12 お見合い
「ジュリアン・キャベンディッシュです。このような機会を設けていただき、ありがとうございます」
うちに挨拶に来てくれたジュリアン様は、軽く頭を下げた。
きちんと撫でつけられた鳶色の髪に、曇りのない眼鏡。
その奥にある瞳は冷静で、隙がない。
端正な顔立ちには感情の起伏がほとんど見えず、ただひたすらに真面目な気質が滲み出ていた。
「初めまして。アリス・ブラックウッドです」
「・・・・・・初めまして、ではないのですが」
「え?」
ジュリアン様がわずかに苦笑いするのを見て、自分の失言に気づき、さっと血の気が引く。
そういえば義兄が、夜会で顔を合わせたと言っていた気がする。
「あ、あの・・・」
「いえ、失礼しました。アリス様にとっては、初めましてですよね。夜会で挨拶を交わした程度ですので」
(・・・・・・挨拶、したかしら?)
全く記憶にない。
私のぎこちない態度に、隣の義兄が眉を顰め、そっとつま先を踏んできた。
顔も覚えていない相手と見合いをした女だと、そう思われているに違いない。
嫌な汗が、じわりと背中を伝い落ちていく。
しかし、ジュリアン様は気にした様子もなく、理解を示すように頷き、鞄から一枚の書類を取り出した。
「アリス様には私のことを知っていただきたいと思いまして、紙にまとめてきました」
「え?わざわざ紙に書いてくださったのですか?」
思わず声がわずかに上擦る。
そこまで準備してくれたとは思っていなかった。
軽い気持ちでこの話を受けてしまった私は、何の準備もしていない。
義兄も驚いたのか、眉間の皺をいっそう深くしている。
「簡単にですが」
「あ、ありがとうございます」
差し出された紙に視線を落とした瞬間、戸惑いが胸に広がった。
氏名、年齢、爵位、家族構成。ーーそこまでは理解できる。
だが、教養や性格、趣味、さらには健康状態にまで言及されているのを見ると、どう反応すればいいのかわからなくなる。
「お義兄様、こんなにしっかりしたお見合いだったのですか?」
「いや、軽く顔を合わせる程度だと思っていた」
小声で問いかけると、兄も困惑したように首を振った。
明らかに話が違う。
ジュリアン様の用意周到さは、単なる顔合わせの域を超えている。
両親が同席していないだけで、これは本格的な見合いだ。
「まず、私の仕事についてお話ししてもよろしいでしょうか」
ジュリアン様はそう前置きし、穏やかな声で続けた。
どうやら私たちの戸惑いは、気にしていないようだ。
「私は銀行業を営んでおります。主には、商人の方々への貸付金の管理、手形の取り扱い、そして利息計算を行っております」
「そ、そうですか」
「私のモットーは信用です。取引の正確さを何より大切にしております。華やかな仕事ではありませんが、商取引が円滑に進む一助となることに誇りを感じています」
「立派なお仕事ですね」
「恐縮です。経済こそがこの国の支えになると信じ、日々職務に励んでいます」
(・・・どうしよう、私には合わないわ)
世の中に不可欠な経済活動と、なくても生きていける芸術。
お互い大事にしているものが、あまりにも違いすぎる。
「では、毎日お忙しいのでしょうね」
「そうですね。休みの日も、家でほとんど仕事をしています」
「そ、そうですか」
どうやら仕事一辺倒らしい。
思わず引き気味になる私を、義兄も困ったように見つめていた。
けれど、どう会話を膨らませていいのか、まるで見当がつかない。
「ただ、仕事の合間には読書をします」
「・・・まあ、読書を。どういった本を好まれますの?」
(・・・・・・よかった!)
ようやく私でも話せそうな話題が出てきた。
隣に居る義兄の表情も、わずかに緩んだ。
それにつられるように、私の肩の力も少し抜ける。
「そうですね。主に実用書が好きです」
(・・・・・・・・・実用書?)
義兄も予想外の答えだったのか、笑顔が引き攣っている。
真面目だとは聞いていたけれど、ここまでとは思わなかった。
「お、面白いですか?」
「ええ、とても。最近読んで面白かったのは『銀行法の全て』です。銀行法の基礎原則がわかりやすくまとめてあり、大変面白かったです」
「・・・そうですか」
’(・・・・・・どうしよう、無理かもしれない)
いい方なのだろう。
そう感じる部分は、確かにある。
だが、あまりにも真面目すぎて、どこか息が詰まるような気がする。
条件だけを見れば申し分ないだろうが、会話も続かないまま結婚するのは無理がある。
私がほとんど話さないからか、今度はジュリアン様から話題を振ってきた。
「アリス様は、どのような本がお好きですか?」
「え、えっと『アーサー王物語』が好きです」
少し子どもっぽいかもしれないとは思った。
だが、ここで見栄を張っても仕方がない。
けれど、意外なことにジュリアン様は目を輝かせた。
「ああ!『アーサー王物語』ですね!私も好きですよ」
「え?そうなのですか?」
「王に対して。そして、己の信念に対して誠実であることが、とても素晴らしいですよね」
「え、ええ、そうですよね」
「私はこの本で、信頼の大切さを学びました」
「そうですよね!騎士の困難に立ち向かう勇気が素敵だと思ったのです」
「よくわかります」
共通点があると知り、ほっとした。
よく見れば、釣書には、趣味として読書や絵画鑑賞が記されていた。
「あ、あの、ジュリアン様は絵がお好きなのですか?」
「ええ。詳しくはありませんけどね。でも、眺めるのは好きですよ」
(・・・本当に?)
思わずその瞳を見つめると、眼鏡の奥に、柔らかな光が揺れていた。
「美しいものをみると、不思議と心が落ち着きますよね」
「そうですよね」
「ええ。人が生きていくには、まず支えとなる経済が必要です。でも、美しいものは、生きていく理由を与えてくれます」
そう言って穏やかに微笑むジュリアン様は、先ほどとはずいぶん印象が違って見えた。
真面目であることに変わりはないだろうが、その心は穏やかで、どこか豊かな人のように思えた。
「私は、自分が心から美しいと思うものを大事にしたいのです」
「ええ、私もそう思います」
(・・・・・・わかりあえるかもしれない!)
なんだかこのお見合いに、希望が見えてきた。
義兄も、私の気持ちの変化を感じ取り、安心したのだろう。
「では、私はここで失礼するよ」と短く告げ、部屋を後にした。
(・・・ジュリアン様なら、認めてくれるかもしれない)
絵を眺めることは、高尚な趣味とされる。
だが、貴族女性が自ら絵を描くことは、いまだに受け入れられないことが多い。
一瞬のためらいのあと、意を決して切り出す。
「あの、実は、私は絵を少々ですが嗜むのです」
「おや!アリス様は、絵を描くのですか?」
「は、はい。絵を描くことが大好きで、毎日絵を描いて過ごしているのです」
「そうなのですか。それはいいご趣味ですね」
ジュリアン様は眉を顰めることもなく、静かに頷いている。
彼なら、結婚しても絵を描くことに理解を示してくれそうだ。
「私の叔母も、絵が好きなのですよ」
「まあ、叔母様も?」
「ええ。母を早くに亡くした私を可愛がってくれた方でしてね。本当に絵が好きで、いろいろと買い集めているのです」
(・・・・・・どんな絵なのかしら?)
名のある画家の作品だろうか。
それとも素朴な風景画だろうか。
想像するだけで胸が躍る。
そんな環境があることに、思わず羨ましさがこみ上げた。
「実は、叔母はルーベンスの『パリスの審判』を所持しているのです。よかったら、ご覧になりますか?」
「まあ!いいのですか?」
思わず息を呑んだ。
ルーベンスの作品を間近で見る機会など、そうあるものではない。
どれほど豊かな色彩で描かれているのだろう。
どんな筆致なのだろう。
彼の絵を見ることができたら、それはきっと忘れられない経験になる。
そんな期待と感動がこみ上げた。
「あ・・・。でも・・・」
「どうしましたか?」
ふと不安がよぎる。
ジュリアン様の親族に会うということは、親しい女性として見られるということだ。
だが、まだ会ったばかりで、そんな関係をすぐに決められるものではない。
「大丈夫ですよ。叔母は私が友人を連れて行ったからといって、すぐに結婚と結びつけるような浅はかな人間ではないですよ」
「そ、そうですか」
まるで見透かしたように言うジュリアン様の気遣いが嬉しかった。
だがその一方で、本当に私でいいのかという不安が湧いてくる。
ジュリアン様は、私の両親のことを知っているのだろうか。
「・・・・・・アリス様、どうされました?」
「あの、ジュリアン様にお伝えしないといけないことがあるのですが」
「なんでしょう?」
(・・・・・・言っておくべきよね)
もし、これから結婚を前提とした付き合いになるのであれば、伝えておかなければならない。
たとえそれが、ジュリアン様に受け入れられず、結果として終わりを迎えるとしても、誠実に向き合ってくれた相手には、私も誠実であるべきだ。
「ご存じないかもしれませんが、私はブラックウッド家の養女です。母は、平民である父と駆け落ちしています」
「・・・・・・そうなのですね」
ほんの少しだけ、ジュリアン様は息を呑んだ。
(・・・その反応だと、知らなかったのね)
調べればわかることだが、あえて調べなかったのだろう。
それはジュリアン様の純粋さと誠実さの表れでもあるような気がした。
「えっと、あの、それでもいいのでしょうか?」
「もちろんですよ」
即答するジュリアン様に、本当にわかっているのかと不安が募る。
「私は、平民の血が流れているだけでなく、8歳までは、平民として育ちました」
「特に気にしません。私は血筋や身分ではなく、貴女の優しさに惹かれたのです」
(・・・・・・優しさ?)
夜会で挨拶しかしていないはずなのに、私の何を知っているというのだろう。
「夜会で、困っていた女性を手助けする貴女を見たのです」
「・・・え?」
「会場の隅へ案内し、ハンカチを差し出していました」
(・・・・・・エレノア様とのことかしら)
ドレスが汚れて困っていたエレノア様にハンカチを貸し、染み抜きを手伝った。
まさか、あの場面を見られていたのだろうか。
「女性が困っているのに気づいた方は、何人もいました。でも、助けにいったのはあなただけだった。親切にするということは、簡単そうでいて、なかなかできないものです。だからこそ、私は貴女に興味を持ちました。あなたという個人に惹かれたのです」
「・・・そうですか」
ジュリアン様の言葉に、じんわりと胸が温かくなる。
私の身分や外見ではなく、行動を見てくれているのだとしたら、それは嬉しいことだ。
気にしないようにしていたつもりでも、母たちのことが、どこか重く感じていたのかもしれない。
だからこそ、そんなふうに言われると素直に嬉しかった。
ーーコン、コン。
不意に扉がノックされ、義母がもじもじとした様子で顔を出した。
「アリスちゃん、お茶のおかわりはどうかしら?」
「お義母様!?」
どうかしら、と言いながら、背後にはクロエがお茶を持ってしっかり待機している。
ーーしかも、三人分。
完全に来る気満々だ。
「チャールズには邪魔をするなと言われたんだけど、どうしても私もジュリアン様とお話がしたくて。・・・・お邪魔してもいいかしら?」
「もちろんです。どうぞ、喜んで」
ジュリアン様の言葉を受けて、義母は嬉しそうに微笑んだ。
(・・・・・・もう、お義母様ったら)
きっと母は、見合い相手のジュリアン様がどんな人なのか、気になって仕方がなかったのだろう。
義母はジュリアン様にときおり質問を挟めながらも、やがて嬉しそうに私のことを語り始めた。
いかに私がいい子であるかを延々と語り立て、私は思わず赤面してしまう。
正直、義母の態度は褒められたものではない。
それでもジュリアン様は、嫌な顔ひとつ見せず、穏やかな微笑みを浮かべながら静かに耳を傾けていた。
相槌を打つ様子も自然で、どこか温かい。
(・・・きっと、ジュリアン様はいい人なのね)
ジュリアン様に恋するかどうかは、わからない。
でも、彼は人として信頼できそうだと思うと、胸に安堵が広がった。
お読みいただき、ありがとうございました。
作中に登場する「アーサー王物語」は、円卓の騎士や聖剣エクスカリバーで知られる、中世ヨーロッパに広く伝わる伝説群です。
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