第50話 聖騎(1)――仕付けの月
管理番号KR-07 矯正相談記録
課題3 — 最も長く耐えた日
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前回の課題の下に書き添えてくださった質問に、まずお答えします。
手は大丈夫です。一日にショッピングバッグを四百個折ります。紐を通す穴はまだ一度も破ったことがありません。
ただ、直し方は相変わらず分かりません。それは大丈夫ではありません。
それでも、尋ねられたのは今どうなのかということでしたので、今は大丈夫だと書いておきます。
今回の課題は、最も長く耐えた日です。一日を書けと言われましたが、私は三日を書きます。
その三日は、私にとっては一日でした。日が三度沈みましたが、眠りは一度もとりませんでした。
眠らなければ、日付は変わりません。ここに入ってから知りましたが、こっち側もそれは同じです。
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最初の段落で手の話をした。訊かれたから答えたのだ。直し方は分からないと二度書いた。
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私がその孤児院に行った翌年、夏が終わりかける頃でした。
その日も、日が沈む前に塀の上へ上がりました。石を投げた子が梯子の下から松明の油の缶を上げてくれました。
その子はその頃、私を追って梯子の中ほどまでは上がってきました。一番上までは上がらせませんでした。塀の上は子供の居場所ではありませんでした。
日が森の向こうへ沈んでから、しばらくの間は何も起きませんでした。あれらが来る夜は、まず虫の音が止みます。その日は虫の音が遅くまで鳴っていました。
私は今日は静かだろうと思いました。隣に立った騎士もそう言いました。二人とも間違っていました。
真夜中ごろ、虫の音が一斉に止みました。片方から順に止まるのではなく、森全体が同時に口を閉ざしました。
騎士団長が鐘を鳴らしました。鐘の音は森へ入っていき、戻ってきませんでした。
それから、森の縁が動きました。木が動くのではなく、木と木の間が動きました。
子供たちは地下倉庫へ下りていきました。
私はそのとき、松明の油の缶を受け取るために、梯子の下へ下りていました。倉庫へ走っていく子供たちが、私の横を通り過ぎていきました。私は通り過ぎていく子供たちに、その言葉を言いました。
「怖いものは見ないで目を閉じて寝ろ。俺が見てる」
返事がいくつも返ってきました。院長が一番最後に下りていき、倉庫の扉に内側から鍵をかけました。
その音を聞いて、私は塀の上へ上がりました。それからは、日が昇るまで下りませんでした。規則にはありませんが、塀の上の者は元々下りないものです。
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あれらの姿形を書けと言われるのなら、俺には書けません。
犬ばかりだったようにも思いますし、人間ばかりだったようにも思います。四つ足で来るものもいれば、二つ足で来るものもいたように思います。
はっきりと見たことはありません。松明の火が届くところまでしか見えませんでした。あれらはいつも、そのすぐ外側にいました。
火の光の端で何かがぬらりと光れば、それがあれらでした。6年の間、そうでした。俺は6年の間、あれらの端だけを見ていました。
あれらはほとんど音を立てませんでした。その代わり、塀を引っ掻きました。
石の塀を引っ掻く音が、一晩中、塀に沿ってこちらの端からあちらの端へと移っていきました。
俺たちはその音を追って、塀の上を走り回りました。音が止まる場所が、越えてこようとする場所でした。そこへ松明を突き出し、槍を振り下ろし、石を落としました。
初日の夜はそうして過ぎました。
日が昇れば、あれらは退きます。6年の間、一度も外れたことがありませんでした。だからその日も日の出を待ちました。
日は昇りました。
あれらは退きませんでした。
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姿形は、書かなかったのではなく書けないのだと、まず明かした。
保安課から検討の依頼がまた来た。「塀」「越えてくる」「三日間持ちこたえた」。逃走・立てこもり関連キーワードだという。
塀を越えてきたのは彼ではない、と返信した。保安課は、越えてきたのは誰なのかと尋ねた。返信欄が一行しかなかったので、「あれら」とだけ書いた。
保安課は「あれら」を五つ目のキーワードとして登録した。
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2日目の昼、あれらは森の縁から動きませんでした。
越えてくるでもなく、退くでもなく、ただそこにいました。
昼に見ると、かえってよく見えませんでした。木陰とあれらの境目が、ありませんでした。
院長は倉庫から上がってくると、台所の在庫を数えました。
大麦が二袋、干し魚が一箱、塩が一握り。それから、松明の油。
油は、3日分に足りませんでした。
院長は油の樽を手のひらで叩いてみて、その音で量を測りました。そうして、俺たちに言いました。
「今夜から、松明は二つのうち一つだけ点けろ。そして、飯は元どおりに食え」
俺たちは耳を疑いました。
院長の口から、飯を元どおりに食えという言葉が出たのは、あの日が初めてでした。
三番目の決まりが、1日だけ解かれました。
そのとき初めて、事態が本当に悪いのだと知りました。
2日目の夜、騎士が一人、傷を負いました。左腕でした。
塀を越えてこようとする何かを槍で押し戻すうちに、腕を噛まれました。
噛まれたのか、引っ掻かれたのかは分かりません。見たのは、傷だけでした。
その腕を両手でつかみました。井戸のときのように。
手のひらが温かくなって、傷が閉じました。
あの騎士は、礼を言う代わりに俺の手を振り払って、すぐに塀の上へ戻りました。
その場所が空いていたからです。
それが、何よりありがたかったです。
2日目の日の暮れ、石を投げた子が倉庫からこっそり上がってきました。院長が少し居眠りをしている間に抜け出した、とその子は言いました。
その子はパン半分を持って、はしごの途中まで上がってくると、俺に差し出しました。1日目の夜に、わびのしるしに渡したのと同じ大きさでした。
俺はパンを受け取って、その子をはしごの下へ帰しました。その子は降りながら、森のほうを一度見ました。
塀の上の者が森に背を向けないのと同じように、その子も森を見まいとしていました。それでも、結局一度は見てしまいました。
その子が何を見たのかは、聞きませんでした。
パンは半分に割って、隣の騎士と食べました。その日、あの塀の上で食べたのは、それだけでした。
院長はあとで、パンが一つ足りないことに気づきました。その代金も、騎士団の取り分から出ました。
あれらが森の縁で動かない間、俺は2日目の昼に三度、倉庫の扉の前まで降りました。
三度とも、同じ言葉を言いました。三度目には、扉の内側からの返事が一つ、減っていました。
俺は扉に耳を当てて、息の音を数えました。みんな、ありました。一つは、眠っていて返事ができなかっただけでした。
それが誰かは分かっています。いちばん小さな子でした。その子は、あんな日にも昼寝をしていました。
その子のおかげで、俺はあの扉の前で初めて、少しだけ笑いました。
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負傷した騎士の腕を治した。手のひらが温かくなった、という文は前の課題と同じだ。同じ文をそのまま、もう一度書いた。
この章では、人が数えられる形で出てくる。麦二袋、干し魚一箱、三度、返事が一つ。あれらだけは、数えられない形で出てくる。
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3日目の夕方、油が切れました。
院長が台所から何かを持って上がってきました。灯の油の壺と、豚の脂の甕でした。
院長が冬を越すために隠してあったものでした。俺たちは、そんなものがあることすら知りませんでした。
院長は甕を塀の下に置くと、何も言わずにまた倉庫へ降りていきました。
その夜、俺たちの松明からは魚の匂いの代わりに、豚の匂いがしました。その匂いのせいで、あれらがもっと寄ってきたのかもしれません。
騎士団長はあとで、それは違うと言いました。でも団長も、あの夜は腹が減っていたと言いました。
真夜中を回って、塀の片側が崩れました。孤児院の台所の裏手、古い石が雨に濡れていた場所でした。
人が一人通れるほどの隙間ができました。隙間の向こうが、ぬめるように光っていました。
俺は塀から飛び降りて、その隙間の前に立ちました。塀が崩れた場所には、塀の上というものがありませんでした。
考えて立ったのではありません。俺が、一番近くにいました。
そこから先は、うまく書けません。記憶がないのではなく、多すぎて順序がないのです。
槍が折れました。盾を構えました。盾なんてなかったので、両手を隙間に当てたような気もします。
手のひらが熱かった。井戸のときとは違って、熱かった。治すときの手は温かかったのに、あの日は、手が何かを止めているかのように熱かった。
あっちの人たちは、それも神聖力と呼びました。
俺はそのとき初めて、この力が治すことだけに使うものではないと知りました。
隙間の向こうのぬめりが、俺の手のひらの前で止まりました。越えては、こられませんでした。
俺は日が昇るまで、そこに立っていました。
日が昇りました。今回は、あれらが退きました。
森の縁が、また木と木の間に戻りました。虫の音が、片側から順に戻ってきました。
あれらがどこへ帰っていくのかは、分かりませんでした。森の向こうに何があるのか、知っている人はいませんでした。
騎士団長も院長も知りませんでした。誰も、森の向こうまで行ったことがなかったからです。
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倉庫の扉を開けました。院長が真っ先に出てきました。
院長は崩れた壁を見て、空の豚の脂の壺を見て、俺を見ました。そして、壺を洗って台所に置いてこいと言いました。
三つ目の決まりが戻ってきました。俺は、その言葉を聞いて、仕事が終わったのだと知りました。
子どもたちが上がってきました。鎧にぶら下がりました。前に二人、横に二人、脚に一人ずつ。
背中にはいちばん小さな子が上がってきて、兜を三回叩きました。もっと高く上げろ、という意味でした。
俺は、三日間立ちっぱなしだった脚で、その子をもう少し高く上げてやりました。そして、倒れました。
七人だったのに、倒れました。子どもたちは、八番目は誰だと互いに言い争いました。
誰でもありませんでした。俺の脚が、使い切っていたのでした。
あの三日間、あの孤児院で死んだ人はいませんでした。
俺は今でも、それが自分がしたことだとは思っていません。院長の豚の脂がしたことで、怪我をした腕で壁に戻った騎士がしたことで、そんな夜にも眠っていたいちばん小さな子がしたことです。
俺は、隙間の前に立っていただけです。
この課題を書くのにも、三日かかりました。昼はショッピングバッグを折らなければならなくて、書くのは夜だけでした。
二日目の夜、消灯のあとで、廊下の灯りで何行か書き足していて、見回りの勤務者に見つかりました。
勤務者は配膳口の向こうで息を止めたまま、就寝時間の筆記は規定違反だと、短く言いました。
翌朝、俺の収容記録に一行が増えたそうです。理由の欄には『課題作成』と書かれていたそうです。
相談の課題をしていて指摘を受けた最初の収容者になった、とご老人が教えてくれました。ご老人は、それは自分の記録よりましだと言いました。
同室のご老人は、この課題を読んで、宗教集会で証しにしようと言いました。
献金は半分ずつにしよう、とも言いました。刑務所の宗教集会に献金はないと申し上げたら、それなら間食を半分ずつにしようと言いました。
俺は断りました。
ご老人は、今週の金曜の夜に魚のフライが出たら、俺の分をよこせと言いました。魚の匂いを嗅ぐと俺がまたあの三日を思い出すから、自分が代わりに食べてやる、と。
それはその通りだったので、俺は魚のフライを差し出しました。
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三日を書き切った。崩れた壁、院長の壺、七人、倒れた脚まで。
奴らを、『あれら』としか書かない。三日戦ったのに、姿かたちは一行もない。
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彼は、あれらがどこへ帰ったのか分からないと書いた。その一文でだけ、ボールペンを一度止め、また書いた。
その朝、虫の音は片側から順に戻ってきた。どちら側からだったのかは、彼も書かなかった。




