怒り
「────ラマ?」
再び降り始めた雪が眠る顔に落ち、その冷たさにノアは目を覚ます。
声が聞こえた気がした妹の名を口に出すも、そこには誰も居なかった。
──……ラマって、誰だ?
──ボク……いや、私の……妹?
──異界の調査を……いや、、私は魔女じゃない……筈……。
上半身を起こし状況を整理しようとするが、異なる二つの記憶が混濁し合って正しい過去が判別出来ない。
だが、それも頭が冴えてくるにつれ片方の記憶が徐々に薄れ始め、自分は何者かを思い出し始める。
──……そうだ。私に妹なんか居ない。
──『ラマ』なんて存在、私は知らない。
「まだ……生きてたのか」
冷静に現実を受け止めたラマの耳に、聞き覚えのある声が届く。
前は良く思い出せなかったその声も、今の彼女には誰の声なのかはっきりと思い出せた。
「随分、雰囲気が変わったね。────王子」
「…………」
「そんな姿……あの時の私が見たらなんて言うかな」
王子は答えない。
ただ静かに剣を構えるだけ。
ノアもまたそれ以上は語らず、座った状態から飛び上がり上空から攻撃を仕掛けた。
服の陰から斧を取り出し勢い良く振り下ろすも、あっさりと止められた事実にノアは苛立たしげに顔をしかめ、王子の感情が消えた瞳を睨みつける。
「……魔女」
ポツリと、小さく口が動く。
「魔女、は……消す……」
うわ言のように呟く言葉の意味を、ノアは理解出来ない。
殺された恨みで動いているなら魔女ではなく「ノア」と言っている筈だ。
自分と同じく記憶が混濁しているのか。
あるいは────
「……どんな事情があるのかは知らない。知る気も無い」
どちらにせよ、ノアの取る行動は変わらなかった。
「もう一度、ぶっ殺してやる」
明確な殺意を放ってそう告げた瞬間、状況が動いた。
王子が動きを見せた訳ではない。
地中から無数の怪物の腕が現れたのだ。
「!」
蛇のように迫ってくる腕を、ノアは服の陰から取り出した浮遊武具を足場として躱し、空へと逃げる。
そして、今度は弓矢を取り出すと、矢を三本同時に構え地面にいる敵へと向けて放つ。
矢は腕の隙間を縫って進み、内一本は王子の振った剣に弾かれ、他二本は少し離れた地面へと刺さった。
「それで終わりじゃないよ」
「!?」
更に武器を取り出そうとするノアの動きに警戒していた王子は、警戒していなかった場所────足元で起きた爆発に動揺を見せる。
爆発したのは、先ほど放った三本の矢。
矢には魔術が刻まれており、あらかじめ設定しておいた時間が経つと爆発を起こす。
それによって地面が砕け、足場が崩れたその一瞬の隙に、ノアは浮遊武具を蹴り付け一気に王子に迫った。
鈍い音が響き渡る。
ノアの不意を突いた攻撃は、確かに獲物を捕らえた。
即ち、敵の武器を。
ノアの剣によって王子の剣は折れ、刀身は宙を舞って離れた地面へと突き刺さる。
──理屈は分かんないけど、コイツを傷付けたらこっちまでその傷を負う。
──だったら、傷を付けなきゃいい。
そして、ノアもまた、自分の剣を放り投げた。
──武器は奪った。後は、首を締めて殺す!
両手を前へ出し、相手の首を掴む。
ただで掴ませてもらえた訳ではなく、敵の振り上げた右膝が腹へと入るが、両手の力は微塵も緩めない。
二秒、三秒、四秒…………。
時が進むほど敵の表情は苦しさを増し、同時に抵抗も増していく。
蹴られ、殴られ、押され、地面に叩きつけられ。
どんな攻撃を受けようともノアは手を離さず、折れた剣は魔力強化した肉体を貫くには至らない。
服がボロボロになり、かすかに切れた皮から血が流れながらも掴み続け───やがて、その時が来た。
「ハァ……ハァ……」
激しく暴れ回っていた動きが止まり、腕が力無く倒れる。
ピクリとも動かなくなった敵から手を離ずが、その大きく開かれた口はもう呼吸をしなかった。
──死んだ……。
──……いや、待て。念のため体を拘束して───
「ま……じょ、を……」
声がする。
消えた筈の声が。
殺した筈の声が。
敵が、立っていた。
「何で……ッ」
咄嗟に距離を取ろうと飛び跳ねるも、敵の右腕が巨大化して捕えられる。
腕はノアを掴んだまま伸び、奥にある建物の壁へとぶつかった。
「ガハッ」
背中への強い衝撃に、体に力が入らなくなる。
逃げ出すことすら出来なくなった状況で、ノアは尚も敵を睨みつけた。
そして、敵が再び立ち上がった理由に気付く。
王子の腕に絡みつく、地面を突き破って現れた枝。
それを伝う形で、怪物の肉が王子の体の中へと流れ込んでいた。
──ああ……見た目が人間なだけで、中身はもう怪物と同じになってた訳だ。
逆転の目はない。
詰めを誤った。
後悔と諦めの感情が胸の中を埋め尽くす。
だが────
「ッ! ア、アアアァァッ!!!」
体が、動くのを止めなかった。
力は入らず、首以外は動かすことも出来ず、それでも全力で足掻き続ける。
その理由は、ノア自身にも分からない。
──ふざけるな。
それは、怒り。
脳裏に浮かぶのは、『妹』の姿。
──アイツを殺さないまま、死んでたまるか!
ノアが諦めていないことに気付いたのか、腕に込められる力が増す。
身体中の骨が軋みを上げ、数秒後にはあっけなく握りつぶされる未来があった。
「ク、ソがぁぁぁ!!!」
「ふぅ。間一髪!」
声がする。
敵のものではない声が。
忘れていた存在の声が。
二人の魔女が、そこに居た。




