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第60話 相談申請書(2)――裁ちの月

管理番号KR-07 矯正相談記録


課題10 — 書き直し。


* * *


先生が、前回の課題の下に問いを書き添えてお尋ねになりました。


「この名前たちは誰ですか」と。


わかりません。


相談室でもそう申し上げましたが、課題として受け取ったのですから、課題としてもう一度お答えします。


エスベルという城砦も、カネンという川も、マセルンという人も、私は知りません。


孤児院があった村には、城砦はありませんでした。川もありませんでした。


小川がひとつあって、名前はありませんでした。子どもたちは、ただ小川と呼んでいました。


それでも理由を探してみようと、何日か考えました。私が見つけた理由は、こうです。


巡回騎士と司祭は、井戸のそばで、私には聞き取れない向こう側の言葉で話をしていました。


その言葉の中に名前が混ざっていたのでしょう。城砦の名前、川の名前、人の名前。


聞き取れなくても、耳には残ったはずです。耳に残ったものが、手から出てきたのだと思います。


あの日、私はあの子の話を書いていて疲れていました。疲れると、手はどこからでも名前を拾ってきます。


同室のご老人の話では、自分も説教を長くしすぎると、信者の名前ではなく昔の信者の名前が飛び出すのだそうです。そんなものだと思います。


先生は相談室で、ではゆっくり書き直してみなさいとおっしゃいました。同じ課題を、一文字ずつ。


ですから今回の課題は、前回の課題を書き直したものです。


内容はほとんど同じです。違うのは、書いているあいだ、私が自分の手を見ていた、ということです。


* * *


課題をもう一つ出す代わりに、同じ課題をもう一度書かせた。


彼はまず、理由を探してきた。巡回騎士と司祭が交わした言葉が、耳に残っているのだという。


理由があれば、怖さは減る。そのくらいのことは、彼も知っているらしい。


* * *


私は今まで、自分の字を見たことがありません。


変なことを言っているのは分かっています。


毎週課題を書いていますから、毎週自分の字を見てはいたはずです。


でもそれは、文字を見ていただけでした。自分の字を見ていたわけではありません。


どんな言葉を書いたかだけを見ていて、その言葉がどんな形で書かれているかは、見ていませんでした。


あっちでは、字を書く機会がありませんでした。


叙任証書も読めませんでしたから。


こっちに戻ってきてから、私が覚えている最初の字は、警察の調書の署名でした。


その後は、欄を埋めました。


欄を埋めるときは、欄だけを見ます。字は見ません。


今回は、字を見ました。


一文字を書いて、その文字を見て、それから次の文字を書きました。


ノート1ページを埋めるのに、夕方から半日がかりでした。


前回の課題より、倍は時間がかかりました。


同室のご老人は、私がノートに顔を埋めているのを見て、ついに聖書を写しているのかと思ったと言いました。


聖書を写すと、集会でおやつが一つ多くもらえるそうです。


私が聖書を写しているのではありませんと言うと、ご老人は、それではおやつは自分がもらってもいいのかと尋ねました。


写してもいない聖書でどうしておやつがもらえるのかと言うと、ご老人は、それは自分の側の技術だと言いました。


* * *


字を見ながら、分かったことがあります。


一つ。私の字は、整っています。


最初の課題のとき、線からはみ出した字が一つもない、と先生が書いてくださっていたことを、今回初めて知りました。


相談記録の写しを見せてくださいとお願いしたら、最初の一枚だけ見せてくださいました。


私は、それが枠を守る癖なのだと思っていました。


今回見て、癖だけではないと分かりました。


一画一画が、まっすぐでした。


横画の終わりをそっと押さえて離すのも、縦画を下ろしていって終わりで止まるのも、一定でした。


そう書こうとしたことはありません。手が、そう書いたのです。


二つ。筆順が、おかしいのです。


私は、丸い字は上から始めて左へ回して書くものだと知っています。みんな、そう教わるものだと思っていました。


ところが、私の手は、丸い字を右へ回しました。


四角い字は、左の縦画から書くものと知っているのに、私の手は上の横画から書きました。


己の形の字は、一息で続けて書かず、三度に区切って書きました。


わざと、私の知っている順番で書いてみました。


すると、字が乱れました。


手に任せると、整いました。


* * *


彼は相談記録の写しの閲覧を求めた。最初の課題のメモを一枚だけ見せた。残りは、まだ見せる時ではない。


* * *


三つ。ゆっくり書いたら、城砦の段落は現れませんでした。


あの子の話を、最初から最後まで書き直しました。なのに、井戸端で釣瓶の縄を数えていた場面の次には、すぐに倉庫の穴の話が続いたのです。その間には、何も挟まりませんでした。


エスベルも、カネンも、マセルンも、ありませんでした。


ですからあの日は、本当に疲れていただけなのです。


確かめようと、もう一度やってみました。


全部書き終えてから、ノートのいちばん後ろのページに、その名前をわざと書いてみました。エスベル。カネン。マセルン。自分の知っている順番で書こうとしました。


ところが、その三つの言葉だけは、ゆがみませんでした。


他の字は、自分の順番で書くと、どれもゆがみました。それなのに、その三つの言葉だけは、最初からまっすぐに出ました。手がその言葉を何度も書いたことがあるみたいに、淀みがありませんでした。


私は、そのページを折って、しまっておきました。


この前、疲れて書いた言葉ですから、手は一度書いたことになります。一度書いた言葉は、二度目が楽なものです。私は、そう思いました。


ご老人の言うには、嘘も二度目が一番簡単なのだそうです。


* * *


書き直された課題には、城砦の段落はない。釣瓶の次は、すぐ倉庫の穴だ。


筆順の話が、初めて出る。丸い字は右回り、四角い字は上から、己の形の字は三度に切る。


* * *


筆順のことが心に引っかかっていて、書芸班に入りました。


刑務所には、更生のためのプログラムがいくつかあります。


書芸班は火曜日の午後、講堂の隣の教室で行います。教えてくれるのは、矯正委員として来てくださるおじいさんの先生です。


登録するには申請書を出さなければなりませんでした。私は申請動機の欄に、「筆順を確かめたいから」と書きました。


先生は、そんな動機は初めて見たとおっしゃっていました。


たいていの人は心を落ち着かせたいからと書き、残りの人は、仮釈放審査に良いと聞いたからと書くのだそうです。


同室のご老人は、二つ目の理由で一緒に登録しました。でも、申請動機の欄に書いたのは、一つ目の理由でした。


* * *


最初の授業で、おじいさんの先生は筆の持ち方から教え始めました。


私は筆を握るのが初めてでした。


ところが、手のほうはどう握ればいいのかを知っていました。


親指と人差し指で軸を握り、中指で下から支えて、手首を浮かせていました。先生は私の手を見て、どこで習ったのかと尋ねました。


習ったことはありません、と答えると、先生は笑いました。嘘をつく人は、書芸班でもすぐにばれるものだ、と。


先生は、画仙紙に「永」の字を書いてみなさい、とおっしゃいました。


書芸を習う人はみんな、その字から始めるのだそうです。一つの字の中に、筆が通る道が八つも入っている。だからその字を正しく書ければ、ほかの字も正しく書けるようになる、と。


私は、その字を知りませんでした。先生の書いたのを見て、真似して書きました。


先生は、私の書いた字を長いこと見ていました。それから、筆順が今の人の筆順ではない、とおっしゃいました。


自分の祖父がこう書いた、とも。


書堂で習った人たちの筆順なのだそうです。若い人がこの順序で書くのは初めて見た、と。


先生は私の年を尋ねました。もうすぐ三十です、と答えると、自分の孫よりも年下の者が自分の祖父と同じ字を書く、と舌打ちをされました。


書芸班には十四人いました。みんな、筆を鉛筆のように握っていました。


おじいさんの先生は、授業の間じゅう、十三人の手を直して回っていました。私の席へは一度も来ませんでした。


直してやるところがない、とおっしゃいました。


私は書堂に通ったことがありません。


そう申し上げはしませんでした。今回は、嘘に見えそうだったからです。


* * *


同室のご老人は、書芸班の初日、筆で「信仰」という二文字を書きました。


おじいさんの先生はその二文字をご覧になって、力がある、と褒めました。


ご老人はその褒め言葉を聞くなり、商売を始めました。


同じ舎棟の者たちに家訓を書いてやり、チョコパイを一つずつ受け取ることにしたのです。


最初の客は、うなぎの刺青でした。


うなぎの刺青は、家訓として「竜」の字を書いてくれ、と頼みました。


ご老人は「竜」の字を書く途中で、最後の一画を書き残しました。


チョコパイを半分しか受け取っていなかったからです。


うなぎの刺青はその紙を房の壁に貼りました。


誰も、それが何の字なのか分かりませんでした。


うなぎの刺青だけが、竜だと言いました。


* * *


班長がその商売を見つけたのは、三日後でした。


チョコパイは、今回も没収されました。


ご老人は、家訓は芸術であって商売ではない、と抗弁しました。


班長は、芸術にも賭け金が絡めば賭博行為だ、と言いました。


ご老人の警告は、二枚になりました。


その夜、ご老人は私の課題をめくりながら、私の字をしばらくじっと眺めました。


ご老人は、献金の領収書に他人の署名を真似て書いてみたことがある、と言いました。


そのことでばれたことはない、とも言いました。


だから自分には字を見る目があるのだ、と言いました。


ご老人の話では、私の字は真似するのが一番難しい字なのだそうです。


歪んだ字は歪んだまま真似ればいいが、整った字は真似する者の手癖がすべてあらわになる、ということでした。


ご老人は私の署名を一度真似て書いてみて、諦めました。


そして、これほど整った字を書く奴がなぜここにいるのか分からない、と言いました。


私も分からない、と答えました。


ご老人は、その答えは整っていない、と言いました。


* * *


書芸班の登録簿を確認した。


申請動機は、筆順を確かめたいから。同室の収容者の申請動機は、心を落ち着かせたいから。


書芸班の矯正委員には、別に尋ねた。


彼の筆順は老人たちのものだ、と言った。書堂で学んだ者たちの順序だという。


* * *


先生はこの課題をお受け取りになると、その筆順がどこから来たのかと、またお尋ねになるでしょう。


私にも分かりません。ただ、今回は怖くありません。


城砦の段落は、疲れから出てきたものでした。ゆっくり書くと、出てきませんでした。


筆順はおかしいけれど、字は整っています。整っているのは、悪いことではありません。


あっちでは、私は他人の手を治しました。こっちでは、私の手は治し方を忘れていて、その代わりに、字を整えて書く方法を知っていました。


忘れたものがあれば、残ったものもある、と思うことにしました。


それでも、ひとつは認めなければならないようです。


わざと私が知っている順序で書いた字は、全部歪みました。手に任せて書いた字は、全部整っていました。


この課題を全部書き終えてから、二つを並べて見ました。誰が見ても、違いがありました。


同室のご老人に二枚を見せて、どちらが私の字かと尋ねました。ご老人は、整ったほうを選びました。


歪んだほうは、私がわざと自分の順序で書いたものだと言うと、ご老人は、ではそちらが真似だ、と言いました。


私が自分の字を真似た、というわけです。


私の手は、私より字がうまい。


* * *


彼は、ゆっくり書けば見知らぬ名前は出てこない、と書いた。ゆっくり書いているあいだ、彼はずっと自分の手を見ていた。


書芸班の画仙紙の上の「永」の字は、おじいさんの先生が持って行って、教室の後ろの掲示板に貼った。筆順が正しい字の手本だ、と言った。


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