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ホベック語合宿もあと一日を残すばかりとなった。
今は寮の部屋で今日の課題をこなしている。
毎日の授業のまとめと感想を記入したノートと、小論文一つがこの一週間日々の宿題として課されていた。
今日の論文テーマは[ホベックとステファンマルクの関係~過去と今後]
最終日だからと言って難易度上げすぎじゃないか?昨日は[本は好きか]その前は[歴史を学ぶ理由]だった。やはり今日のテーマだけ難しすぎる。しかも'ホベック目線'との注釈付きだ。
先にノートを仕上げて、小論文は後に回す。便箋を取り出してスイーリへの手紙を書くことにした。
この一週間毎朝ロニーが寮に来ていた。アレクシーと鍛錬もしている。スイーリへの手紙を託す機会はいくらでもあったのだ。渡さずに溜めていたのは何故なんだろうな。
引き出しの中にはスイーリ宛に書いた手紙が一、二・・・九枚。随分と書いた。そう思いつつ十枚目を書き始める。
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アレクシーも交えて五人での朝食も今日で終わりだ。
よくよく考えれば誰かと共に朝食を取るのは久しぶりのことだ。僅か一週間だったが寮での暮らしも楽しかった。特に風呂!あれは良い、実に素晴らしい。
アレクシーと別れて四人で教室へと向かう。教室にはダニエラとツィリルが先に来ていた。
《おはよう ダニエラ ツィリル》
〈おはようー 今日で最後だね〉
〈〈おはよう〉〉
いつものように挨拶を交わし席に着こうとした。
〈おはよう〉
ツィリルはいつもと変わらず笑顔を向けてきたが、ダニエラの様子が何やらおかしい。
〈・・・おはよう・・・ございます〉
俯き気味で、心なしか顔色も良くない気がする。
〈どうしたのダニエラ?おはようございますだなんて〉
ノア・・・そこが気になるのもわかるが・・・
《ダニエラ 顔色が良くないようだが具合でも悪いのか?》
声をかけると、急に顔を上げ真っ赤な顔で手をぶんぶんと横に振った。
〈い いいえ・・・どこも悪くありません・・・わ 授業を受けるわ!〉
《そうか 元気ならいいんだ でも無理はしないで》
〈ええ ありがとうございます〉
〈・・・なんか変じゃないですか?〉
マルクスが小声で話しかけてきた。
《うん でも最初は顔が青白く感じたが今はそうでもないな》
〈いえ 顔色ではなくあの言葉遣いですよ 今までと全然違う・・・〉
〈聞こえているわマルクス〉
ダニエラがマルクスを静かに睨みつけた。
「ヒッ!」
〈なによその悲鳴は 失礼ね〉
〈レオ様・・・やっぱりいつものダニエラみたいですね〉
《あ ああ・・・》
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〈はいここまで
以上でホベック語の特別合宿は全て終了です 皆よく頑張ったね〉
「終わったー!」
「やっと話せるー!」
やり遂げた達成感と開放感で、それぞれが伸びをしたり机に突っ伏したりしている。
「諸君 打ち上げとまでは行かないが 食堂でお茶でも飲んで行かないか?」
ビリーク先生の声掛けで皆が席を立った。
「はい 行きます!」
「俺も行きます」
「はい 皆お疲れ様」
『ご指導ありがとうございました』
「「ありがとうございました」」
よく冷えたアイスティーで喉を潤す。
《ダニエラとツィリルも一週間ありがとう》
「僕たちも楽しかったです 王子殿下」
『えっ?』
「「「えええっ?!」」」
「ああ 言ってなかったね ダニエラもツィリルもステファンマルク語は話せるよ ステファンマルクで生まれ育ったステファンマルク人だからね」
惚けたようなすまし顔でビリーク先生が言った。
「でも初日にホベック語しか話せないって・・・」
驚いて口を開いたままのルーペルトは、まだ呆気に取られている。
「おや私は話せないとは言ってないよ ホベック語しか話さないとは言ったが」
『「「「・・・」」」』
「ところでこの二人は・・・」
予想はついている。ステファンマルク人と聞いた時点でほぼ確定だ。
「先生のお子さんですか」
「よくわかったね 二人は私の娘と息子 双子だ
妻がホベックの人なんだよ」
それを聞いてノアはあれを思い出してしまったらしい。口に出さなければよいものを・・・
「ああ!〈かかあ天下〉の!」
「・・・ルンドステン君 覚える必要はないと忠告したはずだが」
ダニエラはずっと黙ったままだ。時々思い出したようにアイスティーを飲んでは、両手を膝の上に戻し俯いている。
『ダニエラ 今日は元気がないね 何かあったのかな』
はっ!と勢いよくこちらを向いたかと思うと、真っ黒な瞳を大きく見開いた。
「私知らなかったんです レオが・・・レオ様が王子殿下だったなんて」
『初日に自己紹介したはずなんだけれど 覚えきれなかったかな』
「いいえ いいえ ちゃんと聞いていたわ お名前もしっかりと聞いたわ でもまさか王子殿下が目の前にいるなんて思いもしなかったのですもの 昨日父さんから聞いたの ずっと黙っているなんて酷いわ」
「私のせいにするのはどうかと思うぞダニエラ 自己紹介をきちんと聞いていたと今自分で言ったばかりではないか」
「だって・・・」
『ダニエラ 私の肩書がなんであれ私は私だよ ここではあなたの父上にホベック語を教わっている学園生の一人だ』
「はい・・・でも」
「ダニエラはどうして昨日になってレオ様が王子殿下だと聞いたの?」
「それはだね」
先生が言いかけたところでダニエラが立ち上がって叫んだ。
「ダメ!絶対言ってはダメよ!」
「・・・だそうだ」
『そうだ ダニエラに《へたれ》と言われた汚名返上させてもらおうかな ホベック語じゃなくていい?』
ダニエラは真っ赤な顔をして俯いたままボソボソと呟く。
「私なんてことを・・・あの時の私を張り倒したいわ」
『私は自分の意見をはっきりと言える女性が好きだよ ダニエラのようにね』
両手を胸の辺りで祈るように組んだダニエラが、ぱっと輝いた顔を上げる。
そこへ全く悪気のない(かつレオの救世主)マルクスが言葉を挟んだ。
「レオ様の恋人もそういう方なのですね」
『そうだな 芯がしっかりとした女性だよ』
ダニエラの初恋が終わった瞬間だった。




