第122話 成長(3)
管理番号 KR-05 自筆陳述書
陳述 21 — 一つの都市。
封筒 7。原文のまま転記。実名は▇で処理。
* * *
その年の夏、方眼紙が足りませんでした。
あの子の成長曲線が、紙のいちばん上の欄まで届きました。あなたはその月の最後の金曜日に、新しい方眼紙を一枚持ってきて、元の紙の上辺にテープで継ぎ足しました。そして線を続けて描きました。
紙と紙が接する場所で、線はテープを渡りました。テープの上でボールペンが滑って、線が少しだけ歪みました。
私はその歪んだ箇所を長いこと見ていました。紙が足りなくて継ぎ足した欄。
7月の台帳も、最後の欄が埋まれば新しい巻を出しました。けれど、新しい巻を継ぎ足すことはしませんでした。巻が変われば番号も変わりました。
あなたの方眼紙は、番号を変えずに上へと続きました。終わりの定められていない帳簿でした。
私の線は、下のほうの紙にそのままでした。いちばん下の欄に近づいていました。
私の線のために紙を継ぎ足す必要はありませんでした。私の線は、紙のなかで終わるのでした。
その年、私はコップ一つを消すことができました。
春に、私は地下の部屋で試してみました。水を満たしたコップに、指を一本触れました。水が消えました。コップは残りました。
貯水池一つを消した手が、コップ一つの水を消したのでした。
そのコップの水を消してから三日のあいだ、指先が痺れました。次の週の測定で、私の線はまた一段下がりました。試したことも、使ったことでした。
私はその後、試しませんでした。コップは洗って、机の上に伏せて置きました。
そのコップを見るたび、なかに水があった場所のことを考えました。消された水は、コップに跡も残しませんでした。
残ったものを数えました。コップいくつ分。おそらく、いくつもないのでしょう。
私はそのいくつかを、どこに使うか決めませんでした。決めないまま、取っておきました。使わなければ残るからです。
2015年7月31日 18:00
テープで継ぎ足した方眼紙。
その紙は今、私の引き出しにある。
テープは黄色く変色して、剥がれ落ちる寸前だ。
私はそのテープを新しいものに替えなかった。
替えれば、線が続いたその場所が新しくなる。
その場所は、新しくなってはならない。
* * *
8月に台風が来ました。
南の海辺にある小さな街でした。
人口は4万人。
台風が夜のうちに進路を変え、あの街を正面から通過することになる。
そういう知らせが夜9時に入りました。
川の下流の堤防がもたないだろう、ということでした。
堤防の下の低地には、1万人ほどが住んでいました。
避難を呼びかける放送は、すでに出ていました。
それなのに、人々は動きませんでした。
前回の台風のときも避難放送は出たが、堤防はもちこたえた。
今回も同じだろう、と人々は言っていました。
実長があの子を呼びました。
夜の10時でした。
ヘリコプターに乗りました。
あの子と、あなたと、私の三人でした。
なぜ私が行かなければならないのか、わかりませんでした。
実長は待機だと言っただけでした。
ヘリコプターのなかは騒がしく、話し声は聞こえませんでした。
あの子の頭のなかの声だけが聞こえました。
「キッド、怖いのかね?」
私は「はい」と、頭のなかで答えました。
あの子は笑いました。頭のなかで。
「わしもじゃ。街ひとつは初めてでな」
ヘリコプターは、あの街の裏山の頂上に降りました。
雨は横から降っていました。
風が人を押しました。
あなたがあの子の片腕を掴みました。
私はもう片方の腕を掴みました。
あの子は、私たち二人のあいだから、山の下の街を見下ろしました。
灯りが揺れていました。
堤防がどこにあるのか、暗闇のなかでは見えませんでした。
あの子は目を閉じました。
2015年8月23日 23:40
あのヘリコプター。
その人はその日、初めて空を飛んだ。
その人は降りてから、ヘリコプターの扉の横に貼られた搭乗者名簿の欄を、指で確かめた。
自分の欄には、名前の代わりに番号が書かれていた。
その人はその番号を見て、頷いた。
正確だったからだ。
私はあの夜、あの子が何をしたのか、正確には書けません。
あの文は、私の頭のなかにも入ってきました。あの子はわざと私を外さなかったのでしょう。あるいは、外す余裕がなかったのでしょう。文は、短いものでした。
今すぐ高いところへ。堤防はもたない。今。
その文が頭のなかで響きました。私の声ではありませんでした。あの子の声でもありませんでした。初めて聞く声でした。それなのに、自分の考えのように聞こえました。本当に、自分の考えのように。
私はその瞬間に理解しました。あの子が入れた文を受け取った人たちが、なぜそれを自分の考えだと信じるのか。あの文は、受け取る人の声で聞こえるのでした。いいえ、受け取る人がいちばん信じている声で。
山の下の街で、灯りが動きはじめました。最初はいくつか。次に数十。その次には数百。車の灯りが低地から山のほうへ、列をつくって上ってきました。懐中電灯の光が路地からあふれ出しました。雨が横から降っているのに、人々は動いていました。誰かに命じられたように。いいえ、誰にも命じられていないのに、急にそうしなければならないと思い込んだように。
あの子が私の腕にもたれました。重かった。あの子の脚が、がくりと崩れました。あなたがあの子を抱きとめました。あの子の鼻と耳から血が流れていました。雨水に混ざって、薄紅色になっていました。
あの子は目を閉じたまま、文を入れ続けました。1時間のあいだ。最後の灯りが低地を離れるまで。
午前1時2分、堤防が崩れました。暗闇のなかで水の音がしました。低地には、灯りがひとつも残っていませんでした。
2015年8月24日 01:02
あの夜の死者は2人でした。堤防とは関係のない場所で。木が倒れた家の1人と、車で山道を上る途中に滑った1人。1万人のうち2人。
実長は翌日、その数字を報告書のいちばん上に書きました。そしてその下に、あの子の数値を書きました。私はいまも、その報告書の2つの数字を同じ行に並べて読むことができません。
* * *
ヘリコプターが再び飛び立ったのは、午前3時でした。
あの子はあなたの膝を枕にして横になっていました。私は向かいの席から、あの子の顔を見ていました。
ぼやけていませんでした。むしろ、はっきりしすぎていました。写真に写った顔のようでした。
私はその鮮明さが怖かった。ぼやけているのは休んだからで、はっきりしているのは使いすぎたからでした。どちらがこの子にとって害が少ないのか、私には計算できませんでした。
あの子は3日間、目を覚ましませんでした。
医務室のベッドに横たわっていました。あなたは3日間、そのベッドのそばを離れませんでした。私は3日間、医務室の扉の外の廊下に座っていました。待機資源は、廊下でも待機でした。
3日目の夜、あの子が目を開けました。あなたが医者を呼びに出ていったあいだでした。
私は開いた扉の隙間から、あの子を見ました。あの子も私を見ました。私の額の、少し上を。
そして、あの子が頭のなかで言いました。3日ぶりの、最初の文でした。
「キッド、わたし、今日だけ休んじゃだめ?」
私は答えられませんでした。
あの子は3日間、目を覚ましませんでした。3日間、文を入れませんでした。それなのに、あの子の顔はぼやけていませんでした。はっきりしていました。使いすぎて、3日休んでもぼやけないほどに。
あの子は、そのことを知っていました。今日はぼやけないのだから、今日だけは休んでもいいのではないか。その問いの意味は、そういうことでした。
それは、私に許しを求める問いではありませんでした。あの子に、私の許しは必要ありませんでした。あの子が12歳になってから、初めて声に出してみた願いでした。頭のなかの声で。
私は頭のなかで答えました。ああ。今日はやらなくていい。
あの子はその答えを読んで、目を閉じました。
その言葉を、あの子はあなたには言いませんでした。後になって、なぜ私に訊いたのかと尋ねると、あの子はこう言いました。あなたの声がとても聞き慣れていて、あなたに何か言うとき、それが自分の声なのか、あなたの声なのか、分からなくなる、と。
そしてその夜、あの子は本当に誰にも文を入れませんでした。
翌朝、あの子の顔は少しだけぼやけていました。ほんの、少しだけ。
〈2015年8月26日、23時10分〉
あの子が3日ぶりに目を開けた瞬間を、私は見逃しました。
医者を呼びに行っていた、2分のあいだでした。戻ってきたとき、あの子はまた目を閉じていました。
廊下にいたあの人は、何も言いませんでした。
あの子の最初の文が何だったのか、私は19年間知りませんでした。
それは、この陳述のなかにありました。
「1日だけ休んじゃだめ?」
* * *
その月の最後の金曜日、あなたは方眼紙をもう1枚つなぎ足しました。
あの子の線は、台風の夜に3マス分、一気に跳ね上がりました。テープの上へ、またテープの上へ。
実長はそのグラフを見て、初めて決裁板を下ろして拍手をした、とあなたは言いました。
都市一つ。
実長はその言葉を、報告書の題名に書きました。
その月の名簿の償還は、2番目の行でした。
作戦はありませんでした。実長は台風の夜を、私の作戦として数えてくれました。
待つことも作戦だ、というのが実長の計算でした。
私はその計算が正確でないことを知っていました。それでも、受け入れました。
2番目の行は、産婆のおばあさんの曾孫娘でした。その曾孫娘は、地方の病院の産婦人科看護師でした。
私は償還の欄に数字を書きながら、おばあさんの大きな手が4代を隔ててその曾孫娘の手のなかにあるのだろうか、と考えました。
確かめられませんでした。確かめないことにしました。
確かめない欄もあるということを、私はそのころ少しずつ学んでいました。
私はその夜、自分の測定表を見ました。私の線は、そのままでした。
その月、私は何も消していませんでした。待っていただけでした。山の頂上で、廊下で。
あの子の腕を握っていただけでした。
私は残ったカップをいくつか数えました。そして初めて、そのカップをどこに使うかを決めました。
正確には、決め始めました。
あの子が頭のなかで問いかけた、あの質問。
1日だけ休んじゃだめ?
その問いに私ができる答えは、あの夜の「ああ」一つだけでした。
けれど、ぼやけない日は二度と来ないのでした。
あの子はもう一度、同じだけ使わなければぼやけるでしょうし、同じだけ使えば、さらに大きくなるのでした。
私はあの子に、ぼやけない1日を与えられる方法を数え始めました。
残ったカップで。
〈2015年8月28日、22時40分〉
* * *
その年、その都市の低地に住む1万余人のうち、あの夜、急に高い所へ行かなければならない気がした、と語った人は9000人を超えました。
その考えを自分の声で聞いた、と語った人はほとんどいませんでした。
ほとんどは、母親の声だったと言いました。




