第3話 最近、足がすごく痛いんです
管理番号KR-06 添付文書1
本人直筆の手記。死亡後、宿舎のマットレスの内側から発見。
全211枚中1〜14枚。原文のまま転記。実名は▇で処理。
* * *
最近、足がすごく痛いんです。
あの人たちに最初に「話してみてください」と言われたとき、私が口にしたのがこれでした。だから、ここにも最初にこれを書きます。私は奇跡なんて願ったことはありません。ただ、足が痛かったんです。
ずっとずきずきして、地面を踏むたびにナイフで刺されるみたいでした。
病院には五つ行きました。近所の整形外科、区役所前の大きな整形外科、大学病院の整形外科、大学病院のリウマチ内科、最後はペインクリニック。どこも異常なしでした。骨にひびが入ったこともないし、炎症もないし、血液検査の数値も全部正常。MRIまで撮りました。MRIは保険がおりなくて、自腹でした。何も見つからなければ保険はおりないそうです。痛いことを証明できなければ、痛くないことになるんだそうです。
そんなはずないと思って、思い切っていちばん高い人間ドックを受けました。全身のPET-CTまでやりました。担当の先生が結果の紙をめくりながら言いました。
「おめでとうございます。同年代の中で、上位10パーセントに入る健康状態ですよ」
私は診察室の椅子から立ち上がろうとして、へたり込みました。足が痛くて。
* * *
俺はそこで初めて、ファイルを閉じた。
上位10パーセント。日本の警察署の医者も似たようなことを言っていた。11年剣を振るってきた体だから、筋肉量はスポーツ選手並みだと。そして付け加えた。なのに、どうしてこんなに痩せてるんです?
俺はまたファイルを開いた。
* * *
最初は、そこまでじゃなかったんです。
指先でぎゅっと押される程度でした。私は物流センターで働いていたので。一日に二万歩歩いていました。足の裏が痛いのは不思議じゃなかった。インソールを替えて、靴を替えて、仕事から帰るとお湯に足をつけました。
三か月くらいすると、指先じゃなくて針になりました。
半年くらいすると、針じゃなくてナイフになりました。
今は刃の上を歩いているみたいです。文字どおりです。刃が私の足の下にあるんです。一歩踏むたびに、刃が足の裏を裂いて入ってきて、かかとを抜けて足首を砕くみたいな。なのに見下ろすと何もない。靴下もきれいなままで、血も出ていない。
それがいちばん怖かったんです。血が出ないことが。
最後の病院では、痛み止め依存症だと思われました。無理もありません。五つの病院でもらった痛み止めが、引き出しひとつを埋めていましたから。ペインクリニックの先生は私の処方歴を長いこと眺めてから、静かに言いました。
「よろしければ、精神科も受診してみませんか」
受けました。それも受けました。身体症状症かもしれない、ストレスが体に出ることは多い、と。薬を飲みました。よく眠れました。足は変わりませんでした。
会社は辞めました。退職金で三か月しのいで、母の家に戻りました。母は毎日、私の足を揉んでくれました。七十を過ぎた母がです。母の手が触れると、少しだけ痛みがましになりました。本当に。だから、もういいよと言えませんでした。
* * *
俺はまたファイルを閉じた。
足が痛い。原因がない。向こうで似た人間を見たことがある。戦で右腕を失った騎士だ。彼は、ないはずの右手が痛いと言った。指先が火傷したようにひりつくと。司祭たちはそれを「幻の腕」と呼んだ。体は忘れたのに、魂がまだ覚えている傷。
六番目の足は無傷だった。だとしたら、その刃はどの体の記憶なのか。
その考えが遠くへ行きすぎる前に、またファイルを開いた。
* * *
あの人たちが来たのは、母の家に戻って二か月目でした。
母が連れてきたんです。市場の知り合いが通っているところがあって、そこでお祈りを受けて治った人がたくさんいるからと。私は嫌だと言いました。母が泣きました。私は母が泣くのを見ていられないんです。だから行きました。
京畿道の加平でした。
山の中腹に白い建物がありました。最初はリゾートかと思いました。入口に金色の獅子像が二体あって、大理石の階段の両脇に天使の彫像がずらりと並んでいました。天使たちの翼には金箔が貼ってあったけれど、ところどころ剥げて白い石膏がのぞいていました。一体は鼻が欠けていて、誰かがガムテープで留めていました。屋根はヨーロッパの大聖堂みたいに尖っていて、てっぺんには十字架の代わりに金色の円盤がついていました。あとで聞いた話だと、最初は十字架だったそうです。著作権の問題で替えたんだとか。誰に著作権があるのかは、誰も知らなかったそうです。
私はその円盤を見て、笑ってしまいました。足が痛くて、笑う余裕なんてなかったのに。
母は笑いませんでした。母は階段の前で両手を合わせました。
最初に私を迎えたのは、白い服を着た中年の男性でした。相談室のようなところに私を連れていって、向かいに座ると言いました。
「話してみてください」
だから私は話しました。最近、足がすごく痛いんです。ずっとずきずきして、地面を踏むたびに……。
その人は私の話を最後まで聞いてくれました。一度も遮りませんでした。五つの病院で、誰もそんなふうに最後まで聞いてくれなかった。みんな途中でモニターを見ていました。その人は、私の目だけを見ていました。
全部聞き終えて、その人は言いました。
「信じます」
それだけでした。お祈りも、按手もしませんでした。
私はその場で泣きました。
* * *
ファイルは閉じなかった。代わりに、その一文を長いこと見ていた。
「信じます」
昨日、彼女は俺にその言葉を言わなかった。代わりに、1年と言った。1年後にお連れします、と。そっちのほうが誠実な言葉だとはわかっている。それでも俺は、その白い服の男が少しうらやましかった。六番目がなぜあの階段を上ったのか、わかる気がした。
* * *
私はあの人たちのところに、半分は自分の足で、半分は引きずられて入りました。どちらが大きかったのかは、今でもわかりません。
あの人たちは、最初は私を信じてくれました。次に宿舎をくれました。次に母の生活費をくれました。その次は、私が出ていくと言うたびに母の話をしました。
その次は、私を「あの方」と呼びはじめました。
させられたことは大したことじゃありません。毎週日曜に白い服を着て、最前列に座っていること。ときどき、司祭さまたちが連れてくるお客の手を握ること。お客たちは時計も指輪もぎらぎらしていました。私の手を握って泣きました。私は何をすればいいのかわからなくて、じっとしていました。
翌日また来て、すっかり治ったと言う人もいました。膝の痛み、不眠、うまくいかなかった事業。私は何もしていません。司祭さまたちはそれを全部記録しました。日付、名前、治ったもの、そして献金額。献金額の欄がいちばん広かったです。
ミサでは、司祭さまたちが書いてくれた文章を暗記して読みました。「苦しみは、汝を見捨てぬ唯一の友なり」。みんなそれを聞いて泣きました。私はその文章を読んでいるあいだも足が痛かった。その文章が正しいから、よけいに腹が立ちました。
外には出られませんでした。宿舎のドアの前には、いつも誰かが立っていました。母は月に一度、面会に来ました。来るたびにふっくらして、服が良くなっていきました。母は幸せそうでした。私は母に、出たいと言えませんでした。
もう杖がないと歩けません。ミサでは杖をつけません。あの方が杖をついてはいけないからです。ミサの前に白い錠剤を飲んで、歯を食いしばって階段を下ります。外から見ると、なんともないように。
* * *
俺は立ち上がって、部屋の中を一周歩いた。足の裏を床にぐっと押しつけてみた。痛くなかった。
またベッドに座った。少し、恥ずかしかった。
* * *
その日は、外国のお客さまが来ました。
年に一度、世界各地の支部の司祭さまが集まる行事があるそうです。その前に、いくつかの国が先に人を送って「あの方」を確かめるんだとか。その日来たのは三人でした。フランス人がひとり、レバノン人がひとり、それから国籍のわからない背の高い男がひとり。
司祭さまたちはその人たちを特別応接室に案内して、私を呼びました。応接室の床には赤い絨毯が敷いてあって、厚すぎて足がずぶずぶ沈みました。かえって助かりました。刃が少しなまくらになる感じがしたので。
通訳は韓国人の司祭さまがひとり務めました。いつも笑っている人でした。いつも笑っているから通訳を任されたんだと思います。
フランス人が私を上から下までゆっくり眺めました。それから隣のレバノン人に何か言いました。二人が笑いました。レバノン人が携帯を出して、どこかにメッセージを送りました。数字だけが見えました。3610。
通訳の司祭さまが、笑顔のまま私に言いました。
「あの方にお目にかかれて光栄だ、とおっしゃっています」
嘘でした。私にはそれがわかりました。でも、どうしてわかったのかは、そのときはわかりませんでした。
通訳の司祭さまが急に笑うのをやめて、フランス人の前で声を荒げました。無礼な真似はやめろ、と。ふだん大声を出すような人じゃなかったのに。
フランス人が手を上げて、司祭さまの頬を叩きました。ぱしんと音がしました。応接室が静まり返りました。フランス人は何も言わずに出ていきました。レバノン人もついていきました。
残ったのは、背の高い男でした。
その人は笑いませんでした。とても真剣な顔で私の目をまっすぐ見つめて、ゆっくり言いました。
「バベルの塔の呪い以来、我々はひとつの声を聞くことができない」
「だから、あなたもその呪いからは逃れられない。たとえあなたが本物でも」
その人は「本物」という言葉に下線を引くみたいに、一音ずつ力を込めました。
「あなたの言葉がわからない他の国の人間にとって、あなたの顔と声は、あの連中にも劣る……」
その人は顎で韓国人の司祭さまたちを指しました。
「偽物にすぎない」
その人が出ていったあと、通訳の司祭さまが私に訊きました。頬がまだ赤かった。
「あの男は何と言ったんです? 私はまだひと言も通訳していないのに、あなたの表情があまりに変わったので」
私はそのとき、わかったんです。
あの背の高い男は、最初から最後までフランス語で話していました。通訳は一文も口にしていませんでした。
私は、それを全部聞き取っていたんです。
* * *
手記の十四枚目は、そこで終わっていた。
ファイルを握る手に力がこもるのがわかった。日本の警察署の押収品目録を思い出した。若い巡査は日本語で読み、俺は日本語を理解した。4年前まで、あの街で会社勤めをしていたのだから。当たり前のことだった。
向こうでもそうだった。落ちてきた最初の日から、俺は向こうの言葉がわかった。神の加護だと言われた。誰も疑わなかった。俺も疑わなかった。
俺は帰ってきたのだと思っていた。帰還。向こうの王が勲章をかけながら使った言葉だ。勇者の帰還。
けれど六番目は、どこかから帰ってきた人間じゃなかった。物流センターで働いていて、足が痛くなっただけだ。彼は最初から、こっちに「来た」人間だった。
だとしたら、俺は。俺は本当に、こっちから向こうへ行って、帰ってきたのか。
* * *
バベルの話を知っているか。
人はそれを神の罰と呼ぶ。違う。あれは我々のうちの何人かが初めて刺した、針目だった。ひとつの声で話す人間たちが、あまりに早く我々に届きそうだったから。
千年の後、その針目を初めてほどいた人間が、加平の白い建物で足を引きずっていた。我々はあのとき、彼を消しておくべきだった。




