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第16話 雨を呼ぶ男

管理番号KR-06 添付文書1

116〜130枚。


* * *


何か月も、この紙の束を取り出しませんでした。


書く時間がなかったんです。書く気分にもなれなかったし。マットレスの縫い目の中で紙が押しつぶされているあいだ、私はとても忙しかった。あの方は本来お忙しくないはずなのに、私は忙しかった。その話を、今から書きます。順番がめちゃくちゃかもしれません。何か月分をまとめて書くので。


会議が終わってから、私は本当にあの人たちに会いに行きました。献金台帳に名前が書かれた人たちです。団体は反対しませんでした。それどころか、車を出してくれました。最高司祭さまがそうしろと言ったそうです。今日より上手くやれと言われたでしょう。あの方の考える「上手くやる」は、それだったみたいです。あの方が自ら信者を訪ねていかれること。写真を撮って、会報に載せました。見出しは「あの方、最も低き所へ降りたもう」でした。


私は低い所に降りたことなんてありません。あの人たちの家は、ほとんどがマンションの高層階でしたから。エレベーターに乗ってはいけないというので、階段で上りました。十八階、二十二階、二十七階。私はその夏、一生分の階段を上りました。


* * *


俺は笑いながら、自分の足を見下ろした。素足だった。ラーメンの前で靴を脱いでから、履き直していない。


二十七階。向こうでいちばん高く上ったのは、魔王城の尖塔だった。何階だったかはわからない。階という概念がなかった。階段が尽きるところまで上って、そこで魔王が待っていた。


六番目の二十七階の先では、献金をした人間が待っていた。どっちが怖かっただろう。魔王は少なくとも、俺に何かを求めはしなかった。


* * *


人はみんな、違っていました。


あるおばあさんは、夫の入院費を献金したそうです。夫が治ればあの方のおかげ、治らなければ自分の信仰が足りないせい。夫は治らなかったそうです。亡くなったそうです。おばあさんは私に謝りました。信仰が足りなくて申し訳ありません、と。私はおばあさんの手を握りました。おばあさんは泣きました。私はおばあさんの話を最後まで聞きました。話し終えて、おばあさんは言いました。あの方は、人の話はお聞きにならないと聞いていたのに、と。


あるおじさんは、事業が潰れたそうです。献金をしてから潰れたそうです。なのにおじさんは、さらに献金したそうです。少なく出したから潰れたんだ、と。そのおじさんの話は、最後まで聞くのがつらかった。途中でおじさんが私に怒り出したんです。どうして助けてくれなかったんだ、と。それでも、怒りながら最後に封筒を差し出しました。献金でした。


私は封筒を受け取りませんでした。一緒に行った兄弟が受け取りました。


* * *


俺はそこでファイルを閉じた。


封筒を受け取らなかった。一緒に行った兄弟が受け取った。


向こうで、俺も受け取らなかった。村人たちが差し出す銀貨を、鶏を、干し肉を。勇者は見返りを受け取らないものだと、年老いた司祭が言った。俺は受け取らなかった。なのに、その銀貨と鶏と干し肉は、いつもどこかへ消えていった。パーティーの荷物持ちが受け取った。荷物持ちは神殿に渡した。神殿は王宮に渡した。


俺は自分の手がきれいだと思っていた。きれいなのは、手だけだった。


* * *


そして、その年の秋ごろから、おかしなことが起こりはじめました。


私の声が、遠くまで届くようになったんです。最初は会議室の二十人だったでしょう。それが本堂の何百人になって、本堂の外の駐車場まで届くようになって、ある日は山のふもとの村まで届いたそうです。村の人たちが、夜にみんな同じ夢を見たそうです。夢だと思ったそうです。私が思った言葉だったのに。その日、私は雨が降ればいいのにと思っていました。足が乾燥しすぎて、ひび割れていたので。


翌日、雨が降りました。


私が雨を呼んだわけじゃありません。本当です。天気予報で雨の予報が出ていたそうです。でも村の人たちは、前の晩に頭の中で「雨が降ればいいのに」という声を聞いた。そして雨が降った。その二つが、くっついてしまったんです。


* * *


それからは、ショーになりました。


団体は天気予報を見ました。雨が降る前の日に、私をイベント会場に連れていきました。会場の上にクレーンを立てて、クレーンの先に白い布で雲の形の舞台を吊るしました。私はその雲の上に立っていました。白い服を着て。下には人が集まっていました。


クレーンがゆっくり降りてきました。雲が降りてきました。その上に、あの方が立っておられました。あの方が手を上げられると、人々の頭の中に声が聞こえました。雨が降るであろう。そして翌日、雨が降りました。天気予報どおりに。


外国の映画に、こういう場面があるそうです。鉄の鎧を着たお金持ちが、舞台の上に飛んで降りてくる場面。広報担当の兄弟がその映画を見せて、こんなふうにやろうと言いました。私はその映画を最後まで見られませんでした。そのお金持ちは、足が痛くなさそうだったので。


クレーンの舞台は怖かった。高かったし、揺れました。雲の布の下に安全フックがあったんですが、あの方は安全フックをつけてはいけないんだそうです。あの方は落ちないのですから。私は一度も落ちませんでした。落ちてはいけないので。


人々は私を「雨を呼ぶ男」と呼びました。記事にもそう書かれました。誰が最初にそう書いたのかは知りません。どの記事も同じ見出しでした。みんな、お互いに写し合っていたそうです。


母はクレーンのショーに三回来ました。三回とも最前列でした。団体が席を取ってくれたそうです。雲の舞台が降りてくるとき、母は手を振りました。私は手を振れませんでした。あの方は手を振らないのですから。あの方は、手を上げられるだけです。私は手を上げました。母はそれを見て、もっと大きく手を振りました。


三回目のショーが終わったあと、母が控え室に来ました。母は私の手を握って言いました。うちの息子が雨を呼んだ。母の手は震えていました。母は本当に信じていました。私は母に、天気予報の話をしませんでした。母が信じているものを、取り上げることはできませんでした。それが、私が母についた最初の嘘でした。口にした嘘ではなく、口にしなかった嘘です。


* * *


俺は手記を置いて、ベッドに寝転んだ。


クレーンの先の雲の舞台。安全フックなしで。天気予報どおりに降る雨。


向こうで魔王軍の進軍を食い止めた日、雨が降った。人々は勇者が雨を呼んだと言った。俺はあの日、時間を止めて敵将の矢をかわしただけだ。雨はもともと降る季節だった。なのに俺は、人々に違うとは言わなかった。違うと言っても信じなかっただろうから。それが俺の言い訳だった。


六番目は手記に、本当です、と書いた。誰も読まないはずの紙に。


* * *


偉い人たちにたくさん会いました。


名前は書きません。テレビに出ている人たちでした。政治家、会社の会長さん、俳優。みんな私と、ホテルの部屋で会いました。極秘で。みんな私に手を差し出しました。そしてみんな、同じことを訊きました。私に何をしてくれるのか、と。あの方は何をしてくださるのか、と。


私には、その人たちの心が聞こえました。その人たちが望むことは、たいてい似ていました。他人の頭の中に、自分の言葉を入れたがっていました。ライバルに、有権者に、投資家に。高価な伝書鳩という言葉を思い出しました。第二使徒さまの言うとおりでした。あの人たちは、鳩を買いに来ていたんです。


私は何もしてあげませんでした。ただ聞きました。あの人たちが望むことを、最後まで聞きました。すると、あの人たちは少しずつ妙な顔になっていきました。自分が望むことを自分の口で全部言い終えると、人はみんな、少しずつ恥ずかしそうな顔になるんです。私はその顔をたくさん見ました。


それでもあの人たちは、翌月また来ました。もっと多くの献金を持って。


* * *


自分が望むことを、自分の口で全部言い終えると。


俺は十五日目の入国事由書を思い出した。魔王討伐後、帰宅。海外長期滞在後の帰国。俺が望んでいたのは帰宅だった。その一行を書くのに、用紙が三枚要った。


六番目の前で、人々は望みを口にして恥ずかしくなった。この施設で、俺は望みを口にして差し戻された。恥ずかしがる暇もなかった。赤いハンコのほうが先に来た。


* * *


そのころから、私はリムジンに乗るようになりました。


クレーンの舞台が終わると、リムジンが会場の裏手で待っていました。運転席の人が、私を見て笑いました。いつも笑っている顔でした。


通訳の司祭さまでした。


別の支部へ異動になったという、あの人です。あのフランス人に頬を叩かれた人です。集会の日に、二階の後ろの列で信者の服を着て泣いていた人です。


「司祭さま」


私が呼ぶと、その人はルームミラー越しに私を見て笑いました。


「もう司祭ではありません。ただの運転手です」


その人は集会の日、もうこっそり信者の服を着て入っていたそうです。司祭服を正式に返したのは翌日だったそうです。団体を追い出されたわけではなく、自分で脱いだそうです。あの一文を聞いてから、司祭服を着ると肩が重くなったんだとか。それで運転をすると申し出たそうです。あの方のおそばにいられる場所の中で、司祭服を着なくて済むのは運転席だけだったから、と。


私は後部座席で、長いこと黙っていました。それから言いました。


「そんなことありません。あなたは、私に残った数少ない人のひとりです」


その人がバックミラーで私を見ました。笑顔が、少し揺れました。


* * *


その夜、リムジンの中で、私は初めてその人に笑いながら話しかけました。クレーンから降りてきた日でした。雨の予報がある日。


「この半年、私がやってきたことです」


私は窓の外を見ながら言いました。外は真っ暗でした。会場の照明が遠ざかっていくところでした。


「サタン……悪魔って呼ばれるようなものがやりそうなことでしたね。そうでしょう」


笑いながら。本当に可笑しかったんです。雲の舞台、安全フックのないクレーン、天気予報、高価な伝書鳩を買いに来る人たち、封筒を受け取る兄弟。私はそのど真ん中に立っていました。上には立たないと言っておきながら、クレーンの上に立っていたんです。


運転手さんは長いこと答えませんでした。信号に引っかかりました。赤信号の下で、その人はバックミラー越しに私を見ました。笑っていませんでした。初めて、笑っていませんでした。


「それが」


その人が言いました。


「それが、あなたの真の意思なのですか」


* * *


その夜、雨は予報より二時間遅れて降った。


その二時間、リムジンは信号のたびに止まり、後部座席の男は答えなかった。彼が何と答えようとしていたのか、我々は知らない。


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