第56話 爪で書くやり方(1)――返し縫いの月
管理番号KR-07 矯正相談記録
課題7 ── 終えられなかったこと。
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今回の課題は、遅れて出します。三日、遅れました。
言い訳はありません。書きたくなかったから遅れました。
同室のご老人の話では、刑務所で遅れて出す書類には理由を添えなければならないそうです。
なので、添えます。理由は、この課題の最後の行にあります。
終えられなかったことを書け、とおっしゃいました。あっちでの、最後の七日を書きます。
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初めて期限を過ぎた。これまでは、いつも二日早く出していた。
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6年目の晩秋に、司祭様が来られました。
司祭様が来られる季節ではありませんでした。
先に気づいたのは、子どもたちでした。
壁の上から峠道を見張っていた石を投げた子が、鐘の代わりに叫びました。
「司祭様だ、季節でもないのに」
子どもたちは、熱を測ってもらえたあの遊びをしようと、井戸に額を浸けに走って行きました。
司祭様はその日、子どもたちの額に触れませんでした。
庭に入るなり、騎士団長をお探しになりました。
折り畳んだ紙を一枚、手に持っておられました。
大きな蝋印が押されていました。
俺は、その紙を読めませんでした。
あっちの文字でした。
司祭様は食堂で騎士たちを座らせ、読み上げてくださいました。
長いものでしたが、短くまとめればこうです。
戦争は終わった。別の世界から招請された者たちは用済みとなったゆえ、大法則に従い、来た場所へ帰る。この命令を受けた日から七日以内に。
司祭様が読み終えると、前歯の欠けた騎士が手を挙げました。
自分も別の世界から来たのか、と尋ねました。
その人の故郷は、峠の向こうの二番目の村でした。
団長が、その人の後ろ頭を一度叩きました。
その日、食堂で笑ったのは、その人一人だけでした。
食堂の窓の外には、子どもたちの頭がずらりと並んで覗いていました。
子どもたちは、司祭様が何か面白い話を読み聞かせてくれているのだと思っていました。
あっちに戦争があることは、知っていました。
山の向こう、ずっと遠くでやっている戦争でした。
俺たちの村まで来たのは、あれらだけでした。
戦争が終わったということも、その日、司祭様から初めて聞きました。
俺にとって戦争は、最初から他人事でした。それなのに、終わることは俺のことでした。
命令書に記された名前は、ひとつだけでした。
俺の名前でした。
あっちの文字で記された俺の名前を、俺はその日、初めて見ました。
読むことはできませんでしたが、司祭様が指で示してくださいました。
招請という言葉も、その日、初めて聞きました。
俺には、誰かに呼ばれた記憶がありません。
最初の課題に書いたとおり、目を覚ますと壁の外でした。
その言葉は少しおかしく聞こえましたが、司祭様には尋ねませんでした。
その日は、それ以外にも聞きたいことがたくさんありました。
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「招請」という言葉が、ここで初めて出てくる。
彼は、命令書の言葉を書き写しただけだった。
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初日の夜、俺は司祭様に、ここに残らせてほしいとお願いしました。
司祭様は、お答えになりませんでした。その代わり、俺の手を見せてほしいとおっしゃいました。
叙任を受ける前にもそうしてくださったように、俺の手のひらをご自身の手のひらの上に載せて、長いことご覧になりました。
それから、大法則は人が直せるものではない、とおっしゃいました。司祭にも王にも、直せないのだということでした。
二日目には、騎士団長に、司祭様にもう一度だけ話していただけないかと、お願いしました。
騎士団長のお答えは、一文でした。「すでにした」と。
俺が頼む前の晩に、騎士団長はもう司祭様のもとを訪ねていたのでした。
その一件にいくつの文を使ったのか、騎士団長は最後までおっしゃいませんでした。
三日目には、院長のもとへ行きました。院長の櫃に、俺の叙任証書がありました。
証書があれば聖騎士なのだから、聖騎士は孤児院に残ってもいいのではないか、と伺いました。
俺なりに、頭を使ったつもりでした。
院長は、櫃を開けませんでした。
櫃に入った書類は出てこない、とおっしゃいました。そして、証書はここに置いていけ、と。
次に来る騎士に、この壁の上に聖騎士が立っていたことがある、その証拠として見せてやる、とおっしゃいました。
俺はその日、初めて、院長が何を大切にしているのかを知りました。
金ではありませんでした。
四日目には、庭の西の隅へ行きました。落ち葉が、いくつもの墓の上に積もっていました。
俺は、落ち葉を手でかきのけました。
鎧の前の持ち主の墓、五番目の騎士の墓、はしごの下で数を数えていた子の墓、その先の墓。
ひとつずつかきのけながら、数えはしませんでした。
数えないと決めたことを、そこまで来て破るわけにはいきませんでした。
全部かきのけ終えると、日は傾いていました。院長が、台所の窓から俺を見ていました。
夕方、院長は俺の椀に、スープをひとお玉、余計によそってくれました。
三つ目の規則ができてから、院長のほうから先に多くくれたのは、その日が初めてでした。
五日目には、目の下に点のある騎士が、壁の上から先に声をかけてきました。
あの人から先に話しかけてくることは、珍しいことでした。
俺が立っていた場所、台所裏の新しい石の上には、これからは自分が立つ、と言いました。
その場所がいちばん寒いことを、6年間、言わなかった。すまない、と。
俺は、6年間、そこがいちばん寒いことを知りませんでした。
鎧の中はいつも魚油の匂いで熱く、背中には、いちばん小さな子が張りついていた場所の温もりが残っていました。
あの人は、俺が知らないのを分かっていて、わざと言わなかったのだ、と。分かっている者は、長くは立てないから、と。
それからは、誰にも頼みませんでした。
壁の上に立ちました。昼も立ちました。
あれらは、その年の秋のあいだ、ほとんど来ませんでした。
守るもののない壁の上で、俺は森を見ました。
森は、初めて来た日と少しも変わりませんでした。
俺だけが、7日後に消える人間でした。
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同室のご老人は、帰休という制度を教えてくれました。
刑期の一定の部分を務めた収容者が、家族の用で数日、家に帰る制度だそうです。
ご老人は毎年、帰休を申請していると言いました。事由は、いつも母の命日です。
ご老人の母の命日は、1年に3度あります。刑務所が移るたびに、日付が変わったそうです。
まだ一度も、許可が下りたことはありません。母が3度亡くなったということを、誰も信じてはくれませんでした。
俺は、帰休を申請できません。刑期をまだ務め終えていないし、帰って行く場所も思い浮かびません。
ご老人はその言葉を聞いて、俺は運がいい、と言いました。
ご老人の言うには、行く場所が思い浮かばない人間には、行きたい日もないのだそうです。
俺は、ご老人の言葉は間違っていると思います。
あっちでの最後の7日のあいだ、俺は毎日、家に帰りたくないと思っていました。
こっちに来た今は、あっちの壁の上こそが家だったのだと、分かります。
だから近頃は、家に帰りたい日がたくさんあります。帰りたい場所が壁の上なので、帰休申請書に書く欄がないだけです。
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帰休申請書の事由欄に母の命日を3度書いた者なら、同室のご老人が初めてではあるまい。この課題で笑えるのは、その一点だけだ。
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6日目の昼、子どもたちが鎧を磨きました。ひと月に一度のことで、たまたまその日がその日でした。
俺は庭に横になり、子どもたちは鎧ごと俺を砂で磨きました。空は晴れていました。雨の日には磨かないので、その日の空はいつも晴れていました。
俺は磨かれながら、長いこと空を見ていました。来月は、この鎧の中に誰が入っているのだろう、と思いました。
その人も、肩が余っていればいいと思いました。藁を詰めてくれる子たちがいるのですから。
磨き終えてから、いちばん小さな子が兜を持って行きました。残りは自分が磨く、と言いました。
6日目の晩、子どもたちは何も知りませんでした。誰も、子どもたちには言いませんでした。騎士団長が、そう決めました。
子どもたちは、季節でもないのに司祭様が長く留まっているのが嬉しくて、司祭様の袖の両方に列を作りました。
俺はその晩、子どもたちに話そうと思っていました。食堂で晩ごはんを食べ終えたら、話すつもりでした。
食べているあいだ、食堂の柱の規則が目に入りました。2行目。子どもたちの前で泣かないこと。
俺は6年のあいだ、その規則を守りました。話せば、泣くに決まっていました。俺が泣けば子どもたちもつられて泣く。子どもたちが泣けば、俺は発てなくなる。発てなければ、大法則を破ることになります。
大法則を破った者がどうなるのかは、司祭様も言いませんでしたし、俺も訊きませんでした。
その晩、司祭様が俺の寝台のそばに来ました。明日、日が昇る前に発つ、と言いました。
神殿までは、峠を越えて一日の道のりだ、と。
それから、子どもたちには言ったのかと訊きました。
俺は首を振りました。司祭様は右の眉を上げて、それから下げました。
何も言いませんでした。
それで、とうとう言いませんでした。
その晩、子どもたちを倉庫に下ろしもしませんでした。鐘が鳴らなかった晩でした。子どもたちは、寝台で寝ました。
俺は寝台のあいだを一度歩きました。石を投げた子は、布団を蹴飛ばして寝ていました。布団をかけ直してやりました。いちばん小さな子は、俺の兜を抱きしめて寝ていました。昼間、残りを磨くと言って持って行った兜を、最後まで返してはくれませんでした。
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7日目の夜明け、日が昇る前に、鎧を脱ぎました。
食堂の椅子に、鎧を座らせておきました。肩には、子どもたちが入れてくれた藁をそのままにしておきました。次に来る人も、肩が余るかもしれないので。
兜は、いちばん小さな子の腕の中から抜き取れませんでした。抜いたら、起きてしまいそうでした。だから、鎧だけを残しました。
頭のない鎧が、食堂の椅子に座っている格好になりました。朝、子どもたちがそれを見て驚かないように、騎士団長が自分のマントを鎧の肩にかけておいてくれました。院長に贈った、あのマントでした。あの冬が過ぎてから、返してもらったようでした。
出る前に、食堂のテーブルを指で二度叩きました。それは、兜の合図でした。二度は、「下ろしてくれ」という意味でした。いちばん小さな子に、その音が聞こえたはずがありません。それでも、叩きました。
騎士たちは、壁から降りて、はしごの下に立っていました。前歯の欠けた騎士が口笛を吹こうとして、団長の顔を見てやめました。目の下に点のある騎士は、最後まで俺の左側に立っていました。
団長は、今回も一文を超えませんでした。
「行け」
そして、少し間を置いて、もう一文を書き足しました。
「藁は置いていけ」
藁は、もう置いてきていました。俺は、そう申し上げられませんでした。喉が詰まっていました。
規則の2行目は、子どもたちの前でだけ守る規則なので、騎士たちの前では関係ありませんでした。それでも、泣きませんでした。司祭様と峠道を登りはじめるまでは、こらえていました。
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七つの日を、日付ごとに書いた。
4日目と5日目が最も短く、6日目が最も長い。
鎧を置いてきた。藁も置いてきた。
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俺の課題が遅れた理由は、これです。
俺は、あの孤児院を日が昇る前に出ました。その日の朝、はしごの下で人数を数えるのは、俺でした。けれど、俺はそこにいませんでした。
誰が代わりに数えたのかは、知りません。何人まで数えたのかも、知りません。
子どもたちに、別れを告げられませんでした。
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彼は、命令書に記された自分の名前が読めなかった、と書いた。司祭が指で示してくれた、と書いた。
食堂の椅子の鎧は、頭のないまま朝を迎えた。その朝の人数が何人だったのか、彼は最後まで書かなかった。




