第114話 嘘がつけないやり方(3)
管理番号 KR-05 自筆陳述書
陳述 15 — 拒否。
封筒5。原文のまま転記。実名は▇処理。
* * *
翌年の三月、私は初めて命令を受けました。
待機資源から整理資源へ。分類が変わりました。実長があなたを通して、書類を一枚下ろしてきました。作戦命令書でした。欄が決められた書類。対象、場所、日時、措置、事由。
私はその書類を受け取り、欄を一つずつ読みました。
久しぶりでした。上から下りてきた書類を受け取り、欄を読むこと。七月以来、初めてでした。
指先が少し震えました。嬉しかったからなのか、怖かったからなのか、今でも正確には分かりません。
対象欄には「旧文書庫B棟 保存文書一切」と書かれていました。
場所はこの建物の地下3階。日時は来週の火曜日の夜。措置欄には一語がありました。消去。
そして事由欄。一行でした。
「保存空間の不足および電子化不可の判定」
私はその事由欄を長いこと見ていました。事由は一行でした。決められた言葉の中から選ばれた一行。
その一行を選んだ人は、申告書の長い事由を読み、そこから言葉を一つ選んだのだろう、と私は思いました。
元の事由が何だったのか、私には分かりませんでした。
その一行の下に、鉛筆で消した跡がないか探しました。ありませんでした。最初からボールペンで書かれた事由でした。
〈2011年3月7日 10:10〉
消去。この部署があの人の能力に付けた公式の名称だ。
蒸発という言葉は書類には使わなかった。蒸発は自然に起きること、消去は人がすることだ。
実長はその違いを知ったうえで、その言葉を選んだ。人がすることだからこそ、命令できる。
* * *
旧文書庫B棟が何なのかを、私はその週に知りました。
あなたが私を地下3階へ連れて行きました。エレベーターではなく、階段で。
階段は長かったです。
地下3階の廊下の突き当たりに鉄の扉があり、その扉の先には鉄製の棚が並んでいました。
湿度計の付いた棚。
どの棚にも、黄ばんだ束が差し込まれていました。紐は新しいものに結び替えられていました。
表紙には墨の文字。
私はその表紙に見覚えがありました。
台帳でした。私たちの係の台帳です。巻の番号が墨で書かれていました。
その隣の棚には、移送事由書の束がありました。7月の束。防水布を被せて廊下の端に置かれていた、あの束たち。
焼却を免れたバツ印の束が、66年のあいだにこの棚まで来ていました。
そして、その一番端。最後の巻。
巻末確認欄に、にじんだ印章が押された、その巻。
私はその巻を取り出しませんでした。取り出せば、開いてしまいそうでした。
その棚の前に立っているあいだ、湿度計の針が少し動きました。私の息のせいだったのでしょう。
この部屋の空気は、紙のために調整されていました。私は息を浅くしました。
開けば、欄を読むことになります。欄を読めば、名前を読むことになるのでした。
あなたは私の隣に立って、この棟が来週の火曜日、消去の対象だと告げました。
この建物の保存空間が足りず、この文書たちは字が古く、電子化できないという判定が出ているのでした。
あなたはそう言いながら、私を見ませんでした。棚を見ました。斜めに。
私はあなたに、燃やしてしまえばいいのではないかと尋ねました。
あなたは、燃やせば煙が出て、煙が出れば記録が残る、と言いました。
焼却記録には、何を燃やしたのかを書かなければなりません。消去は何も残しません。記録すべきものがありません。
私はその言葉を理解しました。7月のボイラー室を思い出しました。
燃やしたものの一覧は、燃やしたものと一緒に燃えました。
それでも煙は出ました。ボイラー室の煙突が熱くなりました。
今度は、煙突も熱くならないのでした。
〈2011年3月9日 14時30分〉
* * *
その夜、私は地下の部屋で自分の測定記録を取り出してみました。
あなたは毎週、私の数値を測りました。その記録の写しは、私の机の引き出しにありました。私が最初に目を覚ました年の四月、十日目から下がり始めた数値でした。
それから私が能力を使った日は三度ありました。
試しにたらい一杯の水を消した日。誤ってコーヒーを一杯消した日。作戦で、もしもの事態が起きかけて、起きなかった日。
数値は使った日ごとに少しずつ下がりました。使わなかった週は、ほとんど下がりませんでした。
私はその記録を欄に書き写しました。日付、使用の有無、数値。
計算は明快でした。
使えば減る。使わなければ残る。
そして、計算をもう一つしました。
文書庫B棟が一つ。棚が数十。紙が数万枚。
貯水池を一つ消した手が、それらを消すのにどれだけ使うのか。おそらく、残っているものの半分ほど。
半分を使ったあと、残った半分で私は何年もつのか。
その計算は恐ろしいものでした。
けれど、その計算よりも恐ろしいものがありました。
あの棚の台帳には、名前がありました。七月に私が几帳面に書き写した名前たち。「移送、移送、移送」。
その台帳が消去されれば、その名前はどこにも残らないのでした。井戸水を澄ませていた青年。手の大きな産婆のおばあさん。裸足の女。その名前を覚えている人は、もうこの世界にほとんどいませんでした。台帳が最後でした。
そして、その台帳には私の字がありました。私の印章がありました。私が何をしたのかが、几帳面に。
私は、その台帳が消えれば、私のしたことも消えるのだと知りました。誰にも、私が何をしたのかを証明してもらえなくなるのだと。
七月の私なら、それを幸運だと思ったでしょう。書類がなければ、仕事もありませんでしたから。
〈2011年3月9日 23時50分〉
あの人の測定記録の写し。使用の有無の欄は、あの人が自分で引いた。私が渡した様式にはなかった欄だ。
その欄はその後、この部署の測定様式に正式に入った。あの人が作った欄のうち、今も使われている唯一の欄だ。
* * *
月曜日の夜、私はボールペンとノートを持って、あなたに頼んで、B棟へもう一度下りました。
私は棚から一冊を取り出しました。7月2日の項がある巻です。
その頁を開きました。七つの名前。
私はその頁をノートに書き写しました。先に枠を引き、番号、氏名、年齢、本籍、受付日、事由、処理。
事由欄の「移入の疑い」の下に、鉛筆で消した跡がうっすらと見えました。
私はノートの事由欄に「移入の疑い」と書き、その枠の外に小さく「原文:水を清める」と添えました。
7月には消したものを、その夜は枠の外に生かしておきました。
処理欄には、移送。ボールペンでしたから、朱肉のように滲みませんでした。
全部を書き写すのに、40分かかりました。
あなたはその間、鉄の扉のそばに立って待っていました。時計を一度も見ませんでした。
火曜日の朝、私は実長の部屋へ行きました。
実長は窓を背にして座っていました。南の窓でした。日の光が、実長の机の上の書類に差していました。
私は、その日差しが気にかかりました。口には出しませんでした。
私は実長に作戦命令書をお返ししました。措置の欄の横に、自分の字で一行を書き添えて。
「遂行不可」
実長はその一行を読み、私を見ました。「事由は何だ」と聞きました。
私は、事由の欄には書いていない、と答えました。定められた言葉の中に、私の事由がなかったからです。
実長は、では口で言え、と言いました。
私は言いました。あの文書は、保存する場所が足りない文書ではありません。保存する人が足りない文書です。
字が古くて電子化できないのなら、その字を書いた者は、ここにいます。私はその字を読むことができ、きちんと書き写すこともできます。
私は、昨夜書き写した一枚を、実長の机の上に置きました。
実長は長く笑いました。音もなく。
そして言いました。「それは君の仕事ではない。君の仕事は消去だ。資産は、定められた仕事をするものだ」
私は、その言葉が正確なのだと分かりました。7月の私なら、その言葉に頭を下げていたでしょう。
定められた仕事をすること。私が生涯してきたのは、それでしたから。
私は頭を下げませんでした。
私は、一度も拒否したことのない人間でした。1945年には。
〈2011年3月15日、09:40〉
「遂行不可」。
その命令書の原本は、この部署に残っている。
措置欄の横の四文字は、欄の外に書かれていた。あの人が欄の外に書いた字のうち、最も整っている。
その隣に、クリップでノートの紙が一枚留めてある。7月2日付の欄を書き写した紙だ。
* * *
その日の午後、私の名前の代わりに番号が記された懲戒書類が出ました。
謹慎15日。地下の部屋から出ないこと。
書類の一番下に反省文の欄がありました。私は反省文を書きました。欄に合わせて。
一行目は「本人は命令を拒否した」。二行目は「拒否の理由は口頭で報告した」。三行目は「同じ命令が再び下りてきたら、同じ理由で拒否する」。
反省文の欄に、反省していない文章を整った字で書いたのは、それが初めてでした。
あなたはその反省文を実長のところへ持って行って、戻ってきました。あなたは笑いをこらえた顔をしていました。実長は反省文を読んで、三行目でペンを落とした、とあなたは言いました。
ところが、その日の夕方、消去命令が変わりました。
あなたは地下の部屋の扉の前で、新しい命令書を見せました。対象、場所、日時はそのままでした。措置の欄が変わっていました。消去から、一語に。
保留。
私はその一語を見て、息を止めました。7月の台帳で、私が最も多く書き写した言葉。移送ではないほう。
実長がなぜ心変わりしたのかは、あなたにも分からない、と言いました。実長は午後に会議を一つ終えて出てきて、急に、あの文書は後で役に立つ気がする、と言ったそうです。自分でもなぜそう思ったのか分からない、と言いながら。
その夜、廊下をあの子が通りました。私の部屋の扉は閉まっていました。あの子は扉を開けませんでした。通り過ぎながら、頭の中で一言だけ言いました。
「キッド、あの人の頭の中、ちょっと広かったですよ。一行入れる場所がありました」
〈2011年3月15日、21:30〉
あの子がその日、実長の頭の中に一行を入れたことを、私はその夜知りました。あの子が先に私へ言いました。
「お姉ちゃん、僕、今日、悪いことしちゃった」
私はあの子を叱りませんでした。叱る欄がありませんでした。
その欄を作らなかったことが、あの子の担当として私がしたことのうち、最もよかったことなのか、最も悪かったことなのか、私はまだ分かりません。
* * *
旧文書庫B棟の文書は、その後23年間、保留のまま棚に残りました。
あの子が実長の頭の中に入れた一行を、実長は最後まで自分の考えだと思っていました。実長は職を退く日、その決定を自分の経歴で最もよい決断として挙げました。




