第126話 返したものと埋めたもの(3)
管理番号 KR-05 自筆陳述書
陳述 24 ― 二度目に消した名前。
封筒 8。原文のまま転記。実名は ▇ 処理。
* * *
曾孫が先に私を呼びました。
翌年の一月でした。その頃の私は月に一度、名簿の次の行を持って曾孫の事務所へ通っていました。部署からの圧力で最初の二十行が作られ、それから先は私が自分で行きました。
私が行くたび、曾孫は机の向こうに座って、私が読む名前を聞きました。名前、本籍、処理、そして子孫の今。私は立ったまま読みました。曾孫は一度も私に座れとは言いませんでした。私も座りませんでした。
ところが一月、曾孫が私を呼びました。私が行くはずだった日より十日早く。電話ではなく、手紙でした。
手紙は部署の住所に届きました。宛名欄には「キッド」と書いてありました。曾孫は私の名前を知りませんでした。いいえ、知っていましたが、書きませんでした。その違いを私は後になって知りました。
手紙には一行だけありました。枠のない紙に、まっすぐではない字で。
「話があります。書類なしで来てください」
私はその一行を長いこと見つめました。書類なしで。
曾孫は初めて会った日、私をあざ笑いました。貸金業者のところへ書類を揃えて来ると言う人間は初めて見た、と。その曾孫が今、書類なしで来いと言ったのです。
〈2016年1月11日、09:30〉
「書類なしで来てください」。その手紙を私はあの人のノートの間から見つけた。ナソンの字だ。
今のナソンは、枠の外へはみ出した字を嫌う。この手紙の字には枠がないのに、行が傾いている。ナソンはこの手紙を書くとき、手が震えていたのだろう。
今のナソンにこの手紙を見せたら、ナソンはおそらくこの手紙を書き直したくなるはずだ。
* * *
私はその手紙を、あなたには見せませんでした。
部署の住所に届いた手紙でしたから、あなたが先に見たのかもしれません。封筒は開けられないまま、私の机の上に置かれていました。あなたは宛名欄の「キッド」を見て、そのまま私の机に置いたのでしょう。
私は封筒を開けながら、あなたがこの封筒を開けなかった理由を計算しました。計算は終わりませんでした。あなたはいつも、開けるべきものを開ける人でしたから。
曾孫の事務室は、その日は空でした。
職員たちの姿もありませんでした。日曜日でもないのに。曾孫は、その日は事務室を空にしたと言いました。曾孫は南の窓を背にして立っていました。日差しが机の上に差し込んでいました。しかし、その日の机の上には書類がありませんでした。日差しは、空の机の上にだけ差し込んでいました。
曾孫は机の上に紙を3枚置きました。端を揃えて。まっすぐに。
1枚目は移送事由書の写しでした。私が月に一度持って来て読んでいた、あの書類のうちの1枚。作成者欄には私の印章。
2枚目は印鑑証明書でした。古い書類でした。曾孫の曾祖母の遺品だと言いました。私の妻の遺品です。その書類に押された印は、私の印章でした。7月に妻名義の土地を買ったとき、私が委任状の隣に押した印章。妻はその印鑑を46年のあいだ保管していました。
3枚目は遺伝子検査の結果票でした。
私はその結果票を読みました。逆さではなく、正しい向きで。曾孫がその紙を私のほうへ向けたからです。父系血統の一致。照合試料の一つは曾孫のもの。もう一つは「事務室の来訪者が使用したコップ」。
私はこの事務室で何を飲んだことがあるか、思い返しました。去年の夏、曾孫の秘書が私に水を1杯出したことがありました。紙コップではなく、ガラスのコップでした。私はその水を飲み、コップをテーブルの上にまっすぐ置きました。
曾孫は私を確認しました。私が7月に待合室でしていたやり方で。顔と書類を突き合わせるやり方で。
2016年1月21日、午後2時。
訪問者が使ったコップ。
その人は、他人に差し出されたコップを、いつも端正に置きました。取っ手を右へ。机の角と平行に。私はその癖を知っていました。その癖のおかげで、曾孫の秘書は、あのコップを他のコップと取り違えずに選び出せたのでしょう。その人の正確さが、その人を証明しました。今回も。
* * *
曾孫が言いました。
「うちの家は七十年間、あの方を愛国者として祀ってきました。巡査に連れて行かれ、帰らなかった方として。祖母がそう言い、父がそう言い、私もそう思っています。そして今、うちの会社の名義で、あの方の独立有功者の申請が出ています。審査中です。二年になります」
曾孫は最初の紙、移送事由書の写しを指で押さえました。
「これが事実なら、あの申請は詐欺になります。うちの家の七十年が詐欺になる。それに、この建物が建っている土地が、何で買った土地なのか、それも全部出てくるでしょう。あなたが裁判所へ行って、失踪宣告を取り消せば」
曾孫は、私が弁護士に会ったことを知っていました。実長が写真を並べたように、曾孫も何かを並べられる人でした。金貸しは、人を探す商売でもありましたから。
「それで、訊きます。あなたは何が欲しいのですか。名前ですか。金ですか」
私は曾孫を見ました。
笑うときも笑っていないように見える口元。その口元は、その日は本当に笑っていませんでした。曾孫は怯えていました。七月の待合室の人々が、私の背広の襟を見た目と同じ目でした。しかし、今度は私の襟には何も付いていませんでした。曾孫が怯えたのは、階級章ではありませんでした。書類でした。私が持っているかもしれない書類。
私は書類を持たずに来ていました。手紙にそう書いてあったからです。内ポケットには印章が一つだけありました。印章は書類ではありませんでした。しかし、印章がなければ、どんな書類も書類にはなりませんでした。曾孫はそこまで勘定に入れていなかったのでしょう。
その日、あの建物で鳴った音は、曾孫の机の上の電話が二度鳴ったのと、私たち二人の声だけでした。曾孫は電話を取りませんでした。十二階建ての建物が、息を殺していました。
〈2016年1月21日、14時20分〉
独立有功者申請。
その申請書は、国家報勲の記録に今も残っている。
処理欄には「申請人の撤回」。
撤回日は、その年の二月。
撤回理由欄に一行、「申請人の事情」。
ナソンは理由を短く書いた。あの人から学んだのか、もともとそういう人なのか、私は知らない。
* * *
私は答える前に、計算をしていました。
名前を取り戻せば、私は法的に、もう一度生きることになります。
1919年生まれ。本籍、京城。1945年の行方不明取消。
住民登録が生まれ、通帳の名義欄には、番号の代わりに名前が入ります。
そして、その名前の横に、書類が列を作ります。
七月の人事記録。台帳の職印。移送事由書の作成者欄。
妻名義の土地。
その土地の上の建物。
その建物で七十年かけて膨れ上がった金。
その金で育った曾孫。そして、その曾孫の、生まれたばかりの息子。
私の名前が書類に再び載れば、そのすべてに私の名前が付きます。
移送の名が。
私は、その名前をこの家に継がせたくありませんでした。
妻は四十六年のあいだ、まちがった計算をしていました。
巡査に引きずられていった夫。
その計算はまちがっていました。けれど、そのまちがった計算の上で、息子が育ちました。
孫が育ちました。曾孫が育ちました。
まちがった計算を直せば、その上に立っているものが、すべて崩れます。
ところが、まちがった計算をそのままにしておけば、七百行の名簿が、嘘の上に立つことになります。
私は、その二つのあいだに、升を一つ見つけました。
決められた言葉のなかにはない、升を。
「名前は、探しません」
曾孫が、息を呑みました。
「代わりに、三つお願いします。一つ、その申請は取り下げてください。爱国者は、あの人ではありません。二つ、名簿の残りの行を、返し続けてください。部署の圧力なしで。私がひと月に一度来て、読むとおりに。三つ」
私は、三つ目を言う前に、少しだけ止まりました。
「私を、曾祖父さんと呼ばないでください。一度も」
* * *
――2016年1月21日、14時40分。
曾孫は長いあいだ、黙っていました。
そして三つ目の願いについて、なぜなのかと訊きました。名前を探さないということも、金を返せということも理解できる。けれど、そう呼ぶなということだけは理解できない――そんな顔でした。
私は答えました。
「そう呼べば、あなたは私を受け継ぐことになります」
曾孫は、その言葉を理解できない顔をしていました。私は説明しませんでした。説明する欄がなかったのです。あの子なら、私の頭のなかを読み、曾孫の頭のなかに一行だけ入れてやったでしょう。けれど、あの子はその日、その場にいませんでした。私はその計算を、曾孫がいつか一人でしてくれることを願いました。
曾孫は、私の三つの願いを受け入れました。書類は書きませんでした。書類なしで来いと言った者と、書類なしで来た者とのあいだの約束でした。曾孫は、その約束の確認として手を差し出しました。握手でした。私はその手を握りました。若い手でした。私の手と同じ年齢の手でした。手の甲には、妻の手の甲のように血管が浮き出ていました。
私はその手を離しながら、考えました。7月に妻が最後に私の手を握ったのは、いつだったか。思い出せませんでした。その日の朝、妻は私の肩の埃を払ってくれました。手は握りませんでした。
〈2016年1月21日、15時10分〉
「曾祖父さんと呼ばないでください」
ナソンは18年のあいだ、その願いを守った。私の前でも「あの人」とだけ呼んだ。けれどナソンの壁には、その人の写真が結婚写真の隣に掛かっている。呼びはしない。掛けてある。ナソンが見つけた欄は、それだったのだろう。
* * *
その夜、俺は地下の部屋で、弁護士がくれたメモ用紙を取り出した。
失踪宣告。取消。現存利益。妻の名義——請求不可。
そしてその隅に、俺が小さく書き足した一行があった。
俺が消したのは、俺の名前だった。七月に、もう。
欄のないメモだった。それでも俺は、前の行と行を揃えて、その下にもう一行書いた。
「今日、もう一度」
七月、俺は土地の契約書に自分の名前を書かなかった。
話が出ないように。
それが最初だった。俺が知らないうちに済んでいた、最初の一回だった。
そして今日、俺は裁判所へ行かないことにした。
俺の名前が、書類に二度と載らないように。
今度は、分かったうえでそうした。
俺の名前はその日、二度目に消された。
今度は、俺が消した。
〈2016年1月21日、23時20分〉
* * *
その年の二月、国家報勲の書類綴りから、申請書が一通だけ取り下げられた。
取り下げの理由欄には、五文字が記されていた。
同じ月、あの会社の償還金支払台帳には、新しい行が三つ増えていた。
確認欄の印章は、どれもきちんと押されていた。




