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恋を描けない伯爵令嬢 ーその絵は嘘をつかない  作者: 夏つばき


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16 真贋と、踏み出せない一歩


グリムショー子爵の声だ。

低く、よく通る声がざわめきを一瞬で押さえ込む。


「皆様、お待たせいたしました!本日お約束しておりました、レンブラントの『エウロペの誘拐』を披露いたします!」


グリムショー子爵の張りのある声に、招待客たちが一斉に振り向く。

先ほどまでのざわめきが、嘘のように収まった。

使用人たちが、慎重にキャンバスの前へと進み出る。


(・・・・・・え?)

白布をかけられたキャンバスは、一枚ではない。

二枚並んでいる。


「・・・二枚?」


『エウロペの誘拐』は一点のはずだ。

なぜ、二枚あるのか。

ホールの空気が、ぴんと張り詰める。


子爵は満足げに微笑み、ゆっくりと腕を広げた。


「ですが、ただお見せしても、面白くないと思いましてね。皆様にお楽しめるいただける趣向を、ご用意いたしました」


「まあ、なにかしら?」

「何だろうな?」


招待客たちはグラスを傾けながら、期待に満ちた視線を交わしている。

その視線が集まる中、フィリップさんは絵の横に静かに立った。


「どちらが真贋か。・・・・・・どうぞ、お楽しみください!」


子爵が指先を鳴らす。

使用人が、白い布を一斉に引き払った。

その瞬間、室内に小さなどよめきが走る。


そこに現れたのは、同じ構図の『エウロペの誘拐』が二枚。


白い牡牛に姿を変えたゼウス。

驚きながらもどこか運命に引かれるエウロペ。


光の差し方も、色の重なりも、筆致の流れも。

一見して、違いが分からない。


絵のあまりの美しさに息を呑んだのか。

それとも、あまりにも酷似していることに驚いたのか。


招待客たちの間から、次々と囁きが波のように揺れた。


「どっちが本物だ!?」

「見分けがつくのか?」

「まったく同じに見えるぞ」


(・・・・・・・・・でも、きっとすぐに気が付くわ)

私たちの立っている場所は、会場の端。

決して、近くはない。

それでも、わかる。


「・・・・・・あれが、本物です」


思わず、そう呟いていた。


「アリスちゃん、どちらが本物かわかるの?」

「左ですね」


間髪入れずに答えると、ルーク様が目を瞬いた。


「即答だね。どうして?」

「『どうして』って。見ればわかるじゃないですか」


似ているようで、全然違う。

並べて見たら、その力量の差は明らかだ。


「・・・・・・素人の俺にもわかるよう教えてくれる?」

「左は光源が自然で、人物にしっかり立体感があります。でも、右は影が硬いです」

「影が硬い?」

「はい。光を『置いている』感じなんです。本物は違います。光が空気の中に溶け込んで、人物の内側から浮かび上がるように見えます」


ルーク様は腕を組み、じっと見つめる。


「それから肌の色彩も違います。左は赤みや黄みが何層にも重なっていて深みがあります。でも、右は平坦です」


「なるほどね。右はなんとなく、ぼんやりして見える」

「見る者の視線を意識してるんだと思います。本物は、視線が集まる顔と手を緻密に描いています」


そう口にした瞬間、すっと横に人の気配を感じた。


「アリス様は、素晴らしい審美眼をお持ちですね」

「・・・・・・・・・・!」


グリムショー子爵だった。

気配を消し、招待客たちの様子を窺っていたのだろうか。

足音は、まったくしなかった。


「もしかして、アリス様は絵をお描きになるのですか?」

「いや、彼女は描かない。見るだけだ」


値踏みするような視線を前に、ルーク様が私を庇うように一歩前に出る。


「そうですか。いや、あまりにも的確でしたので、驚いたのですよ」

「たまたまです」

「そうですか。ですが、他の方に聞かれるといけませんので、これ以上はお話にならないでいただけると助かります。折角の趣向が台無しになりますからね」


「・・・・・・ええ。わかりました」


グリムショー子爵は、何事もなかったかのようにその場を離れていった。

ただ、歩きながらも、彼は招待客の様子をさりげなく観察している。


(・・・それにしても、まだ本物がわからないの?)

招待客たちはお互いに顔を見合わせ、代わるがわる絵に近づき、目を細めて見入っている。


やがて、低い囁きが波のように広がっていく。


「左だろう」

「いや、右だな」

「そうか?よく見ろ、全然違うじゃないか」


「右は絶対に偽物だ。賭けてもいい」

「俺は右に賭ける」

「じゃあ、私は左にしようかしら」

「俺は、断然右だね」


声は次第に強さを増し、まるで賭場のように熱気が上がっていく。

そんな中で、絵の傍らに立つフィリップさんだけが、別の空気に取り残されていた。

顔は青ざめ、先ほどの絵と同じく、まるで処刑台を前にした罪人のように、ただ立ち尽くしている。


(・・・・・・これ、どうなるの?)

レンブラントが巨匠であることは、誰もが認めるところだ。

もしフィリップさんの絵がそれと遜色ないと認められれば、彼の評価は跳ね上がる。

だが、ひとたび贋作だと断じられれば、その瞬間、彼の画家としての命は絶たれる。


「絶対に左だ」

「・・・・・・よく見れば、確かに左だな」

「光が違う。右は偽物だ」


本当に見極めているのだろうか。

それとも、誰かの言葉に流されているだけなのか。

やがて、右が偽物だと断じる声が増え始めた。


そのざわめきが耳に届いているのか、フィリップさんの顔には、絶望の色が浮かんでいる。


「皆様」


張りのある声が、ざわめきを切り裂いた。

グリムショー子爵が、ゆっくりと両手を広げる。


「そろそろ、答え合わせと参りましょう」


会場が、しんと静まり返った。

しんと静まり返った中で、誰かの喉が、ごくりと鳴った。


「左がレンブラントで、右が私の隣にいるフィリップの作でございます!」


一瞬の静寂のあと、会場がどっと沸いた。


「おおっ、当たったぞ!」

「君は、外しただろう?」

「それにしても、あの若い画家はすごいな。そっくりだったぞ」

「君の目は節穴か?全然違うじゃないか」

「私は、最初からわかっていたよ。ただ、偽物も上手く描けていたって言っただけさ」


当てた者は誇らしげに、外した者は照れ隠しに笑い、それぞれに感想を言い合っている。

招待客のどの顔も、楽しそうだった。

フィリップさん以外にとっては、とても楽しい遊びだったに違いない。

会場は、絵の話で盛り上がっていた。


けれど、その喧騒の中で、私は聞き逃さなかった。


チッ。


短い舌打ち。

声の主は、主催者のグリムショー子爵。

一瞬だけ歪んだその横顔には、歓声を喜ぶ色はない。


(・・・・・・何を期待していたの?)

もっと多くの者が外し、互いを嘲りあう展開を期待していたのか。

高位貴族たちが本物を見抜けない様を、高みから見下ろし、ほくそ笑むつもりだったのか。


先ほどの死体の肖像画といい、他人をわざと不快にさせるその発想。

彼の遊びは、どこか歪だ。

そしてそれは、ひとりの画家の人生を容易に狂わせる。


「期待の若手画家って言っても、大したことなかったな」

「本当だな。全然だめじゃないか」

「所詮、変わった絵を描いて注目されようとしただけの、才能のない画家だったんだよ」


会場は、だんだんとフィリップさんを貶し始めてきた。

先ほどまでは賞賛の対象だったはずの若い画家に向けられるその視線は、あまりにも冷たく、露骨だ。


対するフィリップさんは、ただうなだれている。

両手をぎゅっと握りしめ、視線を床に落としたまま、一言も発さない。


そんなフィリップさんに、ふいに柔らかな声がかけられた。

淡いアイスブルーのドレスを纏った、清楚な美少女だ。

つい先ほどまで、父親の腕に縋りつき、怯えるように絵を見つめていた令嬢だ。


「フィリップさん、元気を出してください」

「え、ええ」

「見抜かれはしましけれど、フィリップさんの絵は素晴らしかったですよ」


「・・・・・・オーロラ様にそう言っていただけると嬉しいです」

「私には、本物そっくりに見えましたわ」


その無垢な言葉に、周囲の空気がわずかに揺れる。

彼女に悪気など一切ない。

だからこそ、残酷だ


「・・・・・・その言葉、慰めにはなってないわよ」


小さく呟いたのは、スカーレット様だったかもしれない。

あるいは、私自身の声だったのか。


『本物そっくり』

それは賞賛であり、同時に「本物ではない」という烙印でもある。


その様子を、少し離れた場所から赤毛の青年が睨んでいた。

先ほど使用人に声を荒げていた男。ーーガレット様だ。


「ふん。こんな絵、暖炉の焚きつけにでもした方が、よほど役に立つ」


(・・・フィリップさんに、わざと聞こえるように言ったわね)

ガレット様の目には、露骨な軽蔑と苛立ちが浮かんでいる。


嫌悪か。

それともーー別の感情だろうか。


背中を丸め、俯むいていたフィリップさんが、ゆっくりとガレット様へと振り向いた。

その瞳には、暗い炎が宿っている。


(・・・・・・まずいわね)

二人のあいだで、音もなく火種が燻ぶり始めているのが、ここからでもわかる。

それでもオーロラ様は気づかぬまま、フィリップさんへ柔らかな笑みを向けたままだ。


そこへ、一人の上品な紳士がオーロラ様に歩み寄る。


「オーロラ。レンブラントの絵も見たのだから、そろそろ帰ろう」


穏やかな声音。

だが、その奥には有無を言わせぬ響きがあった。


「お父様、もう帰るのですか?」

「ああ。あんまり遅くなってはいけない」

「そんな・・・」

「お前がどうしてもレンブラントが見たいというから、連れて来ただけだ。目的は達した。もう帰らねばならん」


やんわりとした口調とは裏腹に、その手は娘の腕をしっかりと掴んでいる。


(・・・きっと、レンブラントは口実よね)

オーロラ様の目的は、別にある。

父親に諭されながらも、彼女は何度もフィリップさんへ視線を向けていた。


だが、父親にとっては、平民の、しかも死体や贋作を描く画家など、娘を近づけたい相手ではない。

ましてや今や、フィリップさんの名誉は地に落ちている。


「オーロラ、帰るぞ」


オーロラ様が振り返り、一瞬だけフィリップさんと目が合ったように見えた。

何か言いたげに唇を動かすけれど、その言葉が形になる前に、紳士は娘の腕を引くようにして部屋を後にした。


フィリップさんは、一瞬だけ片足を前に出した。

だが、次の一歩は踏み出せない。

閉ざされた扉を、ただ見つめている。


身分、名声、金。

そのどれか一つでもあれば、フィリップさんは踏み出せたのだろうか。



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