[90]
今日まで知らなかったのだが、寮の中へは従者が入れるらしい。
自分で荷物を運ぼうとしたら、慌てたロニーに止められた。
「これ以上私の仕事を奪われるわけにはいきませんので」
いつもの冗談だと思って軽く受け流そうとしたら、冗談ではなかった。
1年が経っても知らないことって多いな。
部屋の場所だけ確認をしてから校舎へ向かった。人気のない校舎はとても静かだ。
まだ時間には早い。図書館へ行き、本を2冊借りた。ホベックの児童文学とメルトルッカの文学書だ。それを鞄にしまい、教室へ向かう。
教室には大きな丸い机が1つ。いつもこれを囲んで授業を受けている。あれ?今日は椅子が多い?机の周りには7脚の椅子が並べてあった。
そのうちの1つに座り児童文学を読んでいると、マルクスが入ってきた。
「レオ様おはようございます。早いですね」
『おはようマルクス。部屋は見てきたか?』
マルクスは左隣の椅子に腰を下ろした。
「はい。寮の中に入ったのは初めてでしたが、広いですね」
『そうだな、それに私は従者が入れることも知らなかったよ』
うんうんとマルクスも頷いている。
「昼間だけみたいですけれどね。良かったですよ、着替えに困るところでした」
『そうか』
ロニーが言っていたのは、マルクスみたいなやつのことだ。
でもな、すぐに慣れるさ。制服を着るくらいならすぐ慣れる。
「おはようございます。レオ様、マルクス」
『おはようノア』
「おはようー」
ノアも部屋に荷物を置いてから来たそうだ。そしてマルクスと全く同じことを言っている。
「わっ!俺が最後!すみません遅くなりました」
『まだ時間ではないから慌てなくていいよ、おはようルーペルト』
「レオ様おはようございます。皆も1週間よろしくお願いします」
「おはよう、ルーペルト」
そこへパンパンと手を叩きながらビリーク先生が入ってきた。
〈こらこら君たちは何を話しているのだね。ここがホベックだと気がついていないのかな〉
合宿の開始だ。
《おはようございます、ビリーク先生》
〈おはようございます〉
先生の後ろから2人の子供が入ってきた。
〈紹介しよう。女の子がダニエラ、男の子はツィリルという。2人とも13歳だ。この子たちはホベック語しか話さない。この2人も1週間ここで過ごすことになった。仲良くしてやってくれたまえ〉
事前には聞かされていなかった参加者だ。ホベック人が来てくれるとは思いもよらなかった。
早速2人が自己紹介を始める。
〈ダニエラです。好きなものは、耳の垂れたウサギとベリーのタルトです。よろしくお願いします〉
〈僕はツィリル。好きなものはサーモンの入ったブリトー。今一番やってみたいことは船に乗りたい!よろしくお願いします〉
2人はビリーク先生の左と右に座った。ちょうど私たち4人と向き合う感じだ。
〈次は君たちからこの2人へ自己紹介をしてみよう。そうだなーそれぞれ自分の長所と次年度の抱負を語ってもらおうか〉
「えっ、難しー」
私の心の声を代弁してくれてありがとうな、ノア。
〈今のは誰だ?はい、ルンドステン君立ってー起立!ルンドステン君から右回りに順に行こう。さあ始めようか〉
うっかりステファンマルク語を漏らしたノアから自己紹介が始まった。
ノアは立ち上がると、ペコリと頭を下げてから始める。
〈はい、僕はノア=ルンドステンです。僕の長所、うーん粘り強いところかな。はい!これだと思います!次年度の抱負はAクラス入り、そして定着!頑張ります〉
続いて右隣のルーペルトが立ち上がる。
〈ルーペルト=アルムグレインです。記憶力に自信があります。俺もAクラス入りが目標です〉
ルーペルトが再び着席して、次は私の順番だ。
《レオ=ステファンマルクです。長所は常に前向きなこと、次年度の抱負はホベック語を自在に使いこなせるようにすることです》
私が着席したのを確認して、最後にマルクスが立ち上がった。
〈マルクス=サラマントです。長所はノアと似ていますが、最後まで諦めないところだと思っています。次年度の抱負は、1年間Aクラスを維持することです〉
自己紹介を皮切りに、怒涛のように会話が続けられた。
今日の午前は休憩1回を挟み4時間、会話が中心の授業だった。ダニエラとツィリルが何度も手助けしてくれて有難い。そして、今までいかにベンヤミンに頼っていたのかも思い知らされたよ。
〈それでは休憩にしましょうか。食堂へ行きますよ〉
昼食の時間もビリーク先生を中心に7人で過ごす。当然会話はホベック語だ。
会話に気を取られて何を食べたのか記憶にない。まだまだホベック語に馴染むまでには時間がかかりそうだ。
〈さて、午後は何の授業にしようか〉
食後の先生の第一声に私たちの目は丸くなる。
〈へ?どういう意味ですか?〉
〈ずっとホベック語の勉強では飽きるだろう?かと言って私に算術は教えられないし。うーむ、何がよいか〉
意図が解らず皆沈黙する。
するとダニエラがはいはーい!と手を挙げた。
〈私はお花の本が見たいわ。ここに来れば図鑑がたくさんあるって聞いていたのですもの〉
〈よし!では午後は生物学から始めよう。私は図書館へ寄って行くから君たちは時間までに教室へ戻るように 。ああ、私がいないからと言ってステファンマルク語を話してはいけないよ。ダニエラとツィリルも会話に混ぜてあげるようにね〉
《はい、わかりました》
そう言い残すとビリーク先生は、すたすたと食堂を出て行った。
〈生物学から始めるってどういうことでしょう〉
《ホベック語で生物学の授業をする、ということではないか?》
私はレノーイとのメルトルッカ語の授業を思い出していた。レノーイとはメルトルッカ語を使いつつ地理や歴史、その他様々な話をした。とても楽しくて有意義な授業だったが、それをホベック語で実践するのはまだ早いような気もした。残念ながら私にはまだその力が備わっていない。
まずはこの2人に尋ねてみようか。
《ダニエラとツィリルは生物学の勉強をしているのか?》
〈ううん、僕たちはそんな勉強はしたことがないよ〉
私たち4人は必修の座学で生物学は学んでいる。だが、ツィリルの様子からそれも違う気がしてきた。
《そうか。それなら生物学の授業というわけではなさそうだな》
〈もうー、今は休憩時間よ。もっと楽しい話をしましょうよ〉
ダニエラが口を尖らせて訴える。
《それもそうだな。ではダニエラは何の話がしたいかな》
〈皆の好きな女の子のタイプが聞きたいわ〉
『「「「えっ」」」』
思わず全員素の声が出た。
〈なぁに?男の子が集まってする話と言えば女の子のことでしょう?〉
自然と全員の目がツィリルの方を向く。ツィリルは慌てて両手をぶんぶんと横に振った。
〈な、なんだよ。僕は女の子の話ばっかりなんてしていないよ〉
それきりツィリルは明後日の方向を見てしまった。話を振られたくないのか?それはズルくはないか?
〈ほら!早く教えて!レオ!〉
ダニエラが身を乗り出す。え?私から?
《いや、その。すまない、なんと言えばいいのか。ーこういう単語はまだ習っていなくて》
事実だ。
だが伝え方があまりにも拙かった。しどろもどろになった私の後を、間髪入れずマルクスが
〈あー僕も単語がわからない!習ってないものなーいやー残念!〉
〈俺も俺も!〉
この日私たちは無知も武器になり得ることを知った。
〈-ヘタレ〉
貼り付けたような笑顔で何かを言い捨てると、ダニエラは立ち上がった。
〈そろそろ時間ね〉
ダニエラは速足で行ってしまった。
私たちはツィリルも連れて、教室へ向かい歩き始める。
〈'へたれ'ってなんだろう?〉
マルクスは、ダニエラが放った言葉を反復した。私も初めて聞く言葉だ。
《なんだろうな》
4人の中に意味を知っているものはいないようで、次はノアがツィリルに聞いている。
〈ツィリル 'へたれ'ってどういう意味?〉
するとツィリルはやや憐れむような目をして言った。
〈僕にもわからないや 。先生に聞くといいよ〉




