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恋を描けない伯爵令嬢 ーその絵は嘘をつかない  作者: 夏つばき


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13 価値観の違い


「え?アリス様は、お見合いをしたのですか?」


見合いをしたことを言った瞬間、紅茶のカップがエレノア様の指先から滑りかけた。

傾いたカップから紅茶がこぼれそうになり、慌ててしまう。


「エレノア、気をつけろ」

「だって、お兄様!アリス様がお見合いをしたなんて言うから、びっくりしてしまって」

「それにしたって、驚きすぎだ」


エレノア様たちと散歩を楽しんだ後、そのまま公爵邸でのお茶に誘われた。

ところが、アーサー様は「仕事がある」とのことで同席はかなわなかった。


「本当に仕事ですからね」と言い残して去っていったものの、三歩進んでは振り返るアーサー様。

未練たらたらにしか見えず、気の毒に思ったのか、エレノア様が門まで送っていった。


「でも、アリス様がお見合いをするなんて・・・」

「夜会で私を見初めてくださった方がいらっしゃったのですよ」


自分が見初められるなんて、思いもしなかった。

まるで小説の主人公になった気分だ。


「お相手はどなたなのですか?」

「ジュリアン・キャベンディッシュ様です」


ルーク様の片眉がわずかに上がる。

その目にほんの少し険が宿るのは、ジュリアン様のことを快く思っていないのだろうか。


「ああ、彼か」

「お兄様、ご存じなのですか?」

「知っているよ。真面目な男として有名だ。信用第一で、仕事は手堅い」


(・・・そうでしょうね)

見るからに真面目だった。

そして、彼の信用に重きをおく姿は、誰から見ても誠実だろう。


「ただ、その分面白みに欠けるよね」

「別に構いません。真面目で誠実なのが一番です」


そう言った瞬間、ルーク様は私を見つめ、はっきりと眉を顰めた。

その視線には、隠しきれない不機嫌さが滲んでいる。


「アリスちゃん、本当にジュリアンでいいの?真面目で誠実。ただ、それだけの男じゃないか」


「・・・・・・それで十分じゃないですか」

「アリスちゃんには、相応しくないと思うけどな」

「そんなことないですよ。ジュリアン様に失礼です」


ルーク様の言い方に、思わず語気が強くなる。


ジュリアン様は私の生い立ちを知ったうえで、それでも私のことを好きだと言ってくれたのだ。

軽く扱われるような人ではない。


「ジュリアンのどこが良かったのさ」

「先ほども言ったように、真面目で誠実な方なんです。それに、私が絵を描くことにも理解があります」


「それだけ?」

「・・・・・・私個人を見てくれます」


そう口にした瞬間、自分の中で何かがはっきりした気がした。

ジュリアン様は、身分でも評判でもなく、私という人間を見てくれた。

そのことが、何より嬉しかったのだ。


「私には、十分すぎる方です」


思わず口に笑みが浮かんでしまう。

それなのに、ルーク様は驚いたように身を乗り出してきた。


「ちょっと待ってくれよ。アリスちゃんったら、それだけでいいの?」

「はい」

「絵を描くことに理解があって、君のことが好きなら、それでいいわけ?」

「他に、何が必要なのですか?」


どうしたことだろう。

ルーク様は信じられないものを見るかのように、私を見つめている。


「・・・・・・条件は、それだけなの?」

「はい」


何か問題でもあるのだろうか。

ルーク様は、眉を顰めたままだ。


エレノア様がそっと首を傾げた。


「アリス様は、ジュリアン様のことがお好きなのですよね?」

「ええ。そうですよ。エレノア様までどうしたのですか?」


「あ、いえ。・・・もう少し、情熱的な想いはないのですか?」

「情熱的な想い?」

「今のお話だと、結婚相手というより友人みたいに思えたのですが・・・」


「友人みたいに好きだといけないのですか?」


思わず問い返すと、ルーク様は大きく頷いた。


「いけないに決まっているさ。だって、結婚するつもりなんだろう?」

「はい。でも、恋愛と友情の『好き』をわける必要はありますか?」


(・・・・・・おかしかなことでも言ったかしら?)

二人は顔を見合わせ、なんとも言えない表情を浮かべている。

だが、友情の延長線上にある穏やかな好意があれば、それだけで十分だ。


それなのに、ルーク様は私の考えを否定するように、首を振った。


「わける必要はあるさ。友情は『安心』だ。でも恋愛は、もっと落ち着かないものなんだ」

「落ち着かない?」

「顔を見るだけで胸が騒ぐとか、他の誰かと話をしているだけで面白くないとかさ」


「それは、嫉妬では?」

「そうだよ。独占したくなる気持ちだ」


その言葉に、私は一瞬だけ考え込む。

ーーーそんなもの、要らない。


「ですが、それは必ず必要なものですか?信頼できて、穏やかに過ごせるのが一番です」


それ以上に大切なことはない。

だが、今度はエレノア様が口を開いた。


「けれど、結婚するなら、相手に触れたいとか、もっと近づきたいとか、そういう気持ちも必要ではありませんか?」


(・・・・・・近づきたい?)

ジュリアン様の穏やかな微笑みを思い出す。

触れたいとは思わなかったが、安心感はあった。


「私は、一緒にいて心が安らぐ方がいいのです」


「・・・アリスちゃん、それだと結婚したあとに後悔すると思うよ」

「しませんよ」


「そんな友だちの延長線上みたいな感覚で、結婚するの?」

「私が決めることなのだから、いいじゃないですか」

「よくないよ」


きっぱりと言い切る声に、胸がわずかにざわつく。

自分の判断が間違っていると糾弾されるのは、気分のいいものではない。


「なんで、ルーク様がそんなに気にするのですか?」


問い詰めるように見上げると、ルーク様は一瞬言葉を失った。

だがすぐに、言葉を紡いできた。


「友人としての忠告だよ」

「忠告?」

「ああ。君が重大なことを、あまりにも簡単に決めようとしているからさ」


(・・・・・・余計なお世話じゃない?)

私には、私の考えがあるのだ。

それを間違いだと決めつけて、自分の意見を押し付けないでほしい。


「ねぇ、もっと欲しくならないの?」


「・・・・・・何をですか?」

「胸のときめきとかさ」

「不要ですね」


欲しいとも思ったことがない。


「その人じゃないと嫌だとか、奪われたくないとか、胸を焦がすような思いとか、経験してみたくない?」

「まったく、ありません」


父と母の恋の結果を見れば、わかる。


二人は互いのために、大事なものを捨てた。

父は、王都での安定した地位と名声を。

母は身分と家族を。


確かに楽しい時もあった。

幸せだと心から思えた日もあった。

けれど、毎日がそれだけで満たされていたわけではない。


愛が深い分、嫉妬も、猜疑も、執着も、同じだけ深くなる。

失うことへの恐れもまた、強くなるのだ。


私は何度も見た。

涙をこらえる母の横顔も、何も言えずに拳を握る父の姿も。

あれが情熱的な恋の行き着く先なら、私は同じ道を歩みたくない。


「アリスちゃんは、まだ恋を知らないんだよ」

「知らなくても、問題ありません」


もう十分見てきた。

私は、胸が焼けるような恋よりも、静かに並んで歩ける関係のほうがいい。


「そんなに決断を急ぐことはないんじゃないの?」

「ええ、そうかもしれません。でも、私の人生です。決断も後悔も、すべて私が引き受けます」


「・・・・・・・・・あ、そう」


私がきっぱり言い切ると、ルーク様は眉を顰めたまま紅茶に手を伸ばした。

不機嫌さを隠しもしない態度に、思わず苛々してしまう。


楽しかったお茶会が、いつの間にか険悪な空気になってしまった。

誰も話さないまま、時間だけが過ぎていく。


(・・・・・・お見合いのこと、言わなければよかったわ)

私が幸せになるのだから、喜んでくれると思っていた。

考え直すよう促されるとは、予想もしていなかった。


唇を噛んでいると、その空気を和らげるように、エレノア様が口を開いた。


「アリス様。私、散歩をするようになったら、体の調子が良くなりました」

「まあ、それはよかったです」

「夜はよく眠れますし、食事もきちんととるようになって、元気に過ごせるようになりました」


エレノア様は、会話に入ってこないルーク様を気遣うようにちらりと見やった。

だが彼は、ただ静かに紅茶を口にしているだけだ。


「よかったら、明日も一緒に散歩をしませんか?」

「申し訳ありません。明日はサマセット伯爵家に行く予定なんです。ジュリアン様の叔母様が、所持していらっしゃる絵を見せてくださるのです」


もう一度エレノア様がルーク様に視線を向けるが、彼はこちらをこちらを見ようともしない。

まだ怒っているのだろうか。

大人げない。


エレノア様は小さくため息をつき、私に視線を戻した。


「そうなのですね。ジュリアン様の叔母様は、何をお持ちなのですか?」

「ルーベンスの『パリスの審判』をお持ちだそうです」


豊満で柔らかな肉体。

明るい色彩、理想的な美。

豊穣と美の象徴として描かれるルーベンスの女神は、どれほど美しいことだろう。


「ルーベンスを!それは楽しみですね」

「ええ。ルーベンスの絵を見られると思う嬉しくて、思わず飛び跳ねそうになりました」

「まあ、アリス様ったら」


エレノア様は、私が飛び跳ねる様子でも想像したのか、くすくすと可笑しそうに笑った。

その柔らかな笑い声につられたのか、ルーク様がゆっくりと顔を上げ、私を見た。


(・・・機嫌は直ったのかしら?)

いつもの軽やかな笑みが戻っている。

だが、その視線にわずかな重みを感じたのは気のせいだろうか。


「ねえ、今夜、グリムショー子爵の夜会に招かれているんだけど。アリスちゃんも一緒に行かない?」

「え?」


思わずエレノア様を見る。

一緒に行くとしたら、私ではなくエレノア様だろう。


「エレノアは、アーサーと出かけるし」

「そうなのですか!?」


驚きの声を上げると、エレノア様は慌てて目を逸らした。


「先ほどお約束したんですよ。お茶を飲めなかったから、代わりに夕食を一緒にするだけです」


(・・・・・・アーサー様ったら、よかったわね)

思い返してみれば、会う機会が増えたからか、よく二人で顔を見合わせながら微笑んでいる。

どうやらアーサー様の恋は、少しずつ前進しているらしい。


もっとエレノア様の話を聞きたかったが、ルーク様は、それには触れずに話を続ける。


「ほら、牡牛座の由来になった話があるだろう?」

「ゼウスと王女エウロペの話ですか?」


王女エウロペに恋したゼウスは、白い牡牛へと身を変えた。

エウロペがその背に乗った瞬間、彼は海を越えて走り去る。


それは略奪か、あるいは純愛か。

人の数だけ、答えは分かれるだろう。


「そうそう、それ。レンブラントの『エウロペの誘拐』を見せてくれるんだって」


優しい光で、そっと包み込むようなレンブラント。

彼の描く女性は理想化された美女ではなく、心を持った現実の女性として描かれる。


同じ時代を生きた巨匠でありながら、彼らの人生も作風も対照的である。


内面の真実を描き出すレンブランド。

理想化された美と躍動を描くルーベンス。


まさか、この二人の絵を実際に目にする機会に恵まれるとは、夢にも思っていなかった。

呆然とする私に、ルーク様は悪戯っぽく微笑んだ。


「どう、アリスちゃん?」

「い、い、行きます!行きます!!行きます!!!」


先ほどの言い合いも忘れて、気づけば無我夢中で叫んでいた。



お読みいただき、ありがとうございました。


レンブラント・ファン・レインとピーテル・パウル・ルーベンスは、ともに17世紀に活躍した画家です。

作中に実在する作品については、厳密な考証ではなく演出としてお楽しみいただけたら幸いです。


よろしければ、ブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです。

よろしくお願いいたします。

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