第64話 筆跡(3)――まつり縫いの月
牧師は囚衣の襟を飯粒で立てた。
朝の配膳で出た飯をひと匙だけ残し、指で潰した。それを襟の内側に薄く塗って、手のひらで押さえた。しばらく押さえ続けてから手を離すと、灰色の囚衣の襟がぴんと立った。
牧師はその襟を、鏡の代わりに洗面台の蛇口に映して見た。蛇口に映った牧師は鼻が長かった。それでも襟は立った、と満足した。
「審査員は襟から見る。襟が立っていれば、人も立っていると思うもんだ」
入所して400日目の日だった。牧師の仮釈放審査の日だった。
牧師は半年間、面接の練習をした。俺が面接官だった。
出所後の計画は、教会を再び開くことから、教会に通うことに変わり、そこからまた、教会の近くにも行かないことに変わった。
被害者に言いたいことは、半年間で一行も増えなかった。被害者が多すぎて、誰の顔を思い浮かべればいいのか分からない、と牧師は言った。
代わりに牧師は、最後に言いたい言葉をひとつ用意した。その一文は、練習のときには一度も聞かせてくれなかった。審査場で初めて口にするのでなければ、本物のようには聞こえないからだ、と言った。
* * *
牧師が審査場へ行っている間、俺は作業場でショッピングバッグを折っていた。
取っ手の紐を穴に通し、結び目を作り、次の袋を取る。200枚ほど折ったところで班長が来て、牧師の席に積まれた空袋の山を見た。
「牧師の分は今日、誰が折るんだ」
俺は答えず、牧師の分の袋を引き寄せて折り始めた。班長はそれを見て、うなずいた。
他人の分まで折るのは、作業日誌に書く欄がない、と言った。欄がないので、奨励金もない。
手が袋を折っている間、俺は審査場のことを考えた。長い机。その後に座った人たち。その前に、襟を立てて座った牧師。
審査員たちは牧師の書類をめくりながら、牧師が反省したかどうかを決めるのだろう。他人の反省を決める人たち。
裁かれる者は一日老い、裁く者は一年老いる。
手が止まった。紐が穴の半ばで引っかかっていた。
俺がその文を思い出したのではない。その文のほうが、浮かんでいた。
古風な硬い言い回しではなかった。代わりに、「〜しよう」という語尾が二度入っていた。
俺は紐を最後まで通した。そういう文に二度遭遇してからというもの、俺はそれを書芸班の教本と牧師の説教のせいにしてきた。
今日は牧師もいなければ、教本もなかった。
俺は結び目を、いつもより強く結んだ。その日、その封筒は取っ手が外れなかった。
隣の席のうなぎの刺青が、俺のほうをちらりと見た。牧師の分まで折っているのを見て、自分の分も少し折ってくれと言った。
俺は、それは駄目だと言った。
うなぎの刺青は、牧師はよくて自分はなぜ駄目なのかと食い下がった。
俺は、牧師は今日、審査を受けに行ったのだと言った。
うなぎの刺青は、では自分も来月、審査を受けに行くから、その日は折ってくれと言った。うなぎの刺青の仮釈放審査は3年後だった。
俺はその日は折ってやると約束した。3年後も自分がこの作業場にいるかどうかは、考えなかった。
* * *
牧師は昼過ぎに戻ってきた。襟は相変わらず立っていた。ご飯粒が午前中ずっと持ちこたえたのだ。
「どうでしたか」
「結果は一週間後。でも、言うことは全部言った」
牧師は自分の席に座り、俺が折っておいた封筒を見下ろした。数えてはみなかった。代わりに一枚を手に取り、紐の結び目を指で押してみた。
「最後に言いたい言葉は、何と言ったんですか」
牧師は封筒を置いて答えた。
「私は偽物の牧師でした。それは本物です」
俺はその言葉をしばらく考えた。
牧師は、審査場でそう言って頭を下げたと言った。審査員の一人は笑いをこらえ、一人は何かを書き留め、真ん中に座った者は書類を閉じた、と。
牧師は書類を閉じる音を聞いて、終わったのだと分かったと言った。
書類を閉じる者とは、もう読むものがないという意味だ、と。良い側でも、悪い側でも。
待合室の話もした。
その日、審査を受けに行った者は6人だった。
牧師は待合室で待つ間、3人に面接のこつを教えてやった。
「審査員の目を長く見すぎるな。反省という言葉は3度まで。泣くなら最後に泣け」
こつの代金は、来週の集会のチョコパイで受け取ることになった。
残りの3人は、牧師の話を聞かなかった。そのうちの一人は、待合室の隅で、反省文を声に出して暗唱していた。47回目の暗唱だった。
これは、1週間後に分かったことだ。
牧師にこつを教わった3人は、全員が不許可だった。こつを教わらなかった3人は、全員が許可だった。反省文を47回暗唱していた男も、許可だった。
牧師はその結果を聞いて、チョコパイの代金は受け取らないと言った。
代わりに、翌日からその3人に、自分のこつを忘れるこつを教え始めた。
その代金は受け取る、と言った。
* * *
1週間後、結果の通知が来た。
班長が配膳口越しに押し込んできた。牧師は通知書を広げて読み、俺に渡した。
仮釈放審査の結果:不許可。
事由:本人陳述の真偽判断困難。6か月後に再審査。
俺はその事由を2度読んだ。
真偽判断困難。
牧師は、審査員の前で、自分が偽物だということを本物だと言った。審査員たちは、その言葉が本物なのか偽物なのか、判断できなかった。
「偽物」という言葉が本物なら、牧師は反省したことになる。
「偽物」という言葉が偽物なら、牧師は反省していないことになる。
審査員たちは、そのどちらかを選ぶ代わりに、6か月を選んだ。
牧師は通知書を聖書の見返しに挟んだ。差戻しになった宗教並行申請書の隣だった。
領収書が一つ増えた、と牧師は言った。
* * *
夕方の点呼のとき、あいさつが配膳口の前に立った。
牧師が先に声をかけた。
「あいさつ殿、俺はあと6か月、ここにいることになった」
「こんにちは」
あいさつはそれだけ言って、蓋を閉めた。
牧師は閉じた蓋を見ながら言った。
あの御仁は、祝いなのか慰めなのか分からない言葉を一つで全部済ませている、と。
そして、それがうらやましいと言った。
自分は、祝いのときに使う言葉と、慰めのときに使う言葉を別々に売っていた。値段も違った。そう言った。
「惜しいですか」
「いや。よかった。出たところで、行くところもない。信者たちは、ここへ面会に来る方が楽だと言うんだ。教会より交通の便がいいってな」
牧師は笑った。そして、俺の方を見た。
何か、慰める言葉を待っている顔だった。
60年、人を慰めて金をもらってきた人間が、今度はタダの慰めを待っていた。
俺は、慰める言葉を探した。
「待つことは囚われの者の務めである。半年なら長くはない」
部屋が静かになった。
牧師が俺を見た。笑みが、顔からゆっくり抜けていった。
「お前、今、何て言った」
「半年なら長くはない、と」
「その前だ。それと、語尾。お前、時代劇でもやってるのか」
俺は、自分が言った言葉を振り返った。待つことは囚われの者の務め。俺の口から出た言葉だった。声も、俺の声だった。だが、語尾が古めかしかった。俺はあんな語尾を、口にしたことがなかった。ノートの後ろの古風な文字は、手が書いた。今回は、口だった。
牧師はしばらく俺を見ていた。それから、試しにやってみると言った。自分を真似ろと言った。
「アーメン」
俺は真似をした。
「アーメン」
牧師は首をかしげた。次は、飯は食ったか、と言った。
「飯は食ったか」
俺は、飯は食ったか、と真似をした。
牧師はもういいと言った。語尾はまともだと言った。さっきは何かが憑いたんだろうと言った。それから、憑いたという言葉を使ったのが引っかかったのか、自分はそんなものを売っていただけで、信じているわけではない、と付け足した。
* * *
筆体。書芸班の老先生が、よく使う言葉だった。字の「からだ」という意味だと言われた。人ごとに字のからだは違い、そのからだは、そう簡単には変わらないと言われた。真似はできても、からだまでは変わらない、ということだった。
牧師の結果を待っていた、その週の火曜日。俺は書芸班が終わってから、老先生に尋ねた。筆体が変わることも、あるのでしょうか。
先生は、筆を舐めていた手を止めた。ある、と言われた。二つの場合だと言われた。一つは、ひどく病んだあと。あんたのおばあさんもな、中風を患ってから字が変わった、と言われた。手が以前のように動かないので、からだが別の字を探しに行くのだ、ということだった。もう一つは、人が変わったあとだと言われた。
俺は、人はどう変わるのか、とお尋ねした。先生は、それは書芸班で教えることではない、と言って、筆を舐め終えた。
俺は、一つ目の場合だと思った。俺は、ひどく病んだ。あっちからこっちへ渡ってきて、三か月で、手は仕事を失った。手が治すやり方を失ったから、別のものを探しに行ったのだろう。それが、まっすぐな字だった。縦に流れる字だった。二つ目の場合は、考えなかった。書芸班で教えないことは、考えなくてもよかった。
俺の手には、字のからだが二つあった。
一つは横に、まっすぐ行を守った。一つは縦に、流れ落ちた。一つは俺に読めて、一つは滑った。
今日、その二つ目のからだが、手を通って口まで上ってきた。
俺は今回も理由を探した。
書芸班の教本には、古い手紙が載っている。二週間、あの古風な語尾を書き写せば、手に移る。手に移ったものは、口にも移る。
牧師は、説教を長くやりすぎたせいで、夢でもアーメンと言って目が覚めると言っていた。
そういうものだと思った。
けれど、牧師がアーメンと言って起きるのは、牧師が三十年アーメンと言ってきたからだ。俺は、あの語尾を三十年書いたことはない。二週間しか書いていない。
言葉は、手より遅れて覚える。手が先に覚えたものを、口は後から追いかける。
その文も、浮かんでいた。
現在形だった。確信に満ちていた。
俺には、その文が正しいのか間違っているのか、判断がつかなかった。真偽判断困難。
今日、俺の手の中にある通知書と、同じ事由だった。
* * *
その夜、灯りを消してから、俺は牧師に訊いた。
「偽物は、どうやって分かるんですか」
牧師はしばらく答えなかった。布団が動く音がした。寝返りを打って、こちらのほうを見たようだった。
「なんでだ。お前、偽物か」
「それを訊いているんです」
「三十年も偽物をやってりゃ、偽物は分かる」
牧師は天井に向かって言った。説教のときの声ではなかった。低くて、少し嗄れた声だった。
「偽物は、言葉が滑らかだ。練習したからな。本物はどもる。本物は、初めて言う言葉だからだ。俺が審査場で言ったあの言葉、半年前から練習していないと言ったろう。だからどもった。それでも審査員には通じない。あの人たちは言葉を聴く。言葉を聴くと、分からないんだ」
「じゃあ、何を見ればいいんですか」
「俺が献金をもらうとき、手を当てていたと言ったろう」
「はい」
「最初は信じていた。自分が本当に治しているんだと思っていた。あのころは、手が熱かった。信じているから、熱が出るんだよ。それがある日から、手が冷たくなった。俺は信じていると言い続けた。口では同じように祈った。信者たちは誰も知らなかった。でも、手のほうが先に知っていた。俺がいつ信じるのをやめたか。俺より先に、手が知っていた」
牧師は、またしばらく答えなかった。
廊下の灯りの光が、配膳口の隙間から入ってきて、天井に細い線を引いた。早朝の巡回までは、まだ遠かった。「あいさつ」の足音は、まだ聞こえなかった。
「一番先に知るのは手だ。手は嘘をつけない」
* * *
その日、彼は牧師の分のショッピングバッグを二百個折った。作業日誌には、彼の分だけが書かれた。
その夜、彼のノートの後ろは埋まらなかった。代わりに彼は、自分の手を布団の外に出して寝た。




