第118話 償還計画書(3)
管理番号 KR-05 自筆陳述書
陳述18 — 取引。
封筒6。原文のまま移す。実名は▇処理。
* * *
6月の第一週、実長が私を呼びました。
実長の部屋の窓は南向きでした。陽の光が机の上の書類に差していました。3か月前、私が遂行不可と書いて返却した日と同じ場所に、同じ陽の光が入っていました。実長はりんごを剥いていました。果物ナイフで、皮を途切れさせず長く。私はその皮が床まで垂れるのを見ました。実長は皮が途切れないように剥くことに集中しながら、私に座るよう言いました。私は座りました。
実長はりんごを剥き終えると、机の引き出しから封筒を一つ取り出しました。封筒の中には写真が何枚も入っていました。実長はその写真を一枚ずつ机の上に並べました。列を揃えて。整然と。
地下鉄の通路の広告板の前に立つ私。灰色の12階建ての建物の前で、標石に触れる私。商業ビルの3階、ガラス扉の前の私。登記所の無人発行機の前の私。日曜日が二度、昼食が一度。
私はその写真を見ました。写真の中の私は、どれも同じスーツでした。皆同じ角度でうつむいていました。何かを読んでいる姿勢でした。広告板を、標石を、名前を、紙を。
実長はりんごを一切れフォークに刺して口に入れました。ゆっくり噛みました。そして言いました。
「書類はすべて揃っています」
〈2011年6月3日、10:00〉
あの写真たち。私は、あの写真が撮られているとは知らなかった。実長はあの人に監視を付けながら、私を決裁線から外した。担当者が監視を知れば、監視が漏れるからだと言った。私はその事実を、あの人が死んだあとで監査資料を見て知った。決裁線の私の欄には「該当なし」と捺されていた。
* * *
実長は怒りませんでした。
それが一番怖かったのです。
実長はりんごを噛みながら、私が何をしようとしているのか全部知っていると言いました。
曾孫の会社。失踪宣告。登記簿。
それから、B棟で書き写している名簿のこと。
実長は、その名簿が台帳を書き写したものではないことも知っていると言いました。移送と記された名前だけを書き写しているのだ、と。
私は答えませんでした。
答える必要のない質問ではありませんでした。質問ではなかったからです。
実長は確認していました。確認事項の欄を埋めるように。
実長はフォークを置きました。
「その名簿を、償還したいのでしょう」
私は、そうですと答えました。
「金が必要ですね。その土地は妻の名義ではだめで、その会社は曾孫が素直に手放すはずもなく、あなたは身分証も通帳も番号でできた人ですから」
実長は私の立場を正確に計算しました。私は、その計算に間違いがないことを知っていました。
実長はりんごの最後の一切れをフォークに刺して、私に差し出しました。
私は受け取りませんでした。
実長はその一切れを、また皿に戻しました。その一切れは、私たちが話している間、日の光の下でゆっくりと褐色に変わっていきました。私は話している間ずっと、その一切れの色を見ていました。りんごも書類のように、日の光で黄ばんでいくのでした。
「その会社の書類なら、こちらに少しあります」
実長は引き出しから、もう一つの書類綴りを取り出しました。分厚いものでした。表紙に会社の名前が書いてありました。曾孫の会社でした。
実長はその書類綴りを開きませんでした。手のひらで表紙を二度叩きました。印肉を叩くように。
「貸金業というものは、法の外に片足をかけていないと回りません。その足がどこにかかっているか、ここに全部あります。これを使えば、その曾孫はあなたの名簿に金を払うでしょう。一行ずつ」
〈2011年6月3日、10:20〉
実長が書類綴りの表紙を二度叩いたこと。
その人は、印肉を叩くようだと書きました。私はその癖を知っています。実長は、何かを利用できるとき、それを叩きました。書類でも、人でも。
* * *
実長が取引を持ちかけてきた。
整理作戦一件につき、名簿一行。俺が消去命令を一度執行するたびに、部署が名簿の一行について子孫の所在を探し、曾孫の会社がその子孫に返済するよう仕向ける。それが実長の提案だった。返済額は俺が決める。名簿の返済欄に俺が数字を書けば、その数字がその子孫の通帳に入る仕組みだった。
俺はその話を聞きながら、7月の実績手当の封筒を思い出していた。移送一件。申告人への報酬一件。作成者の実績一件。勘定は決まっていた。今も勘定は決まっていた。消去一件。返済一件。
俺は実長に、消去の対象は何か、人なのかと尋ねた。
実長は笑った。初めて声を出して。人ではない、と言った。この部署は人を消去しない。対象は物だ。世にあってはならない物。武器、薬品、記録。記録という言葉のところで、実長は俺を見た。俺はB棟の台帳を思った。実長もその台帳を思ったのだろう。
「B棟は引き続き保留です。あなたが書き写している間は。それも取引に含めて差し上げましょう」
俺はその言葉が取引の餌だと分かっていた。分かっていながら、残った能力で何件できるのかと尋ねた。実長は、それはあなたのほうがよく勘定できるでしょう、と言った。
俺は勘定した。使えばもらえる。使わなければ残る。今残っているもので何年耐えられるのか。一件にいくら使うのか。その勘定には欄が二つしかなかった。残った日と、返済する行。一つが増えれば、一つが減った。
俺は実長の提案を受け入れた。実長が差し出した書類に印章を押した。印肉を三度叩いて、欄の真ん中に。一、二。
俺は自分の残った日を、一件ずつ決裁してもらった。
〈2011年6月3日、10:50〉
その取引の書類。監査資料の中で、私はその書類を見ました。署名欄にはその人の印章がきちんと押してありました。その隣の備考欄に、その人の筆跡で一行が記されていました。欄の外ではなく、備考欄の中に。
『本人は、この取引が正確でないことを知って署名する』
実長はその備考欄を読まずに決裁しました。実長はいつも事由欄だけを読んでいました。
* * *
最初の作戦は6月の下旬、港の倉庫だった。
夜だった。あなたはその作戦に来なかった。実長の別の部下が俺を連れて行った。無口な男だった。その男は倉庫の扉を開け、懐中電灯で中を照らした。
木箱が積まれていた。箱ごとに外国の文字が刻まれていた。男は箱の中に何が入っているか言わなかった。俺は訊かなかった。訊かないことが7月の俺の仕事で、その夜の俺の仕事でもあった。
俺は手のひらを箱に当てた。
貯水池のときと同じだった。音がなかった。手が触れた箱が、その箱に触れていた箱が、その箱に触れていたすべての箱が一度に消えた。倉庫の床には、箱が置かれていた跡だけが残った。埃の積もっていない四角い跡。升目のようだった。
男は懐中電灯でその跡を照らし、頷いた。
帰りの車の中で、男は一言も発さなかった。
午前3時。建物の正門前で俺は降ろされた。男はそのまま行った。
俺は地下の部屋に戻った。眠れなかった。
ノートを開いた。線を引いて、新しい欄を作った。
日付、場所、品目、消去前の数値、消去後の数値、名簿番号。
最初の行を埋めた。
消去後の数値の欄は、翌朝に測ってから書くことにして、空けておいた。
名簿番号の欄には、1と書いた。
7月2日の青年。
欄を作り終えて眺めると、それは7月の実績手当の計算表と同じ数の欄だった。
俺はそのノートを閉じた。そして、また開いた。
欄の数が同じだからといって、同じ帳簿ではない。俺は自分にそう言った。
その言葉が正確なのかどうか、俺は最後まで計算できなかった。
そして、手帳に何かを書いた。
俺はその手帳を逆から読んだ。
品目、数量、措置。
措置の欄には「消去完了」。
事由欄はなかった。
翌日、あなたが俺の数値を測った。
あなたは測定器に出た数字を見て、長いこと黙っていた。
俺も、その数字を見た。
最初に目を覚ました年の4月から先週までに下がった分と、同じだけの数が、一晩で下がっていた。
あなたはその数字を測定表に書いた。そして、俺が作った使用可否欄に、初めて丸をつけた。
〈2011年6月24日、02:10〉
丸。
その日、私は初めて、その人の使用可否欄に丸をつけました。
手が震えました。丸は少し歪みました。
その人は測定表を見て、丸がまっすぐでないとは言いませんでした。
初めてでした。
* * *
最初の返済は、7月の初めだった。
部は名簿の最初の行を見つけた。7月2日の若者。若者は結婚していなかったが、妹がいた。妹は1998年に死んでいて、妹の孫が35歳で、地方の小都市で薬局を営んでいた。
部の照会結果票には、その系譜が四行にまとめられていた。若者、妹、妹の娘、その娘の息子。
俺はその四行を指でたどった。若者の行から次の行へ行く線は、横に折れていた。若者から下へ下りる線はなかった。
部は、曾孫の会社に、その薬剤師の名前と口座を渡したと言った。
俺は返済欄に数字を書くだけでよかった。
俺はその欄の前で、ペンを持ったまま長いこと座っていた。7月の実績手当一件に、66年分の利息をつけたら幾らになるか、俺にも計算できた。
計算は終わっていた。
それでも、その数字を書けなかった。
その数字は、俺が印章を一度押す値だった。あの若者の値ではなかった。
俺は数字の代わりに、別のことをした。
B棟に下りて、7月2日付の台帳を開き、あの若者の行をノートに写した。
事由欄には「移入の疑い」ではなく、元の五文字を書いた。
水を清める。
確認事項欄には「上同」ではなく、窓口に来た母親が言ったとおりに書いた。
井戸が濁ると、手を浸しては抜いていた。近所の者は皆、感謝していた。
俺はその頁を封筒に入れ、あの薬局へ送った。
差出人欄は、空けておいた。
そして名簿の返済欄に、初めて何かを書いた。
数字ではなかった。
三文字だった。
写し一枚。
〈2011年7月2日、22:00〉
* * *
その薬剤師は封筒を受け取ると、三日後に母方の祖母の古いアルバムを出した。
アルバムには、井戸のそばに立つ若者の写真が一枚あった。
裏には「兄」とだけ書かれていた。
薬剤師はその写真を、封筒に入っていた紙と並べて額に入れ、薬局のカウンターの後ろに掛けた。
客は、それが何なのかと訊かなかった。




