15 死を描く技法
「ルーク様は、この絵をどうお思いになって?」
背後から、艶やかな声が響いた。
振り返ると、深紅のドレスをまとったスカーレット様が立っている。
その姿は絵よりもなお鮮烈で、思わず目を奪われるほどに美しかった。
「綺麗だよ。でも、生きている君のほうが数倍綺麗だ」
「あら。お世辞でも嬉しいわ。さすがはルーク様ね」
軽やかに笑い、スカーレット様は再び絵へと視線を落とす。
「でもね。私、この絵に描かれて自分も、嫌いではないのよ」
「そうなのか?」
「ええ、むしろ好きだわ。まるで私自身が、一つの作品に仕立てられたみたい」
よく通る高い声だった。
「どうかな。この絵に意味があるとは思えないけど」
「意味なんて、なくてもいいんじゃない?心を動かされた時点で、それはもう価値があるのよ」
その言葉に、室内の空気がわずかに変わった。
嫌悪に満ちていた視線が、芸術を見つめるものへと移り変わっていく。
「ありがとうございます!」
それまで居心地悪そうに立っていたフィリップさんの顔が、ぱっと明るくなった。
承認を求める子どものような、あからさまな安堵。
その様子に、ルーク様がわずかに眉を顰める。
「どうして、この構図なのですか?」
私が問うと、フィリップさんは一瞬ためらい、それから答えた。
「私には・・・スカーレット様が、そのように見えたものですから」
「え?」
「美しい方には、美しい最期が似合うと思いまして」
「まあ!あなた、わかっているじゃない。若くて美しいうちに死ぬのが、私の理想なの。どうせなら、この絵みたいにドラマチックにね」
(・・・・・・・・・死んだら、同じよ)
どんな美人でも、やがてその体は冷たく、硬くなり、そのまま朽ち果てていくだけだ。
劇的な死は、人の記憶に強く刻まれる。
だが、その先に待つものは、何もない。
生きてこそ、人生だ。
私は思わず眉を顰めたが、スカーレット様は満足そうにうなずいた。
「いいわ。この絵、私が買ってあげる」
「お買い上げ、ありがとうございます」
フィリップさんは肩を上下させ、ほっと息をついた。
その顔には、隠しきれない歓喜が浮かんでいる。
自分の描いた絵がどんな題材であれ、認められ、金を払われる。
それは画家にとって、何よりの肯定だろう。
喜ぶべきことのはずなのに、胸の奥がほんのわずかに、ちりりと痛んだ。
ーー多分私は、フィリップさんに嫉妬している。
そのとき、遠くから鋭い声が響いた。
呼びかけというより、命令に近い響きだった。
「フィリップ!ラッセル侯爵が、お前に話を聞きたいそうだ」
フィリップさんは、条件反射のように振り向いた。
「あ、は、はい!すぐ参ります!・・・では、私はこれで失礼します」
頭を下げると、彼は慌てたようにグリムショー子爵の元へ駆け寄っていく。
フィリップさんを見送るスカーレット様の瞳に、ふと暗い影が差した。
先ほどまでの華やかな微笑みは消え、ほんの一瞬だけ、何かを諦めたような色が浮かぶ。
「パトロンの顔色をうかがわなければならないから、あの子も大変よね」
「そうだね」
「あの人は、お金さえ払えば、何をしても許されると思っているからね。同情するわ」
支配する者と、支配される者。
金でつながれた関係。
それは、あの二人だけの話なのだろうか。
胸の奥に、重いものが沈み込む。
だが、それを表に出すことなく、スカーレット様に向き直る。
「ご挨拶が遅れて申し訳ございません。アリス・ブラックウッドと申します」
「ああ、この間劇場でお会いしたわね。スカーレット・テイラーよ。よろしくね」
彼女は優雅に微笑んだ。
目元に刻まれたわずかな皺が、むしろその美しさに深みを与えている。
若さだけでは持ち得ない、完成された色香だった。
「スカーレット様にお目にかかれて光栄です。今日は絵の勉強のため、ルーク様にお連れいただきました」
「あら、そうなの」
一瞬、スカーレット様の視線がルーク様へと流れる。
(・・・誤解のないように、言っておかないとね)
もしこの二人が特別な関係だとしたら、私はとんだお邪魔虫ということになる。
「あ、いや。スカーレットと俺は友人だよ」
ルーク様は慌てたように言うが、どうでもいい。
スカーレット様は、興味深げに私を見つめてきた。
「あなたも絵を描くのかしら?」
「はい。もしスカーレット様さえよろしければ、私のモデルになっていただけませんか?」
まさか私がそんなことを言うとは、思っていなかったのだろう。
スカーレット様は、ぱちぱちと忙しく目を瞬かせた。
「え?私を?」
「はい。スカーレット様の、光を宿したような美しさを描き留めたいと思いまして」
その瞬間、スカーレット様の微笑みがふっと消えた。
だがすぐに、彼女は何事もなかったかのように、くすりと笑う。
「ふふっ、おかしなことを言うわね。私でいいのかしら?」
小さく首を傾げ、髪に挿した花に指先を添える。
その何気ない仕草さえ、ひとつの絵のようだった。
妖艶で、気まぐれで、光をまとった人。
その光は、彼女の誇り高さから来るのか。
それとも、光を求め続けるからこそ、これほどまでに輝くのか。
「ぜひ、お願いしたいのです」
「アリスちゃんは、君を見て『ユディト』を想像したそうだよ」
「まあ!『聖女ユディト』ってこと?」
「ええ。揺るがぬ意志を宿した瞳と、毅然と立つ姿。それこそが、私にとっての『ユディト』です」
ユディトは画家によって、まったく異なる姿で描かれる。
か弱く繊細な聖女として。
敵の首を持ち上げる逞しい女性として。
あるいは、静かな気品を湛えた貴婦人として。
だが、私にとってのユディトは違う。
男性を虜にする妖艶な美しさを持ち、自らの傷を厭わず、他者のために立ち上がる意志を持つ存在。
ゆえに気高く、血に濡れてなお、その美は揺るがない。
「ふふっ、ふふふっ。ルーク様は、面白いお嬢さんを見つけてきたものね」
「そうだろう?」
「いいわ。モデルになってあげる。今度、私の家へいらして」
「ありがとうございます!」
ふわり、とスカーレット様は口角を上げると、すっとルーク様の耳元へ顔を寄せた。
その横顔は、あまりにも近い。
流し目だけをこちらに寄越し、そのままルーク様の耳元で、艶やかに囁いた。
「いい子じゃない。大事にしなさいよ」
「そんな関係じゃないよ」
「ふふっ、ルーク様のことはよくわかってるわ。多分、貴方よりね」
揶揄うように言い残し、スカーレット様は別の紳士のもとへ軽やかに去って行った。
上機嫌な背中が、人混みに紛れていく。
それを見送りながら、ルーク様は小さく、しかしはっきりとわかるほどに、苦々しげなため息をついた。
「ごめんね、アリスちゃん。こんな絵が飾ってある場所に君を連れてきてしまって」
「いいえ、構いませんよ。だって、レンブラントを見せてくださるのでしょう?」
「ああ、本人もそう言っていたし、間違いないと思うよ。グリムショー子爵は、それを口実に人を集めたんだ。さすがに、この死体の絵を見せて終わりということはないはずだ」
私はもう一度、壁に掛けられた絵へと視線を向ける。
「確かに悪趣味かもしれません。でも、この死体の絵も勉強になります」
「勉強?」
「ええ。内容はともかく、技術は確かです。光の扱い方、血の色の重ね方、肌の質感・・・。とても丁寧に描かれてます」
悪趣味だろうが、関係ない。
技術的な面だけなら、この絵は一級品だ。
「学べるものは、少しでも学びたいのです」
死を前にしても、私は描く側でありたい。
たとえ、それがどれほど不快なものであっても。
絵に歩み寄り、血の描写や陰影の重なりを注意深く見つめる。
(・・・・・・この顔、知ってるわ)
夜会で一度顔を合わせたことのある、モーティマー子爵だ。
絵の中での彼は石畳に横たわり、頭部から血を流している。
強盗にでも襲われたのだろうか。
帽子が傍らに転がり、片手は虚空をつかむように伸ばされたままだ。
その表情は、驚きに満ちていた。
自分の命が唐突に絶たれたことを、まだ理解しきれていないような、そんな顔。
その目は、まだ何かを見ているようだった。
(・・・どうして、こんな表情が描けるの?)
ただ想像しただけで、ここまでの真実味が出せるものなのか。
胸の奥に、言いようのないざわめきが広がる。
(・・・まるで、実際に見たかのようね)
そう思ったその瞬間、ホールの空気を震わせるような、大きな声が響き渡った。
お読みいただき、ありがとうございました。
作中のユディトで参考にした絵は、「ホロフェルネスの首を斬るユディト」カラヴァッジョ作と「ホロフェルネスの首を持つユディト」フェーデ・ガリツィア作、「ユディト」ジョルジョーネ作です。
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