第14話 あなた方の上には立たない
管理番号KR-06 添付文書1
101〜115枚。
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何もするな、だそうです。
最高司祭さまはそう言って、席に戻ろうとしました。杖をついて、長いテーブルに沿って。司祭さまたちはみんな、ほっと息を吐きました。会議が終わると思ったんです。第二使徒さまはもう書類をまとめていました。
私は、その背中に向かって言いました。
「ひとつだけ、確かめたいことがあります」
最高司祭さまが止まりました。振り返りはしませんでした。
「あなた方が探していた本物が私だというのは、確かですか」
会議室がまた静まり返りました。今日だけで三回目でした。この会議室は、静まり返ることに慣れていない部屋でした。みんな、どこを見ればいいのかわからずにいました。
最高司祭さまが、ゆっくりと振り返りました。
「それについては」
あの方は、ひと言ずつ区切って言いました。
「一片の偽りもなく、真実だ」
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一片の偽りもなく。
俺は昨日署名した入国事由書を思い出した。海外長期滞在後の帰国。一片の偽りもなく、偽りだった。彼女の端正で小さな字で。
六番目は、最高司祭から確認をもらった。本物だということを。俺は管理局から確認をもらった。幽霊ではないということを。どちらも、書類なしでは済まないことだった。ただ、彼の書類は老人の口で、俺の書類は赤いハンコだった。
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「だとしたら」
私はひとつ息をしました。足が痛かった。七十二段を上ってきてから、一時間以上立ちっぱなしでしたから。でもその瞬間は、足のことはあまり気になりませんでした。もっと怖いものがあったからです。今から私が言おうとしている言葉が。
「だとしたら、私はあなた方の上には立ちません」
第二使徒さまが書類を落としました。紙が床に散らばりました。誰も拾いませんでした。
「あなた方の言うことも聞きません」
最高司祭さまは無表情でした。私をまっすぐ見ていました。
「代わりに、会いたい人たちがいます。あなた方が利用して捨てた人たちです。あなた方にお金と家と土地を差し出した人たちです。その人たちがどうしてそんなことをしたのか、知りたいんです。献金台帳に名前が書かれた人たち、手を握ってあげた人たち、翌日治ったと言った人たち。その人たちの声を聞きたいんです」
「その連中に会って、何をする」
最高司祭さまが訊きました。
「わかりません。ただ、聞きます。あの方は、お客さんの話を聞かなかったでしょう。手を握っただけで」
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俺はここでメモ用紙を探した。質問を書こうとしたわけじゃない。ただ、何かを握っていたかった。
あの方は、お客さんの話を聞かなかったでしょう。手を握っただけで。
向こうで、俺もそうだった。村ごとに人が押し寄せてきた。子どもを抱いてくる者、病気の年寄りを背負ってくる者。俺は手を握ってやった。年老いた司祭がそうしろと言った。勇者の手は希望なのだ、と。俺はあの人たちの名前をひとつも知らない。あの人たちが何を願ってやってきたのかも。
六番目は、それを知りたいと言った。最初の拒絶が「聞く」だった。
俺は十五日間、彼女に何度も訊いた。妻の住所、俺が何に見えているのか、消されるという言葉、シーツ。なのに、彼女が何を願っているのかは、一度も訊かなかった。
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最高司祭さまが、杖をついてまた歩いてきました。さっきと同じように、ゆっくりと。今度は胸ぐらをつかみませんでした。私の前に立って、長いこと私を見ていました。
「何日か前、性悪な男がひとり、おまえの窓を叩いたな」
私は息が止まりました。
「あの男が何を言ったか、わしは全部知っている。見当はついている、ということだ」
「あの人はどこに行ったんですか」
「あの男は、最初からいなかった」
最高司祭さまはとても淡々と言いました。今日の天気でも話すように。
「おまえも知っているだろう。あの男の部屋が、一週間ずっと空いていたことを」
「私は覚えています」
「そうだな。おまえは覚えているだろう。わしも覚えている。それが、わしらのような者への罰だ」
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わしらのような者への罰。
消された者を覚えているのは、本物と、見分ける者だけだ。背の高い男の弟を覚えているのは、背の高い男だけだった。背の高い男を覚えているのは、六番目とこの老人だけだった。
覚えていることが罰。俺にはその言葉がわかった。向こうで埋めた仲間四人の顔を、こっちの世界で覚えているのは俺ひとりだ。あの四人の名前を誰に言っても、誰も知らない。あの四人は、こっちでは最初からいなかった。
消されたのと、何が違うのだろう。
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「私は、取引をしようと言っているんじゃありません」
私は言いました。
「解放してくれとも言いません。母がここにいますから。私はただの人です。人間です。まだ自分が誰なのかもわかりません。でも、あなた方が私を本物だと言い張るのと同じだけ、私も自分が本当に普通の人間だってことを証明してみせます」
「それで、おまえが役に立たなくなったら?」
最高司祭さまが訊きました。
「私を消しますか」
最高司祭さまは答えませんでした。しばらくして、言いました。
「いや。そうはせん」
その言葉が嘘なのかどうか、私にはわかりませんでした。私はあの方の心が聞こえるはずなのに。その瞬間、あの方からは何の意味も聞こえてきませんでした。ただの空っぽの音でした。井戸に石を投げたのに、水の音がしないみたいな。
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そのとき、会議室の左側で誰かが勢いよく立ち上がりました。
若い司祭さまでした。三十代前半くらい。テーブルの端に座っていて、ふだんは会議でお茶を注いでいた人でした。その人が叫びました。
「これは冒涜です!」
みんなその人を見ました。さっき眼鏡の司祭さまが言ったことをまた言うのかと思いました。でも、違いました。向きが逆でした。
「我々はこれまで悪魔に踊らされていたんです! 真のメシアが来られた。苦しみを抱いて来られた。こうしてご自身の姿を証明なさったのに、メシアの影を盗んで私腹を肥やそうとするあなた方! この堕落した世代が、司祭を名乗るあなた方こそが、罰を受けるべきだ!」
その人の隣で、ふたりがさらに立ち上がりました。三人で一緒に叫びました。堕落した世代。堕落した世代。
私は、その人たちが私の味方なんだと思いました。少しのあいだは。
でも、その人たちの心が聞こえました。その人たちは私を見ていませんでした。最高司祭さまの椅子を見ていました。真ん中の、高い椅子を。
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改革派。
会社にもいた。社長が代わるたびに現れる連中。前経営陣の腐敗を告発する連中。みんな本気だった。そしてみんな、告発が終わると、前経営陣の椅子に座った。
六番目には、彼らの心が聞こえた。彼らが見ているのは自分ではなく、椅子だということが。俺には聞こえない。俺は、彼女が何を見ているのかさえ知らない。
聞こえるほうがましなのか、聞こえないほうがましなのか。六番目の次の文を読む前に、俺は答えを出せなかった。
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最高司祭さまは、その三人を長いこと見ていました。怒りませんでした。むしろ、少し悲しそうな顔でした。
「そうだな。金を欲しがらず、他人の不幸のために祈ってやる連中だ」
最高司祭さまが言いました。
「わしはおまえたちを知っている。おまえたちの心も知っている。だが、わしらにとって、おまえたちは」
最高司祭さまは少し言葉を選びました。
「刈り取るべき雑草だ」
兄弟たちが入ってきました。ドアの前の兄弟たちです。三人を引きずっていきました。三人は引きずられながらも叫び続けていました。堕落した世代。その声は廊下の端まで続いて、階段で途切れました。七十二段のどこかで。
会議室に残った人たちは、誰も立ち上がりませんでした。誰も前に出ませんでした。ただ座っていました。誰も、床に散らばった第二使徒さまの書類を拾いませんでした。
しばらくして、第二使徒さまが咳払いをしました。隣に座った司祭さまを見ました。その司祭さまはテーブルだけを見ていました。その隣の司祭さまも、テーブルだけを見ていました。さっきまでお茶を注いでいた若い司祭さまが書類を拾う係だったんですが、その人はたった今、引きずり出されていったところでした。
結局、第二使徒さまが自分で腰をかがめました。七十二歳でした。腰が鳴りました。会議室があまりに静かで、その音が全部聞こえました。第二使徒さまは紙を一枚ずつ拾いました。一枚拾うたびに、腰が鳴りました。七枚ありました。
私は笑いをこらえようとして、足に力を入れました。足が痛くて、笑いが引っ込みました。今回ばかりは、足がありがたかった。
最高司祭さまが、私を振り返りました。
「皆の前で本物だと証明してしまった以上、わしはおまえをどうすることもできん」
そして、付け加えました。
「だが、おまえも今日より上手くやらねばならんぞ」
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私はひとりで階段を下りました。七十二段。今度は数えませんでした。数える必要がありませんでした。階段の途中に、白い司祭服のボタンがひとつ落ちていました。引きずられていった三人の、誰かのものでした。私はそれを拾いました。今、この紙の束のあいだに挟んであります。
部屋に戻って、ベッドに横になりました。会議室で言ったことを、ひとつずつ思い返しました。あなた方の上には立たない。あなた方の言うことは聞かない。普通の人間だと証明してみせる。
でも、おかしかったんです。
その夜、初めて自分が怖くなりました。会議室で話したとき、私の声は、本来の私の声より大きかった。私は叫んでなんかいないのに。二十人の司祭さまが全員聞いていました。いちばん端に座った外国の司祭さままで、通訳なしで。
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本来の声より、大きかった。
俺はレコーダーの画面を思い出した。SYNC ERROR -00:00:00.31。そして七日後、彼女が見せなかった画面。正常範囲です。
六番目の声は大きくなった。彼はそれを知っていた。二十人が通訳なしで聞いたのだから。俺は、自分の時間が長くなったのかどうかを知らない。誰も、俺に画面を見せてくれないのだから。
彼は怖がることができた。俺は、怖がる材料さえもらえなかった。
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私が言おうとした言葉は、ちゃんと出ていきました。それが怖かったんです。前は、言おうとしたのとは違う言葉が出ていったでしょう。今度は、言おうとした言葉がそのまま、前より大きく出ていったんです。
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あの日、階段に落ちていたボタンを、我々は覚えている。誰が拾ったのかは、記録しなかった。
彼が引きずり出されたあとも叫び続けていたことを、我々は知っている。何を叫んでいたのかは、我々にも聞こえなかった。




