第140話 面会事由書(5)
承認書が出たのは、11月の第一週だった。
彼女が正門の前で、その紙を見せた。矯正当局からの返信だった。題名欄には「特別面会承認書」。その下の面会区分欄に元から印刷されていた言葉は「特別」だった。誰かがその横に、ボールペンで括弧を書き添えていた。
特別(定期)
「最初は差戻しでした」
彼女が言った。
「差戻しの理由は『定期は特別たり得ない』でした。定期的なものは特別なものではない、という理屈です。間違ってはいません」
「では、どう通ったんです」
「出し直しました。特別なことが定期的に起きる場合もある、という所見書を添えて。教化のために特に必要な場合は面会を増やせる、という条項があります。担当者がその条項と私の所見書を並べて、一日悩んだそうです。そして、括弧を付けました」
俺はその括弧を見た。
「それから、もう一つ申し上げておきます」
彼女は承認書を折らずに書類綴りへ挟みながら言った。
「刑務所の書信記録は照会していません」
俺は彼女を見た。彼女は俺を見ていなかった。正門の上の監視カメラを見ていた。照会できる人間が、照会しなかったと言うのは、この国ではよくあることではない。たいていは照会してから、照会しなかったふりをする。彼女は照会せず、照会しなかったと言うほうを選んだ。白い部屋で一年間、彼女が俺のポケットを探らなかったのと同じやり方だった。
承認書の下のほうに、期間の欄があった。月1回、12回限り。一年。一年前、白い部屋で渡された紙にも同じ数字があった。保護期間――帰還日から365日。あのときは、その数字が終われば家に帰れた。今度は、その数字が終わる前に何かをしなければならなかった。
そして、事由欄。一行だった。彼女の字だった。
話を聞くために。
* * *
書類の正式な名前は、特別接見申請書だった。
彼女も刑務所も、同じ「接見」という字を書いた。俺は心の中で、それを「面会」と呼んだ。
接見は、施設が人に会うことだ。面会は、人が人に会いに行くことだ。
その書類で俺が読んだのは、事由欄の一行だけだった。
だから俺は、あの紙を面会事由書と呼んだ。
彼女には言わなかった。言えば、彼女はきっと様式名を訂正する。
接見室は、あの部屋だった。
ガラス。通話口。棚。こちら側に椅子が二つ、向こう側に一つ。
壁の時計は新しくなっていた。班長が取り替えたのだという。
班長が言うには、備品交換台帳の交換理由欄に『一秒遅れ』と書いたそうだ。原因欄は、空欄のままだった。
原因は、またその部屋に戻っていた。
新しい時計は、一秒も遅れていなかった。
立会刑務官は前回と同じ男だった。
俺たちを見て、ほんの少し緊張した顔をした。前回の記録用紙の要約欄を、まだ覚えている顔だった。
その後、約8分間の沈黙。
2時。向こう側の扉が開いた。
七番目が入ってきた。五歩。椅子を引かずに座った。
そして、頭の真ん中から声がした。
「……僕の名前、もう一回、呼んでくれますか」
言葉の終わりだけだった。始まりは来なかった。
俺は、その言葉の前を知っている。
ひと月前の廊下で、接見室の扉が閉まる音と一緒に切れた言葉だ。
「おじさん、次は」
あの子はひと月のあいだ、その文の後ろ半分を持ったまま待っていた。あるいは、あの子にひと月はなかったのかもしれない。扉が閉じた瞬間に止まり、扉が開いた瞬間に続いただけだ。
俺は心の中で、その名前を呼んだ。低く。
あの子の声が、ほんの少しだけ鮮明になった。初めて聞いたときより。
耳で聞く音ではないから、大きさは測れない。ただ、いちばん小さな音を探し回る耳は、違いがわかる。
名前が呼ばれてから、その声は半拍だけ近かった。
「それです。ありがとう」
そして、あの子は彼女のほうへ向き直った。
「お姉さんが毎晩呼んでたの、今わかったんです。お姉さんの頭の中に、全部あります。二十八回」
彼女は答えなかった。
答えられなかったのだろう。彼女はその数を数えていなかった。
彼女が目を閉じた。唇は動かなかった。彼女が今、何をしているのか、俺にはわかった。
二十九回目。
「聞こえます。今は、聞こえます」
彼女が目を開けた。
「夜は答えられなくて、ごめんなさい。そこは、私が行けない場所なんです。次は、しますね」
次は。
あの子はその言葉を、ためらわずに口にした。その言葉がどれほど遠い場所を指しているのか、あの子も知らなかったのだろう。
俺も知らなかった。
* * *
「接見時間は三十分です」
立会い刑務官が言った。規定上、告げなければならなかった。そして、誰に聞かれたわけでもないのに付け加えた。
「今回の承認件の残り回数は、十一回です」
刑務官はそう言ってから、それが告知の対象なのか、自分でも疑わしそうな顔をした。記録用紙に何か書きかけて、やめた。告知しなくてもよいことを告知した場合の欄は、記録用紙にはなかった。
七番目が通話口から言った。声に出して。彼はいつも、声に出して喋った。
「返事をもらったぞ」
「はい」
「検閲官が詩をしたためて送ってきた。手紙の冒頭は、期限なしで通ったぞ」
彼の口元が、ほんの少し動いた。笑みだったのかはわからない。ガラスの向こうの顔は、長いあいだ、笑い方を休んでいた顔だった。
「おじさん、手紙の最後に『時間より』って書きましたよね」
あの子が言った。俺の頭の中を読んだのだ。
「それ、おかしいですよ。おじさんは、書いたとき、気づいてなかったでしょう」
気づかなかった。書いてから気づいた。
その順番まで、あの子は読んだ。
* * *
「話さねばならんことがある、と言ったであろう」
七番目が言った。今度は、笑わなかった。
「第一の話だ」
そう言って、彼は右手を上げ、手のひらをガラスに向けた。
爪の下は黒かった。前回より少し薄かった。手のひらには三日月形の溝が四つ。手の甲には白い線が三本。
「私の内側が一度、裂けた。3か月前の、あの夜だ」
立会い刑務官がボールペンを取った。七番目は刑務官を見ずに、言葉を選んだ。彼が言葉を選ぶ音が、俺には聞こえた気がした。
彼は秘密の守り方を知っていた。本物を比喩のように語る方法を。
「裂けたところを縫い合わせた。だが、自分のものでは縫うてはおらん。他人の時間を借りた。あのちび司祭の時間だ」
俺はその子を知っている。
白い部屋の鉄条網の向こうから俺を見て、息を止めなかった子だ。七番目に「偽物」と言った子。本物を探し回っていた9歳。
「その子は今、どこにいますか」
「病院にいます」
面談官が、七番目の代わりに答えた。
「意識がありません。担当医の見解では、成長も逆行も観察されません。時間が止まったように見える、と。比喩だと、括弧をつけていました」
「比喩ではない」
七番目が言った。
「あの子の止まった時間が、今、私の縫い目を掴んでいる。あれは私のものではない。借りたものは返さねばならん。返す場所を知らねばならんのだ」
彼は手のひらを引っ込め、指先で棚の筋をなぞった。
鉄の棚だった。筋などなかった。彼は筋のない鉄の上で、筋を探す手つきをした。
「その時間には布目がある。この空の布目だ。誰がその布目を織ったのか、私は知らん。織った側を知らねば、どこへ返すべきかわかるまい」
彼は俺を見た。
「そなたは時間を扱う者だ。布目に逆らうのがどれほど容易く、従うのがどれほど難しいか。そなたの手が、私よりよく知っておろう」
俺は膝の上の自分の手を見た。
録音機の画面には、いつもマイナスがついていた。マイナス0.31。マイナス2.1。マイナス2.88。
この手は、逆らう側の手だった。布目に従ったことなど、一度もない。従うとはどういうことなのか、俺は知らなかった。
彼がそれを知った上で言ったのかは、わからない。
刑務官が記録用紙に書いた。あとで写しを見た。
(収容者の比喩的表現が多い)
刑務官はその括弧を、前回の回答書で覚えたのだろう。比喩はこの国の書類でいちばん安全な欄だ。
「あのおじさんの扉が、少し開いたんです」
その子が言った。
「見えないんです。でも、音は聞こえます。時計の音みたいなものです。逆に回って、止まった時計の」
* * *
その子が俺のほうへ向き直った。声に方向はなかったが、俺にはわかった。
「おじさんもです」
俺は答えなかった。
「おじさん、頭の中に紙が一枚あります。枠線の引かれた紙です。線が三本。一本は僕です。下がっていくのはキッドの線です。キッドは使うほど減りました」
その子は、彼女の引き出しのいちばん下の段にある紙を読んだ。彼女の頭の中ではなく、俺の頭の中で。
俺はその紙を一度見ただけだ。一度で足りたようだった。
「おじさんの線は、僕の線とまったく同じように進みます」
彼女が息を止めた。今度は俺のせいではなかった。彼女の手がポケットの上へ行き、止まった。それから彼女は声に出して、刑務官が記録できる言葉で言った。
「測定は毎週行います」
刑務官がその言葉を書き取った。測定が何なのかは書かなかった。
彼女の言葉は、この部屋で唯一比喩ではない文だった。なのに記録用紙の上では、いちばん比喩に見えた。
「じゃあ、おじさんも連れてこないといけませんね。あとで散らばってしまう前に」
その子はそれを、あまりに簡単に言った。毎朝、報告を受けていた子の口ぶりだった。物事が決まれば、そのとおりに動く子。
俺はその言葉に返す言葉を見つけられなかった。連れてくる側が誰なのか、その部屋で俺だけがわかっていない気がした。
「面会終了五分前です」
刑務官が言った。今度は誰も気まずそうにしなかった。
「来月また会いましょう。今度は扉が閉まる前に、全部話しますから」
その子は扉がいつ閉まるのかを学んだ。一度で足りたようだった。
* * *
彼女が通話口の方へ、上体を傾けた。
声に出して言った。刑務官が記録できるように。決められた言葉の範囲で。
「管理対象者に関する記憶情報の照合を引き続き行います。毎月。あと11回です」
七番目が頷いた。
それから俺を見た。この部屋で初めて俺を見たときと同じように、目がほんの少し大きくなって、元に戻った。
「ゆえに、三つである」
彼が言った。指を一本ずつ折ることはしなかった。言葉だけで数えた。
「散らばった子どもを体ごと連れてくること。その子どもがなぜ散らばったのかを突き止めること。借りた時間を返すこと」
刑務官がボールペンを止めた。
この子——。
前回も、この収容者はこの子と言った。
刑務官は記録用紙を一枚前へめくり、前回の写しを探す顔になった。見つからなかった。代わりに、要約欄にこう書いた。
「収容者、今後の計画陳述(比喩)」
七番目の目が、俺に留まった。
爪の下が黒い手が、ガラスの向こうの棚の上に置かれた。
「借りたものは返し、散らばったものは連れ戻そう。どちらも、そなたの役目が大きいぞ、時間」
* * *
彼はその日、その部屋で「時間」と呼ばれた。
書類には、相変わらず名前が書かれていた。
その日、その部屋で、あの子の名前は二度呼ばれた。
二度目に呼ばれたとき、その声は、初めてその部屋に来たときよりも一咫だけ遠くまで届いた。
その一咫を測った者はいない。
それが、ガラスの向こうの彼が借りていった時間である。




