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恋を描けない伯爵令嬢 ーその絵は嘘をつかない  作者: 夏つばき


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19/52

19 母の代わり


「初めまして。アリス・ブラックウッドです」

「あらまあ、なんて可愛らしいお嬢さんなんでしょう!初めまして、メアリー・サマセットよ」


ジュリアン様の叔母様は、柔らかな笑みを浮かべて歓迎してくれた。

ふくよかで穏やかに微笑むその姿は、まさしくルーベンスの描く女性そのものだった。


「嬉しいわ。ジュリアンがお友だちを連れてくると聞いたものだから、それはもう楽しみにしていたのよ」

「叔母さん、そんなことは言わなくていいから」

「あら!ごめんなさいね。つい興奮してしまって。だってジュリアンが女性のお客様を連れてくるのは、初めてなんですもの」


「叔母さん、いい加減にしてくれよ」

「はいはい、ごめんなさい」


(・・・仲がいいのね)

私の前では堅苦しい口調のジュリアン様が、メアリー様には砕けた様子で話しかけている。

微笑ましく見ていると、メアリー様は寂しげに微笑んだ。


「ジュリアンは母を早く亡くしたし、私は子どもがいないのよ。だから、この子は私の子どものようなものなの」

「そうなのですね」


(・・・・・・早まったかしら?)

ジュリアン様と会うのは、まだ二回目だ。

結婚する意志も固まっていないのに、メアリー様に会ってよかったのだろうか。


「アリス様は、絵がお好きなのでしょう?」

「ええ、そうなんです」


「好き」どころの話ではない。

私は、毎日どれだけの時間をキャンバスの前で過ごしているのだろう。


「私も大好きなのよ。アリス様は、どんな絵がお好きなの?」

「フェルメールが好きです」

「わかるわぁ。あの柔らかい光には、心を奪われるわよね」

「ええ、本当に」


メアリー様は、にっこりと微笑んだ。


「アリス様とは、話が合いそうで嬉しいわ」

「そう言っていただけて、私も嬉しいです」

「あとでお茶をご一緒しましょうね。アリス様のために、美味しいクッキーを用意したのよ」

「ありがとうございます」


メアリー様の私を歓迎する態度に、ほっと胸を撫で下ろす。

実は、こちらへ伺うと義母に告げたとき、義母はわずかに眉を顰めたのだ。


理由は、私の母の元婚約者が、メアリー様のご主人、サマセット伯爵だったからである。

昔のことだし、サマセット伯爵もすでに亡くなっている。

母が駆け落ちしたあと、失意に沈んでいた伯爵を慰めたのがメアリー様で、その縁で結婚に至ったという。


母が選ばなかった未来を、メアリー様が生きたのだ。


『メアリー様は、気にするような方ではないとは思うけれど』


そう言いながらも、義母はどこか不安そうな顔をしていた。


夫の元婚約者の娘。

私には、関係のない話のはずだ。

それでも、義母の不安そうな顔がちらつき、どこか落ち着かない。


「でも、うちにあるのは『ルーベンス』だけどね。主人の趣味だったのよ」

「いえ。巨匠ルーベンスの絵を拝見できるだけで、感激です」

「うふふ。そう言ってもらえると嬉しいわね」


豪華な色彩。

溢れんばかりの肉感と生命力。

それがルーベンスだ。


「『パリスの審判』は、彼の作品でも有名ですからね。叔母の自慢なんですよ」

「拝見できるなんて、本当に嬉しいです」

「いいのよ、気にしないで。さぁ、うちの家宝を見ていってちょうだい」

「ありがとうございます」


メアリー様が扉を開ける。

高い天井のホールには、ルーベンスの『パリスの審判』が堂々と飾られていた。


『パリスの審判』ーーそれは、誰が最も美しいかをトロイアの王子パリスが選ぶという物語である。

女神ヘラ、アテナ、そしてアフロディーテ。

柔らかな肌を光に包まれ、彼女たちは永遠の美を誇るかのように立っていた。


「・・・・・・・・・・・・どうかしら?」

「ええ、とても。・・・とても素晴らしいです。うまく言葉にできません」


感動のあまり、胸の奥でいくつもの感情が渦を巻き、言葉を紡ぐことができなかった。


「・・・・・・ゆっくり見てください。僕は、叔母と隣の部屋にいるので」

「そうね、そうしましょう」


絵に見入ったたままの私を気を遣ってくれたのだろう。

ジュリアン様は、そっと私を一人にしてくれた。


(なんて、なんて素晴らしいのかしら・・・!)

目の前の女神たちは、ただ美しいだけではない。

誇りと欲望と、選ばれることへの執念が、その肢体に宿っている。


私は、ただ見上げるだけで満足するのだろうか。


(・・・・・・・・・違うわ)

いつか、誰かの心をこれほど揺さぶる絵を描きたい。

見る者の呼吸を止め、言葉を奪う絵を。



絵に見入ってから、どれほど時間が経ったのだろう。

ようやく、ジュリアン様たちの待つ部屋へと向かった。

扉を開けると、メアリー様は一人で刺繍をしていた。


「長い時間拝見させていただき、ありがとうございました」


「いいのよ。堪能できたかしら?」

「はい、ありがとうございます。・・・あの、ジュリアン様は?」

「ほかの部屋で仕事をしているわ。こんな時くらい、久しぶりに会った叔母の相手をしてくれてもいいのにね」


「えっと・・・」

「ふふっ。冗談よ。あの子、いつも鞄に仕事の書類と印章を持ち歩いているの。忙しいのもあるけれど、きっと仕事が好きなのよ」


(・・・・・・私と一緒ね)

ジュリアン様は仕事に、私は絵に。

好きだからこそ、ずっと続けていけるのだ。

そう思うと、ほんの少しだけ、距離が縮まったような気がした。


「あの絵を持っていることが、うちの唯一の自慢なのよ。三女神、素敵だったでしょう?」

「はい。あの女神たちの中から一人を選ぶなんて、とても無理です。パリスにとっても、究極の選択だったでしょうね」

「そうよね。選ばされるパリスも災難だわ」

「しかも、女神たちが差し出したのは『権力』『勝利』『愛』ですもの。あれでは心も揺らぎます」


自分を選んでもらうため、女神たちはそれぞれに「贈り物」を提示する。

誰が、あの場で冷静でいられるだろう。


ほんの少し探るように、メアリー様は私を見つめた。


「・・・アリス様は、神話に詳しいのね」

「実は、子どもの頃から神話が好きだったんです。・・・よく本を開いていたので」


母が寝物語に、よく聞かせてくれた。

どんなに眉を顰めた一日であっても、その時間だけは優しかった。

だからだろうか。

母の声を思い出したくなると、私は神話の本を開く。


「・・・・・・ねえ、もしかして、貴女のお母様はマヤ様?」


「はい、そうです」

「やっぱりね。マヤ様も神話に詳しかったわ。私もよく教えていただいたのよ」


懐かしむように、メアリー様は私の顔を見つめ、ふっと微笑んだ。


「アリス様は、お顔がマヤ様にそっくりだわ」


(・・・やっぱり来ないほうがよかったかしら?)

メアリー様は微笑んでいる。

けれど、その目の奥までは笑っていないような気がした。


「マヤ様は、私の憧れだったのよ」

「そうだったのですか?」

「ええ。とてもお綺麗でね。夜会に現れれば、その場にいる男性の視線は全てマヤ様に向かうの。それが・・・少し羨ましくて」


(・・・・・・本当に憧れていたの?)

憧れと言いながら、その声の奥にわずかな棘が残っているように思えた。

そっと視線を落とすメアリー様の本心は、残念ながら読めなかった。


「マヤ様は、不幸なことになってしまったと風の噂で聞いたわ。お悔やみ申し上げるわ」

「・・・事故で亡くなったのは悲しいですが、母は、父と一緒になれて幸せだったと思います」


母の本心は、わからない。

けれど、誇り高い母だ。

たとえ後悔はあったとしても、不幸だったとは決して言わなかっただろう。


「そうよね。マヤ様は一途な方のように見えたもの。やっぱり、蠍座だからかしら?」


「『蠍座だから』ですか?」

「ええ。星占いでは、蠍座は一途だと言われるでしょう?」

「確かに、そう言われるみたいですけどね」


(・・・・・・執着心が強いとも言われるけどね)

メアリー様は、星占いが好きなのだろうか。

それとも、星占いにかこつけて何かを探ろうとしているのだろうか。


「アリス様も、お母様に似ていらっしゃるのかしら?」


その問いに、胸がわずかに強張る。


「・・・どうでしょう。私は『蟹座』ですし」


できるだけ、軽く答える。

とりあえず、星座の話に戻しておこう。

下手に母のことに踏み込まれたくない。


「まあ、そうなの?私は『射手座』よ」


メアリー様に、特に意図はなかったらしい。

にこやかに星座の話に乗ってきた。


「そうなんですね。射手座は、行動力があると聞きました」

「楽観的で無責任とも言われるけどね。でも、いいのよ。私は自分の性格が気に入ってるの。思い立ったら動くの。後悔するよりは、ずっといいからね」


メアリー様の言い切る声は、迷いがなかった。


(・・・・・・母とは、また違う強さがあるわ)

一途に燃え続ける炎ではなく、風のように軽やかに方向を変えられる強さがある。


もしこの方が本気で何かを選び、何かを手放すと決めたなら、きっと躊躇わないだろう。

一見柔らかいが、本当に強いのはこんな人のように思えた。



お読みいただき、ありがとうございました。

絵の解釈については専門外のため、至らない点もあるかと思いますが、ご理解いただけますと幸いです。

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