第62話 筆跡(1)――まつり縫いの月
管理番号KR-07 矯正相談記録
課題11 — 私が書いていない文章
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今回の課題は、題名からして変です。
私が書いていない文章。
先生は相談室で、この題名をボールペンで書きながら、今回は私が書いた文章ではなく、私が書いていない文章について書くように、とおっしゃいました。
書いていない文章について書くには、まずその文章がなければなりません。
その文章がどこから出てきたのか。そこから書きます。
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先に気づいたのは、同室のご老人でした。
先月のある朝、ご老人は洗面台の前で、歯ブラシをくわえたまま私に聞きました。
「お前、最近、夜に何を書いてるんだ」
私は何も書いていない、と答えました。
ご老人は歯ブラシを抜いて、私が明け方になるたび、起き上がって座り、ノートに何か書いている、と言いました。
電気もつけず、廊下の灯りの光に向かって書いている、とも言いました。
最初は、課題の締め切りが迫っているのかと思っていたが、翌朝に聞いてみても、私が毎回覚えていないのだそうです。
それで三日目からは、聞かずに見ているだけにした、と言いました。
私はノートを開きました。
前のほうは課題でした。私の字で、私が知っている字でした。
いちばん後ろからめくってみると、後ろの3ページが埋まっていました。
後ろから前へ向かって書かれた文章でした。
私はノートを後ろから使ったことがありません。
* * *
我々は、同じ房の収容者の証言を記録した。
彼は午前3時ごろ、起き上がってノートの後ろに何かを書く。明かりはつけない。朝には、そのことを覚えていない。
午前3時。彼が最初の課題に書いた「あれらが下りてきた時間」は、夜明け前だった。
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その三ページを、読もうとしました。
読めませんでした。
知らない文字だったからではありません。見慣れた文字でした。母音も子音もありました。
なのに、読もうとすると、文字が滑るのです。
最初の一字を読み、二番目の字へ移ると、最初の字が頭から消えていました。
もう一度最初の字へ戻ると、今度は二番目の字が消えていました。
一字ずつなら読めます。二つの字が続くと、読めません。
私はその三ページを一時間見つめ続けて、一つの単語も拾えませんでした。
字も違いました。
私の字は整っていて、行を守ります。
その三ページの字は、行を無視して、上から下へ縦に下りていました。
右端から始めて、左へ行を移していました。
線は細く、字と字が切れずにつながっていました。
筆で書いたように、ボールペンの跡に太さがありました。
同じボールペンなのに、そうなっていました。
ご老人はその三ページを見て、膝を打ちました。
「これは、わしが昔売っていたものだ」と言いました。
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ご老人の話では、教会をしていたころ、「聖霊の書き取り」ということをしていたのだそうです。
長く祈っていると手がひとりでに動いて、神の言葉を書き取るのだと言いました。
書き取った紙は、信者たちに一枚10万ウォンで配ったそうです。
ご老人はその紙を、前もって家で書いていったそうです。
手がひとりでに動くふりをする練習を、3か月続けたのだと言いました。
練習でいちばん難しかったのは、字を読み取りにくく書くことだったと言いました。
あまりよく読めると人が書いたように見えるし、ひとつも読めないと金を払わない。
半分ほど読めて、はじめて金を払う、というわけです。
ご老人は、私のノートの後ろをもう一度見て、舌打ちしました。
「これは半端じゃない」と言いました。
ひとつも読めないのに、妙にうまい字だとも言いました。
こんなものを売っていたら、一枚で100万ウォンは取れていただろうと言いました。
それから、これを自分に譲れば、出所したあとに半分ずつ分けようと言いました。
私は断りました。
ご老人は、断ると思っていたと言いました。
それでも、提案だけはしておくのが自分の側の仕事の原則なのだと言いました。
* * *
同じ房の収容者は、この文字を「聖霊の書き取り」と呼んだ。本人が過去に売っていたものと比べ、「ひとつも読めないのに、うまい字だ」と評価した。相場は一枚100万ウォン。
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書芸班の老先生にも見せました。
火曜日の授業が終わってから、ノートの後ろを開いて見せました。
先生は眼鏡を外して、またかけ直しました。
これは昔の手紙の字だ、と言いました。
ご自分が子供の頃、田舎のおばあさんたちは、手紙をこう書いたものだとも言いました。
縦に、右から左へ、字をつないで。
今では博物館にしかない字だ、と言いました。
先生のおばあさんもそう書いていたけれど、先生は結局その字を習えなかった、と言いました。
習おうとした頃には、おばあさんはもう亡くなっていた、とも言いました。
それから、これは誰が書いたのかと、私に聞きました。
私は、自分が書いたと言いました。
嘘ではありませんでした。
私のノートに、私のボールペンで、老先生が見ている前で、私の手が書いた字でしたから。
先生はしばらく、私を見ていました。
嘘をつく人は書芸班ですぐにばれる、と言っていた人です。
その日は、何も言いませんでした。
代わりにノートを閉じてくれて、この字はむやみに真似してはいけない、と言いました。
真似をしていると手が壊れる、という意味でした。
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相談室で、先生は紙を二枚、並べました。
左は私の課題でした。課題10、書き直し。私がゆっくり、自分の手を見ながら書いた字です。
右は、ノートの後ろの最初のページでした。先生が前もってコピーしておいたものだ、と言いました。
二枚を並べると、違いはもっと際立ちました。
左は横にまっすぐで、右は縦に流れていました。同じボールペン、同じノート、同じ手でした。
先生は左を指して、読んでみなさい、と言いました。
私は読みました。詰まることなく読めました。私の字でしたから。
先生は右を指して、読んでみなさい、と言いました。
私は読めませんでした。最初の文字から、二番目の文字へ進めませんでした。
すると、先生が代わりに読んでくれました。
先生は、その字を読むことができました。ゆっくりと、一字ずつ指で追いながら。
はじめは、先生も詰まりました。
けれど何行か進むと、慣れた、と言いました。昔の言い回しだからそうなるだけで、字はどれも知っている字だ、とも言いました。
私は鉢植えを見ながら聞きました。半分こルールどおりに。
先生が読んでくれた何行かを、ここにそのまま書き写しておきます。
先生が書いてくれた紙を見て、写しました。聞いたものを写すことなら、私の手にもできました。
カネンの水が堤を越えた夜、私は城砦にあった。
南の門は私が任せたものだ。マセルンは笑った。その手が冷たかった。
三つの井戸を、私は二度と覗かなかった。覗けば、そこに映る顔がもう一つあったのだ。
ここまで聞いたとき、私は鉢植えから目を離しました。半分こルールを破りました。先生を見ました。先生も私を見ました。質問をするときでもないのに。
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ノートの後ろの最初のページを読んでもらった。昔の言い回し。三行。課題9の城砦の段落と同じ名前が出てくる。同じ出来事を、別の人が書いたように読める。
読んでもらっている間、彼は鉢植えを見ていた。三行目で、私を見た。
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先生が読んでくださった三行は、私の課題9の城砦の段落と同じ話でした。同じ城砦、同じ川、同じ人、同じ井戸。ところが、課題9では「です・ます」で終わり、ノートの後ろでは昔の言い回しで終わっていました。課題9の私は、その出来事を体験した人のように書いていて、ノートの後ろの誰かは、その出来事を命じた人のように書いていました。南の門を任せたのは、私なのだ。その一文で、私は鉢植えを見ていられませんでした。
私は相談室で先生に申し上げました。あの三行を書いた記憶はありません。それでも、私の手が書いたのですから、私が書いたのに違いありません。ただ、私の言葉遣いではありません。私はあんな古い言い回しを書いたことがありません。牧師さんの説教にも、あんな言い回しは出てきません。
先生はうなずきました。そして二枚を並べたまま、左を一度、右を一度、指で差しました。私はその指を追って、左を見て、右を見ました。左は読めました。右は、目が滑りました。同じ一つの手で書かれた二枚でした。
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その夜、私は先生が書いてくださった紙を見て、あの三行をノートの前のほうに書き写しました。
自分の字で、横書きで、罫線に合わせて。
書き写してから読んでみると、詰まることなく読めました。文字が滑りませんでした。
つまり、私が読めなかったのは、あの言葉ではなく、あの字でした。同じ言葉を私の字に置き換えれば、私は読むことができました。
ところが、私の字で読むと、今度は別のことが問題でした。
「南の門は私が任せたものだ」
その一文を私の字で読むと、私の声で聞こえました。声に出して読んだわけでもないのに、頭の中でその一文が私の声で響きました。
命令する声でした。
私は城壁の上では、命令を受ける側で、下す側ではありませんでした。騎士団長が一文でお命じになれば、私はそのとおりにしました。
なのに、その一文は、受ける側の文ではありませんでした。
私は理由を探しました。今回も、見つけました。書芸班の教材でした。
おじいさんの先生は、二週間前から、昔の文字で書かれた手紙を手本として配ってくださいました。その手紙は、古めかしく硬い言葉遣いで書かれていました。
「無事であろうか」「会いたいのだ」——そんな言葉が、縦に流れ落ちていました。
私はその手本に倣って、二週間、書き続けました。
手が、その言い回しとその字を覚えたのです。
それが、夜明けに出てきたのでした。
ただ、手本の手紙には、城砦も川も南門もありませんでした。それらの言葉は、課題9から来たのでしょう。
課題9の言葉が、書芸班の言い回しをまとって出てきたのです。私はそう結論づけました。
そう結論づけてから、その紙をノートの間に挟みました。
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あの夜、先生は徹夜祈祷をすると言いました。
祈祷するふりをしながら、私が夜明けに起きるかどうかを見張るつもりだったのです。
聖霊の書き取りを売っていた人が本物を見張るのは初めてだ、とも言いました。
先生は1時まで祈祷しました。
2時には、祈祷の姿勢のまま居眠りを始めました。
3時には、祈祷の姿勢のまま、いびきをかいていました。
朝、起きてみると、先生は祈祷していた姿勢のまま、壁にもたれて眠っていました。そして、私のノートの後ろは、一枚分、多くなっていました。
先生はそれを見て、悔しがりました。
30年、徹夜を売ってきたのに、よりにもよって、徹夜が本当に必要だった日に眠ってしまった、と言いました。
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その日の朝、配膳口の前で、「あいさつ」は「こんにちは」と言いました。
そして、蓋を閉める前に、私の寝台のほうを一度見ました。
夜明けの巡回のとき、私が座って何か書いているのを見たようです。
「あいさつ」は何も尋ねませんでした。「あいさつ」は、尋ねない人です。
ただ、その日から、夜明けの巡回のとき、私の部屋の前で足音が少しゆっくりになったと、先生が教えてくれました。
先生は、もう徹夜はできないから、「あいさつ」に任せるしかないと言いました。
「あいさつ」が自分の同労者になったようなものだ、と。
「あいさつ」は、そのことを知りません。
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同じ部屋の収容者の徹夜の見張りは、3時前に終わりました。
ノートの後ろは、四枚になっていました。
二枚を並べて置いて、彼に尋ねました。
「では、それは誰の記憶でしょう」
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彼は、その三行は先生が書いてくれた紙を見て写した、と書きました。
写した字は彼の字で、行も守られていました。
ノートの後ろの四枚目は、誰も読みませんでした。
その日、相談員はその一枚をコピーしませんでした。




