第63話 筆跡(2)――まつり縫いの月
管理番号KR-07 矯正相談記録
課題12 — 別の筆跡に訊く
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今回の課題には、専用の様式がありました。
先生がご自分で作られた様式でした。
紙の真ん中には縦線が一本引かれていて、左の欄の上には「質問」、右の欄の上には「回答」と書かれていました。
先生は、左の欄は私が埋め、右の欄は空けておくようにとおっしゃいました。
右側は別の筆体の場所だ、というお話でした。
早朝になるとノートの後ろに何かを書きつけているあの手が、答えたければ答えさせておこう、とも。
同室のご老人はその様式を見て、お役所の質疑回答書のようだと言いました。
質問を送ると、3か月後に「検討中」という返事が来る様式なのだそうです。
ご老人は、そういう様式を市役所に11回送ったことがあると言いました。
教会の建物の用途変更の件で、11回とも検討中だったそうです。
ご老人は、今回も検討中になるに違いないと請け合いました。
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質問と回答を縦線で区切った様式を渡された。
回答欄は空けておけと言われた。
同室の収容者がその様式を見て、「質疑回答書」と呼んだ。
間違ってはいない。
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左の欄に質問を書きました。
簡単な質問から書きました。
簡単な質問なら、答えるほうも簡単だろうと思ったのです。
一つ目。あなたは誰ですか。
書いてから見てみると、一番難しい質問でした。
消しはしませんでした。
その代わり、三度書き直しました。
最初は「どなたですか」と書き、丁寧すぎる気がして「誰だ」に直し、無礼すぎる気がして、また「誰ですか」に戻りました。
私の手で書く字に対して、敬語を使うべきなのか、タメ口をきくべきなのか、分かりませんでした。
あの手は古風な言葉遣いをするので、私より目上の人である可能性もありました。
二つ目。エスベルはどこにありますか。
三つ目。カネン川はどちらへ流れますか。
四つ目。マセルンはなぜ南門から戻ってこなかったのですか。
五つ目。なぜ私の手で書くのですか。
六つ目。孤児院をご存じですか。
六つ目の質問は、書くか書かないか、長いこと迷いました。
あの手が孤児院を知っていると答えたら、怖いような気がしました。知らないと答えたら、もっと怖いような気がしました。
結局、書きました。
先生は易しい質問から書きなさいとおっしゃったわけではありませんが、難しい質問を省きなさいとおっしゃったわけでもありませんから。
質問ごとに、右側の欄を五行分、空けておきました。
五行あれば、あの古風な言葉遣いでも、かなり長く答えられるはずです。
ノートの後ろのあの字は縦書きでしたので、横の罫線は役に立たないかもしれません。でも、それはそちらの事情だと思いました。
お年寄りも、質問を一つ入れたいと言いました。
来週のロトの番号でした。
刑務所の中ではロトは買えないと言うと、出所したら買うと言いました。
出所はまだ決まっていませんが、番号は前もって知っておいたほうがいいと言いました。
私はお年寄りの質問は入れませんでした。
お年寄りは、用紙のいちばん下の余白に、鉛筆で小さく書いておきました。
あの手に誠意があれば、余白も読むだろうと言いました。
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質問は六つ。
一つ目が一番難しいと、書いてから気づいた、と記した。
六つ目で迷った、と記した。
余白のロトの質問は消さなかった。
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その夜から、お年寄りは徹夜祈祷をまた始めました。
この前は午前3時より前に眠ってしまったのが悔しくて、今回は預かり品購入申請書でコーヒーミックスを20袋買いました。
班長は購入履歴を見て、カフェイン過多と一言言いました。
お年寄りは、祈るには起きていなければならないと言いました。
班長は、祈りというのは本来寝る前にするものではないのかと言いました。
お年寄りは、それは信じたばかりの者がする祈りだと言いました。
お年寄りは初日の夜、コーヒーミックスを4袋のみました。
午前3時になっても、起きていました。
代わりに、トイレに7回行きました。
朝、お年寄りは、私がゆうべ一度も起きなかったと言いました。
ノートの後ろもそのままでした。
右の欄も空いていました。
2日目の夜も同じでした。
3日目の夜も同じでした。
未明の巡回のとき、あいさつが私の部屋の前で足を緩めたと、お年寄りが教えてくれました。
あいさつも、何も見られなかったでしょう。
私は3日間ずっと、朝まで眠りました。
質問を書いた日から、ノートの後ろのあの文字は止まりました。
私は最初、安心しました。
質問を渡したから、あの手は隠れたのだと思いました。
3日目の夕方には、少しだけ寂しくなりました。
寂しいというのが、おかしな話でした。
返事が来たら怖いだろうと思っていたのに、返事が来ないので寂しかったのです。
お年寄りは、それが普通だと言いました。
市役所から検討中という返事が11回来たときも、最初の5回は腹が立って、そのあとは寂しかったと言いました。
腹が立つのは返事を期待しているときで、寂しいのは返事が来ると思っていたのに来ないときだと言いました。
* * *
質問を書いた日から、ノートの後ろは止まったままでした。
3日。
同じ部屋の収容者は、コーヒーミックス20袋のうち11袋を使いました。
答えの欄は空いています。
* * *
4日目の夜に、夢を見ました。
私は城壁の上に立っていました。
孤児院の塀ではありませんでした。
孤児院の塀は、はしごで登る石の塀でしたが、その城壁は上が広くて、馬が二頭、並んで通れるほどでした。
石は灰色で、大きさが揃うように削られていました。
孤児院の塀のように、雨に濡れると崩れる石ではありませんでした。
城壁の内側を見下ろすと、屋根がいくつも見えました。
屋根と屋根の間に、丸い井戸の蓋が三つありました。
城壁の外は野原でした。
日が沈んでいました。
野原の向こう側に、人々が列をなして立っていました。
列は長く、終わりは見えませんでした。
人々の手には、何か光るものが握られていました。
槍の穂先だったのか、旗竿の先だったのかは、分かりませんでした。
その人たちの顔は見えませんでした。遠すぎました。
私は手を挙げました。
松明を持っていたのではありませんでした。手は空でした。
手のひらを下に向けて、野原の方へ腕を伸ばしました。
すると、指先から黒いものが流れ落ちました。
水のようでもあり、煙のようでもありました。
指先から落ちて、城壁を伝って下りていき、野原へと広がっていきました。
音はしませんでした。
手を挙げるだけで足りた。
黒いものは野原を渡り、列をなして立つ人々の方へ這っていきました。
私は怖くありませんでした。
それが一番、おかしなことでした。
夢の中の私は、あの黒いものがどこへ行くのかを知っていて、行くべき場所へ行っているのだと思っていました。
夢の中の私は、塀の上にいた私のようには、森を見て震えませんでした。
野原を見下ろしながら、待っていました。
何を待っていたのかは、分かりません。
城壁の上には、私一人でした。
騎士団のように、隣に立つ人はいませんでした。
いつも私の左側に立ってくれていた、目の下に点のある騎士もいませんでした。
掠れた口笛を吹いていた、前歯の欠けた騎士もいませんでした。
振り返れば、誰かがいたのかもしれません。
夢の中の私は、振り返りませんでした。
振り返る必要のない人間のように、立っていました。
塀の上では、森に背を向けてはいけないという規則がありました。
ところが、あの城壁の上の私は、自分の背中を心配していませんでした。
* * *
夢のくだりの半ばに、古風な一文がある。
「手を挙げるだけで足りた」
筆跡は、彼のものだ。ノートの前、横書き、罫線に沿っている。
彼は、この一文を指摘されるまで、知らなかった。
* * *
目が覚めると、右腕が上がっていました。
仰向けのまま、天井へ向かって。手のひらは下を向いていました。
おじいさんは起きていました。コーヒーミックスの11本目を飲んでいるところだったそうです。
おじいさんは言いました。私が寝ている間、しばらくそのままでしたよ、と。
最初は、手を挙げて祈っているのだと思ったそうです。自分もリバイバル集会では、手を挙げて祈らせる側だったから、と。
けれど、おかしかったそうです。
祈るときは手のひらを上に開くのに、私の手のひらは下を向いていた、と。
受け取る手ではなく、与える手だった、と。
おじいさんはそう言ってから、コーヒーを最後まで飲みませんでした。
私はその言葉を聞いて、自分の手のひらを見ました。
塀の上で松明を掲げるとき、手のひらは上を向きます。松明の柄を下から支えて持たなければならないからです。
子どもたちの額に手を当てるときも、傷ついた騎士の腕を掴むときも、司祭様の手のひらの上に自分の手を重ねるときも、私の手はいつも、何かを支えるか、包むかする側でした。
上から下へ手のひらを広げて、何かを送り出したことはありません。
少なくとも、私の知っている6年の間には。
ノートの後ろは、そのままでした。
右の答えの欄も、空いていました。
あの手は、何も書いていませんでした。
それでも、あの夢が答えだったのだという考えを、消すことができませんでした。
どの問いへの答えなのかは、分かりません。
一つ目の問いだったのかもしれません。六つ目の問いだったのかもしれません。
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夜が明けると、おじいさんは私の夢を判断してやると言いました。
教会をやっていた頃は、夢判断もやっていたそうです。
信徒が夢の話をすると、その夢を判断してやって、感謝献金をもらっていたんだそうです。
良い夢なら感謝献金。悪い夢なら厄払い献金。
どちらにしても献金になるので、夢判断はいつも当たる、とおじいさんは言いました。
おじいさんの判断は、こうでした。
城壁は教会。野原の人々は信徒。指先から流れ落ちた黒いものは恵み。
つまりこれは、私が大きな教会を建て、多くの信徒に恵みを下ろす夢なのだ、とおじいさんは言いました。
おじいさんは、その夢を自分に売れと言いました。夢も売り買いできるものだ、と。
私は、黒い恵みなんて初めて聞いたと答えました。おじいさんは、恵みが必ずしも白い必要はないと言いました。自分が受け取った献金も、全部が白いお金だったわけではない、と。
夢判断は、そこで終わりました。
おじいさんは、夢判断の代金は受け取らないと言いました。
私は、それが何を意味するのか、分かりました。
おじいさんは、この夢を良い夢とは思っていないのです。
おじいさんは、良い夢にだけ値をつける人でした。
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同じ房の収容者の夢判断:城壁は教会、人々は信徒、黒いものは恵み。夢判断の代金は受け取らなかった。
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先生。私は、この夢をこう考えることにしました。
私は人を殺しました。記憶はありませんが、判決文にはあります。
人を殺した人間が、夢の中で壁の上に立って、子供たちを守る側に立てるはずがありません。だから夢が、私を別の城壁に立たせたのです。守る側ではなく、下ろす側に。
これは罰です。判決文が昼に下す罰なら、この夢は夜に下す罰です。そう考えれば、この夢は私のものです。私の罪から出た夢なのですから。
孤児院の壁の上で、私は6年間、松明を掲げていました。あれは本物でした。梯子の下で数字を数え、崩れた壁の前で日が昇るまで立ち、司祭様に額を預けました。それも本物でした。
夢は、その上から塗り重ねた罰です。塗り重ねは、元の絵を消すことはできません。
それでも、この課題には、夢をそのまま書き留めておくべきだと思います。先生はいつも、そのまま書きなさいとおっしゃっていましたから。
夢の中で、私は守る側ではありませんでした。
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彼は、夢で見た城壁の内側に、丸い井戸の蓋が三つあったと書いた。課題9の城砦の段落を、彼はそれきり読み返さなかった。
解答欄は、最後まで空だった。余白のロト番号の欄も、空だった。




