第97話 出勤するやり方(2)
管理番号 KR-05 自筆陳述書
陳述 2 — 給料日。
封筒 1。原文のまま転記。実名は▇処理。
* * *
給料日は二十五日でした。
その日は事務所の空気が違っていました。
朝九時、課長が訓示をなさいました。給料日ごとの訓示でした。
「給料は上からいただくものだ。無駄に使うな。酒場と花札の席には近づくな。妻子を第一に考えろ」
課長はその訓示を、いつも同じ紙を見ながら読んでいました。紙は折り目が擦り切れて、四つに裂けそうになっていました。
私は三か月目には、その訓示を全部覚えていました。
四か月目に入った月、課長は「花札の席」を飛ばして読んだのです。私はその空白が一日中気にかかって仕方がありませんでした。
退勤のとき、係長にその話をすると、係長は、課長は先週花札をしていて見つかったのだと教えてくれました。訓示にも事情がありました。
私はそれから、訓示で飛ばされる言葉があると、その事情を推し量る癖がつきました。
誰も給料の話はしませんでしたが、全員が給料のことを考えていました。係長は午前中に三度、ペンを落としました。パク書記は妻の妹の縁談の話をしませんでした。
その日ばかりは、ミシンの値段が具体的な数字として頭にあったのでしょう。数字が具体的であるほど、人は黙り込みました。
午後三時、会計係の老人が上がってきました。老人は盆に封筒を載せて配って回りました。
私たちはその老人を「盆の老爺」と呼んでいました。本人の前では呼びませんでした。
盆の老爺は封筒を渡すたびに、指に唾をつけました。封筒を一枚ずつつまむ必要があったからです。
その唾は封筒の角に残りました。
私は家に帰ると、その角を妻に隠れて布巾で拭きました。金に罪はありませんでしたが、唾は老爺のものでした。
私の分は封筒が二つでした。
一つは給料でした。表に私の名前と職級、その月の金額がペンで書かれていました。
もう一つは少し薄い封筒でした。表に「実績手当」と印字され、その下に数字が一つありました。
その数字は金額ではなく、件数でした。その月に私が処理した「移送」の件数。
私はあの封筒を初めて受け取った月を覚えています。
勤め始めて3か月目のことでした。
課長は封筒を手渡しながら、仕事を正確にする人には正確に返ってくるものだと言いました。
私はその言葉が好きでした。「正確に返ってくる」という言葉。
私はあの封筒を、自分が押した印章の端正さに対する値段だと思っていました。
印章一つでいくら。そう考えれば、計算は合いました。
〈6月25日、15:10〉
実績手当。
18年前、私が初めてめくった書類綴りにも、この言葉はありました。
あのとき私は、この言葉の横に鉛筆で疑問符を描きました。
今、改めて見ると、疑問符は必要ありませんでした。
* * *
申告書が会計の方へ回る理由も、その頃に知りました。
月末になると、会計係の帳簿に申告人の名前が一行ずつ載りました。名前の横には金額が記されました。
申告書が一枚、移送で終われば金額は大きく、保留で終われば小さくなりました。何でもないことで終われば、金額はありませんでした。
つまり、申告する人たちも実績手当を受け取っていたわけでした。
私はその帳簿を偶然に見ました。
盆の老爺が盆を私の机に置いて便所へ行った、その間でした。
帳簿は開いたまま、盆の下に敷かれていました。
私はその帳簿を閉じてやりました。他人の帳簿が開いているのは、正確なことではなかったので。
ただ、閉じる前に一つの名前を見ました。
キム某。
その名前は、その月だけで七度ありました。
私たちの台帳で、その人が書いた申告書を、私は七度書き写しました。
字が異様に乱れている人でした。「不審」と書くべきところを、いつも「不信」と書くのです。
私はその「信」を七度、「審」に直しました。
そのキム某を直接見たのは、それよりずっと後のことでした。
彼は人を連れてきました。正確には、人を連れてきた制服の後ろに立っていました。
私はその人の顔を見て思いました。
ああ、この人が「信」なのか。
〈6月25日、15:40〉
彼は「制服」としか書かない。
それがどんな制服だったのかは、書かない。
その人は、いつもそう書いた。大事な言葉は、欄のいちばん端へ押しやった。
* * *
昼時、パク書記の弁当には、初めて見る塊が入っていました。
黒ずんで硬い塊でした。
パク書記は、それは豆搾り粕だと言いました。
油を搾りきった豆の搾りかすを、固めて蒸したもの。
近頃の配給には、それも混じって出てくるのだそうです。
パク書記は箸でその塊を突いてみて、これは豆ではなく、豆の幽霊だと言いました。
豆はどこかへ行ってしまい、豆だった記憶だけが残った塊。
私は、その説明は正確だと思いました。
私は笑うまいと思いましたが、笑いました。
パク書記は、私が笑ったのに力を得て、その幽霊をひと口かじりました。
そしてしばらくの間、何も言いませんでした。
噛むのに、長くかかりました。
私は自分の弁当の豆を数えてみました。九粒。
私はそのうちの三粒を、パク書記の弁当の蓋の上に載せてやりました。
パク書記は、私を変な人でも見るように見ました。
私は、その豆三粒が今日一日でいちばん正確でないことだと思いました。
計算が合わなかったからです。
それでも、しました。
なぜしたのかは、今も正確には分かりません。
パク書記は三粒を一粒ずつ食べながら、言いました。
「君は、豆を数えてから人にやるんだな」
私はそうだと答えました。
パク書記は、来月の実績手当が出たら自分が豆を買うと言いました。
豆は配給でしか出ないので、買えないということを、私たちは二人とも知っていました。
私たちは、その言葉が嘘だと知りながら、その言葉を交わしました。
それが、あの時代のあいさつでした。
〈6月25日、12:30〉
キャプションの時刻が逆だ。15:40の次に12:30。
彼はこの場面を後から差し込んだ。豆三粒は、最初に書いたときには抜けていたのだ。
* * *
退勤路に、妻と市場へ寄りました。
妻は給料日になると、市場の入り口で私を待ちました。赤ちゃんをおぶったまま、買い物かごを持ったままの姿でした。
妻は私の給料袋を受け取っても、その場では開けませんでした。家に帰って床に広げ、一枚ずつ数えるのでした。
市場はいつも半分ほど空いていました。台はそのままなのに、台の上だけが空いていました。
妻は魚の台の前で長いこと立ち止まっていました。サバが三匹いて、買おうとしている人は五人いました。
妻は魚屋に、半匹だけ売ってもらえないかと尋ねました。魚屋は、半匹に切ったら残りの半匹は誰が買うのかと聞き返しました。
妻は後ろに並んでいた女の人を指しました。その女の人はうなずきました。そうしてサバ一匹が、二つの家へ行くことになりました。
私は横で、その勘定が合っているのかどうかを確かめてみました。頭の側の半身と尻尾の側の半身では、重さが違うのでした。妻が受け取ったのは、尻尾の側でした。
家へ帰る道でその話をすると、妻は尻尾の側のほうが身が多いと言いました。私はその言葉が間違っていると知っていましたが、直しませんでした。
市場で使うお金は、妻のチョゴリの内ポケットから出てきました。それは先月の給料から取っておいたお金でした。
妻は、今月のお金は今月のうちに数え、先月のお金は先月のうちに使いました。私は妻のそのやり方が気に入りました。混ざり合わなかったからです。
家に帰ると、妻は赤ちゃんを下ろすとすぐに、雑巾で床を一度ぬぐいました。その上に、給料袋からお金を出して広げました。
妻は紙幣を表が上になるように、頭が同じ側を向くようにそろえてから、数えました。
私はそのそろえ方を妻に教えたことはありませんでした。妻はもともとそうやって数えていたと言いました。嫁ぐ前に実家の米屋で覚えた数え方だと言いました。
私はその言葉を聞いて、この人と結婚してよかったと思いました。その思いは口には出しませんでした。
妻が紙幣を数えているあいだ、赤ちゃんはその紙をめくる音を聞いているうちに眠りました。洞簫の音なしで眠ったのは、その日が初めてでした。そのときは、それがどういう意味なのか、私には分かりませんでした。
実績手当の封筒は、妻に渡しませんでした。
その封筒は、箪笥の一番下の段で、私の靴下の下に別に貯めてありました。
妻に隠したわけではありませんでした。
妻も、その封筒があることを知っていました。
ただ、あの封筒のお金は生活費には使わないことにしていたのです。
貯めて、土地を買うことにしていました。
赤ちゃんが大きくなったら、他人の家の使用人部屋ではなく、自分の家の庭を歩かせたかったのです。
妻はその計画を気に入りました。
妻は、あの封筒が何の代金なのか、尋ねませんでした。
私も言いませんでした。
話す必要を感じなかったからです。
印章の代金でしたから。
その夜、隣の家は静かでした。
隣の男は、毎晩、庭で洞簫を吹いていました。
下手な洞簫でした。
同じ節を、いつも同じところで間違えました。
赤ちゃんがその音で眠ってくれたので、私たちはその間違えた節をありがたく思っていました。
その日は、洞簫の音がしませんでした。
翌日も聞こえませんでした。
三日目、隣の女が井戸端で他の女たちに何か話している途中、私を見て口を閉じました。
その晩、隣の女が私たちの部屋の前に来ました。
妻ではなく、私を訪ねてきました。
女は、私が役所に通っていることを知っていました。
夫が三日前に仕事へ出かけたまま戻らないと言いました。
役所で、そのような人を見たか、聞いたことはないかと尋ねました。
私は知らないと答えました。
その答えは正確でした。
私はその男の顔を、台帳で見たことがありませんでした。
台帳には顔の欄がなかったからです。
女は頭を下げて帰りました。
妻が私の後ろで、あの人は本当にお気の毒だと言いました。
私もそう思いました。
本当にそう思いました。
私は隣の男の名前を知りませんでした。
姓だけは知っていました。
ところが、その週に私が書き写した名前の中に、その姓がありました。
本籍もこの町でした。
事由は「挙動不審」。処理欄には「移送」。
私はそれがその人かどうか、確かめませんでした。
確かめるには台帳をもう一度開かなければなりませんでした。
台帳は事務室にありました。
翌日、出勤して台帳を開いたときには、もう別の名前を書き写していました。
移送された人たちがどこへ行くのか、私は尋ねませんでした。
尋ねる欄はありませんでした。
〈6月27日、21:50〉
洞簫。
この箇所で、彼の筆跡が初めて一度だけ揺れる。
「移送」の「送」の字の脚が、欄の下へ少しだけ下がっている。
彼が残した数千枚の書類のうち、私が見つけた揺れは、これ一つだけだ。
* * *
その月、彼の実績手当の封筒に押された件数は十四だった。
彼は箪笥の一番下の段にその封筒を入れながら、靴下をきちんと畳み直した。




