↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
133/160

第133話 合本(2)

刑務所の正門前で車を止めたとき、八番目はもう来ていました。


正門の脇の塀の陰に立っていました。私は車の中から、まず彼の後ろ姿を見ました。灰色のジャンパー。手には紙袋。彼は塀を見て立っていました。塀は高かった。彼はその塀の高さを測っているようでした。白い部屋の窓を測っていた人みたいに。


私は車を降りました。彼が振り返りました。3か月前、彼の家の前で最後に見た顔のままでした。彼は私を見て頭を下げました。私も頭を下げました。私たちは何も言いませんでした。1年のあいだ、白い部屋で私たちはあまり話しませんでした。話さないことが、私たちのやり方でした。


彼が紙袋を差し出しました。私は受け取りました。中にはおかずの容器が一つ入っていました。容器はまだ温かかった。おばさんは今朝も何かを煮たようでした。ふたには付箋が貼ってありました。おばさんの字でした。


「ラーメンさんがまた来たら、あげてください」


私はその付箋を見て、車の中のラーメンを振り返りました。ラーメンは運転席でうつむいていました。聞こえていたようでした。サングラスは助手席で、サングラスを掛けたまま窓の外を見ていました。うらやましそうな顔でした。サングラス越しにも、それは見えました。


* * *


正門が開くのを待つあいだ、私は八番目に今日のことを話した。


彼は同行依頼書に事由欄がなかったのに、事由を尋ねずに来た。それが彼のやり方だということは、私にも分かっていた。それでも、話さなければならなかった。


私は短く言った。


十八年前に散らばった子供が一人いる。その子供のいちばん大きな破片が、私の頭の中にある。今日、あの中にいる収容者が、その破片を子供の名前で捕まえて縫い合わせる。縫うには、一針ごとにごく短い瞬間が要る。シーソーが水平になる、あの瞬間だ。その瞬間を押さえてくれる人が必要だった。


「私が合図したら、私の頭の中のいちばん小さな音を探して、つかまえてください」


八番目は私の言葉を最後まで聞いた。それから、一度だけ頷いた。


私は、あなたが私の頭の中の音を探せるのかどうかは尋ねなかった。白い部屋で一年のあいだ、彼は上の階の換気口を通る風の音、キンパの銀紙を折る音、ベルクロが剥がれる音を探し出した。そのすべてが、彼の測定表に載っている。私の頭の中にも、きっとそういう音がある。私はそう信じた。彼はおそらく、私より先に信じていたのだろう。


正門の警備室では、班長が待っていた。


班長は私の身分証を見て、それから八番目を見た。同席者だ。班長は訪問台帳の同席者欄を指した。八番目がペンを受け取り、名前を書いた。決して整ってはいない字だった。班長はその字を覗き込み、もう一度、彼の顔を見た。


班長は彼が誰なのか知らなかった。それなのに、何かを感じ取った顔をしていた。刑務所で二十年働いてきた人間の顔だった。収容者ではないのに、収容者の目をしている者を見分ける顔だった。


班長は訪問台帳を閉じながら、新しい様式の話をした。備考欄を二行増やした改正様式が、来月から施行されるという。上層部は班長の改正案を採用した。班長はその様式の下端にある考案者欄を、私に見せた。そこには彼の名前が二度入っていた。保管証の様式と、備考欄の改正様式。班長はそれが誇らしいのか恥ずかしいのか分からない顔で、その欄を指先で撫でた。


私はその欄を見て、あの人を思い出した。キッド。


彼が作った欄のうち、今も使われているのは、測定表の使用の有無を記す欄だけだ。班長が作った欄は、もう二つある。あの人がこの班長に会っていたら、長く話し込んだだろう。欄について。


これは陳述ではない。それでも、今日の時刻だけは書いておく。あの人の癖が移って、1か月半になる。


〈午後1:40〉


* * *


本館へ向かう廊下で、あいさつと呼ばれる刑務官に会った。


あいさつは配膳カートを押して来ていた。右の脇腹を少しかばう姿勢だった。2か月前のあの夜に縫った場所だ。何週間か休んで、先週復帰したと班長が教えてくれた。


あいさつは私たちを見て、カートを止めた。私を見た。それから、私の後ろの八番目を見た。


「こんにちは」


あいさつが言った。私に。私は返した。


「こんにちは」


あいさつは続けて、八番目にも言った。


「こんにちは」


八番目はあいさつに頭を下げた。深く。あいさつはそのお辞儀を見て、一度だけ頷いた。そしてカートを押して行った。


あいさつの背中を見ながら、班長が小さく教えてくれた。あの男は、返事を聞いても聞かなくても、1日に100回ほど「こんにちは」を言う。だが、2か月前のあの夜からは、返事を聞くと必ず一度、頷くんだ、と。


私はその頷きを知っていた。どこから来たのかは知らなかった。班長も知らなかった。ただ、その頷きは、決裁板の一番右下、いちばん小さな欄にいる人がする頷きと同じ形をしていた。今日の書類はきちんと押印された、という頷きだった。


* * *


廊下が曲がる所で、運動の時間を終えた収容者たちが列を作って通り過ぎていった。


列の最後尾で、腕にうなぎの刺青をした男が私たちを見て声を張った。


「チュックのおじさんの友達か」


班長が「静かにしろ」と言った。男は静かにしなかった。


「チュックのおじさんが最近独房にいるせいで、チュックのチームが負けっぱなしなんだ。おじさんの友達なら、早く出してやってくれよ」


班長は男の収容番号を手帳に書いた。男は番号が書かれるのを見ても、手を振っていた。八番目がその男に頭を下げた。男はそのお辞儀に驚き、振っていた手を下ろした。


列の中ほどに、一人の老人がいた。襟を立てた囚衣。飯粒で立てた襟だった。老人は肋骨のあたりを少し庇いながら歩いていた。列から外れないまま、首だけを回して私たちを見た。


班長が老人に「列を合わせろ」と言った。老人は列を合わせながら、八番目を見た。長く。


「あの人、どこかで見たんだがな」


老人は独り言のように言った。それから指を鳴らした。


「テレビ。いや、うなぎが見せてくれた映像。空港で、あのちび司祭と。いや、あれは別人だったか」


老人は結論を出せないまま、列について歩いていった。歩きながらもう一度振り返った。そして班長に大きな声で言った。


「班長さん、あの人、業界の人ですよ。目を見れば分かります。本物のほうの業界」


班長はその言葉を備考欄には書かなかった。老人はそう言って、満足そうな顔で舎棟の方の角を曲がった。


八番目は老人の言葉に何も答えなかった。ただ、老人の立てた襟を長く見ていた。彼も白い部屋で1年のあいだ、他人に自分が何に見えるかによって生きてきた。彼はあの襟に何かを見て取ったのだろう。


〈午後1:55〉


* * *


接見室は一階の、あの部屋だった。


ガラス仕切り。その下の方に並んだ通話口。あちら側に椅子が二脚、こちら側に一脚。私はこちら側の椅子の隣にもう一脚置いてくれるよう頼んだ。


班長が折りたたみ椅子を一脚持ってきた。こちら側は二脚になった。あちら側は一脚だけ残して、もう一脚は片づけられた。あちら側に座る者は一人だけだった。


ガラス仕切りの右下の隅に、新しい注意書きが貼ってあった。「ガラス面接触禁止」。その下に小さな文字で、制定日。二か月前のあの接見の翌週だった。


班長はその注意書きを指さし、自分が作った規則だと言った。あの接見のあと、ガラスに手のひらや額をつけることがあれば、接見を即座に中止するという規則だった。


私は班長に、今日はその規則を解除してほしいと頼んだ。


班長は長いこと迷った。それから接見台帳の備考欄に一行を記した。改訂されて二行になった備考欄の、最初の行に。


「機関の要請により、ガラス面接触禁止を一時解除」


班長は朱肉を三度叩き、その行の横に自分の印章を押した。私は班長が朱肉を三度叩くのを見て、息を止めた。班長は、その人と会ったことがなかった。


ガラスはきれいだった。二か月前、あのガラスに額の跡が残ったという記録を、私は読んでいた。清掃担当が翌朝に拭き取ったそうだ。向かい側の小さな手の跡は、拭く前からすでになかったという。


私はガラスの、その高さを見た。椅子に座った者の額の高さ。今は何もなかった。透明だった。


私はこちら側の椅子に座った。正面を向いて。椅子は鉄製だった。筋のない鉄。爪で引っかいても、滑るだけだろう。


二か月前、向こう側の椅子で誰かがそうやって引っかいた、という記録を私は読んでいた。私は斜めには座らなかった。今日は向かいの椅子が空いているはずはなかった。


八番目は、私の隣の折りたたみ椅子には座らなかった。私の後ろに立った。一歩、後ろ。


白い部屋で私がテーブルの角に斜めに座っていたとき、彼が座っていたベッドの位置と似た距離だった。彼はその距離を覚えていた。


私は上着の内ポケットから小さな箱を取り出した。棗の木の印章が入った箱だ。膝の上に置いた。開けはしなかった。


八番目が私の後ろから、その箱を見た。私はそれを感じた。彼が箱を見ていることを。彼は何も訊かなかった。白い部屋で一年のあいだ、彼は私のポケットの薬入れに触れなかった。私が許さないものには手を出さない。それが彼の規則だった。今日も彼はその規則を守った。


午後1時58分。


* * *


壁時計が2時を指した。


ガラスの向こうの扉の奥から、足音がした。二つ。一つは刑務官の革靴。もう一つは軽くて遅い歩み。スリッパだった。収容者のスリッパ。その歩みは一歩一歩、床を確かめるように踏んでいた。急いではいなかった。


私はその足音を数えた。あの人の癖だった。キッドの。十一歩。


私の後ろで、八番目が息を吸う音がした。ごく小さく。白い部屋で一年のあいだ、私は彼の息遣いを聞いてきた。彼が時間を掴む前に出す息を、私は知っている。最も小さな音を探す前の息。その息だった。


彼はまだ何も掴んでいなかった。ただ、探していた。


足音が扉の前で止まった。刑務官が鍵を取り出す音。鍵が錠に入る音。回る音。


私は膝の上の箱を両手で包んだ。箱の木目が掌に触れた。木目に沿って指を動かせば滑らかで、木目を横切れば引っかかった。あの子供はこの箱を初めて受け取った日、しばらく何も考えなかった、とその人は書いていた。今なら、あの子供のその静けさが少し分かる気がした。頭の中は静かだった。その静けさの中で、たった一つの文だけがはっきりしていた。


あっち側の扉が開く音がした。


* * *


その日、あの接見室の壁時計は、2時ちょうどから一秒遅れていた。班長はその時計を来週取り替えると、備考欄に記した。


その一秒が何だったのか、班長は知らなかった。我々は知っている。一人の人間が、扉の向こうの足音の中から最も小さな音を見つけ出し、掴み、そして放した時間だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。