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第96話 出勤するやり方(1)

管理番号 KR-05 自筆陳述書

陳述 1 — 出勤のやり方

封筒 1。原文のまま転記。実名は▇で伏せた。


* * *


私はただの公務員でした。


この一文を最初に置くことにしたのは、それが最も正確な文だからです。私は正確なものが好きでした。枠に合う文字、日付の抜けていない書類、末尾の桁まで合う計算。そういうものが私を楽にしました。ですから、この陳述も正確なところから書きます。私はただの公務員でした。朝は出勤し、夕方には退勤しました。その間に書類を触っていました。


朝は5時半に始まりました。私たちは門屋の離れの間を借りて住んでいました。部屋が一間、台所が半間。大家の鶏が私たちの部屋側の塀の下で鳴いたので、時計はいりませんでした。それでも私は時計を見ました。鶏はたまに間違え、時計は一度も間違えませんでした。


妻の▇▇は、私より先に起きていました。台所で弁当を詰めていました。麦が七、米が三。その上に豆を何粒か載せ、大根の漬物を片端に押し込みました。私は顔を洗って戻り、弁当の蓋を閉める前に豆を数えました。その日は十一粒でした。前日は九粒でした。妻は、私が豆を数えるのを知っていました。初めは嫌がり、後には一粒ずつ増やしてくれました。私はそれがありがたかった。ありがとうとは言ったことがありません。豆二粒にありがとうと言うのは、正確でない行いのような気がしたからです。


赤ちゃんは百日が過ぎたばかりでした。赤ちゃんは毎朝、私が洋服のボタンを留める音で目を覚ましました。ボタンは五つで、赤ちゃんは三つ目のあたりで泣きました。私は五つとも留めてから赤ちゃんを抱きました。順番を変えると、一日中ボタンが一つ留まっていないような気がしたからです。


〈7月2日、06:10〉


字は端正だ。枠からはみ出した線が一本もない。あの人はもともとこう書いた。


* * *


電車の停留所までは、歩いて12分でした。


停留所といっても、路上に立っているだけでした。道の真ん中を電車が通り、両脇を牛馬車が行きました。牛や馬の尻には、それぞれ袋が一つ下げられていました。道に糞を落とせば飼い主が罰金を払わされたからです。私はその袋を見るたび、あれを空にするのは誰なのか、その人は一日に袋をいくつ空にするのか、その仕事にも帳簿があるのかを考えました。きっとあったのでしょう。帳簿なしで回っている仕事はありませんでした。


電車が来ると、女の車掌が忙しくなりました。車掌は金を受け取り、切符をちぎり、次の停留所の名を呼びました。前には行き先を漢字で書いた布が、巻物のように差し込まれていました。停留所に着くたび、助手がその布を一枠ずつ回しました。私はその布の回る音が好きでした。次の名が決まった順序どおりに現れました。飛ばされる名はありませんでした。


車掌は切符をちぎるとき、いつも同じ場所をちぎりました。


ある日、その手が滑りました。私の切符は斜めに裂けました。車掌は何事もなかったように、次の人の切符を受け取りました。


私は降りる停留所まで、その歪んだ切符を手のひらに載せて眺めていました。


歪んでいたのは切符でした。なのに、その日の午前中ずっと、歪んでいるのは私のほうだったような気がしていました。


私はいつも同じ場所に立ちました。後ろの出入口のそば、つり革の三番目です。


同じ時刻の電車には、同じ顔ぶれが乗っていました。誰とも言葉を交わしませんでしたが、私はその人たちの順番を知っていました。


眼鏡をかけた学生が降りてから、二つ先の停留所で、包みを提げた女が降りました。その順番が狂う日がありました。学生の姿が見えない日です。


そんな日は、学生は病気だろうかと考えました。考えはそこで終わりました。学生の名前を知らなかったからです。名前を知らない人の事情は、私の事情ではありませんでした。


彼は電車の順序が好きだったと書いている。私の知っている彼も、どこへ行くにもまず路線図を探した。初めて行く道ほど、長く見入っていた。


* * *


事務室は二階の北の端にある部屋でした。


日の当たらない部屋でした。書類に陽が当たると紙が黄色く変色すると、課長が言っていました。私たちの部屋には五人がいました。課長、係長、それに書記が三人。私は書記のなかでいちばん若く、窓からいちばん遠い机を使っていました。窓から遠い席は冬は暖かく、夏は暑いのでした。七月でしたから、暑かったのです。


私の机の上には台帳がありました。私の指の関節四つ分ほどの厚さがある帳簿でした。欄は七つありました。番号、氏名、年齢、本籍、受付日、事由、処理。他の部署から申告書が上がってくると、私はその内容を台帳に書き写しました。申告書の字は、たいていひどいものでした。私はそのひどい字を、整った字で写しました。それが私の仕事の半分でした。


残りの半分は印章でした。


課長は印章に厳しい人でした。朱肉は三回叩くこと。二回では薄く、四回ではにじむ。印章は欄のちょうど真ん中に。傾けないこと。押し終えたあとは、すぐに離さず、一、二と数えること。入社した最初の月、私はこの決まりを守れず、台帳を一枚書き直しました。その後は一度も間違えませんでした。課長は他の係の人たちの前で私の台帳を広げて見せ、印章はこう押すものだとおっしゃったことがあります。その日、家に帰って妻にその話をしました。妻は、印章を上手に押すことが自慢なのかと笑いました。私は自慢だと答えました。今思い返しても、それは本当のことでした。


その日の午前中に、申告書が七枚上がってきました。


申告書のいちばん下には、申告した人の名前を書く欄がありました。その欄は台帳には写しませんでした。申告人の名前は別にまとめて、会計へ送りました。なぜ会計へ送るのか、そのときの私は尋ねませんでした。月末になれば、おのずと分かることでした。


私は七つの名前を台帳に書き写しました。


事由欄は、いつも一行でした。申告書の事由欄が長くても、台帳には一行に縮めて書くのが規則でした。


その日の事由のうち、「挙動不審」が三つ、「移入の疑い」が二つ。残りの二つは「水を清める」と「子供の熱が下がる」でした。


後ろの二つは、事由には見えませんでした。


それで私は、それを「移入の疑い」に書き換えました。そう書き換えるのも規則でした。事由は、決められた言葉の中からしか選べませんでした。


処理欄には、係長が鉛筆で前もって印をつけておいてくださいました。私はその鉛筆の印を、ペンで書き写しました。


七つの処理欄のうち、六つは「保留」で、一つが「移送」でした。


私はその二文字を、整った字で書きました。移、送。


そして朱肉を三回叩いて、印章を押しました。一、二。


〈7月2日、11:40〉


事由欄は、いつも一行。


私は18年前に、まさにその台帳をめくったことがある。あのときは、印章だけを見た。字がこれほど整っているとは、知らなかった。


* * *


昼食は、机の上で食べました。


隣の席のパク書記は、弁当の蓋を開けるたびに、まず私の弁当を覗き込みました。その日もそうでした。


パク書記は私の豆を数えて、十一粒だと言いました。私も知っていると答えました。パク書記は、自分の弁当には豆がないと言いました。その代わり、自分の弁当には話があると言いました。


パク書記は食事のあいだ、休みなくしゃべり続けました。義妹の縁談、質屋の主人の金歯、昨日見た活動写真。


私は聞いているふりをしながら、豆を食べました。一粒ずつ、十一回。


パク書記が訊きました。


「今日、移送が一つあっただろう?」


私はそうだと答えました。


パク書記は、どこへ行くのか知っているかと訊きました。私は知らないと答えました。パク書記も知らないと言いました。


私たちはその話をやめて、義妹の縁談の話に戻りました。


新郎の側が、嫁入り道具にミシンを欲しがっていると言いました。パク書記は、ミシンをどこで手に入れるのかと、ため息をつきました。


私は、あのため息が移送の話よりも長かったことを、今でも覚えています。あのときは、そんなことを測りはしませんでした。


〈7月2日、12時30分〉


パク書記。この人物の名前は、台帳のどこにもない。私は探した。


* * *


午後、決裁が回ってきました。


決裁板のいちばん下の右側には、欄が五つありました。起案者、係長、課長、その上の二つ。私の欄はいつもいちばん右下、いちばん小さな欄でした。私はその欄が気に入っていました。いちばん最初に押す欄で、いちばん小さな欄でした。最初と、いちばん小さいもの。私の印がそこに押してあると、上の印が順に上がっていきました。私は自分の印が梯子の一段目のようだと思っていました。梯子のてっぺんに何があるのかは知りませんでした。一段目に立つ者は、てっぺんを見る必要がありませんでした。


五時に、課長が帽子をかぶりました。私たちは課長が階段を降りきるまで待ってから、立ちました。それも規則でした。書かれた規則ではありませんでしたが、書かれた規則よりよく守られていました。


退勤の電車は、朝より混んでいました。私はつり革の三番目をつかめず、五番目をつかみました。二つ分の違いでしたが、窓の外の景色は違って見えました。朝に見た荷馬車の袋は、夕方にはふくらんでいました。それを見て、私は一日がきちんと終わったと思いました。一日分が満たされていたからです。


電車を降りて、路地の入り口にある班長の家に寄りました。翌日に米を受け取るには、配給通帳に班長の判が要りました。班長は五十を過ぎた洋服屋の主人で、判をいつも斜めに押しました。私はその判を見るたびに、手がむずむずしました。一度、これからは欄の真ん中に押していただけたらと言って、米より判が大事なのかと小言を言われました。私は答えられませんでした。どちらも大事で、どちらがより大事かと書く欄はありませんでした。その日も判は斜めでした。私は家まで歩くあいだ、その傾きを頭の中でまっすぐに直しました。


家に帰ると、赤ちゃんが寝ていました。妻が弁当箱を受け取って振ってみました。空の箱からは音がしませんでした。妻はそれがいいと言いました。全部食べたという意味だからです。


夜、横になって、私はその日書き写した七つの名前を思い出そうとしました。三つまでは思い出せました。残りの四つは出てきませんでした。移送された人の名前も出てきませんでした。私はその人の顔を見たことがありませんでした。名前だけを見ました。名前は欄の中にあり、欄の中にあるものはすぐ忘れられました。


ただ、その名前の隣に私が書いた二文字だけは覚えていました。端正だったからです。


〈7月2日、22時5分〉


* * *


その日、彼が数えた豆は十一粒で、彼が書き写した名前は七つだった。


彼は豆の数を、最後まで覚えていた。


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