14 予言の絵
立派な公爵家の馬車に揺られながら、どこか落ち着かない気持ちでいると、ルーク様が不意に声をかけてきた。
「そういえば、突然の誘いだったけど、ご家族は心配していないかな」
「大丈夫ですよ。ルーク様は信用があるので」
「・・・・・・そう。それなら良かった」
義父は、ルーク様が一緒だと聞くと、快く送り出してくれた。
観劇に行って遅くなった日は、家まで送ったうえで、義父に遅くなったことを丁寧に詫びてくれた。
公爵邸へ遊びに行けば、断っているにもかかわらず、帰りは理由をつけて家まで送ってくれる。
先ほども、わざわざ義父に挨拶をしてくれた。
普段はどこか軽やかで、冗談も多いルーク様だが、義父たちの前に出ると、きちんと大人の対応をする。
声の調子は落ち着き、言葉を選びながら丁寧に話す。
決して取り繕っているのではない。
相手をきちんと尊重しているのが、伝わってくるのだ。
だからだろうか。
義父は心配することもなく、笑顔で送り出してくれた。
「でも、ごめんね。誘っておいて悪いんだけど、今日招いてくれたグリムショー子爵は、ちょっと癖が強いんだよね」
「癖が強い?」
「事業が上手くいってるのもあるんだろうけど、自慢家でね。少し傲慢なんだ」
「ああ、そうなのですね。別に構いません」
どうせ、ほんの少し挨拶を交わすだけだ。
「・・・嫌じゃないの?」
「レンブランドを見せてくださるのなら、そこに人間性は問いません」
「ははっ、アリスちゃんは本当にぶれないね。そういうところ、好きだよ」
「ありがとうございます。見せてくれる方の品性は問いません。絵が見られれば、それで満足です」
「そう。それならよかった」
「それ以外に、価値はありませんから」
そう言った瞬間、馬車がゆるやかに止まり、扉が外から開かれた。
ルーク様は軽やかに先に降りると、こちらを振り返り、わずかに口元を緩める。
そのまま、当然のように手を差し出した。
「どうぞ」
その一言とともに差し出された手は、躊躇いがなく、それでいて押しつけがましさもない。
きっと、こうして女性をエスコートすることに慣れているのだろう。
私は一瞬だけ躊躇ったが、その手を取る。
指先が触れた瞬間、するりと引き寄せられ、気づけば地面に降り立っていた。
余裕すら感じさせるその所作に、思わず呆れてしまう。
(・・・・・・やっぱり遊び人だわ)
こんなふうに自然に距離を詰めてくるから、勘違いする女性も多いのだろう。
エレノア様が、お兄様に泣かされた女性は数知れずと言っていたが、あながち誇張でもなさそうだ。
じとりとした視線を向けると、ルーク様はそれに気づいたのか、わずかに肩をすくめて苦笑いした。
「どうしたの?」
(・・・・・・わざと?)
自分の振る舞いが女性にどう受け取られるのか、理解しているのだろうか。
無自覚であれ、意図的であれ、いずれにしても質が悪い。
「いえ、別に」
「そう。じゃあ、行こうか」
そうして何事もなかったかのように、ルーク様はグリムショー家の扉を叩いた。
「ウィンダム家のルークだ。今夜の夜会に招かれている」
「お待ちしておりました。どうぞこちらへ」
(・・・・・・・・・すごいわね)
通された屋敷に並ぶ調度品は、どれも一流だとわかる品ばかりだ。
ただ、所狭しと飾り立てられているせいで、どうしても成金めいた印象は否めない。
(・・・グリムショー子爵は、先見の明があったのね)
義父の話によれば、十年ほど前に海運業へ大胆に投資し、ひと財産を築いたのだという。
だからこそ、レンブラントの絵を手に入れられたのだろう。
「こちらのお部屋でございます」
「ありがとう」
扉が閉まった瞬間、思わず息を呑んだ。
(・・・・・・どういうこと?)
通された部屋の壁一面に飾られていたのは、人物画だった。
だが、そのどれもが「死」を描いている。
女も男も、老いも若きも関係ない。
皆、目を閉じているか、あるいは虚ろな瞳で命の気配を失っていた。
まるで、この部屋だけ時間が止まっているようだった。
「これは・・・・・・」
「ウィンダム公爵様、ようこそおいでくださいました」
ゆったりとした声が背後から響く。
振り向けば、口髭を生やした男が大柄な男を従えて微笑んでいた。
「グリムショー子爵。今日はレンブラントを見せてくれるというから伺ったのですよ。これはどういう趣向ですか?」
ルーク様は表面上こそ穏やかだが、その声色には明らかな不快が滲んでいる。
グリムショー子爵は悪びれる様子もなく、にやりと笑った。
「いやはや。驚かせてしまいましたかな。これは失礼を」
「ご婦人もいらっしゃるというのに、あまり感心できる趣味とは思えませんがね」
周囲の招待客たちも、険しい表情で絵を眺めている。
あちこちから、低く押し殺した非難の声が漏れていた。
「失礼しました。まさか、ルーク様が若いご令嬢をお連れになるとは思っておりませんで」
値踏みするような視線が、ゆっくりとこちらをなぞる。
まるで絵を見るかのように。ーーいや、品定めをするかのように。
「ご紹介いただいても、よろしいですかな?」
「・・・ブラックウッド伯爵家のアリス嬢だ」
「初めまして。レンブランドの絵を拝見できると伺い、参りました」
「これはまた綺麗な方だ。ええ、後ほどお目にかけましょう、どうぞ楽しみにしていてください」
グリムショー子爵は、口髭の下でゆっくりと唇を歪めた。
それは笑みとも冷笑ともつかない表情で、背中にぞくりとしたものが走る。
彼はゆっくりと、周囲に飾られた絵を見渡した。
「ご令嬢には、少々刺激が強すぎましたかな」
「いえ・・・」
そう思うなら、展示するべきではないだろう。
会場には、年若い令嬢が父親の腕にすがりつきながら、怯えるように絵を見ている。
当然ながら、その父親の表情は険しく、視線には露骨な嫌悪が滲んでいた。
「ですが、実は、これには理由がありましてね」
「理由、ですか?」
「私は、優秀な若い画家の支援をしているのですよ。・・・ほら、挨拶しなさい」
グリムショー子爵に、影のように付き従っていた青年が、一歩前に出てぎこちなく頭を下げた。
「フィリップ・コリンズです。以後、お見知りおきを」
がっしりとした体格。
鍛えられた腕と広い肩幅。
だが、伏し目がちな目元はどこか怯えているようで、声も小さい。
「彼はなかなか芽が出ませんが、才能は確かなのですよ。本日は多くの方をお招きしておりますし、フィリップが発表の場が欲しいと申すものですから、この夜会を利用させてやろうと思いましてね」
「それが、この『死体の絵』ですか?」
ルーク様の声は低い。
こんな催しのある夜会だとは思っていなかったのだろう。
「ええ。死は誰しも避けては通れないものです。皆様も、ご自分の最期がどのようなものか、少なからず興味がおありでしょう?」
グリムショー子爵は、楽しげに目を細めた。
「しかし、いくら何でも悪趣味だ」
「ははっ、そうでしょうか?ですが、このくらい刺激があった方が面白い、とフィリップが申すのですから」
フィリップさんは顔を上げ、一瞬だけ、非難するような視線をグリムショー子爵へ向けた。
(・・・子爵は、嘘つきね)
これは、フィリップさんの意志で描いたものではないのだろう。
描かせたのは、グリムショー子爵だ。
「それに、どうかお怒りにならないでください。皆様だけでなく、私も描かれております」
「ご自身も、ですか?」
「ええ、もちろん」
子爵の笑みが、ゆっくりと深まる。
「死は平等ですからな」
その言葉は冗談のようで、まるで宣告のようにも聞こえた。
視線を巡らせて探して見れば、確かにグリムショー子爵の肖像画もあった。
片手にはワイングラス。
その手からこぼれ落ちた赤い液体が、白いクロスをゆっくりと染めている。
子爵は、札束が詰まれたテーブルに突っ伏していた。
顔は横を向き、瞳は半ば開いたまま。
口元には、かすかな泡。
(・・・・・・毒でもあおったのかしら?)
自殺か、それとも他殺か。
どちらにしろ、ぞっとする光景だった。
「なかなか酷いものでしょう?どうして私の最期をこう描いたのか、フィリップを問い詰めたほどですよ」
グリムショー子爵がフィリップさんへと視線を向ける。
すると彼は、意外にも、はっきりした声で告げた。
「そう感じたものですから」
「感じた?」
思わず聞き返すと、一瞬、場が静まり返った。
その場の空気を楽しむかのように、グリムショー子爵が低く笑う。
「彼は、高名な占い師の孫なのですよ」
「そうなのですか?」
「ええ。だから『未来が見える』のだそうです」
子爵は愉快そうに肩を揺らすが、フィリップさんはすぐに視線を床に落とした。
嘘か、本当か。
いずれにせよ、気分のいいものではない。
「俺は、占いを信じないんでね」
「そうですか。それは残念です」
グリムショー子爵は、薄く笑みを浮かべたままだ。
ルーク様が目を細めてフィリップさんを見ると、彼はびくりと肩を震わせた。
「この絵は、君にとって本当に描きたかったもの?」
「そ、そうです。命が去った瞬間こそ、真実の姿が見えると思いまして」
フィリップさんの声はかすれ、額には汗が滲んでいる。
言い切れないのは、どこか後ろめたさがあるからだろう。
「ふぅん。じゃあ君は、この絵が真実だと言ってるの?」
「わ、私は・・・見えたものを、そのまま描いただけです」
その一言で、会場がざわめいた。
「さっきも言ったけど、俺、占いは信じないんだけど」
「し、信じていただく必要はありません」
「・・・じゃあ、この絵のように死ぬ、と?」
「い、いえ、そんなことは。・・・生き方次第で、未来は変えられます」
「どちらにも取れる言い方だね」
だがその曖昧さこそが、かえって興味を煽ったらしい。
招待客たちは俄然色めき立ち、壁に並ぶ絵の中に「自分の最期」がないかと、次々視線を走らせ始める。
それぞれが自分の描かれた絵がないか、探し回っている。
「ご不快にさせたのなら、お詫びします。ですが・・・」
フィリップさんは一瞬ためらい、それでも顔を上げた。
「描いたのは、皆様だけではありません。私自身の死も、ここにあります」
フィリップさんは、かすかに震える指で壁の一角を示した。
その先には、確かに自身の死を描いた絵もあった。
垂れ下がる縄。
群衆に取り囲まれ、処刑台を前に青ざめている男。
それは紛れもなくフィリップさんだった。
ルーク様が口を開きかけたその瞬間、グリムショー子爵が、芝居がかった仕草で深々と頭を下げた。
「お話の途中で申し訳ございません。どうやら、うちの使用人がガレット様に粗相をしたようでして。少々様子を見てまいります」
ホールの中央では、赤毛の青年が使用人に声を荒げている。
どうやら、飲み物を服にこぼされたらしい。
グリムショー子爵は急ぐように足を進めるが、片足をわずかに引きづっているせいで、その歩みは遅い。
その間にも、ガレット様の口汚い罵声が響き続けていた。
(・・・・・・あの歩き方は、わざとかしら?)
その背を見送りながら、私はこの場に残されたフィリップさんへ視線を向ける。
行き場を失った彼は、居心地悪そうにこちらをうかがっていた。
まるで、助けを求めているかのように。
会話の糸口を探そうと、私は壁に並ぶ絵をぐるりと見渡しす。
そして、思わず息が止まった。
そこにはフィリップさん本人の肖像画だけでなく、ルーク様の姿まであった。
ルーク様はワイン樽に背を預け、座り込んでいる。
腹部からは赤い血が流れ、衣服を濡らしていた。
顔には血の気がなく、焦点を失った瞳。
誰の目にも、明らかな「死」だった。
胸の奥がひやりと冷える。
だが、それだけではない。
(・・・・・・あれは、スカーレット様?)
薔薇の花びらが敷き詰められた上に横たわる彼女。
胸には、深々と短剣が突き立てられている。
白い肌が赤に映え、まるで演出された舞台のようだ。
それでも、彼女の美しさは少しも損なわれていなかった。
むしろ、完成された「作品」のようにさえ見える。
背筋に、ぞくりと冷たいものが走る。
これは、ただの悪趣味な空想なのだろうか。
それとも、予言、なのか。
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