第111話 証明したものと消したもの(4)
その保育園は、市の境界を越えてから、さらに三十分は走らないと着かなかった。
国道から外れて細い道に入ると、ビニールハウスが何棟か並んでいる。その突き当たりに、二階建てのレンガの建物があった。
看板は変わっていた。
26年前は「○○保育園」。今は「○○児童グループホーム」。
名前が変わっても、建物はそのままだった。玄関の脇のイチョウも、そのままだった。
俺はそのイチョウの下に車を止めた。
26年前も、同じ場所に止めた。
あの時は、その子を迎えに来たわけじゃない。確保命令書の身上欄を埋めるために、その子がどこから来たのかを確かめに来ただけだった。
あの日も、俺は書類を持って来ていた。
今日は、持って来ていない。
玄関の扉を開けると、子供たちの声が一気に溢れてきた。
居間では男の子が二人、めんこをしていた。一人が俺のところへ駆けてきて、判定を頼んできた。相手がめんこを打つとき、足が線を越えたという。
線というのは、居間の床に敷いたビニールシートの模様だった。
俺はその模様を、しばらく見た。
模様に、境界ははっきりしなかった。
線がはっきりしない場所では判定はできない、と俺は言った。
子供が二人、同時に俺を見た。失望した顔と、安堵した顔が半々だった。
次の勝負からテープで線を貼るなら、判定してやると言った。子供たちはテープを探しに走っていった。
規則のない場所に、規則を作ってやること。
それが、俺ができる数少ない仕事のひとつだった。
* * *
院長は二階の小さな部屋にいた。
八十を超えた人だった。
今は院長ではなく、名誉院長だと言った。実際の運営は娘が担っていて、自分はこの二階の部屋で、子供たちに名前をつける仕事だけをしているのだそうだ。
グループホームに新しく来る子供の中には、名前のない子供が今でも年に一人か二人はいるらしい。
その子供たちの名前を、今もこの人がつけている。
机の上には漢和辞典とノートが開かれていた。
ノートには、名前の候補が三つ書かれていた。先週新しく来た女の子の名前だと言った。
院長は三つの名前の意味を一つずつ説明して、どれが一番いいと思うかと俺に聞いた。
「名前は帳簿の欄じゃありませんから。俺が判定するものじゃない。だから選びません」
俺はそう答えた。
院長は、その答えが気に入ったという顔をした。
そしてノートを閉じながら、名前は本人が大きくなりながら選ぶものだと言った。自分は候補を渡すだけだ、とも言った。
その子が三つのうち、どの名前に首を向けるか。一か月ほど、それを見守るのだそうだ。
名前を呼べば、子供は振り返る。
一番早く振り返った名前が、その子の名前になる。
俺はその言葉を、しばらく考えた。
呼べば振り返る名前。
あの子も、きっとそうやって名前を得たのだろう。
俺は身分を明かした。管理局という名は使わなかった。政府の機関だ、とだけ言った。
28年前に、ここで過ごした子供について伺いたい。
院長はその言葉を聞いて、長いこと俺を見た。
それから本棚から、厚い台帳を一冊取り出した。表紙は擦り切れていた。
名前の台帳だった。この孤児院に来た子供たちの名前と日付、そしてその名前を誰がつけたかを記す台帳。
院長は台帳を開かず、膝の上に置いた。
「その子を探しに来たのでしょう。頭の中に言葉を入れる子」
俺は答えなかった。
答えなくてもいい質問だった。
「そちらに連れて行かれた後は、消息を聞いていません。最初は宗教団体が連れて行き、それから国が連れて行ったということだけ。十二歳のとき」
院長は台帳を開いた。指で一行を探した。俺はその行を見た。逆さまに置かれた台帳だったが、読めた。あの人から教わったことだ。逆さまの文字を読むこと。
その行にあの子の名前があった。名前をつけた人の欄には院長の名前。そして退所欄には「宗教団体引き渡し」。その下に、別の筆跡で一行が書き足されていた。ボールペンの文字。「政府機関再引き渡し — 担当者確認」。その横に印章。傾いた印章。
俺の印章だった。二十四歳の。
* * *
その印章のことを、俺は覚えていなかった。あの日この孤児院に来て、この台帳に印章を押したことを。確保命令書の身元事項欄を埋め、院長に名前の台帳の該当する行へ一行書き足してくれと頼み、その横に自分の印章を押した。当時、俺はその仕事を書類整理だと思っていた。欄を埋める仕事。あの子がどこから来たのかを記録に残す仕事。
だが、院長の名前の台帳は、それ以降、あの子の名前が残った唯一の台帳になった。俺たちの部署の書類には、あの子の名前が番号の横にあった。あの子が死んだ後、その書類は監査資料としてまとめられ、監査資料は封印された。あの子の死亡診断書には名前があったが、その診断書は俺たちの部署の他の書類と一緒に封印箱に入った。国はあの子を証明し、同じ国がその証明を消した。
この台帳だけは消されなかった。この台帳は国のものではなかったから。
俺はその台帳の行を見ながら考えた。あの人もこの順序を踏んだ。指紋で証明され、親族鑑定で証明され、その次に住民登録もなく、訂正もなく、1945年の「帰家中行方不明」として残された。証明したものと消したもの。あの人の陳述の四つ目の封筒が、その話をしている。俺はその封筒を昨夜すべて読んだ。そして今朝、この孤児院に来た。あの人の陳述を読んだ後なら、あの子の名前が消されていない場所に一度は行っておくべきだと思った。
院長は台帳を閉じた。それから俺に茶を注いだ。麦茶だった。
院長の手は少し震えていた。茶が一滴、湯呑みの外へこぼれた。院長はその一滴をハンカチで拭った。
* * *
「あの子がここにいた頃のことです」
院長は麦茶を一口飲んで言った。
「あの子は言葉が遅かったんです。口では。五歳になっても、ほとんど口を開きませんでした。医者は言語発達の遅れだと言いました。でも不思議と、私はあの子が何を考えているのか、全部わかりました。お腹が空いた、寒い、あのおもちゃが欲しい。ただ、わかりました。母親なら、そういうものだと言うじゃないですか。私はあの子の母親でもなかったのに」
院長は笑った。古い笑い方だった。
「今思えば、あの子が私の頭の中に言葉を入れていたんでしょうね。その時はわかりませんでした。私はあの子のことをよくわかっているつもりでいました。誇らしかったんです」
俺は頷いた。あの子は俺にも同じことをした。初めて会った日から。
「お姉さん、それ、一行で書きましたよね」
俺は、あの子が俺の書類を覗き見たのだと思った。書類は俺の机の引き出しの中にあった。
「あの子が宗教団体へ行く日です。私はその日、あの子の名前を台帳から消すとき、泣きました。退所欄に線を引くとき。あの子は車に乗る前に私を見ました。口は開きませんでした。でもそのとき、頭の中に考えが一つ浮かんだんです。自分の考えだと思いました。それから二十数年、自分の考えだと思って生きてきました」
院長は湯呑みを置いた。
「あの子が最後に言った言葉を、私は自分の考えだと思っていたんです」
俺は院長の顔を見た。
院長の顔に——いや、顔の向こうに、何かがあった。それを見た、という言葉は使わない。目で見るものではないからだ。ただ、院長の頭の中のどこかに、院長のものではない文が一つ、折り畳まれているのがわかった。
18年、俺はそういうものを見分ける仕事をしてこなかった。しないようにしてきた。だが、その文は、俺が見分けまいとしても見分けられてしまった。文の手触りは、俺の知っている手触りだった。毎朝、ブリーフィングの前に、俺の頭の中で先に聞こえていたあの声の手触り。
院長が言った。
「それがですね、最近変なんです。10日ほどになりますかね。その考えが浮かぶとき、自分の声じゃなくて、あの子の声で聞こえるんです。10歳のときの声で。私、頭がおかしくなったんでしょうか」
10日ほど。俺はその数字を数えた。刑務所の運動場で、一人の収容者が倒れた子供の手首をつかんで、何かを一針ずつ縫った夜。その夜から今日まで14日。院長がその声を初めて聞いたのは、その夜の数日後だった。
俺は院長に、頭がおかしくなったわけではないと言った。院長は俺を見た。俺がその言葉をあまりに正確に言ったからだろう。警察署の刑事が、その人の正確な頼みを聞いて笑うのをやめたように、院長も俺の答えを聞いて、何かを止めた。
「何と言ったのか、聞いてもよろしいでしょうか」
院長は少し迷ってから、その文を声に出した。あの子の名前が入った文だった。名前を付けてやった人に宛てた言葉だった。俺はその文をここに書き写さない。その文にはあの子の名前がある。あの子が帰ってきたとき、その名前を呼ぶのだ。
ただ、その文の最後の一語だけは書き留めておく。
「ありがとう」
* * *
玄関を出ようとしたところで、院長の娘に引き止められた。訪問記録に署名してほしい、と言う。
訪問記録の様式には、訪問目的の欄があった。俺はそこに「面談」と書いた。
娘は署名を受け取ると、後援申込書を一枚差し出した。定期後援、月一万ウォンから。
俺はそれを受け取り、少し迷った。それから金額欄に数字を書き、署名した。
娘はその数字を見て、目を大きく見開いた。
俺はその数字が何の計算なのか、説明しなかった。
あの子が18年のあいだ、他人の頭の中で他人の考えのふりをして過ごした歳月を、月に割った数字だった。
正確な計算だったかは、わからない。その人なら、合っているかどうか、もう一度数え直しただろう。
* * *
帰り道、俺は銀杏の木の下で、しばらく車の中に座っていた。
居間の窓から、子供たちが床にテープを貼っているのが見えた。
まっすぐではなかった。テープは床材の模様に沿って、歪んでいた。
それでも、線は線だった。
俺はその線を見ながら考えた。
書類の上で終わったあの子の言葉が、他人の頭の中で、他人の考えのふりをしていた。
18年のあいだ。
そして14日前から、そのふりが少しずつほどけている。
院長の頭の中の文が一つ。あの子が言葉を差し込んだ頭は、数百あった。
人質を取った男、国境の向こうに閉じ込められていた人、あの子に名前を付けてやった院長。
俺はその名前を、手帳に一行ずつ書いた。書いている途中で、ペンを止めた。
一覧のいちばん下に、一行分の空白を残した。
そこに誰を書くべきかわからなかったのではない。書かなかっただけだ。
名前の台帳に残った名前。そして、俺たちの書類から消された名前。
証明したものと、消したもの。
その人の四つ目の封筒は、その人自身の話だった。
だが今日、俺はその封筒の表題が、あの子の話でもあることを知った。
その人は、それを知ってこの題を付けたのだろうか。おそらく、知っていたのだろう。
その人は、大事な言葉を欄のいちばん最後へ後回しにする人だった。
* * *
その日、グループホームの居間の床に貼られたテープの線は、翌年、床材を張り替えるまで残っていた。
その線の上で判定を受けた札は、全部で17枚だった。
判定したのは、毎回、院長だった。




