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恋を描けない伯爵令嬢 ーその絵は嘘をつかない  作者: 夏つばき


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20 その死は予言か、偶然か


不意に、扉が開いた。


「アリス様の声が聞こえたので、戻ってきました」

「まあ、ジュリアン!私だけでは戻ってくる気にならなかった、ということかしら?」

「叔母さんったら、そう虐めないでよ」


(・・・・・・戻ってきてくれてよかったわ)

部屋の空気が一気に和らぎ、胸の奥にあった小さな緊張も、そっとほどけていく。

先ほどまで感じていた、あのわずかな探るような視線も、今はもう気にならない。


(・・・大事な甥の将来を思えば、私がどんな人物なのか、確かめたくなるのも当然よね)

そう思えば、先ほどの視線も責められない。


「アリス様、ルーベンスの絵はいかがでしたか?」

「素晴らしかったです。長い時間拝見させていただき、ありがとうございました」

「本当にアリス様は、絵がお好きなのね」

「はい。素晴らしい絵があると聞くと、どうしてもこの目で見て見たくなるんです」


メアリー様は、大きく頷いた。


「わかるわ。私もそうだもの」

「叔母さんも、本当に絵が好きだよね」

「ええ、私は美しいものが好きですからね」


そう言って微笑んだメアリー様は、思い出したように顔を上げた。


「・・・そういえば、この前、グリムショー子爵のところで絵の品評会があったんですって」

「へぇ。グリムショー子爵は、絵がお好きなんだね。知らなかったよ」

「どうかしらね。ただ、自分の余裕さを見せつけたいだけではなくて?」


メアリー様の言葉には、あからさまに棘があった。

どうやら、グリムショー子爵のことはあまり好きではないようだ。


「レンブラントの絵を若手の画家に模倣させて、審美眼を競う遊びをしたそうよ。そんなことをするなんて、本当に絵がお好きだとは思えないけれどね」


(・・・感覚がまともそうでよかったわ)

あの場にいた招待客は、眉を顰めた者ももちろんいた。

だが、大部分は楽しんでいたようだった。


「それは、すいぶん酷いことをするね。その若い画家は、恥をかいただけで終わったんじゃないの?」

「そうみたいよ。おまけに、その夜会では、その画家が招待客たちの『最期』を描いた絵まで並べられていたとか。悪趣味よね」


「・・・本当に、悪趣味だな」


低い声で、ジュリアンが呟く。

彼は、あの催しを面白がる側の貴族ではないのだとわかって、胸の奥がわずかに温かくなる。


「そうなのよ。でもね、そこで披露された絵と、同じように亡くなった方がいるのよ」

「えっ?どなたですか?」


「モーティマー子爵。あの方、強盗に襲われて亡くなったそうよ」

「そうなのですか?」

「頭を殴られて、血を流して倒れていたらしいわ。財布がなくなっていたから、強盗でしょうね」

「モーティマー子爵は金持ちだったから、狙われていたのかもしれないね」


(・・・そういえば、あの日モーティマー子爵は会場にいたかしら?)

絵は見た。

だが、本人の姿は、あの場にはいなかったような気がする。


「ポーレート伯爵もびっくりしたわよね。グリムショー子爵の夜会の帰りに、見た絵と同じように亡くなっているモーティマー子爵を見つけたのだから」


「え?」

「状況がそっくりだったそうよ。だから、その絵を描いた画家は、予言して描いたのではないかって、今、ちょっとした話題なの」


オーロラ様を諭していたポーレート伯爵の姿が、脳裏に浮かぶ。

もし本当にモーティマー子爵が絵と同じ状況で亡くなっていたなら、それを目にしたとき、どれほど驚いたことだろう。


「くだらないな。モーティマー子爵が、日頃から多額の現金を持ち歩いていたのは、有名な話じゃないか。その画家だって、子爵が強盗に遭う可能性くらい想像できたはずだ」

「そうかもしれないけれど、着ていた洋服まで同じだったそうよ。新聞にもそう書いてあったわ」


(・・・・・・新聞)

アポロンを描くのに必死で、最近は目を通していなかった。

家に帰ったら、探して読んでみよう。


「叔母さんが言っているのは、モーティマー子爵の豪華な刺繍入りの上着のことだよね?」

「ええ、そうよ」

「彼はあの上着がお気に入りで、いつも身に着けていたじゃないか。殺されたときの服装と絵が一致していたからといって、予言したことにはならないよ」


殺され方と服装が同じ。

それでも、偶然の一致だろうか。


「でも、絵を描いた画家は、高名な占い師のお孫さんだったんですって」

「それが、何の関係があるんだい?」

「未来を見ることができるって、噂よ」

「そんなことあるわけないよ。そんな噂を信じるなんて、馬鹿げている」


きっぱりと言い切るジュリアン様。

どうやら彼は、噂話を面白がる類の人間ではないらしい。


「同じ状況が二度、三度続くなら、予言という話も多少は信ぴょう性を持つかもしれないけどね。でも一度似ていただけで『予言』だなんて言うのは、馬鹿げている」


「・・・そうね。賢いあなたが言うなら、そうかもしれないわね」


メアリー様は、わずかに視線を落とす。

自分の意見を退けられたと思ったのか、ほんの少し肩がしゅんと下がった。

ジュリアン様は、その様子を困ったように見つめていた。


「・・・そういえば、今日はアリス様のために、クッキーを用意してくれたんだよね」

「あ、あら!ごめんなさい。出すのを忘れていたわ。貴方たちがくると思って、朝から焼いたのよ。すぐお持ちするわね」


ぱっと表情を明るくして、メアリー様は部屋からいそいそと出て行った。

だが扉が閉まると同時に、ジュリアン様は頭を抱えた。


「どうしたのですか?」

「申し訳ありません。買ったものを用意しているとばかり思っていました」


ジュリアン様の言っている意味がわからず、首を傾げてしまう。


「実は、叔母はお菓子作りが趣味なんですよ」

「まあ、そうなのですね」


それでなんで頭を抱えるのだろう。


「珍しい趣味でしょう?本人は楽しいみたいで、よく作っているのですが」

「・・・そうなのですね」


(・・・・・・私にとっては普通だけどね)

その言い方に、ほんのわずかな呆れが混じっていた気がして、胸のどこかが小さく引っかかる。

使用人のいる貴族は、料理をすることはほとんどない。

けれど私は母の隣に立ち、よく手伝ったものだ。


「メアリー様の作るお菓子、きっと美味しいのでしょうね」

「それが。・・・時々、微妙なときがあるんですよ」

「え?」

「僕は慣れていますがね。作るのは好きでも、得意ではないようで」


(・・・・・・それを食べないといけないの?)

ジュリアン様の言い方だと、なんだかとんでもないお菓子が出てきそうだ。

一体どんなお菓子が出てくるのだろうかと、不安になる。


「でも、ご安心を。こういうこともあろうかと、紙袋を持ってきました」


ジュリアン様は悪戯っぽく笑いながら、鞄の中から紙袋を取り出して見せた。


「どうして紙袋を?」

「もし美味しくなかったら、叔母が席を立った隙に、さっとこの中へ入れるんです」

「まあ!」


あまりの用意のよさに思わず笑ってしまう。

ちょうどそのとき、メアリー様がクッキーを盆に載せて戻ってきた。


「あらまあ、二人とも楽しそうね」

「ええ。おかげさまで。・・・って、叔母さん、それはあんまりじゃないかな」

「え?だって、失敗作をアリス様に食べさせるわけにはいかないでしょう?」


ジュリアン様の皿には、見るからに形の悪い大きなクッキー。

私のお皿には、小さく綺麗に丸められた、いかにも「成功作」らしいものが載っている。


「でも、この差はずいぶん酷いよ」

「そう?でも、味は同じよ。さあ、二人とも召し上がれ」


「ありがとうございます。いただきます」

「・・・・・・いただきます」


ジュリアン様が苦笑いしながらクッキーをかじり、私もそっと口に運ぶ。


(・・・・・・残念ながら、味は微妙だわ)

粉っぽいし、甘さの後にわずかな金属の余韻が残る。

古い鉄鍋で焼いたのだろうか。

食べられないことはないが、好んで食べようとは思わない。


「どうかしら?」

「・・・美味しいです。ありがとうございます」


私が食べる様子を嬉しそうに見つめるメアリー様に、笑みを返す。

まさかここで「味見はなさいましたか?」なんて、聞けるはずもない。


だがジュリアン様は、私の賛辞が心からのものではないと、気づいたらしい。


「叔母さん、僕は、飲み物も欲しいな」

「あら、私としたことが忘れていたわ。やっぱりホリーがいないとだめね。ちょっと待っていてね」


慌てたように、メアリー様が部屋から出て行く。

扉が閉まると同時に、ジュリアン様は私の皿からクッキーを全て紙袋へ移した。


「あ、あの、別に大丈夫ですよ」


「気にしなくていいですよ。今日は、メイドのホリーが休みだったようです。そういう日は、大抵出来が怪しいんです。お口に合わないものを食べさせてしまい、申し訳ありませんでした」


「いいえ、そんなことはありません」

「不味くはないですが、美味しくもないですよね」


ジュリアン様は苦笑いしながら、自分の皿のクッキーも紙袋に入れた。

それから、少し考え込んでから私を見た。


「クッキーのお詫びといってはなんですが・・・」

「え?」

「今度は、私のお勧めのお店に行きませんか?」


(・・・・・・・・・今度)

それは、また私と会いたいという意思表示なのだろう。

ジュリアン様は嫌いでないし、別に断る理由はない・・・と思う。


「海の幸の美味しい店があるんですよ」

「・・・ええ、ぜひ」


そう返事をした途端、メアリー様が扉を開けて戻ってきた。

もちろんクッキーのおかわりも勧められたが、「もう十分いただきました」と、どうにか丁寧に断ることができた。


ジュリアン様とそっと視線が重なり、二人で小さく微笑んだ。



お読みいただきありがとうございます。

また、誤字のご指摘をしていただき、ありがとうございました。

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