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第23話 監査

監査官は二人だった。


一人は50歳ぐらいの女だった。灰色のスーツ、眼鏡、書類かばん。もう一人は40代前半ぐらいの男だった。紺のスーツ、ネクタイを締めすぎたせいで首が赤かった。二人とも首に、入館証の代わりに「外部点検」と書かれた黄色い腕章をつけていた。


俺はその二人を、白い部屋の鏡越しに見た。いや、鏡の向こうから、その二人が俺を見た。その朝、面談官は俺を白い部屋に座らせて言った。


「今日は非公開の現場点検があります。関係省庁から年に一度来ます。監査官のお二方が施設を見て回り、帰還者の処遇状態を確認します」


「俺を見に来るんですか」


「鏡越しにだけ見ます。規定です。事前の教育もしました」


「教育はラーメンも受けたじゃないですか」


彼女は答えなかった。代わりに、ドアの外にラミネート加工の紙をもう一枚貼った。俺はトイレに行く途中でそれを見た。


本日、外部点検。帰還者居室への立ち入りは固く禁ずる。扉の開放禁止。監査官の動線──観測室→廊下→記録保管室。


「固く」という言葉は、官公庁の文書でいちばん弱い言葉だ。会社でもそうだった。「絶対に遅延不可」と書かれたプロジェクトは、必ず遅延した。


* * *


点検は午前10時に始まった。


俺は白い部屋の椅子に座っていた。鏡を見ないようにしていた。鏡の向こうから、声がかすかに聞こえた。上の階の観測室のスピーカーを通って降りてくる音だった。誰かがうっかりマイクを入れっぱなしにしたらしい。あるいは、観測室のマイクはもともと常にオンで、俺が知らなかっただけか。


「チェックリスト3番。帰還者居室の面積。何平方メートルですか」


女の監査官の声だった。硬くて速い。


「寝室9平方メートル、面談室12平方メートルです」


ラーメンの声だった。ラーメンが点検の案内役らしい。


「基準は寝室10平方メートル以上です。1平方メートル分、未達ですね」


「洗面台の面積を引いているからです。洗面台を含めれば10.2平方メートルです」


「洗面台は引くのが基準です」


「……」


「未達で記載します。次、4番、採光。窓はありますか」


「ありません」


「基準は窓が1つ以上です」


「鏡があります。壁一面、全部」


「鏡は窓ではありません」


「……」


「未達」


俺は白い部屋で音もなく笑った。帰還者待遇基準。誰かが俺のために基準を作った。そしてその基準では、俺は未達だった。正確には、俺の部屋が未達だった。洗面台1平方メートルのせいで。


あっちで俺は、魔王城の前で半年野宿した。面積は空と同じだけ広かった。採光も良かった。


* * *


チェックリスト5番は食事だった。


「一日三食。メニューの多様性は?」


「汁物は禁止です。代わりに飲み物を曜日ごとに変えます。豆乳、白い牛乳、いちご牛乳、バナナ牛乳……」


「汁物禁止の理由は?」


「テーザー銃の事件のためです」


「……はい?」


ラーメンは答えられなかった。汁をこぼしたのが自分だとは言えなかったのだろう。結局、面談官の声が割って入った。「安全管理上の理由です」。監査官は「安全管理」と書き取ったはずだ。わかめスープ一杯が、管理局の公式文書に安全管理という名前で残った。


* * *


11時ごろ、上の階の声が止んだ。


そして廊下で足音がした。革靴が二足。片方はヒールが低く、もう片方は高かった。監査官の動線は観測室から廊下、記録保管室だった。廊下は白い部屋のドアの前を通る。


足音が白い部屋のドアの前で止まった。


「ここが面談室ですね?」


男の監査官の声だった。ドアのすぐ向こうで。


「はい、ですが監査官、そこは……」


ラーメンの声が遠くから慌てて追いかけてきた。


「鏡越しに見るだけでは点検になりません。処遇状態は直接見るべきです。施設側に見せたいものだけ見せる。それが我々がいちばん警戒していることです」


その通りだった。正確にその通りだった。監査官ならそう考えるべきだった。その言葉が正しいから、問題だった。


ドアノブが回った。


「監査官!」


ドアが開いた。ネクタイをきつく締めた男が、戸口に立っていた。クリップボードを持っていた。彼が顔を上げた。


俺たちは目が合った。


* * *


男の顔から血が引いた。


ネクタイの上の赤い首が、白くなった。クリップボードが手から滑り落ちた。男は一歩後ろに下がり、また前に出た。逃げる代わりに前に。彼の手が、ドアの横にあった折りたたみ椅子をつかんだ。廊下に監査官用に開いてあった椅子だった。


椅子が頭の上に上がった。


彼の口が開いた。音は出なかった。代わりに目が言った。あの目を俺は知っている。赤羽の居間でフライパンを掲げた男。ラーメンがテーザー銃を抜いた、あの瞬間の目。自分が守るべき何かを傷つけに来たものと向き合った目。


椅子が振り下ろされ始めた。


いちばん小さな音を探した。


この部屋でいちばん小さな音は、男の腕時計だった。秒針が進む音。


その音をつかんだ。世界が青く染まった。


* * *


止まった世界で、椅子は俺の頭の上、拳ひとつ分の高さに浮いていた。


俺は椅子の下から抜け出した。男の顔を見た。口は悲鳴の形に開いていた。涙が一滴、左目の端にぶら下がっていた。


椅子を奪うこともできた。ラーメンのテーザー銃の電池を抜いたように。椅子を奪って、男を廊下に押し出して、ドアを閉めて、止めた時間を解けばいい。男は椅子の消えた手を見下ろして、へたり込むだろう。ラーメンのように。


でも、そうすれば男はもう俺を見た後だ。


彼は残りの人生、ネクタイを締めるたびに今日を思い出すだろう。ドアを開け、何かを見て、椅子を掲げた。ラーメンはそれ以来、俺の目を見ない。赤羽のあの子は、一生、玄関のドアが開く音を怖がる。


俺は椅子を奪わなかった。


代わりに、こちら側では一度もやったことのないことをした。


止まった世界の中で、秒針の音をつかんだ手を、後ろに引いた。


* * *


あっちで魔王の最後の一撃を避けたとき、1秒を10回巻き戻した。あれは誰も見ていない場所での巻き戻しだった。俺と魔王だけの玉座の間だ。巻き戻しても誰も知らなかった。魔王は死んだから。


こちら側で巻き戻すのは初めてだった。証人のいる世界で。


秒針が逆に進んだ。


一コマ。椅子が上がった。男の手が椅子から離れた。


二コマ。男の顔に血が戻った。ネクタイの上の首がまた赤くなった。クリップボードが床から手に上がった。


そしてドアがまた閉じ始めた。顔を上げかけた男の顔が、まだクリップボードを見ている瞬間まで。


そこで止めた。1秒8。


その1秒8の中で、俺は体を回した。椅子から立ち上がって鏡のほうへ。ドアに背を向けて。頭を下げて。両手で顔を覆った。


そして秒針の音を放した。


* * *


ドアが開いた。


「監査官!」


ラーメンの声。そして男の監査官の声。


「ああ、ここが面談室ですね。うん」


沈黙。俺は背を向けて顔を覆ったまま立っていた。男の視線が俺の背に触れるのが分かった。直に見られる背中だった。呪いが背中にも効くのか、俺は知らなかった。誰も知らなかった。七度の事例の中に、背を向けた帰還者はいなかったから。


「帰還者の方、こんにちは。外部点検です」


男が言った。声は普通だった。


「処遇について、不便な点はありますか」


俺は背を向けたまま答えた。


「窓がありません」


「ああ、はい。それはチェックリストにあります。未達で記載しました。ほかには?」


「わかめスープが飲みたいです」


「……はい?」


男はクリップボードに何か書いた。おそらく「食事の多様性改善を要望」だろう。そしてドアを閉めた。革靴の音が廊下の端へ遠ざかった。ラーメンのスニーカーの音がその後を追った。


俺は手を顔から離した。手のひらが濡れていた。汗か、別の何かか、分からなかった。


男は覚えていない。椅子を掲げたことがない。あの1秒8は俺だけが持っている。赤羽の47秒のあいだにやった4回の計算のように、俺だけが覚えている1秒8。


* * *


椅子を掲げた男は、その出来事を体験しなかった。俺はその出来事を体験した。


だとしたら、あの1秒8のあいだ、彼は俺を見たのだろうか、見なかったのだろうか。彼が覚えていない恐怖は、恐怖なのだろうか。


あっちの老司祭は、時間を巻き戻す法を教えなかった。止める法だけを教えた。巻き戻すのは俺がひとりで見つけた。司祭に初めて話したとき、彼は長く沈黙してから言った。巻き戻した時間はどこへ行くのか。俺は答えられなかった。


今も分からない。あの1秒8はどこへ行ったのか。


* * *


点検は午後2時に終わった。監査官たちが帰ったあと、面談官が白い部屋に入ってきた。


彼女は録音機を持っていた。定期測定の日ではなかった。彼女は録音機をテーブルに置いて、画面を見た。とても長く。


「今朝から、この部屋の録音機をつけておきました。点検のある日なので」


彼女が言った。画面を俺のほうに向けた。


SYNC ERROR -00:00:01.80

SYNC ERROR -00:00:00.82


二行だった。時刻の記録は同じだった。午前11時4分。


「最初の数字は、初めて見る数字です」


彼女が言った。


「1秒8。この録音機は衛星時間と同期します。衛星時間は巻き戻りません。ところが午前11時4分、この部屋の時間が衛星より1.8秒遅れて、また合いました。遅れたというのは、同じ1.8秒がこの部屋で二度流れたという意味です」


「……」


「そして二つ目の数字。0.82。同じ時刻に残った残留値です。前回の測定より増えました」


彼女は「正常範囲」とは言わなかった。


録音機を握った彼女の手は震えなかった。初めてだった。彼女の手が震えないのは。膝も。彼女はとても冷静だった。冷静すぎて、怖かった。


「さっき」


彼女が俺をまっすぐ見た。斜めに座らなかった。正面に座って。あの日以来、二度目だった。


「何秒、巻き戻しましたか」


* * *


巻き戻した時間はどこへ行くのか。その老司祭の問いに、我々も答えられない。


我々はその1秒8のあとに何が来るかは知っている。その1秒8がなぜ彼にだけ残ったのかは知らない。我々はいつもそうだった。


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