生活のために、精一杯働いてくれていた。


「・・・・・・でも、私には、平民である父の血が混じっています」


気づけば、言葉がこぼれていた。


貴族が「平民」というだけで見下すことがあるのは知っている。

けれど、ジュリアン様はどこか違うと思っていた。

分け隔てのない方だと、そう信じていた。


だからこそ、その言葉は胸に深く刺さった。


ジュリアン様は、はっとしたように目を見開く。

自分の失言に気づいたのだろう。

取り繕うように何か言おうとするが、もう聞きたくはなかった。


「今日は、これで失礼いたします」


「あ、あの、アリス様、私は・・・」

「申し訳ありません。用事を思い出したので」


「・・・・・・・・・・・・そうですか。お気をつけて」


それ以上、ジュリアン様は何も言わなかった。


(・・・・・・用事なんてないけどね)

ジュリアン様に背を向け、あてもなく歩き出す。

このまま沈んだ気持ちで家に帰れば、察しのいい義兄が何かあったのかと問い詰めてくるだろう。

それが今の私には、少し辛い。


気分を落ち着かせるため、もう少しだけ歩こうと川辺へ向かった。


堤防に立ち、川面を見下ろす。

夕焼けが水面に映り込み、あたり一面を橙色に染めていた。

その美しさに、ほんのわずかに救われる。


けれど、胸の奥の重さは消えない。


(・・・・・・どこへ行っても、中途半端だわ)

村では貴族の娘として距離を置かれ、王都では平民の血が混じる者として値踏みされる。

令嬢としても、画家としても、私はどこか足りない。


いっそフィリップさんのように、すべてを振り切ってしまえたなら、どれほど楽だろう。

信念なんて関係ない。

人の心に残すものを描けばいいと。


思わず深いため息がこぼれる。

そのとき、下の草むらの奥で、かすかに光が反射したのが目に入った。

そこだけ、草が妙に押し倒されている。


(・・・・・・・・・あれは、何?)

光のそばに、白い、人の肌のような色が見えた。


(・・・・・・見間違いかしら?)

堤防にはそれなりに人通りがある。

だが、誰一人気に留めている様子はない。

それでも、もし誰かが倒れているのだとしたら、放ってはおけない。


私は息を詰め、堤防を下りて草むらへと足を向けた。

草をそっとかき分け、足を踏み入れる。

せっかく整えたドレスの裾が土に触れるが、気にしている場合ではない。

気づいてしまった以上、確かめないわけにはいかないだろう。


恐る恐る近づく。


(・・・・・・・・・・・・どうしよう)

仰向けに、人が倒れていた。

日差しを浴びているせいか、頬にはかすかな赤みがさしている。


だが、開いた瞳は何も映さず、ただ虚空を見つめていた。

胸はもう、わずかにも上下しない。

白いシャツを染めたはずの血は、すでに黒く乾いている。


どこかで見た構図だ。

白い手袋、止まった懐中時計、投げ出された剣。

これは、決闘の場面だ。


そして、それを証明するかのように、同じ構図の絵が、わざわざ傍らに立てかけられている。


(・・・・・・・・・死んでいるわ)

倒れているのは、ガレット様だ。

人を呼ばなければと思うのに、声が出ない。足も動かない。

ただ、目だけが落ち着きなく動き、ガレット様の姿を焼き付けていく。




「あなた、先ほどからずっと立ち尽くしていらっしゃるけれど、大丈夫?」


背後から、穏やかな老婦人の声がした。


「・・・・・・・え?」

「何をご覧になっているの?」


「あ、見ない方が・・・」


覗き込もうとする老婦人の視線を遮ろうと身体を捻ったが、少し遅かった。

次の瞬間。


「き、きゃぁぁぁぁぁぁあ!!!」


老婦人の耳をつんざく悲鳴が、河原に響き渡った。



お読みいただきありがとうございました。

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