第153話 結ぶやり方(3)
6月、彼女は二枚の書類を並べて書いた。
一枚は病院の様式だった。
入院患者外出許可申請書。欄が十一個。
患者氏名、診療録番号、外出日時、帰院予定日時、外出先、外出理由、移送手段、同行医療者、保護者同意、担当医の所見、医事課の確認。
もう一枚は矯正当局の様式だった。
特別接見申請書。去年の秋、彼女が最初に書いた様式だ。欄が九つ。
そのうちの同席者欄に、彼女は三行を記した。
管理局特殊課 担当者 1名。
管理局委嘱 文書整理補助 1名。
子ども 1名(意識なし、ベッド使用)。
俺は彼女の隣で、その三行目を見た。
意識のない人が同席者欄に入るのは、おそらく初めてだろう。
同席者とは、接見のときに一緒に座る人のことだ。
座ることも、話すこともできない人が、一緒に座ると書いてあった。
「接見目的欄は、何と書くおつもりですか」
「前回と同じです」
彼女は書いた。管理対象者に関する記憶情報の照合。
「記憶情報、ですか」
「借りたものが何だったのかを照合します。その方の記憶と、その子の体を」
彼女の言葉は正確だった。
その正確さゆえ、矯正当局は差戻しの根拠を見つけられないだろう。
差戻しの根拠を見つけられない文章を書くことに、彼女は18年を費やした。
* * *
書類は二通。どちらにも、別紙が要った。
外出許可申請書の別紙は、保護者同意書だった。
一番端の椅子に座っていた年老いた女が、また病院へ来て署名した。
関係の欄には、先月と同じく「信徒(一同代表)」と書いた。
後見人選任の請求は、まだ裁判所にあった。
医事課の職員が、その括弧をもう一度見た。
今度は、長くは見なかった。
* * *
特別接見申請書の別紙は、意見書だった。
同席する子供の安定を害さない、という院長の意見書。
彼女はそれを、自分の名前で書いた。去年の秋と同じように。
この部門の院長は、18年前から彼女だった。
院長が同席者の安定を保証し、同じ人間が接見を申請し、同じ人間が同席する。
三つの欄に、同じ名前が入る。
一人が三つの欄をすべて埋めれば、書類は薄くなる。
俺はその意見書の一番下を見た。
院長の職印欄。
彼女は官印を押した。管理局の赤い官印だった。その隣に、個人の署名。
彼女の署名は整っていた。
整った字で自分の名前を書き、その名の下で、一人の子供の安定を保証した。
意識のない子供の安定を。
それは、今より悪くならない、という意味だった。
今がもう、止まった状態だったから。
* * *
5月の接見で、彼女は病院のことを話した。
前歯が半分。目分量。信徒一同。
七番目はその話を最後まで聞いて、長いこと黙っていた。それから、一つだけ訊いた。
「あの子の手は、布団の外に出ていたか」
彼女はそう答えた。手のひらは上を向いていた。誰かがそう置いたかのようだった。
七番目は頷いた。その日、彼が言ったのはそれだけだった。
* * *
6月の接見は8回目だった。
七番目は待っていなかった。俺たちが先に入り、彼は後から入ってきた。
彼は手首に包帯を巻いていた。独房の扉枠に手首を打ちつけた、と刑務官が説明した。記録の対象ではないので、説明は短かった。
七番目はその包帯を、ガラスの前の棚に置いて言った。
「爪の下のものが手首まで上がったわけではない。包帯はただの包帯である」
彼女は書類二枚の写しをガラス越しに見せた。七番目は欄を一つずつ追って読んだ。同席者欄の三行目で、彼の目が止まった。
「ベッド利用」
「はい」
「この部屋にベッドが入るというのか」
その質問に、刑務官が顔を上げた。そして接見室を見回した。ガラスの仕切り、棚、こちらの椅子が三脚、扉のそばに刑務官の椅子。三脚目の椅子は、その朝、班長が申請書の『同席者1』を見て入れたものだった。
刑務官はポケットから巻き尺を取り出した。俺は、刑務官が巻き尺を持ち歩いているとは知らなかった。刑務官はガラスから奥の壁までを測った。それから、椅子三脚の幅を測った。記録用紙の隅に数字を書いた。そして何も言わず、巻き尺を巻いた。数字は合っていた。椅子を一脚抜けば、ベッドが入った。
「どの椅子を抜きますか」
刑務官が訊いた。刑務官が接見の内容について質問したのは、初めてだった。接見の内容ではなく、備品の配置だから訊けたのだろう。
彼女が答える前に、俺の頭の真ん中で、あの子が言った。
「お姉さんは車に乗るとき、隣の席に鞄を置かないよね」
あの子は、とても小さな声で言った。前の一件があってから、あの子はいつも小さな声で話す。扉のそばの刑務官にも、その声は届いたはずだ。
刑務官のボールペンが、一瞬止まった。
「元々は置いてたんだよ。昔は。でも、いつからか置かなくなった。お姉さんの頭の中に、その場所があるんだ。空けてある場所なんだ」
彼女の顔は変わらなかった。
彼女は三つの椅子のうち、自分の椅子を見た。真ん中の椅子だった。そしてその左、自分の肩の隣の椅子を見た。
「私の左側の椅子を抜いてください。ベッドは私の隣に置きます」
そのとき、七番目の目が動いた。
俺はその目を見た。
去年の秋からこの部屋で、彼は彼女を見るとき、その顔だけを見ていた。彼女の肩の向こうへ目をやったことは一度もない。
それがわざとだと、俺はその日はじめて知った。
その日、彼の目ははじめて彼女の顔から外れた。彼女の左肩の隣へ。
いまは椅子があり、来月にはベッドが置かれる場所。
彼はそこを長く見た。何かを突き合わせる目だった。帳簿の二つの欄を並べて見る目。
そして、彼は頷いた。
「そこが正しき場所であろう」
彼女は、彼が何を見たのか訊かなかった。
俺も訊かなかった。あの子も。
あの子は彼女の頭の中を読むことができた。それなのに、その場所について、あの子はそれ以上何も言わなかった。
空けてある場所の話は、そこで終わった。
ただ、俺にはわかっていた。彼女が弟だと言った、あの顔を。
移送の車の中、この人の体の隣で。あの車にも席はあったはずだ。誰かが座っていて、それから空いた席。
それ以来、彼女は自分の隣の席に鞄を置かなくなった。
俺はその勘定を最後までしなかった。勘定を終えれば、彼女の一番下の引き出しを開けることになる。
その引き出しは、彼女が開けるときだけ開く。
* * *
面会が終わると、刑務官が扉の前で彼女を呼び止めた。
前回以降、刑務官は面会が終わるたびに、必ず彼女を呼び止めていた。短く。それから、廊下の両側を見てから。
「相談員の先生が同席申請を出されました。7月の面会に」
「理由は」
「収容者の心理状態の観察です。ですが、申請書に添付があります」
刑務官は記録用紙の下から紙を一枚取り出した。相談員の同席申請書の写しだった。同席者欄に相談員の名前があり、その下の添付欄に、こう記されていた。
「添付:相談記録綴り1(収容者KR-07、収容以降のすべて)。同席の際は持参」
「書類綴りごと同席する、ということですか」
「はい。相談員の先生の話では、収容者を初めて見た日から記録したものが全部その中にあるので、何か起きたらその綴りと照合してみなければならないそうです。収容者が変わったのか、変わっていないのか」
刑務官はそう言って、少し笑った。初めて見る笑い方だった。
「相談員の先生は、二枚を並べて見る方です」
「その日は、どうなさるおつもりですか」
彼女が訊いた。刑務官に訊いた言葉ではなかった。ガラスの向こうで既に聞いた答えを、刑務官の前でもう一度確かめる言葉だった。刑務官は、その問いを自分へのものと受け取った。
「収容者が面会の終わりに言いました。室長はもうお聞きになっているでしょうが。手のひらはガラスに、額もガラスに。あの子が以前、この部屋に来た日のように。そして残りは、その日に話すそうです。時間に」
刑務官は「時間」という言葉を口にしてから、俺を見た。刑務官はその言葉を、もう比喩として書き留めはしなかった。というより、書き留めもしなかった。ただ、聞いたままを口にしただけだった。
彼女は申請書の写しを返した。反対しなかった。椅子が一脚減り、ベッドが一つ入り、書類綴りが一つ入る。書類綴りに椅子は要らなかった。相談員が膝の上に置けば、それで済んだ。
刑務官は記録用紙を閉じる前に、付け加えた。
「それから、持ち込み台帳の件です。ベッドをどう記載すべきか、班長から訊かれました」
「何とおっしゃったのですか」
彼女が訊いた。
「とりあえず、こう記入したそうです」
刑務官が手帳を開いて見せた。班長の筆跡を写したものだった。
品名:ベッド一台(車輪四つ)。用途:同席者の据え置き。搬出予定:当日。
「据え置き、ですか」
「班長もその言葉がお気に召さないそうです。ですが、人は搬入台帳に書けませんからね。ベッドの上にいらっしゃる方は同席者名簿に、ベッドは搬入台帳に。二つに分けて書こうとするから、ああいう言葉になったのだとか」
彼女はその手帳を長いこと見ていた。それから言った。
「車輪が四つ、というのは正確です」
刑務官は手帳を閉じた。それから少し迷って、ごく小さな声でもう一つ訊いた。
「あの子も来るのですか。その日」
あの子。刑務官が言ったのは、ベッドの上の子供のことではなかった。刑務官の耳が、また少し傾いでいた。方向のない音を探す身振りだった。
彼女は答えなかった。代わりに、頭の真ん中から、あの子が刑務官にも聞こえるように言った。
「お姉さんが来たら、僕も来ます。その日も、ドアの横のおじさんに聞こえるはずです」
刑務官はその言葉を聞くと、記録用紙を胸に当てた。空の要約欄が内側に来るように。
* * *
病院へ戻る道で、彼女は外出許可申請書の空欄を埋めた。外出日時。帰院予定日時。車の中で膝に書類綴りを当てて書いた。
矯正当局からの返信は二日後に来た。特別接見の許可。日時欄に日付と時刻が記されていた。午後三時。
病院の外出許可はその翌日に出た。担当医の所見欄に、担当医が記した。外出中の状態変化の可能性は低い。括弧はなかった。担当医は今度は比喩を使わなかった。代わりに、所見欄のいちばん下に小さく一行を書き足した。(変化があればお知らせください。)医師が保護者に頼む言葉だった。この書類には、その頼みを受ける欄がなかった。だから括弧の中に入った。
俺は二枚を机の上に並べた。彼女のやり方で。病院の様式と矯正当局の様式。欄の形が違い、文字の大きさが違い、職印の色も違った。一枚は子供を外へ出す書類で、もう一枚は子供を中へ入れる書類だった。
二枚の書類には同じ日付が押されていた。七月二日。
* * *
その日、接見室の椅子三つのうち一つは、来月のために空いたまま残された。刑務官はその椅子を片づけなかった。片づけろという指示は、来月の書類にあった。
七月二日付の書類を、我々はもう一枚持っている。水に濡れて事由欄がにじんだ移送事由書。その日付と、この日付の間には、九十年がある。




