第98話 出勤するやり方(3)
管理番号 KR-05 自筆陳述書
陳述 3 — 窓口。
封筒 1。原文のまま転記。実名は▇処理。
* * *
我が係には、窓口が一つありました。
窓口と言っても、廊下側の壁に穿たれた四角い穴でした。穴の下には狭い棚があり、穴の上には木の板に墨で書いた文字が掛かっていました。「閲覧申請」。
書記が三人、三日ずつ交代でその穴の前に座りました。その週は私の番でした。
窓口の仕事は簡単でした。誰かが来て、ある人の消息を尋ねると、申請書を受け取ります。
申請書には、探している者の姓名、本籍、申請人との関係を書くことになっていました。
私はその申請書を受け取り、台帳と照合します。台帳にない名前なら「該当なし」の印章を押して返します。
台帳にある名前なら、処理欄を見ます。処理欄が「保留」なら「審査中」の印章を押します。処理欄が「移送」なら。
移送なら、「該当なし」の印章を押しました。
規則がそうでした。移送された者の記録は、閲覧の対象ではありませんでした。
閲覧の対象でない記録は、申請人にとって存在しない記録でした。存在しない記録ですから、該当がありませんでした。
私が初めてこの規則を教わったとき、それでは嘘になるのではありませんかと、係長に一度だけ問い返しました。
係長は、印章に刻まれた文字をもう一度読んでみろとおっしゃいました。該当なし。
この申請書に対して我が係が差し出す記録は該当なし、という意味だと。
私はその説明が正確だと思いました。それからは二度と問いませんでした。
〈7月3日、09:00〉
該当なし。
この印章の実物は、管理局文書庫の引き出しにある。木の柄は擦り減っている。
18年前、私はその柄を握ったことがある。温かくはなかった。
* * *
窓口の前には、朝から人の列ができていました。
順番をめぐる争いが絶えなかったので、私は自分の番が来るたびに番号札を作りました。
使えなくなった書類の裏面を手のひらほどの大きさに切り、数字を書いたものでした。
一日に三十枚。
その番号札を受け取った人たちは、たいてい返しませんでした。申請を終えても、手に固く握ったまま帰っていくのでした。
それで私は、三日ごとに三十枚ずつ新しく切りました。
パク書記は、私が番号札に使う紙は国の紙なのに、国の紙を人が持ち帰るのは国有財産の搬出だとからかいました。
私は、あの紙はどうせ捨てる紙ですと答えました。
パク書記は、捨てる紙でも捨てるまでは国のものだと言いました。
私はその言葉に反論できませんでした。その言葉のほうが、規則に近かったからです。
それでも番号札は作り続けました。列が争うより、紙が消えるほうが帳簿の上では静かでした。
* * *
その日の最初は老人でした。
息子を探していました。台帳にない名前でした。
該当なし。
老人はその印章を覗き込み、ここにないのならまだ無事なのだから、よかったと言いました。
私はその言葉に答えませんでした。台帳にないから無事なのか、私にはわかりませんでした。台帳にない人は、私の仕事ではありませんでした。
二番目も三番目も、該当なしでした。
四番目は審査中。
五番目は、申請書の書き方が間違っていたので書き直させました。本籍の欄に町名だけを書いて、番地を書いていなかったからです。
その人は、生まれてからずっとその家に住んでいるのに、番地を書く機会がなかったので番地を知らないと言いました。
私は、番地がわからなければ受け付けられないと言いました。
その人は番号札を握ったまま帰っていきました。
六番目は、三日ごとに来る男でした。
その男は他人を探しているのではありませんでした。自分の名前を申請書に書いていました。誰が自分の名前を役所に届け出たのか、確かめに来ていたのでした。
本人による閲覧は、規則にありませんでした。
規則にない申請は、台帳にない名前と同じ印章を受けました。該当なし。
男はその印章を見て、大きく息を吐きました。そして三日後、また来ました。
書記が三人で交代しながら窓口に座っていたので、その男は私たち三人から交代で同じ印章をもらっていきました。
パク書記は、あの男は我が係でいちばん誠実な申請人だと言いました。
係長は、その男の申請書を別にまとめておけとおっしゃいました。なぜまとめるのかは、おっしゃいませんでした。
私はその申請書を一束に綴じておきました。厚みは、かなりのものでした。
〈7月3日、10:50〉
彼は番号札を作った。私の知っている彼も、行列ができるとまず紙を切った。その癖の始まりが、ここにある。
* * *
十一番目は、女でした。
四十歳ほどに見えました。手の甲は荒れていて、チョゴリの袖口は濡れていました。
洗濯をしてきた人のようでした。
女は申請書を受け取ると、しばらくのあいだ、ペンを握ったままでした。
字を書けない人でした。
私は、代わりに書きましょうと言いました。窓口の書記が代筆することは、許されていました。
女は、息子の名前を言いました。
私はその名前を書き取りながら、手を止めました。
その名前は、私が昨日、台帳に書き写した名前でした。
七つのうちの一つ。
事由欄に元は「水を清める」と書かれていた申告書。
私がそれを「移入の疑い」に書き直した名前。
そして処理欄に、整った字で二文字を書き入れた名前。
女は、息子は優しい子だと言いました。
村の井戸が濁ると、その子が手を浸して抜くと、水が清くなった、と言いました。
幼い頃からそうでした。
村の人たちは、その子に感謝していました。
ところが、その感謝していた人たちのうちの誰かが、役所に名前を届け出たと言いました。
誰が届け出たのか、女は知っている様子でした。その名前を口にすることは、ありませんでした。
私は女に少し待ってもらうと言って、台帳を開きました。
開く必要はありませんでした。私は、その欄を覚えていました。
それでも、開きました。規則がそうだったからです。
確認は台帳で行う。記憶では行わない。
処理欄には、移送と書いてありました。
私の字でした。
整っていました。
女の濡れた袖の先から、しずくがひとつ、棚に落ちました。
しずくは、申請書の角に染み広がりました。
私は吸い取り紙を取り出して、その箇所を押さえました。
書類は濡れると字が滲み、滲んだ字は綴じることができませんでした。
女は、私が吸い取り紙を押さえているあいだ、袖を背中の後ろに隠して、すみませんと言いました。
私は、大丈夫ですと答えました。
書類は、大丈夫でした。
吸い取り紙に染みた水は、澄んでいました。
洗濯をしていたときの水だったはずなのに、それでも澄んでいました。
私は、申請書に「該当なし」の印を押しました。
朱肉を三度叩いて、欄のちょうど真ん中に。
一、二。
女は、その印をしばらく見ていました。
字が読めない人でしたが、その四文字の形は知っているようでした。
あの窓口でその形を受け取っていった人が、あの町に何人かいたのでしょう。
女は申請書を畳んで、チョゴリの中に入れました。
そして、書いてくれてありがとう、と私に言いました。
〈7月3日、11:30〉
この箇所の字は、震えていない。
前の陳述の洞簫の箇所より、整っている。
最初は、それが奇妙だった。読み返して、分かった。
彼はこの場面を書く前に、練習をしていたのだろう。
整えて書く練習を。
* * *
昼食のとき、私は弁当を食べきれませんでした。
豆を数えなかったからです。
蓋を開けて、数えようとして、数えませんでした。
数えていない豆は、食べるのが変でした。
パク書記が、今日はなぜ数えないのかと聞きました。
私は、暑いからだと答えました。
パク書記は、暑いからといって豆を数えない人を初めて見た、と言いました。
それから、自分の妻の妹の縁談がまとまった、とも言いました。
ミシンは、とうとう手に入りませんでした。
代わりに、花嫁の叔母が使っていた火のしが、嫁入り道具に入ることになりました。
パク書記は、火のしがミシンより重いという事実ひとつで、花婿の側を説得しました。
重いから、それだけ貴重な品なのだ、と。
花婿の側は、その言葉を受け入れました。
私は、その話で笑うべき場所が分かりました。
その場所で笑いました。
それは、正確な場所でした。
午後、課長はまた外勤に出られました。
その週だけで、三度目でした。
課長は出がけに、台帳の写しを別に作るな、と指示されました。
もともと、写しを作る仕事はありませんでした。
無い仕事をするなという指示を受けたのは、その日が初めてでした。
係長はその指示を聞かれ、長いあいだ窓の外を見ていました。
北側の窓なので、見えるものなど何もないのに。
それでも、そうしていました。
パク書記は、課長が出て行かれるとすぐに、無い仕事をするなと言われたら私たちの係の仕事は半分消えてしまう、とささやきました。
係長は、その言葉を聞こえなかったふりをしました。
私は、その言葉は間違っていると思いました。
半分ではなく、三分の一ほどでした。
ところが、その日の午後じゅう、机の上の書類は本当に減っていました。
上から下りてくる申告書が、半分に減りました。
私は、その半分がどこへ行ったのか気になりました。
気になったのは、その日が初めてでした。
〈7月3日, 14:20〉
「写しを作るな」
その週、この係で作られた書類は、ほかの週より少ない。
我々はその数を数えてみた。
お前は数えなかっただろう。
お前はその週、豆すら数えなかった。
* * *
退勤の電車で、私は三番目のつり革をつかみました。その日は、人が少ない日でした。
窓の外を牛車が通り過ぎました。袋がふくらんでいました。
私はそれを見ても、一日がきちんと終わったという気がしませんでした。
何が埋まっていないのかは、わかりませんでした。勘定がひとつ足りないような気がしていました。
私は赤ちゃんのことを考えました。赤ちゃんが大きくなって、井戸に手を浸す場面を考えました。
その手が水を澄ませる場面。
近所の人たちが感謝する場面。
そして、感謝していたその人たちのひとりが、官庁に自分の名前を届け出る場面まで考えました。そこで、考えるのをやめました。その次の欄は、私が知っている欄でした。
私は、その考えは正確ではない、と結論づけました。私の赤ちゃんは、水を澄ませませんでした。その欄に入る事由がありませんでした。
事由のない名前は、台帳に載りませんでした。だから、私の赤ちゃんは大丈夫でした。私はその勘定が合っていると思いながら、電車を降りました。
家の前の路地で、妻が赤ちゃんを抱いて私を待っていました。
赤ちゃんは私を見て、手を伸ばしました。私は赤ちゃんを受け取り、抱きました。
赤ちゃんの手は、あたたかくて、少し湿っていました。妻は、水が澄んでいないので赤ちゃんの手を二度洗って、たった今拭いたところだ、と言いました。
その晩、私は台帳については何も考えないようにしようとしました。考えないことは、私の得意なことでした。
その日も、うまくやりました。
ほとんど。
〈昭和20年7月3日, 21:40〉
* * *
その窓口でお前が押した「該当なし」は、その年だけで四百を超えた。
その日の午前の十一番目は、そのうちでお前が最後まで名前を覚えていた、ただ一度だった。




