第134話 合本(3)
あっちの扉から、七番目が入ってきた。
囚衣。スリッパ。刑務官が一人、彼の一歩後ろに立った。
彼は敷居をまたぐとき、一度止まった。そしてガラスのほうを見た。こっちを。俺を。
彼の顔は、今は書かない。次の章で書く。
あの顔を書いた瞬間、この記録はその瞬間の章になる。俺はまだ、その章に入っていない。
彼が椅子に座るまでの数歩を、先に書く。
彼は五歩で椅子の前に来た。椅子を引かずに座った。背筋をまっすぐに伸ばした。両手を膝の上に置いた。
右手の爪の下が黒かった。洗っても落ちないという、あの黒いもの。刑務所の報告書に書かれていた。
手のひらには、三日月形の窪みが四つ、薄く残っていた。手の甲には白い線が三本。
俺はその手を見た。報告書の文章が、手になっていた。
彼は俺の顔を見た。それから俺の膝の上の箱を見た。そしてまた俺の顔を見た。
顔、箱、顔。
彼の目は、俺の後ろを見なかった。俺の後ろに一歩下がって立っている人間を。
わざとだと、俺には分かった。彼は俺の後ろの人間を見ないように、俺の顔だけを見ていた。
〈午後2:01〉
* * *
立会い刑務官が、向こう側の扉の脇の椅子に座り、接見記録紙を広げた。
刑務官はボールペンを手に取り、接見内容の要約欄を見た。それから俺を見た。管理局の特別接見だと、この男は知っている。何を要約すればいいのか分からない顔だった。
二か月前、この部屋でも別の刑務官が同じ顔をした、という記録を俺は読んだ。その記録の要約欄には、「収容者失神」の一行だけが記されていた。
刑務官の背後の壁に、班長の新しい掲示が貼ってあった。ガラス面への接触禁止。
その下に、今日の日付で紙が一枚足されていた。「本日、機関の要請により一時解除」。
班長の字だった。整っていた。班長はこの部屋に入らなかった。何かあればすぐ入ると言って、扉の外の廊下に立っていた。何が起きたのかを備考欄に書かねばならないからだ。
俺は通話口の方へ、体を少し傾けた。
向こうの椅子の人間を見た。そして、俺がこの男に何を頼みに来たのかを、もう一度数えた。
三年半前、白い部屋で俺はこの男に経緯書十二枚を読み聞かせた。この男が何に見えるか、そのことが書かれた十二枚を。この男が頼んだから、俺は読んだ。
ひと月後、この男を別の施設へ移す車の中で、俺の弟が死んだ。この男の体のすぐそばで。
書類には、狂気による殺人と書かれていた。
書類は、すべて揃っていた。
一年ほど前、八番目が俺に薬の理由を訊いた。俺は弟だと答えた。嘘ではなかった。
薬入れの一番端の区画が、弟だった。一番前の区画には、あの子がいた。
十八年前から、あの子の文章が浮かぶたびに俺は薬を飲んだ。三年半前からは、弟の顔が浮かぶときにも飲んだ。薬入れは一つだけ。俺はその一つの箱に二人を入れて、持ち歩いていた。
そして今日。俺はその二人のうち、一人を出してほしいと頼みに来た。もう一人が死んだ場所にいる、あの体に。
向こうの椅子の人は、俺の声を知っている。経緯書を読み聞かせていた声だ。この人は俺の後ろを見まいとして、俺の顔だけを見ていた。だが、俺の顔を見ることも、この人には容易ではなかったのかもしれない。
俺はそれを、この人の手に見た。開いては握られ、また開く手。
「手紙を二度、お読みになったと聞きました」
七番目は答えなかった。頷きもしなかった。その目は、まだ俺の顔にあった。
俺はその沈黙を返事として受け取った。あの人の陳述ではなく、キッドの陳述の中に、俺はそうした沈黙を数えきれないほど読んできた。答える欄はある。だが、その欄に入れてしまえば相手が別の欄へ移されてしまう——そういうときの沈黙だ。
「返事はくださいませんでした。だから今日は、直接来ました」
俺が出した手紙の返事欄は、今も空のままだった。この人は、空欄を残しておくほうを選ぶ人だった。その空欄が拒絶なのかどうか、俺には分からなかった。だから、ここまで来た。
〈午後2:03〉
* * *
立会い刑務官が咳払いをした。それから、残りの面会時間は19分だと告げた。規程上、告げなければならなかった。
刑務官は告げ終えると、壁の時計を見た。2時を1秒過ぎたところを指していた。その時計で残り時間を数えるのが正確なのか、しばらく考え込む顔になった。そして、自分の腕時計を見た。二つの時計は1秒違っていた。刑務官は記録用紙の面会開始時刻欄に、腕時計の時刻を書き込んだ。
俺は箱を開けた。
中には棗の木の印章が入っていた。指一節半ほどの大きさで、印面は下を向いていた。俺は印章を取り出し、手のひらに載せた。それから上着のポケットから朱肉を出した。小さな朱肉だった。刑務所の正門で持ち込み品として申告したものだ。
班長は持ち込み台帳の品名欄に「朱肉 1個」と書き、用途欄では長いこと迷った末に「署名用」と書いた。正確ではなかった。班長もそれは分かっていた。それでも、その欄を空けるわけにはいかなかった。
俺は朱肉の蓋を開けた。そして上着の内ポケットから紙を一枚取り出した。枠が一つだけの紙だった。昨夜、俺が定規を当てて引いた枠だ。枠の上には何の見出しもなかった。下にも。
俺はその紙を、ガラス仕切りの下にある狭い棚の上に置いた。あの人から見えるように。枠が、あちらの側を向くように。
朱肉を三度、軽く叩いた。それから印章を、枠のちょうど真ん中に押し当てた。
一、二。そして持ち上げた。
赤い名前の三文字が、枠の中に座った。
七番目の目が、初めて俺の顔から離れた。枠へ落ちた。ガラス越しに、彼はその名前を読んだ。
この世界の文字を、あの人がどれほど読めるのか、俺は知らない。まして篆書体だ。それなのに、彼の唇がごくわずかに動いた。音はなかった。彼はその名前を読んだ。
俺は通話口から短く付け足した。
この印章は、名前のないある人があの子のために作ったものだ。あの子が初めて手にした、自分の名前が彫られた品だった。
その言葉を聞いて、彼は枠の中の赤い名前をもう一度見た。今度は長く。
彼の手が棚のほうへ少し動いて、止まった。ガラスがあった。ガラス越しの枠を、指先で指すことはできない。代わりに彼は、ガラスのその高さを長く見ていた。枠が置かれた棚のすぐ上、手のひら一つ分が入るあたりを。
名前を取り戻して二か月になる人が、名前を初めて手にした子供の名前を見ていた。
〈午後2:05〉
* * *
俺は七番目に言った。通話口から。ゆっくりと。
その名前の持ち主は、18年前、二十歳の誕生日の翌日に散った。その子が心に入れたすべての人の頭の中へ。
その子の最も大きな欠片は、その子と最も長く言葉を交わした人の頭の中にある。その人は今、あなたの前に座っている。
「私です」
彼の目が、また俺の顔へ上がった。
「あなたは2か月前、運動場で一人の子供の中の破れたところを縫ったと聞きました。名のあるものを掴んで。一針ずつ。その子の名前が今、この枠にあります。その子の最も大きな欠片が今、私の頭の中にあります。その欠片を、その名前で掴んでください」
七番目は答えなかった。
彼の右手が動いた。爪の下が黒い手だった。その手が開いて、また握られて、開いた。
私は続けた。
「一針ごとに、ごく短い間が要ります。その間を支えてくれる人を連れてきました」
言いながら、私は後ろを振り返らなかった。
七番目も、私の後ろを見なかった。
彼の目が私の肩越しへ行かないよう、こらえているのが分かった。二か月前、この部屋で一人の子供が彼の顔だけを見て、肩の横を見なかったという記録を、私は読んだ。照らし合わせる枠がもうない、というふうに。
今日、彼は逆のことをしていた。
照らし合わせる枠が私の後ろにあると知っているから、その枠をまだ見ずにいた。
〈午後2:08〉
* * *
私の後ろの八番目も、七番目を見ていなかった。
振り返らずに、分かった。白い部屋で一年、八番目が視線をどこに置くかを私は知っている。呪いがあった頃、彼は人に自分を見られまいとして、目を伏せていた。呪いが解けてからも、その癖は残った。
今ごろ彼は、ガラス仕切りの下の棚を見ているだろう。私が置いた、枠が一つだけの紙を。赤い名前の三文字を。
二人は互いを見ず、同じ枠を見ていた。
半年前、あちら側の椅子にいた人は、この建物のどこかで、私の後ろの者に手紙を書いた。手紙は管理局の検閲を経て、白い部屋に届いた。その検閲書類には、私の職印がある。
手紙の内容を、私は知っている。検閲する者は、手紙を最後まで読まなければならないから。
その内容は、二人の枠だった。
そして、私の後ろの者がその手紙に返事を書いたかどうか、私は知らない。
白い部屋の最後の日まで、八番目の机の上には便箋が一枚、広げられていた。
空だった。
二人は今、ガラス一枚を間に、私の肩一つを間に、互いを見ないことに全力を注いでいた。
〈午後2:09〉
* * *
俺はわざと、その文を思い出した。
声は高かった。幼かった。今朝も俺は薬を飲んでいない。その文は、シーソーを押さえつけていた日よりも鮮明だった。シーソーが水平になるときのように、その文は頭の真ん中にまっすぐ置かれていた。
俺は立ち上がった。
椅子を後ろへ引かず、横にずれて立った。俺の椅子の隣には、班長が持ってきて置いた折りたたみ椅子があった。俺はその椅子をガラス側へ少し引き寄せた。自分の椅子と並ぶように。
それから振り返って、俺の後ろの者に言った。
「座ってください」
俺の後ろの者が一歩、前に出た。俺は彼の足音を聞いた。白い部屋の床で一年のあいだ聞いていた、あの足音だった。彼は折りたたみ椅子の前に立った。そして座る前に、初めて顔を上げた。
向こう側の椅子にいる者も、その瞬間、俺の顔から目を離した。
俺は二人の間から横へどいた。ガラス仕切りの手前、枠が一つだけの紙の上に、二人の視線が落ちる場所が空いた。
俺はその場を空けながら、薬瓶の入ったポケットを手のひらで一度押さえた。
今日は開けない。
棚の上の紙を見た。枠が一つだけだった。
赤い文字が三つ。名前だった。
枠はあっちを向いていた。
俺はその三文字を逆から読んだ。あの人に教わったとおりに。
ハン、ユン、スル。
18年のあいだ、俺はその名前を声に出して呼ばなかった。
書類には番号を書いた。頭の中でも、その子としか呼ばなかった。
あの人の封筒の表が決めた順序だった。
その子が帰ってこられるようになったとき。
二人の視線が触れ合う前に、俺はその名前を呼んだ。
声に出して。
「ユンスル」
〈午後2:10〉
* * *
その日の午後2時10分。あの接見室の立会い刑務官は、接見内容の要約欄に、まだ一文字も書けずにいた。
彼がその日、その欄に最初に書いた言葉は、それから4分後のことだった。
たった今、初めて呼ばれたその言葉は、その日、あの部屋で合わせて三度、声に出して呼ばれた。




