第51話 聖騎(2)――仕付けの月
管理番号KR-07 矯正相談記録
課題4 ― 私が感謝すべき人
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感謝すべき人を一人だけ書けと言われました。一人を選ぶのに四日かかりました。
院長先生を書こうと思いました。豚の脂の壺のためです。ところが院長先生は、その壺の代金を後に騎士団の取り分から受け取っていました。感謝すべきことに代金を受け取れば、それは取引だと同室のご老人が言いました。ご老人は取引の専門家です。だから院長先生は外すことにしました。院長先生がこれを読んだら、あの壺の代金もまた受け取っていかれるでしょう。
石を投げた子のことも考えました。あの子は6年のあいだ、パン半分の代金を返し続けました。それは感謝すべきことというより、誠実なことです。
それで、司祭様を書くことにします。私に聖騎士という名を最初に付けてくださった人です。
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院長を感謝すべき人から外した理由が、壺の代金。この人は笑わせようとして書くとき、文が短くなる。
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三日が過ぎ、それから一か月ほど後に、司祭様が来られました。
司祭様は孤児院の人ではありませんでした。山の向こうの大きな村の神殿におられて、季節ごとに一度、孤児院に立ち寄られました。騎士団の告解を聞くために来られていたのです。塀の上に立つ者たちは告解することが多いのだと言われていました。だから告解司祭が別に来られていたのです。
あの方は、左の眉の端に小さな傷跡がありました。子どもの頃、神殿の鐘楼の階段で転んでできたものだとおっしゃいました。だから笑うと、右の眉だけが上がりました。子どもたちはその眉を真似ようと、片方の眉だけ上げる練習をしました。誰も成功しませんでした。それに、手がいつも温かかったのです。冬でも。神殿から山を越えて歩いて来られたのに、手は温かいままでした。そしてその手からは、蜜蝋の匂いがしました。蝋燭を触る手でした。
あの方が孤児院の門をくぐると、子どもたちが先に駆けていきました。私のところへ駆けて来る子たちが、その日はあの方のところへ行きました。あの方には鎧がなかったので、子どもたちはぶら下がりにくかったのでした。代わりに子どもたちは、あの方の袖をそれぞれ一つずつ掴みました。袖が二本しかないので、子どもたちは列を作りました。いちばん小さな子は列に並びませんでした。その子は私の背中にそのまま張りついていました。その子は私以外の誰かのところへは行きませんでした。それはその子の決まりでした。
司祭様は告解を聞く前に、いつも子どもたちのほうを先にご覧になりました。庭の井戸のそばに座って、一人ずつ額に手を当てて確かめられました。熱があるかどうかを見るのだとおっしゃいました。熱のある子には、神殿から持って来た干した草を院長先生に手渡し、熱のない子には、ただ笑いかけられました。子どもたちはその笑いをもらおうと、わざと額を冷たくしました。井戸の水に額を浸けてから、列に並びました。あの方は冷たい額に触れるたびに、驚いたふりをされました。6年のあいだ、毎回驚いてみせました。私は、あの方がそうと知っていて驚いていたのだと思います。
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眉の傷跡がひと筋。それから、手の話が長い。前の課題から、この人は人を手で覚えている。
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司祭様は、騎士団長様からあの三日の話を聞いておられました。崩れた壁の話もです。
そして、私を呼ばれました。
台所の裏手、あの日崩れた場所でした。壁はそのあいだに積み直されていました。新しい石だったので、色が違いました。
司祭様はその新しい石を、手のひらでしばらく撫でておられました。それから、私の手を見たいとおっしゃいました。
私は手袋を外しました。司祭様は私の手のひらを、ご自分の手のひらの上に載せて、長いこと見ておられました。何を見たのかは、おっしゃいませんでした。
そして、この手で何をしたいのかと尋ねられました。
私は、子どもたちを守りたいと答えました。ほかの答えは思い浮かびませんでした。
司祭様はうなずかれました。そして、来月また来ると言われました。そのとき、私が聖騎士になるのだと言われました。
その日の夕方、院長先生が私を呼びました。来月の叙任式に使う蝋燭の代金を、先に決めておこうと言われました。
蝋燭は神殿から持って来られるのに、なぜ代金を決めるのかとお尋ねすると、司祭様が山を越えて来られるあいだに召し上がるパンの代金だと言われました。
そのパンの代金も、騎士団の取り分から出ました。
私は、聖騎士になる前に、聖騎士の代金を先に払いました。
私はそれまで、自分が何なのかを知りませんでした。騎士団の騎士ではありましたが、聖騎士ではありませんでした。鎧は着ていましたが、私の鎧ではありませんでした。
その日、自分が何になれるのかを初めて聞きました。
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叙任式は孤児院の庭で行われました。
大きな村の神殿で行うのが本来の決まりだと聞いていました。けれども、壁を空けたまま山を越えるわけにはいきませんでした。
だから、司祭様が神殿を持って来られたのです。神殿と言っても、蝋燭が一本と、小さな聖水の壺が一つだけでした。
あの方は、神殿は手に持てるくらいで十分だと言われました。
私は鎧を着て、庭にひざまずきました。前の日、子どもたちが鎧を砂で磨いてくれました。
ひと月に一度の仕事を、その週だけ二度やりました。肩には新しい藁を詰めてくれました。
雨が降らなかったので、厩の匂いはしませんでした。代わりに、魚の匂いがしました。それはどうしても抜けませんでした。
子どもたちは庭の端に並んで、歌を歌いました。梯子の横木に布を巻くときに歌っていた、あの歌でした。
最初の課題に、節だけ覚えていると書いた歌です。
叙任式に歌う歌は別にあると司祭様は言われましたが、子どもたちはその歌しか知りませんでした。司祭様は、それでいいと言われました。
司祭様が蝋燭に火を点けました。
そして、私の額に手を置かれました。
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叙任式は庭で行った。
神殿は持って来た。蝋燭が一本、聖水が一瓶。
最初の課題に書いた歌が、ここでまた出てくる。節だけしか覚えていないと書いた、あの歌だ。
歌詞は、今回も書かなかった。
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その手は、温かかったです。
手が載っている間、私は何も考えていませんでした。
司祭様は何か仰いましたが、私はその言葉を覚えていません。祈りの言葉だったのでしょう。
覚えているのは、手の温度です。
額から、温かいものが降りてきました。首へ、肩へ、指先へ。
井戸で子どもの手を治したとき、私の手のひらが温かくなったのと同じ温度でした。
そのとき、そんなことを思いました。
私の手にできることも、結局はこの温度なのだと。
誰かが先に載せてくれたことがあってはじめて、他人にも載せられる温度なのだと。
神学的に正しい考えなのかは分かりません。司祭様に伺ったこともありません。
手が離れてから、司祭様が仰いました。
「立て、聖騎士よ」
私は立ちました。
司祭様が紙を一枚、手渡されました。叙任証書でした。
あちらの文字で書かれていて、私は一行も読めませんでした。
いちばん下に司祭様の署名があって、その横に、蝋燭を溶かして押した跡がありました。
院長がその証書を受け取り、帳簿の箱に納めました。
なくしたら、また受け取るのに金がかかると言われました。
その証書は6年の間、院長の箱から出ませんでした。
私は、自分が聖騎士だという証拠を一度も手にしたことがありません。
だから、ここの捜査記録にも、聖騎士の横には「本人の申立て」と書いてあるのでしょう。
その言葉は、間違ってはいません。
子どもたちが歌をやめて、駆けてきました。鎧にぶら下がりました。七人。
私は倒れませんでした。その日は、足がちゃんとしていました。
その日の夕方、司祭様が山を越えて帰られる前に、もう一つ、ことがありました。
いちばん小さな子が、私の背から降りて、司祭様の前へ歩いていきました。
私以外の誰にも近づかなかった子でした。
その子は司祭様の前に立って、何も言いませんでした。
代わりに、自分の額を指で一度だけ、叩きました。
私の兜には、一度も使ったことのない合図でした。
司祭様は、その意味をすぐに理解されました。
ひざを曲げて、その子の額に手を載せられました。
その子は、手が載っている間、目を閉じていました。
手が離れると、また私の背に戻って、ぶら下がりました。
その日、あの子は自分の決まりを初めて破りました。
私は、それがその日の叙任式でいちばん大きなことだったと思っています。
騎士団長も、そう言いました。
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司祭様はそれから後、季節ごとにいらっしゃいました。いらっしゃるたびに、騎士団の告解をお聞きになりました。
私も告解をしました。何を告解したかは、ここには書きません。告解は他人に移すものではない、とその方に教わったからです。
先生は、ご自分は他人ではないとおっしゃるかもしれませんが、この課題は保安課も読みます。
告解が終わると、あの方はいつも同じことをなさいました。私の額に、手を置かれるのです。叙任式のときのように。
他の騎士たちにも、同じことをなさいました。ですから、あの方がいらした日には、騎士団の全員が、額を一度ずつ触りながら塀の上に上がりました。
誰もその理由を口にしませんでした。きっと、みんな、その手がまだそこにあるような気がしたからでしょう。
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ここにも宗教集会があります。毎週木曜日に、講堂で行われます。
同室のご老人は、キリスト教と、仏教と、カトリックの集会のすべてに登録しています。ご老人いわく、「信仰はひとつでも、おやつは三つ」なのだそうです。
私も集会への出席を申請しました。申請書は差し戻しにはなりませんでした。代わりに、公文書の条項に従って、単独出席に割り当てられました。
木曜日の午後、私はがらんとした講堂のいちばん前の列に、ひとりで座りました。
矯正委員として来られる牧師様は、仕切りの向こうから説教をされました。私を見ないように、仕切りのほうを向いて説教をされました。
私も仕切りを見ました。お互いに仕切りを見たまま、一時間の礼拝を捧げました。
終わってから、牧師様が仕切り越しにおやつの袋を押し出してくださいました。中にはチョコ菓子が一つ入っていました。
同室のご老人はそれを見て、単独出席ならおやつが一つでも確実だ、と言ってうらやましがりました。
部屋に戻ると、ご老人がこの課題を読んでいました。今度は、こっそりではありませんでした。私の寝具の上に広げて、声に出して読んでいました。
ご老人は告解司祭のくだりで読むのをやめると、自分も告解を聞いてやったことがある、と言いました。
ただ、あちらは献金を先に受け取っていた、とも言いました。告解を聞いたあとでは、人は献金を減らすと分かっていたからだ、と。
私はその話を、この課題に書くと伝えました。ご老人は、書くなら実名は抜いてくれ、と言いました。私はもともと名前は一切書かない、と答えました。
「それが、お前の文章の唯一の長所だ」
ご老人は、そう言いました。
その日、私は講堂を出る途中で、一度だけ額を触りました。何もありませんでした。
この中には、私の額に手を置く者はいません。公文書にそんな条項はありません。ですが、条項がなくても、それは分かっています。
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この中で私の額に手を置く者はいない、と書いた。
相談室でこの一文を読みながら、私は窓辺の鉢植えを見た。公文書のとおりに。
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私にとってありがたい人は、あの司祭様です。
私を聖騎士にしてくださった方です。私の手に何ができるのかを、教えてくださいました。
季節ごとに山を越えて来られて、いらっしゃるたびに手を置いてくださいました。6年のあいだ、一度も欠かしませんでした。
あの司祭様は、私が家に帰る日にも、手を置いてくださいました。
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彼は最後の一文を書き、額に手を当て、それから下ろした。
その手が温かかったかどうかは、彼も確かめなかった。




