第26話 五年後
管理番号 KR-06 添付文書 1
173〜182枚。
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この紙を久しぶりに取り出しました。
最後に書いたのはいつだったか、前のページをめくって確かめました。記者さんがリムジンから降りた日でした。
それから何も書いていません。書くことがなかったわけではありません。書くのが嫌でした。書けば全部、本当になってしまいそうで。
その間に5年が過ぎました。
5年の間にあったことを全部書こうとすれば、このマットレスの中に紙が収まりきりません。だから、少しだけ書きます。
雨はもう、どこででも呼べます。大聖堂はさらに三つできました。母は江南に引っ越しました。
母が江南に住むのを私が見ることになるとは、思いませんでした。
母は最近、「お母様」と呼ばれています。あの方のお母様ですから。母はその呼び方を気に入っています。
私は、母が何かを好きなのを見るのが好きです。母が自分が見たいものを見ている間は、私を見ていないからです。
足は相変わらず痛いです。
杖はもう、金のものを使っています。団体が作ってくれました。あの方が杖をつかれるのなら、金の杖でなければならないのだそうです。
5年前には、杖をついてはいけないと言われていたのに。金ならいいんです。
私はその杖が重くて嫌です。元から使っていた木の杖は、マットレスの下に隠してあって、夜だけ使います。
口パクは今でもしています。録音ファイルが古すぎて、最近は雑音が混じります。
司祭たちが新しく録音しようと言いましたが、私が録音室で口を開くと本物が出てしまうので、できませんでした。三度試しましたが、三度とも録音技師さんが泣きながら出て行きました。
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5年。
俺は書類ファイルの厚みを指で測った。172枚と173枚の間に5年がある。紙一枚分の厚みだ。
俺の11年も、そうやって畳まれる。
あっちで過ごした11年は、こっちでは4年3か月だった。そして管理局の書類では、一行だった。「帰還前の滞在期間:約11年(本人申告)」
六番目は5年を数行に縮めた。母の江南、金の杖、録音技師の涙。その数行の間に、抜け落ちたものの方が多いのだろう。
書くのが嫌だったと言う。書けば本当になってしまいそうだったから。
俺も、あっちでの11年を誰にも全部は話していない。同じ理由だ。
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「最高司祭のことも書かないといけません。」
あの方は、もう二十歳ぐらいに見えます。5年前は四十から三十へ向かっている途中でしたが、今は大学生のようです。肌が良すぎるせいで、ニキビができてしまいました。
九十に近いお方がニキビができて、皮膚科に通っています。司祭たちはそれを『若さの証』と呼びます。
聖殿の土産屋には、最高司祭が使っているニキビの軟膏が入荷しました。一つ20万ウォンです。
声はもう、完全に青年のものです。なのに、言葉づかいはそのままです。老人の言葉づかいです。
「ほっほっ、あの方の恩寵じゃ」
二十歳の顔でその言葉を口にすると、信者たちが泣くんです。感激して。
あの方は、まだ知りません。いいえ、少しは気づいているようです。最近は、朝に鏡の前で聞こえる言葉の意味が変わったんです。
以前は『もういい』でした。最近は『もうやめたい』です。
毎朝、その言葉を口にします。『もうやめたい』。もちろん、止まりません。
私はあの方の前で笑わないようにしています。ミサのときは表情が顔に貼りついたままで、うまくいきません。
先月、あの方が信者たちの前で階段を二段ずつ駆け上がりました。人々が拍手を送りました。
あの方は一番上の段で息を整えながら、腰に手を当てました。二十歳の体が、九十歳の癖のまま腰に手を当てたのです。
司祭の一人がすかさず駆け寄り、使徒が感謝の礼をなさっていると叫びました。信者たちもそれに倣って礼をしました。
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「もういい」。「もうやめたい」。
毎朝、同じ鏡の前で、同じ人が、正反対の言葉を言う。5年の間に。
俺も、あっちでそうだった。
1年目は、毎朝『もういい』と思った。勇者になった。もういい。
3年目あたりからは『もうやめたい』と思った。だが、止まらなかった。止まれなかった。魔王がまだ生きていたからだ。
最高司祭を止めさせないものは、何なのか。六番目か。六番目がやめれば、あの人もやめるのだろうか。
手記は、その問いに答えなかった。
* * *
その日の夜、私は大聖堂のいちばん上の部屋でテレビを見ていました。
私はテレビをあまり見ません。そこに自分が映っているからです。
雨を呼ぶ場面、雲から降りてくる場面。あれは全部、演出です。
雲は天気予報が呼んでくれるだけで、降りてくるのはワイヤーです。ワイヤーは私の腰を締めつけます。足が地面に着かないぶん、痛みが少ないのは助かります。
その日は、運転手さんが夜のニュースをつけたまま、出ていきました。
アナウンサーが笑顔でニュースを読んでいました。経済ニュース、天気、それから最後に、話題の人物。
「今回は驚くべきニュースです。知能指数が300に近い5歳の子どもが話題です」
画面が変わりました。小さな男の子が車いすに座っていました。ホワイトボードの前でした。
ホワイトボードには数字と記号がびっしり書かれていました。男の子はその前にいて、マーカーを握っていました。
車いすに乗ったまま腕を伸ばして、いちばん下の欄に最後の記号を書きました。
「この子は2歳で言葉を話し始めました。最初の言葉は『お母さん』ではなく『誤差』だったそうです」
アナウンサーが笑いました。台本に「笑う」と書いてあったのでしょう。
「そして先月、5歳にして新しい数学の公式を発見し、世界の学界を驚かせました。この公式を検証するために来た海外の教授3人のうち、2人は検証を諦め、1人は引退を宣言したそうです」
アナウンサーがまた笑いました。今度は、台本にない笑いでした。
* * *
最初の言葉が「誤差」。
俺はメモ用紙にその単語を書いた。そして丸をつけた。
計算する者が最初に覚える言葉。いや、計算を間違えた者が最初に口にする言葉。
なぜその単語に丸をつけたのか、自分でもわからない。
あっちの老司祭が、時間を止める法を教えるとき、いつも言っていた言葉がある。
「止まった時間には誤差がある。誤差を無視する者は、いつかその誤差に飲み込まれる」
俺の誤差は0.8秒だ。監査の日に1.8秒を巻き戻して残った残留値。
面談官はその数字を、初めて「正常範囲」と言わなかった。
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画面の中の子どもは、とても小さかったです。
5歳なのに、3歳くらいに見えました。車椅子は、その子には大きすぎました。脚は毛布で覆われていました。
「残念ながら、この子は生まれたときから歩けません」
アナウンサーは、今度は笑いませんでした。
インタビューの映像が流れました。記者が、マイクを子どもの口の高さまで下げました。子どもの声は、とても澄んでいました。子どもの声でした。なのに、使う言葉が子どもの言葉ではありませんでした。
「公式は、そんなに難しくなかったです。もともとそこにあったものを見つけただけです。ただ、見つけるのが少し遅れました。計算が少し、狂っていたので」
「計算が狂っていた? 公式は合っていたじゃないですか」
「公式は合っていました。僕の到着が遅かったんです」
記者が笑いました。子どもが大人みたいな冗談を言ったと思ったのでしょう。
「夢は何ですか?」
記者が聞きました。5歳にする質問です。台本にあった質問なのでしょう。
子どもは答えました。ためらわずに。
「あの方に会うことです」
記者が一瞬、止まりました。この国で「あの方」と言えば、誰もが私を思い浮かべるからです。記者は画面の外へ目配せをして、笑って流しました。「ああ、偉人伝をたくさん読んでるんですね」
子どもは笑いませんでした。カメラを見ました。
* * *
「あの方に会うことです」
俺はベッドから起きて、部屋を一周した。歩きながら足の裏を床に押しつけた。痛くなかった。また座った。
六番目の手記に、あの子が初めて出てきた。画面の中で。生の目ではなく、画面の向こうから。
ラーメンが画面越しの俺を見て初めて笑ったときのことを思い出した。画面は何かを剥ぎ取る。あの日、画面が剥ぎ取ったものは何だったのか。アナウンサーの台本、記者の質問、5歳という年齢。それらが剥ぎ取られて残ったのは、計算が少し狂っていたと言う声だった。
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そのとき、部屋の扉が開きました。ノックもなく。最高司祭でした。
5年の間に、あの方はノックをしなくなりました。初めて私の部屋を訪ねてきたときは、三回ノックして、入ってもいいですかと訊いたのに。
あの方は、20歳の顔で私の横に来て、立ちました。一緒にテレビを見ました。
画面の中の子どもは、まだカメラを見ていました。画面は、その顔で止まっていました。ニュースが終わって広告に切り替わる、その直前の最後の場面でした。
最高司祭が、独り言のように言いました。青年の声で、老人の言葉づかいで。
「ほっほ。あんな子がおるんじゃな。」
そして、その言葉の下から、意味が聞こえました。あれは、我らの側の子ではない。
私は最高司祭を見ました。あの方は、画面だけを見ていました。顔にはニキビの軟膏が白く塗られていました。あの方は、自分がどんな意味を漏らしたのか、分かっていないようでした。
* * *
その夜、私は運転手さんを呼びました。
「運転手さん。明日の予定は、全部取り消してください。」
「明日は国会議員三人にお会いになる日です。」
「取り消してください。」
「司祭方が何かおっしゃいますよ。」
「分かっています。」
運転手さんが笑いました。5年の間、あの宿舎の前の笑いは二度と聞けませんでしたが、運転手さんは今も笑っている顔です。
いつも笑っている顔の下から、意味が聞こえました。やっと。
運転手さんは、5年の間、私が予定を取り消す日を待っていたそうです。その意味を聞いて、私も少し笑いました。
「どちらへお連れしましょうか。」
「あの子のいるところです。明日、そこへ行かなくては。」
「どうしてですか。」
運転手さんが訊きました。運転手さんは理由を訊く人ではありません。でも、その日は訊きました。
私は答えられませんでした。嘘がつけないからです。それに、本当の理由が分からなかったからです。
ただ、そうしなければならない気がしました。足が痛みました。とても。あの子が画面に出た瞬間から、ずっと。
5年前、あの赤ちゃんが笑いながら生まれたというラジオのニュースを聞いたときのように。
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この紙を書いている今も、テレビはついています。再放送です。あの子がまた出ています。
あの子がカメラを見て笑いました。
私に笑いかけているようでした。私は、あの子を初めて見たのに。
* * *
その日、画面の前に座っていた二人と、画面の中で笑っていた子を、我々は一枚のページの上に広げておいた。
我々は、その三人が同じ画面の前にいた夜を広げておいた。なぜそこに集まったのかは、分からない。




