第81話 逃げるやり方(2)――継ぎの月
管理番号KR-07 矯正相談記録
課題24 — 初霜
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この課題は相談室で書く。相談室使用申請書を出した。
使用目的の欄には課題作成、理由の欄には最後の章と書いた。教務課は、その理由を差し戻さなかった。
最後という言葉は、この国の書類ではよく通る理由らしい。
同室のご老人は、俺が相談室に行くと言うと訊いてきた。
「今度が最後か」
俺はそうだと答えた。
「連続ドラマの最終回はな、いつも面白くないんだ。みんな知ってる話を長々とやるからな」
ご老人はそう言って、付け足した。
「最終回ってのは、そもそも面白さで見るもんじゃない。終わったってことを確かめるために見るんだ。確かめて、それから次の連続ドラマを待つんだよ」
ご老人は、次の連続ドラマは何かと訊いた。俺は知らないと答えた。
先生は鉢植えを見ている。俺はノートを見る。半々だ。
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相談室使用申請書、理由:最後の章。受理された。
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あの騎士が来て6年目の晩秋だった。初霜が降りる二日前。
俺は東の端の村にいた。最後の訪問だった。大麦を置いた。
院長は、値段を訊かない俺を最後まで疑いながら、大麦を受け取った。
司祭が来ていた。季節でもないのに。あの騎士を連れて行くために来たのだった。
司祭は食堂で命令書を読み上げた。別の世界から招請された者は用済みになったので、大法則によって来た場所へ帰る。
俺は食堂の扉の外で、その声を聞いた。
あの騎士は、七日間、残らせてほしいと懇願した。司祭に、団長に、院長に。
俺はそれを眺めていた。あの騎士は、俺には懇願しなかった。俺はあの騎士の人間じゃなかったから。
俺はその七日間、計算をしていた。
初霜が降りる日。あの騎士は神殿の庭の真ん中の石の上に立ち、光の門を通って、来た空へ帰る。
同じ日、俺は自分の城中庭に立って、封印官の封印の中へ入る。永遠に。
あの騎士には扉が開き、俺には扉が閉じる。同じ日の朝に。
* * *
司祭から教わったことがある。
井戸端で1年半かけて交わした話だ。
司祭は、帰還を執行する者だった。
俺は訊いた。
それがどう行われるのかを。学堂で使っていた言葉で。
司祭は隠さなかった。
「告解した者に、隠すことはない」
そう言った。
大法則は、空と空のあいだに道を敷く。
招請のときは、彼らの文書がその道を開く。
帰還のときは、司祭の手がその道を開く。
手を額に当てれば、扉が立つ。
扉の中には、帰る者の席がひとつある。
大法則は、空席を残さない。
帰る者ひとりにつき、席がひとつ。
そして司祭は、付け加えた。
その扉を開いているあいだ、司祭の魂は扉枠になる。
扉が閉じれば、魂も元の場所へ戻る、というものだった。
俺は、それを聞いた。
その夜、俺は学堂の地下にあった十一本の巻物を思い出した。
名のないものを呼ぶ法。
それを収める法は、ない。
そして、懐の中の招請事由書。
招請する空。その代価。
彼らは、文書で道を開いた。
司祭は、手で道を開く。
俺は、そのどちらも知っていた。
道を開く文書と、道を開く手。
そして、名のないものを掴まずに解き放つ法。
扉枠になった魂を、扉枠から剥がしたら。
その扉は、誰のものになるのか。
* * *
司祭から聞いた帰還の理。
彼が初めて『送還』の方法を使う。
* * *
初霜の前日、司祭とあの騎士は峠を越えた。
俺は一日遅れて、馬で発った。日が沈んでから、神殿に着いた。
大きな村の真ん中の、小さな神殿だった。中庭には平たい石が円く敷き詰められていた。真ん中の石だけが、窪んでいた。
馬の蹄の音を聞きつけて、司祭が蝋燭を持って出てきた。
俺は馬から降りた。司祭は蝋燭を少し持ち上げて、俺の顔を見た。そして、驚かなかった。俺が来ると分かっていた、という顔だった。
俺は、最後の告解をしたいと言った。
神殿の窓から、あの騎士がこちらを見ていた。俺は、あの騎士を見なかった。
司祭の後ろに従って、神殿の裏の小さな部屋に入った。司祭は告解を聞いた。
俺は言った。
「明日の朝、俺は自分の城中庭には行かぬ。封印官が待つ、あの中庭には。代わりに、ここに立っていよう。この中庭に」
司祭は長いこと、俺を見た。右の眉は上がらなかった。司祭は笑わぬときは、左右の眉が同じ高さだった。
司祭は、それでは俺の土地はどうなるのか、分かっているのかと訊いた。
俺は答えなかった。
司祭はもう一度訊いた。
「そなたが立たなかった場所に、誰が立つのか。そなたは知っておるのか」
俺は答えなかった。
それでも司祭は、俺の額に手を置いた。告解が終わればいつも、そうしてくれた。手は温かかった。
その温かさが、俺をその夜、あの神殿に留まらせた。司祭の手が冷たかったなら、俺はその夜、馬を返して自分の城中庭へ行ったかもしれない。
司祭は最後まで司祭だった。だから俺は最後まで、あの神殿にいた。
* * *
その夜、俺は神殿の扉の陰に立っていた。一晩中。
神殿の中では、あの騎士が長椅子に横になっていた。椅子が短くて、足が外へはみ出していた。司祭の毛布を掛けたままだった。
あの騎士は眠れずに、天井を見ていた。
俺は、あの騎士の足を見た。裸足だった。
俺はその夜、計算を終えた。
封印は永遠だった。
封印官は1年半をかけて、俺を閉じ込める枠を組んだ。その枠の中では、俺は死ぬこともできず、出ることもできない。
俺の土地の民は、その代価として安全だ。計算は合っていた。
1年半前、封印官の前で署名したときも、計算は合っていた。
ところが、その夜、俺は別の計算をした。
扉が一つ。その扉の向こうの空。
その空には、俺を知る者がいない。その空のどんな書類にも、俺の名前は事由の欄に書かれていない。
その空で、俺は売国奴でも領主でも、城壁の上の魔法使いでもない。その空で、俺は何でもない。
何でもない者は、閉じ込められない。
その計算には、俺の土地が抜けていた。
俺は知っていた。知りながら、その計算をした。
* * *
日が昇った。初霜が、庭の石の上に白く座っていた。
あの騎士が、真ん中の石の上に立った。裸足で。
司祭が、曲がった蝋燭に火を点けた。あの騎士が作った蝋燭だった。炎が、斜めに立った。
司祭が手を上げた。光が立った。柱のようでもあり、扉枠のようでもある光。その内側は白かった。
白いものの向こうから、あの騎士を呼ぶ声がした。あの騎士の名前だった。別の空の言葉でできていた。
司祭の手が、あの騎士の額へ向かった。あと指一節というところで、俺は陰から出た。三歩。
司祭の手首を掴んだ。手袋をはめた手で。
司祭は、俺を見た。俺が誰か、分かっていた。昨晩、告解を聞いた者だと。その告解が、何であったかも。
司祭の口が開いた。やめよ、という言葉だったのだろう。俺はその言葉を聞かぬために、手に力を込めた。
そして、巻物の方法を使った。
名前を呼ばず、意味だけを送る法。捕らえず、解き放つ法。
俺はその法を、司祭の手首に使った。扉枠になった司祭の魂を、扉枠から解き放った。
司祭が悲鳴を上げた。
体の中の何かが、体の外へ引きずり出される音だった。
その音は、俺の手袋を通り抜け、手のひらへ入ってきた。
温かかった。司祭の手は、最後まで温かかった。
その温かいものが、俺の中へ流れ込んだ。
扉枠が俺のものになった。扉が、俺を認めた。
扉の中には、席が一つあった。あの騎士の席。
大法則は、空席を残さない。しかし、扉枠になった者は、扉を通ることができる。
司祭は、そう言った。
俺は、扉の中へ歩いて入った。俺の前に、あの騎士がいた。
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送還の道を開いた司祭の魂を、扉枠から剥がし取った。課題16のくだりと同じ場面が、今回は方法まで書かれていた。
このくだりから、字が揃っている。課題6の巡回騎士の段落と同じ筆跡だ。
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扉の中は、白かった。
白いものが、果てなく続いていた。
その白いものの中に、行列があった。別の扉から入ってきた者たちが、列をなして歩いていた。
空から呼ばれてきて、帰っていく者たち。
皆に、自分の席があった。行列には、空席がなかった。
俺は、あの騎士の後を追った。司祭の魂を、扉枠として握ったままだった。
扉枠は、扉を通る者ではない。扉枠は扉だ。
俺は扉になって、あの騎士とともに歩いた。
行列が、俺を感じた。一度、揺れた。
大法則は空席を残さないが、余分な席も置かなかった。
その次は、白いものが割れる音だった。
空が怒った。ほかの言葉では書けない。
学堂で神の怒りと呼ばれていたものを、俺はそのとき初めて聞いた。
音ではなく、重さだった。
白いもののすべてが、俺を押し潰した。
俺が握っていた司祭の魂が、引き裂かれた。扉枠が、壊れた。
司祭の悲鳴が、もう一度上がった。今度は短かった。そして、止んだ。
俺も、引き裂かれた。
俺が知っているものたちが、白いものの中へ散っていった。
師匠の縦書き。エスベルの三つの井戸。マセルンの冷たい手。カネン川。十一の森。俺の領地の谷。俺の名前。
一つずつ、手から抜けていった。掴もうとした。掴めなかった。
俺は、名のないものを呼ぶ法は知っていても、散っていくものを集める法は知らなかった。
残ったのは、あの騎士だった。
すぐ目の前にあった、あの騎士の後ろ姿。
俺はその後ろ姿にしがみついた。あの騎士が6年のあいだ、子どもたちにしがみつかれてきたように。
あの騎士には、自分の居場所があった。
俺はその居場所へ、一緒に落ちた。
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目を開けた場所は、白い部屋だった。
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あの騎士は、その部屋で俺になった。いや、俺があの騎士になった。
俺は自分のものを全部失って、あの騎士のものだけを持った。
孤児院の塀の上の6年。魚油の匂い。梯子の下の数字。司祭の温かい手。
あの騎士の記憶で、俺は3年以上生きた。
あの騎士の正義の口調で。あの騎士が正しいと信じたものを、正しいと信じながら。
あの騎士は、どこへ行ったのか。
それはこの課題には書かない。移送車両の中の出来事だから。それは次に書く。
先生は、なぜそんなことをしたのかと、お訊きになるだろう。
封印官の前で署名した者が、初霜の日の朝、なぜ城中庭ではなく神殿の庭に立っていたのか。
俺は上に、算段をしたと書いた。
何者でもない者は、閉じ込められない。別の空には、俺の名前がない。その算段には、俺の領地が抜けていた。
それは理由ではない。
理由を探す癖は、この身体がこの刑務所で2年半のあいだに身につけた癖だ。
疲れのせいで。教本のせいで。説教のせいで。罪悪感が夜に降る罰のせいで。
この身体は、毎回、理由を探した。
俺はこの身体の癖を借りて、理由をもう一つ作ることができる。
司祭の手が温かかったから。封印が永遠すぎたから。空が奴らの味方だったから。
だが、この課題を書く手は、今は一つだ。
この手では、理由は書けない。
そうだ。本当は、俺がやりたかったことなんだ。
言い訳はできないな。
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筆体が一つだ。
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彼は最後の一文を書き、ペンを置かなかった。
次の行へ移ろうとして、止まった。次の行は、空白だ。
初霜はその日、神殿の庭の石の上に降りて、日が高く昇ると溶けた。
彼の城中庭にも、同じ日、同じ霜が降りていた。




