第130話 死亡診断書(3)
管理番号 KR-05 自筆陳述書
陳述27 ― 最後のページ。
封筒9。原文のまま転記。実名は▇で伏せた。
* * *
明日、作戦があります。
実長は夜8時、新しい命令書を決裁箱に入れました。あなたが書いた命令書です。事由欄は一行だったと、あなたが教えてくれました。日時は5月13日。場所と対象と措置はそのまま。上の決裁は明日の朝9時。車は10時に出ます。
私は今、地下の部屋でこのページを書いています。この陳述の最後のページです。27番目の陳述。封筒は9つ。私は最初、この陳述を何ページ書くか決めていませんでした。欄を決めずに書いた書類は、これが初めてです。だから、終わりが分かりませんでした。今夜、終わりが分かります。
実長は決裁箱の四角い跡を見ました。朝9時に。あなたが写しをどこに置いたか覚えていないと言っている間、実長はその跡を見ていました。埃の積もっていない四角。実長は、そういう跡を何度も見てきました。港の倉庫で。山の中の倉庫で。海の上の船で。実長の部下が手帳に「消去完了」と書くたび、そこにはその跡がありました。
実長はその跡が何なのか知っています。誰が残したのかも。
〈2016年5月12日 22:10〉
実長はその日の朝、私を呼んで新しい命令書を書かせました。そのとき、決裁箱の話は一言もしませんでした。代わりに、明日の作戦には自分の部下を一人つけると言いました。警護の名目で。私は、その部下が誰か知っていました。港の倉庫にあの人を連れて行った、無口な男です。私はその言葉を聞いて、何も尋ねませんでした。尋ねないことが私のやり方でした。その日の夜までは。
* * *
私は今日の明け方、残っていたものをすべて書き終えました。
ノートの消去後の欄に、零と記しました。
もう私の手は、何も消せません。
実長の部署で、私は役に立たない資産になりました。そして、実長の決裁箱から命令書を消した資産になりました。
役に立たない資産と、命令を消した資産。
実長はその二つの欄を合わせて、一つの欄として数えるでしょう。
私はその欄の名前を知っています。
7月、課長がドアを閉めて電話に出ておられたあの頃、書類に通じた朝鮮人の末端の職員たちが入った欄。
整理。
7月、私はその欄の名前を知りませんでした。
なぜ死ぬのかも知りませんでした。
路地で私の名を呼ぶ声はなく、判を押す音のようなものを聞きました。
そして70年後、その路地に15歳の証人がいたことを知りました。
制服と白い服。
私は白い服が誰なのか、結局分かりません。
突き止める時間がありません。
今度は分かります。
なぜなのか。
それが7月との違いです。
私はその違いをありがたく思っています。
なぜ死ぬかを知っている死には、なぜ死ぬかを知らない死よりも、欄が一つ多いのです。
事由欄。
私は自分の事由を知っています。
一行で書けます。
命令書二枚。
〈2016年5月12日 22:40〉
命令書二枚。その人は自分の事由を一行で書いた。正確だった。
だが、その一行の下に何があったのか、私は知っている。
申告書の長い事由のように。
あの子、川辺の木、それでも。
その人はその長い事由から言葉をいくつか選び、一行に縮めた。
生涯、そうしてきたとおりに。
* * *
だが、私がこの章を書くのは、自分の事由のためではありません。
私はB棟の台帳のことを、もう一度考えます。
昭和18年、19年の備考欄。
不感。症状。休憩時に霞む。
私はその備考欄を、この陳述の七つ目の封筒に書きました。
けれど、その封筒に書かなかった備考が、一つだけあります。
昨年の冬、B棟で見つけました。
そして、書きませんでした。
書けば、そのことが決まってしまう気がしたからです。
その備考は、昭和19年の冬の台帳の、一行にだけありました。
私の字ではありませんでした。
係長の字でした。
二文字。
散逸。
散らばって、無くなること。
その行の処理欄は、移送ではありませんでした。
保留でも、ありませんでした。
処理欄には「所在不明」と書かれていました。
そして、その隣の細い欄に、係長の小さな字で、もう一行が添えられていました。
俺はその行を読んで、B棟の鉄の棚を掴んだ。
錆の浮いた支柱が、手のひらに冷たく当たる。
湿度計の針が、ひと目盛りだけ動いた。
棚の列の向こうで、台車の車輪が鳴って、すぐに消えた。
その行には、こうあった。
「症状の果てに散逸。周辺人の多くが、同一の言い回しを自らの考えとして陳述」
俺はその文字を、しばらく見ていた。
その行の人物は、心に言葉を入れる者だった。
申告書の原文に、そう記されていた。
「あの人と話したあとでは、あの人の言葉が自分の考えになる」
その人物は、使えば使うほど大きくなった。
休めば薄れた。
そして、ある日、散った。
死んだのではない。散ったのだ。
周りの者たちは、その人物の言葉を、自分の考えだと言い始めた。
俺はその行の名前も、名簿に書き写した。
714行のうちの一つ。
処理欄には、所在不明。
子孫の所在欄も、返済欄も、空けたままにした。
散った人間に、何を返せばいいのか。
どこへ返せばいいのか。
俺には、計算できなかった。
〈2016年5月12日、23:00〉
散逸。
その行を、俺は今日B棟で見つけた。
昭和19年の冬の巻、32番目の章、7行目。係長の字だった。
あの人はその行を、封筒七には書かなかった。封筒九の最後のページに書いた。
俺はその行を、18年間探さなかった。
見つけていたら、あの日、あの子に何が起きたのか、その日のうちに知っていただろう。
* * *
明日、あの子は四万人に文章を入れます。
今日一日休んだので、少し曇ったまま。曇っている分だけ、もっと書かねばなりません。台風の夜には一万人でした。その夜、あの子は三日間、目を覚ますことができませんでした。明日はその四倍です。曇ったまま。
私はその計算の果てを知っています。今日の明け方、その計算を知っていながら、私は紙を二枚、消しました。一日を与えれば次の日がもっと重くなると分かっていながら。あの子も知っていました。あの子は「それでも」と言いました。私はその二文字を受け入れました。それが正確な計算だったのか、私は知りません。おそらく、違っていたのでしょう。あの子に与えた一日が、あの子の最後の日を一日早めたのかもしれません。
それでも、あの子は今日、笑いました。曇った顔で。川辺の木の下で。
私はその笑みを、この陳述のどの欄に入れるべきか分かりません。返済の欄には入れられません。私があの子に返したものではなかったからです。あの子が私にくれたものでした。「それでも」という二文字とともに。
〈2016年5月12日 23時20分〉
* * *
あなたに書きます。
この陳述は、あなたに送る書類です。最初からそうでした。受け取る人が決まっている書類でした。
私はこの書類を、九つの封筒に分けて入れました。
それらの封筒を、大きな封筒一つに収めて、明日の朝、あなたの決裁板の上に置くつもりです。今日の夜、退庁する前に、警備員から鍵を借りて。
封筒の表には、一行だけ書きます。
この書類をいつ開けるか。閲覧条件。
私はその条件を、長く計算しました。
「私が死んだ後に開いてください」
そう書けば、あなたは明日の夜、この封筒を開けるでしょう。
そうすれば、あなたは明日の夜、「生存」という二文字を読むことになります。
その二文字を読んだあと、あなたはあの子が死んでいないことを知ります。
そして、あの子を探そうとするでしょう。探す方法がないのに。
あなたは残りの年をすべて費やして、探すでしょう。
私はそれを望みません。
だから、こう書くことにします。
「あの子が戻ってこられるようになったら、開けてください」
その条件がいつ満たされるのか、私にはわかりません。
永遠に満たされないかもしれません。
そうなれば、あなたはこの封筒を永遠に開けないでしょう。あなたは条件を守る人ですから。
私は、それでいいのです。
開かない封筒があなたの引き出しにあるほうが、開いた封筒があなたの残りの年月をすべて費やさせるより、ましです。
けれど、もしその条件が満たされる日が来たのなら、あなたはこの陳述を最初から読むことになるでしょう。
「私はただの公務員でした」
その最初の一行から。
その日、あなたは私が7月に何をしたのか、すべて知ることになります。
そして、あの子をもう一度呼ぶ方法を、見つけるでしょう。
あの子の名前は、私の机の上のノートにはありません。
棗の木の印章にあります。
その印章は、あの子のポケットの中にあります。
明日、あの子がそのポケットを何で満たすのか、私は知りません。
〈2016年5月12日 23:35〉
棗の木の印章は、その翌日、あの子のポケットの中にありました。
遺品目録の「印章1個(氏名記載)」。
私はその行を消し、印章を持ち帰りました。
あの人がこの章で、その印章の行方を勘定に入れていたことを、私は今では知っています。
あの人は、私がその印章を持ち帰ることまで勘定していたのでしょうか。
おそらく、していたのでしょう。
* * *
返済計画書のノートは、この封筒には入れません。
あなたの引き出しの隣の仕切りに、別に置いておきます。
七百十四行のうち、残る六百十七行。
その行の返済を、あなたに頼みはしません。
あなたは返す人ではないからです。
その行の印章は、あなたの印章ではありません。
ただ、捨てないでください。
欄は残っていなければなりません。
返せない欄も、欄なのです。
この春、木蓮の咲く頃に療養院へ行きました。
息子は私だと分かりませんでした。
毎年、そうでした。
毎年、私は初めて会う親戚でした。
私は毎年、息子のシャツのボタンを留めました。
五つ。
今年の春は、三つ目のボタンを留めても、息子は顔を向けませんでした。
窓の外の木蓮ばかりを見ていました。
私は五つとも留めて、手を下ろしました。
訪問者台帳の関係欄には、今年も親戚と書きました。
まっすぐに。
最後の一行を書きます。
私は、この陳述の最初の行をこう書きました。
私はただの公務員でした。
その一文は正確でした。今も正確です。
私は出勤して、退勤しました。そのあいだ、書類に触れていました。
そして、その書類の中で、人々が移送されていました。
私はその人たちの顔を見ませんでした。名前だけを見ました。
欄の中にあるものは、簡単に忘れられました。
今日、私は何も消せない手で、一日を過ごしました。
書類には触れませんでした。
川辺の木の下、ベンチの端に斜めに腰かけました。
私は、霞んでいく子どもが笑っているのを見ました。
その子の名前を、頭の中で一度だけ呼びました。
欄の外で。
私はただの公務員でした。
今日という一日、初めて、ただの人間でした。
〈2016年5月12日、23:40〉
* * *
その夜、彼は23時52分に退庁した。警備日誌には、そう記されていた。
退庁時刻を、彼は分単位まで自分で書いた。
決裁板の上に置かれた大きな封筒の表には、一行の文字があった。
欄のない封筒だった。
それでも、その一行は、見えない欄の中にきちんと収まっていた。




