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一週間世話になった寮の部屋へ戻ってきた。中ではロニーが待っているはずだ。
「おかえりなさいませ レオ様」
『ただいま ロニー』
「お荷物は昼間のうちに運び終えております ダールイベック邸へお寄りになりますか?」
『ああ 手紙を渡してすぐ戻るよ』
「かしこまりました」
七時近いがまだ外は昼間のように明るい。夏はいい、陽が出ているというだけで気分も明るくなる。
ダールイベック邸に着くと、すぐにスイーリが出てきた。
「レオ様 おかえりなさい」
『うん ただいまスイーリ』
分厚い手紙を差し出す。
『一週間分だと多いね 明日にでもゆっくり読んで』
「いいえ 明日まで待てません!全部今日読みますね
私もこちらを」
同じくらい分厚い封筒が二つ渡された。
「まとめて入れられる封筒がありませんでした」
そう言って少し恥ずかしそうにはにかんだ笑顔を見せる。
『たくさん書いてくれたんだね 嬉しいな 私も帰ったらすぐに読むよ』
スイーリは大事そうに胸元で手紙を抱えている。
『遅い時間に寄って済まなかったね 食事の時間ではなかったかな』
「ええ お父様とアレクシー兄様がまだ鍛錬なさっているんです」
『そうか 熱心だな
アレクシーに感謝を伝えておいてもらえる?鍛錬楽しかったと』
「わかりました
兄様も毎日とても楽しいと言ってました レオ様との鍛錬は特別なんだそうですよ」
『それは嬉しいな』
『明日から休暇だ スイーリの都合がよい時に会おう 行きたいところ考えておいて』
「はい ありがとうございます」
『また連絡する おやすみスイーリ』
「おやすみなさいレオ様 お気をつけて」
城へ戻り自室の扉を開ける。机の上にはロニーに頼んでおいた資料や地図が完璧に揃えられていた。
『助かったよロニー 早速明日から取り掛かる ロニーにも協力してもらいたい』
「微力ではございますが喜んでお手伝いさせていただきます」
『頼りにしているよ』
「今日のところはまずお着替えを お食事の準備もできております」
『わかった』
手早く食事を済ませて部屋へ戻る。
『ロニーも一週間ここと寮の往復で大変だっただろう 今日はもう休んで』
「ありがとうございます レオ様おやすみなさいませ」
『おやすみ』
ハーブティーの入ったカップとポットを置いてロニーが静かに退出した。
ホベック語の復習は・・・今日はいいだろう。
引き出しからスイーリに貰ったばかりの封筒を取り出して封を切った。両方から手紙を抜き出し広げて、日付の一番古いものから読み始める。
毎日の手紙の最後に、例の花束の様子が書かれてある。四日目にアイリスは枯れてしまったらしい。そして紫陽花はまだスイーリの部屋を飾り続けているようだ。今日書かれた一番新しい手紙には紫陽花の押し花が一輪添えられていた。
何通目になったのだろう。以前手紙を入れていた箱はとうに使えなくなっていて、今では引き出しひとつがスイーリからの手紙で占められている。一番手前に新たな二通の封筒を入れてそっと鍵をかけた。
ふと思い立ち別の引き出しを開けた。中から一冊のノートを取り出す。久しぶりに手に取った古いノート。表紙をめくり最初のページを開いたところで愕然とした。
文字が読めない。
七年も前ではあるが、自分で書いた文字だぞ。
このページにはかつての家族の名を書いたはずだ。
次のページを開く。
やはりそこにも読める文字はなかった。数字を除いては。
次々とめくっていく。続くページには菓子のレシピが書いてある。
既に全て一度は作った。このノートが使い物にならなくなったとしても、カールの手元にはこれを元に試作を重ねた配合が残されているだろう。いや気にするところは今はそこではない。
この文字はかつての私が暮らしていた・・・
暮らしていたどこだ?
なんという国だったか・・・
国の名前すらも思い出せない。
ここまで自分の記憶力が情けないものとは思わなかった。以前から少しずつ忘れかけていることには気がついていた。会えなくなって久しい者たちの名だ。憶えていられないのも仕方ないと考えていた。
しかしこうも綺麗さっぱり文字すらも忘れてしまうとは。
最初のページに戻り、何度も文字を指でなぞった。
何度見ても、もう私がそれを文字として認識することはない。
ちょっと待て、私の名前はなんだった?以前この文字を使用してこの文字の国で生きていた私の名前は・・・
流石にこれは妙ではないか。七年が過ぎたとは言え自分の名前だったのだ。それすらも思い出せないというのはどういうことだ。
なんでもいいから古い記憶を辿ってみよう。何か覚えていることはないだろうか・・・
浮かんできたのは初めて会った時のアレクシーやデニス、ベンヤミンにイクセルの顔。デニスは前歯がちょうど抜けたばかりだったな。
レノーイは初対面でいきなり自分は魔法使いだと言ってのけたのだった。それを何歳まで信じていたのだったか・・・今思い出しても酷いと思う。幼い子供になんてことを言うのだ。
いくら辿ったところで浮かぶのはレオの記憶ばかり。一体どうして・・・




