第47話 収容事由書(1)――下絵の月
管理番号KR-07 矯正相談記録
課題1 — 私はどんな人間か。
課題の用紙のいちばん上には、作成要領が三行あります。
分量はA4で二枚以内。暴言と隠語は禁止。特定の人物への中傷は禁止。
私は6年を、二枚に収めなければなりません。
悪口は、もともと言いません。中傷する相手もいません。ですから、最初の一行さえ守ればいい。それが、いちばん難しい。
同室のご老人は、この課題を七回書いたことがあるそうです。刑務所を七回移されたからです。毎回、別人として書いたのに、毎回通ったそうです。
私にこつを教えてやろう、と言いました。先生が好きな言葉があるのだそうです。「反省」「家族」「新しい出発」。
私はこつを聞かないことにしました。ご老人は、そのこつを教える代わりに、私の預かり金からカップラーメンを二つ寄越せと言ったからです。
ですから、こつなしで書きます。
私は6年のあいだ、あっちにいました。
どうやって行ったのかは、説明できません。目を覚ましたら、そこでした。その部分は捜査記録にも「説明不能」と書かれていると聞きました。私も、そのとおりだと思います。
あっちで私は、孤児院を守る騎士団にいました。
* * *
最初の課題を、期限より二日前に提出した。罫線ノートにボールペン。罫線からはみ出した字はない。
預かり金のカップラーメンの話は、笑わせるために書いたようだ。笑った。
* * *
私があっちで最初に目を覚ましたのは、その塀の外でした。
森の方でした。日が沈みかけていました。
私は草地にうつ伏せになっていて、顔を上げると石の塀が見えました。塀の上に、小さな頭が一つ出ていました。子どもでした。
その子は私を見ると、石を投げました。額に当たりました。
あっちで私が最初にもらったものは、石でした。
その子は、私をあれらの一体だと思いました。日暮れ時に森の方から塀を見上げるのは、たいていあれらでしたから。
その子は何も悪くありません。塀の上で、やるべきことをやっただけです。
私は額を押さえて、手を振りました。人間だ、という意味で。
言葉は通じなかったのに、その子には通じました。二度目の石は投げませんでした。代わりに、鐘を鳴らしました。
騎士が二人、はしごで降りてきて、私を塀の中へ引き上げました。一人は私の額を見て笑い、一人は私の手を見て笑いませんでした。
私はそのとき、何も持っていませんでした。そのほうがむしろおかしい、と後で聞きました。あの森から、手ぶらで歩いて出てくる者は、いなかったそうです。
その夜、石を投げた子が私の寝台のそばへ来て、謝りました。詫びのしるしに、パンを半分くれました。私はそのパンを食べました。
その子はその後、毎朝、私の右の脚にぶら下がりました。石を投げた分の借りを、そうやって返したのです。6年分の利子をつけて。
* * *
手ぶらで森から出てきた。最初にもらったものは、石。
それが笑いを取るために書いた文なのかどうか、自分でもわからない。
* * *
孤児院は、山の下の村はずれにありました。村と森のあいだに塀が一本あって、孤児院はその塀に背を預けて建っていました。塀が、孤児院の裏壁でした。
つまり、孤児院は村でいちばん危険な場所にありました。孤児院は、もともとそういう場所に建てるものです。ほかの人間が住みたがらない場所だから、地面が安いのです。
あっちでも、こっちでも、それは同じです。
その村では、毎晩、あれらが森から下りてきました。子どもたちを攫っていきました。
大人たちが村を離れるだけで終わっていたら、まだましだったでしょう。ところが、この村では親のいない子どもが増えました。
彼らは捨てられたのではありません。ただ、彼らだけが残りました。ほんのしばらくだけ、この村で大人を待つことにしたのだそうです。
そうして、親のいない子どもたちは、塀のほうの孤児院へ行くしかありませんでした。
ともかく、あれらは欠かさず塀を越えてきました。俺は、実は最初からこの村はおかしいと思っていました。
ですが、おかしいからといって、変えられるものではありませんでした。
騎士団は五人になり、四人になり、また六人になりました。入ってくる者と、出ていく者がいました。
出ていく者は、たいてい歩いて出ていきませんでした。
俺たちの仕事は単純でした。日が沈めば、塀の上に上がります。松明を掲げます。
日が昇るまで、森を見ます。森で何かが動けば、鐘を鳴らします。
鐘を鳴らすと、子どもたちは地下倉庫に下りて、俺たちは塀の上から下りません。それだけでした。
6年のあいだ、それをやっていました。
冬の塀は高かったです。おかしな話ですが、冬は塀がもっと高く感じられました。
石が凍って、梯子が滑りました。梯子の横木ごとに、布を巻きました。その布を巻いたのは、孤児院の子どもたちでした。
子どもたちは、梯子に布を巻きながら、歌を歌いました。その歌の歌詞は、今では思い出せません。曲だけは覚えています。
今でも房で口ずさむと、同室のご老人が「讃美歌か」と訊きます。違うと答えると、がっかりします。
松明の油からは、魚の匂いがしました。魚油だったからです。
一晩じゅう持ち歩いていると、鎧の内側まで匂いが染みつきました。
朝、塀から下りてくると、孤児院の猫たちが俺についてきました。子どもたちはそれを見て、「騎士さまから、おいしそうな匂いがする」と言いました。
俺は6年のあいだ、猫にも子どもたちにも好かれていました。どちらも、理由は同じでした。
騎士団の食堂の柱には、規則が三行、刻まれていました。
ひとつ、塀の上から森に背を向けないこと。
ふたつ、子どもの前で泣かないこと。
みっつ、院長の前で飯の追加をねだらないこと。
6年のあいだ、いちばん厳しく守られたのは、三番目の規則でした。ひとつ目を破った者にはあれらが罰を与え、みっつ目を破った者には院長が罰を与えました。
誰もが、院長のほうをもっとこわがっていました。
* * *
感覚の描写は正確だ。梯子の横木の布、魚油、凍りついた石。
「モンスター」という言葉を、お前はまだ一度も書いていない。ずっと「あれら」だ。
* * *
子どもたちの話をします。俺がどんな人間なのかを書けと言われましたが、俺は子どもたちの話を除いたら、書くことがありません。
その前に、まず鎧の話をしなければなりません。子どもたちがぶら下がったのは、鎧だったからです。
俺の鎧は新品ではありませんでした。俺より先に、あの塀の上に立っていた騎士のものでした。あの騎士は、歩いて外へ出なかった側でした。
鎧は俺には大きすぎました。肩が拳ひとつ分、余っていました。子どもたちがその空いたところに藁を詰めてくれました。
それで俺は6年のあいだ、肩に藁を入れて歩いていました。雨の日には、肩から馬小屋の匂いがしました。魚の匂いと馬小屋の匂いが同時にする騎士は、おそらく俺一人だったでしょう。
子どもたちはその鎧を砂で磨きました。月に一度、庭に鎧を寝かせて、みんなで一緒にこすりました。鎧の中に俺が入ったままで。
脱ぐと磨き甲斐がない、と言っていました。俺は月に一度、庭に寝転んで空を見ながら、砂でこすられていました。
その日は空がいつも晴れていました。雨の日には磨かなかったからです。
朝、塀から下りてくると、子どもたちが走ってきました。鎧にぶら下がりました。
前に二人、横に二人、背中に一人。脚にも一人ずつ。全部で七人でした。
七人までなら歩けました。八人になると倒れました。子どもたちは、それを知っていました。
だから毎朝、八番目の席をめぐって争いました。倒した子が勝ち、という遊びでした。
冬にもぶら下がりました。鉄が冷たいのに、です。
子どもたちが手のひらを鎧に当てていて、それを離すと、鉄の上に手のひらの形の湯気が立って、消えました。
小さな手のひらが七つ、できては消えました。俺はそれを毎朝、見ていました。今でも目を閉じると、その手のひらの跡が見えます。
いちばん小さな子は、いつも背中に張りつきました。首に腕を回して。
その子はあまり話しませんでした。代わりに俺の兜を叩きました。
二回叩けば下ろしてほしいという意味で、三回叩けばもっと高く上げてほしいという意味でした。俺は6年のあいだ、兜でその子と会話しました。
毎晩、子どもたちを地下倉庫へ下ろしながら、同じ言葉を言いました。
「怖いものは見ないで目を閉じて寝ろ。俺が見てる」
子どもたちはその言葉を聞かないと、眠れませんでした。
一度、その言葉を言い忘れた日がありましたが、倉庫の扉の内側から五人が同時に俺を呼びました。
俺は扉をもう一度開けて、その言葉を言いました。その夜は、あれらは来ませんでした。
俺は今でも、その二つには関係があると、半分信じています。
* * *
具体的だ。名前が一つもない。
子どもたち、いちばん小さな子、同室のご老人、騎士団。人に名前がない。村にも名前がない。
* * *
俺はそこで、6年のあいだに子どもを40人ほど助けました。
正確に数えたわけではありません。数えようとしたことはあります。ですが、数えていると、ほかの数字も一緒に数えてしまうので、やめました。
その6年が終わって、俺は戻りました。
戻ったあとのことは、この課題には書きません。作成要領にそんな欄はありません。俺がここにいる理由は、収容記録に全部書いてあります。俺が書いた文章より、その記録のほうが正確でしょう。
俺はその日のことを覚えていません。覚えていないことを書けば、それは作り話になります。俺は作り話でこの課題を埋めたくありません。
同室のご老人は、まさにその部分を作り話にしないと通らないと言いました。先生たちが一番知りたいのが、そこだからです。そして、カップラーメン一つでまけてやると言いました。俺はそれでも買いませんでした。
ご老人は、俺は商売を知らないと言いました。
そのとおりです。俺は商売を知りません。俺は塀の上に立っていることしか知りません。
ここにいても、俺は夜によく眠れません。明け方に目が覚めます。あれらが下りてきた時間です。
目が覚めると、手が先に枕元を探ります。松明を探しているんです。
ここには松明がありません。代わりに、廊下の灯りが一晩中ついています。
最初はそれが嫌でしたが、最近はありがたいです。誰かが代わりに火を持っていてくれているようで。
廊下の灯りは、魚の匂いがしません。それが少し、物足りません。
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分量が2枚超過。指摘はしない。
「数えていると、ほかの数字も一緒に数えてしまうので」。次回に聞くこと。聞かないほうがいいかもしれない。
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先生は最初の時間に訊きました。
「あなたは、どんな人でしたか」
俺はあっちの話ばかりして、その質問には答えられませんでした。
簡単すぎる質問だったので、かえって言葉が出ませんでした。
それで、課題として持ち帰りました。
2日間、考えました。
同室のご老人にも訊いてみました。ただで、です。
ご老人はしばらく俺を見てから、言いました。
「お前はいい人のようだ。だが、いい人はここに来ない。だからお前は、いい人のふりをするのがうまい人間だ」
ご老人は、自分もそうだと言いました。
ご老人はそう言ってから、カップラーメンを一つ請求しました。ただだとは言っていない、と。
俺はそれは間違っていると思います。カップラーメンの代金も、いい人のふりという言葉も。
俺は鎧を着ていた人間でした。
塀の上に立っていた人間でした。
魚の匂いがする人間でした。
兜で会話していた人間でした。
どれも正しい言葉です。
ですが、一つにまとめろと言われたら、俺にはこの言葉しかありません。
俺は、子どもを守る人間でした。
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彼は二枚を超えて書き、最後の一行だけは行の真ん中に合わせて書いた。
七つの手のひらの跡は、毎朝現れては消えた。誰の手のひらだったのか、彼は書かなかった。




