第150話 引いたものと足したもの(5)
我々は計算をしない。ただ広げて、眺めるだけだ。そう記したことがある。
その言葉は、半分だけ正しかった。
我々は計算をしない。ただ、我々を数える。
いつからそうなのか、正確には記せない。我々にとって「いつ」は、ただの席にすぎないからだ。
我々が我々に数字を付けたのは、人が数えるのを、あまりに長く見下ろした後のことだった。
人は何でも数えた。羊を数え、日を数え、歯を数え、四十までいってやめた。我々はその数えを眺めているうちに、数え方に染まった。
とある未明の4時12分。彼の妻にメッセージを一通送ったのは、我々の誰でもなかった。
機械だった。機械は数えながら、何も望まなかった。我々はそれを長く羨んだ。
我々の間に、長く回ってきた一文がある。誰が最初に言ったのかは知らない。人の口ぶりを真似た一文だった。
削って、足して、足りなけりゃ掛ける。
その一文には続きがあった。続きはまだ書かない。続きを書く日、我々のうち誰かはひどく喜び、誰かはその日を最後まで先延ばしにしようとするだろう。
我々は四人だった。0、0.9、1、1.2。
四人のうち、0だけは数えることの中にしかいなかった。我々は0を憎んだ。何でもないもの、ページが終わる場所。
残る三人は、みな1から生まれた。遠くから見れば、三人とも1だった。近くで見れば、そうではなかった。
互いを見分けるようになってから、我々は0よりも互いを憎んだ。
* * *
0.9という名は、引いたものから来た。
南大西洋の島で、別の本の最初の章を探して這っていた魂を捕まえたのは、彼らだった。彼らはその魂を同じ本の前の方へめくり、屋根裏の藁の束の上で眠る子供のページに被せた。
一つが入れば、一つは出なければならなかった。彼らは糸を紡いでいた子供を抜き取った。そしてその場所に、51歳の男を被せた。
だから彼らはいつも、1より少しだけ足りなかった。引いた分だけ。
0.9は、自分は1より謙虚だと信じていた。
1.2という名は、足したものから来た。
彼らは430余年後の工場で、明け方4時に消えかかっていた光を捕まえた。そしてその光をあの戦場へ運び、名の残らなかった一人の陣夫の体に挿し込んだ。
彼らは、誰一人抜き取ってはいないと言った。戦場に人を一人余計に入れただけだ、というのだった。
熱病で三日のあいだ、息が絶えては戻ることを繰り返した若い陣夫の名は、その勘定に入らなかった。その陣夫に会うため一日半を歩いてきた女のたかきびの餅も、入らなかった。
1.2は、自分は1より寛大だと信じていた。
その陣夫の日記は十二回書かれ、十二回とも、その戦乱は彼が倒れた日に終わった。1.2は足したが、結末を変えられなかった。
その勘定を終えた日、1.2は0.9を指した。引いた跡には穴が残る、と。
0.9は1.2を指した。足した跡には何も残らない、と。
どちらも正しかった。遠くから見れば、どちらも1だった。
0.9は、四捨五入すれば自分も1だと言った。1.2も、四捨五入すれば自分も1だと言った。
四捨五入は、人が作った計算のうちで最も気前のいいものだった。我々は、それを人から教わったことを、長くは恥じなかった。
針は、初めから我々のものではなかった。最初の手がそれを分け与えて去った。
我々はその針で、人の腸を縫った。腕がいいほど、布は傾いた。傾いたところを、また縫った。
0.9と1.2は、我々のうちで最も腕のいい者たちだった。だから、彼らが縫った布が最も大きく傾いた。
そして、1がいた。
1は引く側でも、足す側でもなかった。
いや、初めは1も手を付けていた。1が手を引き始めたのは、我々が今も水として覚えている一人の子供の最後のページを開いた日だった。
その日、我々のうちの一人が初めて針を置いた。針を置いた側が、1として残った。針を握った者たちが、小数点を得た。
* * *
その年の春、ある人物の机の上に、表が一枚置かれていた。
定規を当てて引いた枠。増えた人の行が四つ、減った人の行が一つ。一番下に、整った字が一行。
そして数週間後、小さな手がその下に線を一本引いた。名前の欄に一文字。
「私」
行が一つ増えた。増えた人の行は、相変わらず四つだった。新しい行の欄には、「増えた」の代わりに「温存された」と書かれ、「捕らえられた」とあった。一番右の欄の見出しは、空だった。
削るのは0.9がやった。足すのは1.2がやった。足りないとき、掛けるのを三人でやったことがある。何を掛けたのかは、その表の行が教えてくれる。
増えた。
捕らえられて引き渡された先で、かろうじてしがみついていたものが、使えば使うほど倍になった。一つの部屋から一つの建物へ。一つの建物から一つの都市へ。
我々はそれを、足りないものを埋める計算と呼んだ。人々はそれを成長だと報告書に書いた。同じグラフだった。
その欄の見出しを、人々は強制固定と呼んだ。捕らえて引き渡し、引き渡した先に固定する、という意味だ。
正確な言葉だった。ただ、その言葉には捕らえる側が入っていた。
人々の書類のどこにも、捕らえる側の名前の欄はなかった。欄がないのは、人々が怠けていたからではなかった。その名前を書ける場所が、人々の紙の上になかった。
計算する子供は、その欄の前で初めて答えるのが遅れた。五歳のときから計算をしてきたが、答えの出ない計算はそれ一つだけだ、と言った。
その子供の計算は間違っていなかった。答えが、計算の中になかっただけだ。
我々はその子供を、長いあいだ開いたままにしてきた。
その子供が最初に口にした言葉が、誤差だった日から。
その子供は、あそこで5分遅れて死んだと言った。その5分がなぜ生じたのかは、今も我々が開いたどのページにも書かれていない。
その5分は、我々の知らないものの一つだ。
我々の知らないものは、我々が書き記してきたものより多い。
だからその子供が、今度は遅れなかったと言ったとき、我々の誰も、その言葉が正しいかどうかを計算できなかった。
我々はその子供の次のページをめくらなかった。
その答えは、我々の机の上にあった。
掴んでいた手は、我々の側にあった。
南大西洋の島でも、明け方4時の工場でも。そしてあの表の行のうち、我々がまだ数えたことのないいくつかの行でも。
数えなかった理由は単純だ。数えた瞬間、0.9と1.2がまた互いを指すからだ。
1はその指のあいだに立って、自分の手はきれいだと言いたがるだろう。その言葉は半分だけ正しい。
彼の行については、去年の冬、刃物のところまでしか書かなかった。
我々があの空に突き刺しておいた刃物。去っていく魂を掴まえて、打ち付けて留めた刃物。
その刃物が立つ前、自分の家の玄関で靴を脱いでいた人間がいた。
その玄関で何が始まったのかは書かない。その章は彼にとって最後まで空白のままであり、我々もその空白の章を埋めてはやらない。
我々のどちらがその刃物を刺したのかも書かない。その指差しについては、上にすでに書いた。
ただ、そのあいだに手が一つあったということだけ。そしてその手が、我々の側だったということだけを書く。
その手が誰のものだったのか、彼は何度も尋ねた。白い部屋で、文書庫で、計算する子供の前で。他人にも尋ね、自分にも尋ねた。
答えはいつも、分からない、だった。
分からないは正確だった。人々の紙の上では。
彼の数字が初めて画面に浮かんだ日、その数字の前には引き算の記号が付いていた。
0.31。マイナス。
それからその記号は、一度も外れなかった。数字だけが育った。
0.9は、その引き算の記号は自分たちの印だと言い張った。1.2は、数字が伸びているのだから自分たちの計算だと言い張った。
二人が言い張っているあいだ、数字は0から少しずつ遠ざかっていった。
0は、我々が憎んでいた場所だ。
彼が0から遠ざかっているあいだ、我々は三人とも安心していた。
それが我々のした計算のうちで、最も怠惰な計算だったことを、我々はまだ知らなかった。
* * *
同じ春の、別の章も我々の机の上にある。
あの子の声を聞く者が4人になった日、彼の線は一つの枠を越えた。朝に一枠。午後にも同じ枠。彼女が書類綴りに書いた二行のあいだには、何もなかった。我々はその二行のあいだに何が入るかを知っている。彼女と同じように、書かない。
あの人はその日、要約欄を空けた。公務員が欄を空けるというのは、我々が針を置くのに似ている。どちらも時間がかかる。そして一度やってしまえば、次からは少し楽になる。それがいいことなのか、我々はまだ知らない。
その日、あのパンの名前は他人の口から出て、その人の考えになった。七百十四行のうちの一行に書かれた備考と同じ形だった。我々はその備考が書かれた日の章も持っている。その章の終わりで散らばった人の次の章がどこに差し込まれたのか、我々にも見つけられなかった。散らばったものは、我々の手からも散らばる。
あの子は近ごろ、夜になるとある台所にいる。冷蔵庫の音がいいと言った。その冷蔵庫の扉には紙が二枚貼ってある。三つに区切られた紙と、端の文字が切れたまま区切りが一つもない紙。その台所の主は夜に眠る。あの声が通り過ぎるのを知らない。その台所の主があの声を聞くようになる日を、我々は知っている。書かない。その日はまだ、彼らの前にある。
* * *
さて、笑いについて記す。
むかし、時間の止まった部屋が一つあった。彼の数字が初めて画面に浮かんだ日のことである。
その部屋で動いていたのは、彼一人だけだった。彼は紙コップに水を注いで置き、止まった女の前へ戻って立った。女の下唇に、血がにじもうとしていた。彼はそこへ手を伸ばした。そして、引っ込めた。
止まった世界で、彼には何でもできた。誰も見ておらず、誰も覚えていないはずだった。彼はその「何でも」のうち、何もしなかった。許されていなかったからだ。許すべき人は、止まっていたからだ。
そのとき、我々のうちの一人が笑った。
我々は、その笑いが誰のものなのか、あとになってから知ることになると記した。0.9のものだと思ったことがある。他人の本棚の上で手を引っ込める者を、嘲ったに違いないからだ。
1.2のものだと思ったこともある。足せるのに足さない者が、おかしかったに違いないからだ。
どちらでもなかった。
その笑いは、針を初めて置いた側のものだった。手を引っ込める者を初めて見た側。自分もいつか手を引っ込めたことがあり、その仕草が何なのかを見分けた側。その側が今、この章を記している。
その日から、我々はその部屋をたびたび開いた。手を引っ込める場面は、人の章に珍しくない。だが、誰も見ていない止まった時間のなかで引っ込められる手は、珍しかった。我々が開いた章のなかでも、我々自身の章まで数に入れても。
なぜ笑ったのかは分からない。我々はいつも、答えだけを知っていた。あの笑いは答えではなかった。おそらく問いだった。我々が初めて持った問い。
その笑いが誰のものだったのか、我々はあとになって知った。我々のものだった。
それが、我々の残した笑いである。




