第117話 償還計画書(2)
管理番号 KR-05 自筆陳述書
陳述17 — 名簿。
封筒6。原文のまま転記。実名は▇処理。
* * *
次の日曜日、私は弁護士を訪ねました。
電話番号は地下鉄の通路の広告板で手に入れました。貸付の広告の隣に、法律相談の広告が貼ってありました。初回相談無料。
私は無料という言葉を信じませんでした。7月に無料で与えられるものは、たいてい別の欄で代金を払っているものでしたから。
それでも電話をかけました。日曜日にも相談を受ける事務所は、そこだけでした。
事務所は古い商店ビルの3階でした。ガラス戸に、金色の文字で弁護士の名前が貼ってありました。文字が一つ、半分剥がれ落ちていました。
脚が一つ欠けた名前。私はその戸の前でしばらくためらいました。名前の脚も留めておけない人に、他人の名前を尋ねてもよいのか。
それでも戸を開けました。ほかに戸はなかったのです。
弁護士は50歳くらいの男でした。ネクタイを緩めていました。机の上には書類が山のように積んでありました。欄が揃っていませんでした。
私はその書類の山を見て、この人が良い弁護士なのか悪い弁護士なのかを勘定しようとしました。勘定が合いませんでした。
書類が多いのは仕事が多いという意味で、欄が揃っていないのは仕事を急いだという意味でした。
弁護士は私に身分証を見せてくれと言いました。私は身分証がないと答えました。
弁護士は目を上げて私を見ました。そして、では家庭内の事案として相談しましょうと言いました。
家庭。そう見なす、ということ。それは国籍書類の「みなし」と同じ言葉でした。この世界はいつも、私をそのように見なして扱ってきました。
〈2011年4月10日、14:00〉
その弁護士の事務所を、私は見つけられなかった。あの商店ビルは数年前に取り壊された。
その人が書いた「脚が一つ欠けた名前」で、弁護士名簿を調べた。似た名前が三つあった。そのうちの誰だったのか、私は決めなかった。
決めてしまえば、その人を訪ねて、あの日何を話したのかと訊くことになりそうだったから。
* * *
私は家庭内の事案について話しました。
男が一人います。70年近く前に行方不明になりました。
その男は戻ってきました。指紋と親族鑑定で、本人であることが証明されています。
その男がいなくなる前に稼いだ金で買った土地があります。その土地は今、子孫の財産になっています。
私は訊きました。
「その男はその土地を取り戻せますか」
弁護士は最初、笑いました。
私が笑わないのを見て、笑みを引っ込めました。
ボールペンを手に取り、メモ用紙に何かを書き始めました。メモ用紙に罫線はありませんでした。それでも弁護士の字は、行を揃えて下へ下がっていきました。
私はその字を、逆さまから読みました。
失踪宣告。
取り消し。
現存利益。
弁護士が説明しました。
「その男の家族が、その男について裁判所から失踪宣告を受けているなら、その男は法的には死人として扱われているはずです」
「戻ってきた男は、その宣告を取り消すよう、裁判所に請求できます。取り消しが認められれば、その男は法的に、もう一度生きている人間として扱われることになります」
「名前を取り戻すんです」
「それで、財産は」
私が訊くと、弁護士はメモ用紙の「現存利益」をボールペンで囲みました。
「失踪宣告のせいで財産を受け取った人が、何も知らずに受け取っていたのなら、今残っている分だけ返せばいいんです。知って受け取っていたのなら、利息までつけて。――ですが、それはその男の名義の財産だった場合の話です」
弁護士は顔を上げました。
「その土地、誰の名前で買ったんですか」
私は答えられませんでした。
〈2011年4月10日 14:30〉
現存利益。
その人は、その後もこの言葉をよく使った。
今残っている分だけ。
自分に今何が残っているのかを数えるときにも、その人はこの言葉を使った。残った能力。残った年月。残った封筒。
私はその勘定を、その人の隣で何度も聞いた。
いつも正確だった。
いつも足りなかった。
* * *
「妻の名前です」
そう答えた声は、自分で思っていたより小さかった。
7月。不動産屋の狭い縁側で、係長は何度も首を振っていた。
「役所に通っている人間の名前で土地を買えば、どうしても噂になる」
だから俺は、契約書に妻の名前を書いた。
買主欄。判を押すための、その欄に。
妻は朱肉を二度叩いて、判を押した。
弁護士は俺の沈黙を読み、静かにうなずいた。
そしてメモ用紙に、もう一行を書き足した。
俺はその行を、逆さまのまま読んだ。
「妻名義 — 請求不可」
弁護士の説明は、こうだった。
あの土地は、最初から妻の財産だった。
妻が死に、息子が相続し、息子から孫へと渡っていれば——たとえあの男が戻ってきて、失踪宣告を取り消したとしても、その土地について請求できる根拠はない。
あの男の金で買ったと証明できたとしても、妻に与えたものと見られる可能性が大きい、と。
贈与。
その一言だけが、妙に耳に残った。
私はその言葉を聞きながら、七月の自分の計算をやり直しました。
言葉として残らない方法。
その方法は66年後にも、正確に作用しました。
その土地には、私の名前が一度も書かれたことがありませんでした。
私の名前が書かれていなかったからこそ、その土地はきれいでした。
移送の実績手当で買った土地は、書類の上では一点の汚れもありませんでした。
灰の落ちた契約書は長持ちする、と福徳房の老爺は言いました。
本当でした。
〈2011年4月10日、14:50〉
妻名義 — 請求不可。
あの人が逆さまに読んだそのメモを、私はあの人のノートの間に見つけました。
弁護士は相談が終わったあと、そのメモをあの人に渡したようです。
メモの隅に、あの人の筆跡で小さく書き添えてありました。
「私が消したのは、私の名前だった。七月に、もう」
* * *
弁護士は書類を揃え終えると、最後に付け足した。
「財産は無理です。ですが、名前は戻せます」
失踪宣告が下りているのなら、その男は取り消しを請求できる。法的に、もう一度生きることができる。名前と生年月日と本籍が再び書類に載り、住民登録も作れる。本人が望むなら、という条件付きで。
俺は尋ねた。
「その男が、それを望まないことはありえますか」
弁護士は奇妙なものでも見るような顔をして、俺を見た。
「自分の名前を取り戻したくない人間が、いるんですか」
俺は答えなかった。
その日、俺は相談料を払った。初回は無料のはずだった。それでも払った。
弁護士は受け取らないと言った。俺は机の上に紙幣を置いた。角を揃えて。
弁護士はしばらくその紙幣を見ていた。それから、書類の山の上に載せた。枠の合わない書類の山の上で、角だけ揃った紙幣が数枚。
俺は「無料」という言葉に値段を払って、そこを出た。
七月の癖だった。
〈2011年4月10日、15:20〉
その日、あの人が「名前を取り戻せる」と聞いていたことを、俺は知らなかった。
あの人はその話を五年間、俺にしなかった。俺がその話を初めて聞いたのは、あの人の口からではない。あの人の曾孫の口からだった。
その話は、あの人が次の次の封筒に書く。
* * *
翌日の昼、俺は登記所へ行った。
あなたには昼を外で食べると言ってあった。嘘ではなかった。登記所の前の食堂で、キンパを一本食べたからだ。
登記所の一階に、無人発行機という機械があった。画面に住所を入れて硬貨を入れると、その土地の書類が出てくる。その土地に誰の名前が、いつ書かれたのかが載っている書類。登記簿だ。
あの子が頭の中に描いてくれたとおりに、俺は指の力を抜いて画面を押した。
機械は紙を吐き出した。温かい紙だった。
俺は紙の所有者欄を読んだ。
一番上に妻の名前。1945年7月14日。七月、不動産屋の縁側。
その下に息子の名前。1991年の冬。妻が死んだ年。
その下に孫の名前。そして一番下にナソンの名前。2008年。
四つの名前だった。名前は三度変わっていた。三度とも、同じ家の名前だった。
俺の名前は、その紙のどこにもなかった。最初からなかった。
俺は紙を二つに折って、胸の内ポケットに入れた。七月に青年の移送事由書を入れていた場所だった。紙一枚がこんなに軽いとは思わなかった。移送事由書は重かったのに。
登記所を出ながら、俺はその機械を一度振り返った。硬貨数枚で七十年を吐き出す機械。その機械には事由欄がなかった。誰が、なぜその名前を書いたのかは尋ねなかった。いつ、誰から誰へとだけ書いていた。
俺はその機械が七月の俺に似ていると思った。理由を尋ねず、整然と書き写すところが。
* * *
その夜から、私は名簿を作りました。
地下の部屋の机の上にノートを広げ、線を引いて枠を作りました。七つの枠です番号、氏名、本籍、処理、処理日、子孫の所在、償還。
台帳と同じ枠に、二つを足したものでした。子孫の所在と償還。
子孫の所在の枠がいちばん難しかった。
台帳には本籍と名前しかありませんでした。七十年近く過ぎた本籍は、たいてい存在しない町になっていました。
その枠を埋めるには、あなたの照会権限が必要だと分かっていました。けれど、あなたには頼みませんでした。
頼めば、あなたがこの名簿を知ることになる。知れば、あなたの書類に何かを書かねばならなくなるのでした。
私はあなたの書類に、この名簿が書かれることを望みませんでした。
だから子孫の所在の枠は長く空いたままでした。償還の枠よりも先に、空いていました。
名簿の原本はB棟にありました。保留のまま棚に残った台帳たちです。
謹慎が明けたあと、私はあなたに頼んで週に二度、B棟へ下りました。台帳を書き写すという名目でした。
実長はその名目を許可しました。保留された文書を電子化できないのなら、人の手でも写しておけば役に立つだろう、と言ったそうです。
実長は、それも自分の考えだと思っていました。
私は台帳の名前を一つずつ名簿へ写しました。移送と書かれた名前だけです。
保留は写しませんでした。保留された人たちがその後どうなったのか、私には分かりませんでした。
移送された人たちのことだけは分かりました。私の印章が最後だったということを。
最初の一か月で名簿に載った名前は三百十二でした。
七月二日の青年が最初の行でした。次の行が産婆のおばあさん。その次が裸足の女。その次が城の外の東の畑の持ち主。その土地を売った兄妹の父親でした。
私は償還の枠に何を書くか決められませんでした。金で書くのか、何で書くのか。
その枠は空けたままでした。三百十二の空白。
そしてノートの最初のページに題を書きました。枠の外に。
償還計画書。
〈2011年5月8日、23時30分〉
* * *
そのノートの償還の枠は、その年の夏まで三百十二の枠がすべて空いていた。
最初の枠が埋まった日、その枠に書かれていたのは、数字ではなかった。




